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その道の先に  作者: たけのこ派
第一部/接触編
33/126

1−32/正気の剣

VSカイン戦、佳境。

 不利な状況は明らかだった。

 こちらが切れる手札は残り一枚、だがそれはこの状況下で使えるものではない。そんなことをしている間に、俺の肉体は氷刃によって細切れにされている。


 ——しかし。俺とカインの間を吹き抜けた一陣の旋風が、その状況をひっくり返す。


 白刃を煌めかせるのは、音もなく背後から接近した暗殺者。大量の血飛沫とともに、切り飛ばされたカインの左腕が宙を舞う。


「……ごめん、しくじった」


 そして、その暗殺者はというと。

 俺の隣にひらりと降り立ち、開口一番にそう言った。


「……アレでか?」


「うん、完全に取ったと思ったんだけどね。直前に気取られて、ぎりぎりで狙いを逸らされた。もしかしなくても人外レベルだよ、彼」


「天井走ってきたお前に言われたくないと思うぞ……」


 というより、あの男から腕を一本奪っただけで十分に化物だと思うんですが。俺がこいつにどれだけ余裕を見せつけられたか、懇切丁寧に説明してやりたい気分だ。

 苦い顔をしたまま、件の暗殺者——樋笠は刀を流麗な動作で鞘に収める。およそ人間とは思えない機動力で走ってきたにも関わらず、その額には汗一つかいていない。

 見た目はどう見ても木刀なのだが、どうやら仕込み杖のようなものらしい。斬りかかる直前に突然出現したことを鑑みるに、これが樋笠の神器で間違いないようだ。


「なるほど、それが君の選択か。今の君は、理性の下で戦うことを選んだわけだ」


「ああ、あんたの趣味に合わなくて悪いな。失望したいなら好きなだけするといい」


 闖入者には目もくれず、一人で納得したかのようにカインが笑う。

 鼻を突く肉を焦がしたような匂いは、彼が自身の炎で傷口を無理やり止血したものか。それでいて顔色を少しも変えていないのだから、もはや感嘆するより他にない。

 遡ること二時間と少し前、俺たちが本部の司令室に集まった時。カインからの一方的な電話が切れた直後、樋笠はすぐさま俺の助っ人をさせて欲しいと申し出た。

 曰く、先の襲撃で何もできなかったぶんの協力をさせてほしい、とかなんとか。俺にはいまいちピンとこない話だったが、どうにも彼が塞ぎ込んでいた理由と関連しているらしい。何もしていないどころか、避難誘導だのなんだのでMVPレベルの活躍をしたと聞いたのだが……まあ、本人なりに悩んでいたようだし、そのけじめということなのだろう。

 当初は突拍子も無い話だと思ったが、この現状を見ればゴーサインを出した大佐の判断には納得の一言しか出ない。これだけの戦力が自分から志願してきたとなれば、いくら学生とはいえ即座に了承するのも当然というものだ。


「いいや。いかなる形であろうとも、それが君の決断なのだろう? なら、私から言うことなど何も無い。今の君は人間であって、獣では無い。それだけだ」


 全くかみ合うことのない俺の答え。しかしそれさえ、聞き届けたカインは楽しげに笑う。

 「獣」——俺のことをそう呼ぶ彼の言葉に、全く思い当たる節がないわけではない。

 俺の中に渦巻くそれは、今か今かと飛び出す機会を伺っている。これを縛る鎖が引きちぎれた瞬間、俺はカインが言うところの獣へと堕ちるのだろう。

 衝動のままに動く、人間の形をした何か。いずれはそれに成り果てるという、予感じみた不思議な確信がある。


 ……だが。


「獣、ね。生憎と、そんなものになるつもりは毛頭ないもんでな」


 情動も狂乱も、すべては遠くで響くノイズに過ぎない。どれだけ拘束を振り払おうともがいたところで、理性という鎖はそれを雁字搦めに縛り付けている。

 俺の理性が、雨宮俊という存在そのものが。その感情を全力で押さえつけている限り、俺はこうして人間のままだ。


「それよりも、そろそろ本気を出した方がいいんじゃないのか? このまま余裕ぶってやられてくれるのなら、それもそれで面白いんだがな」


 俺の根底でとぐろを巻く、靄がかかった正体不明の感覚。その不自然さを誤魔化すように、殊更におどけた口調で向かい合う。

 カインの平静を崩すことはできなかったものの、腕の一本という戦果は決して悪くはない。仕掛けるのなら、樋笠というユニットの戦力が未だ割れていない現状をおいて他にはないと断言できる。


『俊、君は左から攻めてくれ。僕は右から回り込む』


「……いいのか?」


『もちろん。助っ人に来た以上、相応の働きをしないとね。彼としても、残っている腕は情報が少ない相手の対応に使いたいはずだ。そこを僕が突いている間に、思う存分暴れて欲しい』


 男から目を離さないまま、樋笠が通信越しに指示を出す。

 その言葉に不思議な安心感が伴うのは、冷静かつ的確な指示の内容ゆえか。この状況でも自分が高いリスクを背負おうとするあたり、「ヒーロー」としては彼のほうがよほど合格点だ。


「……奴の攻撃方法はだいたい二通り。あの火の玉から出てくる鳥と、周囲に作り出される氷の剣だ。鳥は追尾性が高い上に数が多い。剣は数こそ少ないが、飛んでくる速度がとにかく速い。あとは一箇所に止まりすぎると、足を凍らせてくるから要注意だな。……ま、どうせ奥の手は隠してるだろうから、参考程度にもならんかもしれんが」


『いいや、大丈夫。これだけ情報があれば、かなり楽になるよ』


 張り詰めた空気の中で聞こえてくる、緊張をほぐすような樋笠の声。そちらに顔を向けることなく、ただその声に頷きだけを返す。

 カイン。臆面もなくそう名乗り、大層な話の数々を嘯くこの男。正直に言えば、今でもその本質はまるで読みきれないままだ。

 全てを見透かしたような底知れない言動と、それに相反するような世界制服という使い古された目的。その目的すら、実は全くのはったりではないのかと疑ってしまう。

 

 だが。それらの事象はことごとく、今この瞬間においては取るに足りないものだ。


 この男が未だ保持したままの、数多くの情報の断片。それは集める価値こそありはすれども、決して思考のリソースを割くべきものではない。

 この男は敵であり、ここで倒すべき相手だ。それ以外に考えるべきことなど何もない、そう自分自身に言い聞かせ続けなければ、俺は間違いなく自分を見失う。


「ふむ。確かに、この戦いもいよいよ大詰めだ。となれば——」


 隣から向けられるアイコンタクトに応え、床を鋭く蹴って走り出す。

 樋笠がこちらに合流した以上、時間稼ぎなどという行為はもはや無用の長物だ。最後まで長話をだらだらと聞く義理はない。

 目にも止まらぬ速度で斬りかかる樋笠の動きが、残像すら伴ってカインを襲う。

 宣言通り右方から斬り込むその姿は、さながら隼のごとき鋭さだ。大きく回り込んでいるにもかかわらず、その速度は直線距離の俺よりもよほど速い。


「この体で出し惜しみするのは、いささか無粋というものか」


 が。

 その超速の一撃すら、驚くに値しないとでも言うように。


 突如として床から出現したのは、鋭利な切っ先を持った氷の柱。肥大した氷柱(つらら)のごときそれが、無慈悲に樋笠の一撃を阻む。


「く……」


 あと一歩前に出ていれば、その体は完全に貫かれていただろう。僅か数センチの距離で急制動をかけた樋笠が、表情に悔しさを滲ませて歯噛みする。

 気付こうと思えば気付けたはずだ。超人的な反応速度を有する樋笠だからこそ寸前で事なきを得たものの、俺が不用心だったことに変わりはない。

 勢いよく空間を裂き、床面から一瞬にして発生した氷の槍。アレはまず間違いなく、先に見せた氷の盾の変化系だ。もし俺に対して使われていたら、完全な不意打ちを貰っていたことは想像に難くない。

 速度も面積も、飛ばされる氷刃に比べれば明らかに劣る。しかし、無視できない威力の攻撃が足元からも出現するとあっては、より多くの場所に注意を分散させなければならなくなる。

 こちらの行動を完璧に予測しているかのように、回避した先の地面から発生する氷槍。休む暇など与えないというそれに、直感が危機の接近を声高に叫ぶ。


「っ、と——」


 本能の警告に従い、大きく右に避けた直後。飛来した氷刃が槍へと突き刺さり、諸共に大爆発を引き起こす。

 炎と氷のどちらか一方しか使えないと思っていたのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。視覚的に派手な合わせ技まであるとなっては、いよいよ見てくれはレイドボスそのものだ。


「火か氷か、できればどっちかに絞って欲しいんだがな」


「合体技は男の浪漫だよ。ついついやってしまいたくなるものだ」


 軽口にもけろりとした答えを返すカインは、片腕がないことなど微塵も感じさせない余裕を纏う。その振る舞いに一部の隙もないからこそ、余計に憎たらしいことこの上ない。

 完全に自動操縦のようなシステムなのか、休む気配すらもなく稼働し続ける炎の卵。次から次へと増産される炎の鳥を躱し、広大なフロアを走り抜ける。

 明らかに苛烈になった攻撃は、言葉通り出し惜しみをしなくなったことの証左か。もっとも、この男の性格を考えれば、この上更なる手札を隠していてもなんら不思議ではないのだが。


「どうした? 互いに全力を出せるのなら、それに越したことはないだろう。戦えば戦うほど、君は完成へと近づいていくはずだ」


「知らん。俺はあんたの作品じゃない」


 まとわりつく炎の鳥たちを斬り払い、負けじと大口を叩き返す。舌戦だけを見ればそれらしい攻防にはなっているものの、その実不利な状況であるのは明らかだ。

 俺のみならず樋笠も、あと一歩のところで男に肉薄できていない。このまま攻めに移るタイミングを見出せないのだとしたら、遠からずジリ貧になるのは避けられないだろう。

 何か。必要なのは、起点になる「何か」だ。それさえあれば、戦況を一気に傾けられる。

 巡る俺の思考すらも見透したかのように、カインはなおも微笑みを崩さない。軽口の応酬に満足したのか、男は残った右腕の指を高らかに鳴らす。


「では、これは?」


 来る。不気味に胎動する頭上の卵が、その直感が正しいことを痛いほどに伝える。

 防御か、回避か、それとも迎撃か。いずれにせよ、使える時間はそう多くない。この予兆を現実のものにしてしまえば、窮地に陥ることは必定だ。


 ——しかし。そんな俺を嘲笑うかのごとく、卵は新しい仔を産み落とす。


『……っ、俊!』


 狼。

 俺めがけて走り来る、産み落とされた炎の獣たち。それらを端的に表現するならば、そう表現するのが最も適切だろう。

 正面に二匹、側方から一匹ずつ。フロアを焦がして突き進む彼らは、俺の逃げ道を的確に塞ぐ進路を取っている。

 組み込まれた命令に従い、生じたその瞬間から狩りを全うする。個体同士が連携するその姿は、まさしく狩りと呼ぶに相応しい。


『問題ない、なんとかする』


 だが。どれだけ狼の動きを真似ても、それは所詮形だけの代物だ。

 意志も命もない、形を真似ただけの紛い物。であれば、それはただの銃弾と変わらない。


 これがカインからの挑戦、試練の類だというのであれば——俺が為すべき役割は、それを起点たりうる「何か」に変えることだ。


 飛来する氷刃。追尾する鳥。足元の氷槍。そして、前方から迫り来る炎の狼。

 全ての動きを把握しろ。攻略のための情報は既に出揃っているのだから、あとはその間隙を突くだけだ。

 靴底をすり減らす勢いで大きく反転し、飛来する炎の鳥を叩き落とす。仕留め損ねた数匹が制服を焦がすが、この程度のダメージであれば問題にもならない。

 迫り来る四匹の狼、彼らを一度に迎撃するのは困難を極める。ならばどうするか?


 問うまでもない。

 迅速に、かつ確実に。一匹も残さず、その存在を消し飛ばすだけだ。


 まずは一匹。牙を剥いて飛びかかる狼を限界まで引きつけた上で、掌から撃ち出した水流で頭をぶち抜く。

 いくら獣の形を模しているとはいえ、本質はただの炎の塊だ。狼の残骸は熱気を孕んだ煙へと姿を変え、爆風が肌を打ち据える。


「次」


 息つく暇もなく、煙を突き破って飛び出して来る二匹目の個体。馬鹿正直に前方から現れたそれを、水を纏わせた刃で両断する。

 生命であるのならいざ知らず、この狼は単一の命令を実行する機械と同じだ。プログラムに従って動くしかできないそれが、柔軟な回避行動など取れるはずも無い。

 白煙が立ち込め、視界は限りなくゼロに近い。俺から樋笠やカインが見えないのはもちろんのこと、カインも俺を視認できてはいないだろう。


 それでいい。即席の煙幕ではあるが、これでひとつの準備が整った。


 三匹目と四匹目が、ほぼ同時に煙から顔を出す。予め目星をつけておいた一点にスライディングの要領で滑り込めば、紙一重で俺を仕留め損ねた炎が俺の髪を僅かに灼いた。


 ——直後。飛来した氷刃が二匹纏めて貫き、小型爆弾のごとく後方で爆ぜる。


 何も自力での撃破に拘る必要はない。向こうが攻撃を仕掛けてくるというのなら、それも使いようによっては立派な武器だ。

 いくらでも再生産が利く狼を囮にし、煙幕の彼方から的確に攻撃を仕掛ける。人外じみたそのやり口さえ、あの男なら苦もなく実行に移してくるはずだ。であれば、それを利用しない手などあるはずがない。

 強引な勢いで身体を起こし、そのまま大きく加速する。目下の脅威をすべて排除した今、悠長なことをやってはいられない。

 この状況を「起点」に出来るのは、長くてもあと数秒がせいぜいだ。煙幕が生きているうちに勝負を決めなければ、また逃げ惑うところからやり直しになってしまう。

 

「——樋笠!」


「ああ!」


 踏み込んだ一歩で白煙を突き破り、カインの左側に躍り出る。

 声と同時、逆方向からタイミングを完璧に合わせて現れた樋笠は、八艘飛びよろしく障害物を飛んで渡ってきたらしい。

 彼の手に握られた神器は、既に鞘から抜き放たれている。無骨ながらも美しいその刀身が、彼の技量によって神速で空を断つ。


「なるほど。これほどとは」


「……っ!」


 しかし。

 まだ。これでも、まだ足りない。

 無情に響く硬質な音に、背筋をぞくりとした感覚が走り抜ける。

 さしもの樋笠といえど予想外なのか、押し殺した感情の残滓が口元から溢れ出す。彼らしからぬその声が、やけにはっきりと耳朶を打った。

 樋笠の剣をもってしても、カインの読みを覆すにはまだ足りない。こちらの攻撃をことごとくいなし、搦めとるカインは、側から見れば予知能力でも授かっているかのようだ。

 あと一歩が届かない。この男と相対する中で、もはや嫌という程味わったこの感覚。それ故に、次に起こることすら容易に予測できる。


 ()()()()()

 苦境に立たされるほどに、縛り付けられた何かが一層強く燃え上がる。ここでゲームセットになどさせるものかと、正体不明のそれが情動を迸らせる。


 樋笠と目が合う。必要な情報だけを伝えるのなら、たったそれだけで事足りる。


「は——あ、っ!」


 咆哮と共に繰り出された樋笠の白刃が、鍔迫り合っていたカインの氷剣を軋ませる。

 旋風すら巻き起こすほどの剣閃が、強固な氷の拘束を振りほどく。そこから間髪を入れずに放たれた回し蹴りが、氷剣を今度こそ派手に砕き折った。


「ふむ……ヒガサ、だったか? 素晴らしい、予想以上だ」


 その時。僅かに目を見開いたカインが零したのは、紛れもない本心だろう。

 瞬時に頭上で形成される無数の氷刃と、不気味に蠢動を開始する炎の卵。あからさまに引き上げられた警戒が樋笠に向いた瞬間を見逃さず、人造神器の刃を搦めとる拘束から脱出する。


「君はしばらくじっとしているといい。なに、少しの辛抱だ」


 降り注ぐ氷刃で樋笠の追撃を振り払いながら、カインが視線だけをこちらに向ける。

 全方位から出現した氷の盾が、瞬く間に俺を取り囲む。重なり合って紋様を描くそれは、さながら俺を逃がさない堅固な檻か。


「悪いが、出来ない相談だな」


 だが、一手遅い。

 ()()()()()()()。閉じ込められたところで、俺の目的に支障は出ない。カインを狙えないというのなら、その武器となるものを狙い撃つまでだ。

 ここまで散々、好きなようにやり込められてきた。なればこそ、一度くらいは反撃をしてやりたいと思うものだ。 

 水流、射出。今まさに産み落とされ、樋笠に襲いかかろうとしていた獣もろとも、迸る激流が炎の卵を貫く。いかなカインとはいえ、自衛の片手間に卵まで守ることはできなかったのか、大出力の水は遮るものなく直撃した。

 遂に届いた一撃が、卵を木っ端微塵に爆砕する。一拍遅れて駆け巡る熱風と衝撃が、俺を吹き飛ばさんばかりの勢いで猛り狂う。


「ほう——」


 再び覆われる視界と、煙幕越しに聞こえるカインの声。感心したような色に気をとられる暇もなく、氷刃が白煙を突き破って降り注ぐ。

 想定を上回る一手を取ったことが、奴の警戒レベルを引き上げたのか。樋笠への攻撃よりこちらの排除を優先する、と言わんばかりの集中砲火に、回避することも叶わず天を仰ぐ。

 炎を纏った無数の刃が直撃するまで、残された猶予はあと幾許も無い。逃げ道を完全に塞がれている現状、どう足掻こうと逃げきれないのは火を見るよりも明らかだ。


「俊、無事!?」


「なんとか、な。助かった」


 誰がどう見ても詰んでいるというような、不可能そのものの状況。

 だが、それすらもひっくり返すのが、理想の()()()()というものだろう。


 炎を纏った絨毯爆撃が、俺を粉微塵に粉砕する——その、寸前で。

 俺の周囲をなぞるようにして繰り出される斬撃が、氷の防壁をも苦もなく両断する。すんでのところで作り出された逃げ道に飛び込めば、直後に背後からの爆風が俺を突き飛ばした。

 無様に転がりこそしたものの、おかげで攻撃は一発たりとも命中していない。差し伸ばされた樋笠の手を借り、霜の付いた制服の裾を払って立ち上がる。


「……まさか、片腕であそこまで抑え込まれるとはね。正面からの攻め手じゃ、もうあれ以上の戦果は望めそうにないな」


 立ち込める白煙の中で、樋笠が押し込めていた息を吐く。

 追撃の気配、今の所なし。だがそれは油断などではなく、こちらが仕掛けるのを待っているだけだ。

 全力の作戦を受け止め、真正面からへし折ってこそ意味がある。余裕に溢れたその戦法は、いかにもあの男が考えそうな手口だろう。

 こちらの手札は着々と割れている。成算がない以上、無策での特攻は消耗以外の何物でもない。


「……その言葉、搦め手なら攻略法があるって認識で良いんだよな?」


「一応、ね。ただ、僕が距離を取った時点で、彼は相当警戒するはずだ。これを必殺の一撃にするには、彼が確実に無防備になる時間を作り出さなきゃならない。条件が厳しすぎる」


 そう。無策で、だ。

 まだ策がある。言外にそう告げる目を限り、手詰まりの判断を下すのはあまりにも早い。

 苦い顔をする樋笠の口ぶりと、彼の持つカードを切れる条件。そのいずれも予想の範囲内だ。

 あの男の不意を衝き、その動きを止められる一手。たとえわずかな時間であれ、確実にそれをなすことのできる手があれば、この作戦は実行に移せるということになる。


「了解。隙を作れば、確実に仕留められるんだな」


 それなら、ある。

 最後に残った、たった一枚のカードが。


 成功率など、鼻で笑われる程度のものだ。良くて相打ち、犬死の可能性すら否定しきれない。一瞬でも判断を誤れば、俺の生命は奈落までまっ逆さまだ。

 それでも。賭ける価値はある。


「俺にも一つだけ策がある。かなり危ない橋を渡ることにはなるが、当たればまず間違いなく隙は作れる。だから、お膳立ては俺に一任してくれればいい。それでいいか?」


 一息に吐き出した言葉に、見据えた先の瞳が微かに揺れる。

 それが俺の身を案じたものであることくらいは、俺も彼のことを理解しているつもりだ。

 己の命を捨ててでも、躊躇いなく他人を助けることができる。どれほど自分が危機に晒されても、助けると決めた人間を優先する。何の迷いもなく()()()()()のが、樋笠拓海という人間(ヒーロー)なのだから。


「……ああ、わかった。必ず決めてみせる」


 瞑目ののち開かれた瞳、そこに迷いの色はない。

 人として正しい逡巡と、戦士としての迷いなき決断。それらすべてを一瞬で終わらせ、あまつさえ俺の言葉を無条件で信頼できる彼には、やはり天性の資質があるのだろう。

 必ず決めてみせる。圧倒的な自負と責任感が、その言葉の裏で眩く輝く。

 

「作戦会議は以上か? では、その成果を見せてくれ。どのようなものでも私は歓迎しよう」


 樋笠は俺の意を汲み、俺の決断を尊重した。ならば、それに応える義務がある。

 薄れゆく白煙の中で目を挙げ、カインの真正面へと歩を進める。

 隻腕を広げて大仰な口を利く男は、その実全く油断がない。

 接近を試みたとしても、生半な手段では全て読み切られるだけだ。これまでの挑戦と積み重なった失敗が、その事実を無慈悲に物語っている。


 で、あるならば。必然的に、取るべき手段は一つに限られる。


 奴の掌の上であることは承知の上だ。何度挑もうが、何度やり方を工夫しようが、その悉くが届かなかった。

 なら。そこから転がり落ちるほどのやり方で、奴の不意を突くしかない。


 人造神器を体の後方に構え、小さく一度だけ息を吸う。やるべきことは至極単純だ。

 最短距離を、最速で一気に駆け抜ける。そこにどのような障害があろうが、死ななければ一番効率が良い。


「————」


 暴力的な勢いで水流がうねり、俺の体を前面に押し出す。

 迫り来る氷刃に対し、回避を試みることは下策中の下策だ。そんな悠長な判断など、あの男からすれば格好の的にされるだろう。

 動きを止めるな。カインの予想を超えて、なおかつ目的を達成できる手段はひとつだけだ。


 迷うな。その一瞬が命取りだ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()


『は、ははは』


 血が沸き立ち、体が震える。突き刺さり、肉体を抉る無数の氷刃が、数えるのも億劫なほどの傷を身体に刻み込んでいく。

 狂笑。強行突破という判断を下した脳髄に、勝利の凱歌と呼ぶにはあまりにも不出来なそれが響き渡る。


「はは、は、ははははははは——!!」


 視界が明滅し、血と臓物が迸る。笑っているのが誰なのか、それすらも曖昧で判然としない。

 身体中が燃え盛るように熱く、踏み出す一歩が果てしなく遠い。一秒後に正気を保っていられるかも分からない、生命すら危うい激痛が俺を襲う。


 つまり。目的の遂行に、何ら支障は出ない。


 これでいい。カインの懐に最速最短で潜り込めた今、受けた傷など些細な問題だ。

 この男の余裕を、想定を超えろ。この男の類い稀な冷静さと先読みの技能を持ってしても、対処しきれない攻撃は確かに存在する。樋笠の一撃を躱しきれなかったことなど最たる例だ。


 であれば——意識の外側を、対処できないその隙を、こちらから作り出してやればいい。


 人造神器から手を離す。ここまで接近できた時点で、この道具はもう必要ない。


「……ああ」


 その顔だ。完全に不意を突かれた顔、その顔が見たかった。

 確かに一瞬、カインの思考に生まれた空白。人造神器(唯一の武器)を手放したのは、さしもの彼といえど予想外だったのか。


 だが。俺の目的を果たすには、その一瞬で十分だ。


 肌を刺す鉄の冷たさを感じながら、服の裡に隠していた第二の武器を一気に引き抜く。

 いつかの夜に受け取った拳銃。無機質な輝きを放つそれを、カインの目前に突きつける。

 狙ったところに正確に当てるなど、俺にはまず不可能な芸当だ。だからこそ、対処できない距離まで接近する必要があった。


「それは——」


 今度こそ、カインの口から驚愕の声が溢れ出す。


 封星弾。博士から受け取っていた、正真正銘の切り札。

 ここまで温存していた最後の一手が、これ以上ない形で炸裂する。

 全自動(フルオート)で撃ち出された数多の弾丸が、遂にカインの元へと届く。神算鬼謀の全てを超えて男を捉えたそれは、一瞬にしてその身体に食らいつき、そのまま彼方へと突き抜けた。


 静寂。たった数秒の間、世界を構成する全てが、凍りついたように動きを止め——


 そして。


 星の力を封じる弾丸、その真価が瞬く間に現れた。


 俺を取り込むようにして出現し、痛烈な一撃を叩き込まんとする氷刃たち——そのすべてが例外なく、砕け散るようにして消えていく。今まさに目の前で生み出され、確固たる(スガタ)を取りかけていた炎も、吹き散らされるようにして霧散する。


「が……っ、は」


 紅に染まった戦場の中で、血反吐が口から溢れ落ちる。

 あと一歩。たった一歩、最後の一手が、しかしあまりにも遠い。

 とどめを刺そうにも、足元に広がる血溜まりがそれを許さない。振りかぶるはずの腕も、踏み出すはずの足も、1ミリも動くことなく固まっている。

 このままでは失血死、勝負はせいぜいが痛み分けだ。たった一度、カインの読みを上回ったといえど、その先で勝負に負けていては意味がない。


『ありがとう、俊』


「ああ。もういいぞ」


 ……だが。それは、一対一の勝負をしていれば、の話だ。


 問題ない。俺の役目は完全に果たされた。


 最後の力を振り絞り、血塗れの体を無理矢理に遠方へと投げ出す。

 樋笠の一撃を確実なものにすること、この特攻の意味は最初からそれだけだ。そしてそれが完遂された今、俺にとっての勝負は既に決している。

 「人間」である俺に残された唯一の任務。それは、樋笠の「切り札」を見届けることのみ。

 納刀し、構えたまま微動だにしない樋笠の姿が、霞む視界の先に映り込む。

 流れる時間は再び減速し、世界が精緻な絵画のごとく切り取られる。空気すら極彩色に色付けられるのは、意識が不規則に明滅しているがゆえのものか。

 収縮する世界、その中心にして最果てとなる一点。停滞する時間にあってなお、白刃は恐るべき速度で鞘から抜き放たれ——


「——いやはや、まったく。これは予想外だ」


 そして。


 次の瞬間にはもう、勝負は完全に決していた。


 振り抜かれた樋笠の神器と、その直線上に刻まれた鋭利な刀傷。

 床を切り裂くその痕跡が、既に全てが終わったことを如実に表す。

 樋笠の「切り札」——それは神器から放たれた、大幅に拡張された不可視の斬撃。一毫にも満たない、刹那と呼ぶことすら長すぎるほどの時間で放たれたそれは、数メートル先のカインの体を袈裟斬りに伏していた。

 駆け抜ける疾風。撒き散らされる鮮血が、その絶技を一拍遅れて俺へと伝達する。


「やれやれ。三割では所詮、この程度が限界か。もう少し楽しめると思ったのだがね」


 至る所に銃弾を撃ち込まれ、あわや両断という傷を負った。

 傷も、痛みも、左腕を切り落とされた時の比ではない。増してや能力も使えない今、強引に傷を塞ぐ治療法も取れはしない。

 話すことはおろか、意識を保つことすら不可能。精神力がどうこうの次元ではなく、事実としてそうに違いない深手のはずだ。


「残念だが、今回は私の『負け』だ。報酬はあいにくと用意していないが、その借りはまたいずれ返させてもらうとしよう。なに、敢闘賞のようなものだ」


 だというのに。

 苦痛どころか、その欠片すらも微笑の裏に隠し切って。平然と話を続ける男の口元に翳りはなく、あるのはなおも底知れない余裕だけ。


「……その根拠は?」


「根拠などないさ。少なくとも、この状況ではね。だが、私は約束は守る主義でね。いつになるかは分からないが、必ず返すと約束しよう」


 血の塊を吐く俺を横目に、じりじりとこちらへ距離を詰める樋笠。

 迂闊に距離を詰められない、ゆえに質問で時間を稼ぐしかない彼の焦燥と苦悩が、朦朧とした意識の中でも痛いほどに伝わってくる。

 一刻を争う空気とは対照的に、カインはその傷の深さを微塵も感じさせることなく話し続ける。表情一つ変えず、膝すらつかずに話し続けるその精神性は、もはや常軌を逸しているとしか言いようがないほどだ。


「では。名残惜しいが、今宵の宴はここまでだ。また会えることを願っているよ」


 締め括るように告げられたのは、この戦いの終局を意味する言葉。

 

 ——だが。

 場違いなほどに穏やかな言葉の裏に何があるか、そんなものは今更問うまでもない。

 

 満身創痍の体を鞭打つように、直感が血流を駆け巡る。未だ衰える兆しを見せない本能が、これまでにないほど大きな警鐘を鳴らす。


「俊!」


 が、遅い。


 刹那。たったそれだけのうちに、カインの体は肉塊へと変じていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。およそ銃とは思えぬ威力のそれが、カインの体を木っ端微塵に爆散させる。

 眼が、喉が、肌が。僅かに残った感覚がひりつくほどの至近距離で、人間が肉片へと姿を変える映像が流れていく。

 爆炎と熱風のさなかに現れるのは、傭兵のような雰囲気を纏った軽装の男。狂犬の如き目をした男はカインの残骸を手早くかき分け、銀色に輝くペンダントを引っ掴む。

 交錯する男と俺の視線。その背後で、樋笠が鬼気迫る表情で白刃を抜き放ち——


 そして。その映像を最後に、意識の灯火が掻き消えた。

というわけで、決着でした。第一章はあと二話、お付き合いいただけると幸いです。


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