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その道の先に  作者: たけのこ派
第一部/接触編
32/126

1−31/その痛みを力に変えて

切れる手札は、多ければ多いほど良い。

 瞬間移動——敵の懐に潜り込んで瞬く間に相手を倒す、異能力では割とポピュラーな部類の力。

実際に使用せずとも、敵がどこから現れるか分からないというだけで、相手方はその存在を否応なしに意識せざるを得なくなる。精神的なプレッシャーを常にかけ続けられるというだけでも、戦略的価値は十分に高い。味方からすれば便利な、相手からすれば厄介極まりない能力だ。


 しかし。この男の能力は、それに似ているようで異なっている……らしい。


 違いを指摘したのは、あの男と直接拳を交えた坂本さんだ。映像を見ただけの僕には、正直何が違うのかさっぱり分からなかった。


『あの男のアレは、いわゆる瞬間移動能力とは全く違う。水無坂の能力を知ってるお前なら分かるだろうが、瞬間移動はそれ自体が一つの工程として独立してる。だから転移するときは他のあらゆる動作を止めて、転移に集中しなきゃならんわけだ。言い換えれば、転移の始めから終わりまでは、他のコマンドを一切入力できない状態になる。もちろん、熟練者ともなりゃその間は文字通り一瞬だが、完全に無くせるってわけじゃあない。だが、奴にはそれが無かった。目の前に現れたときにはもう、奴の攻撃は終わってた』


『……目の前に現れてから殴られるか、現れたときにはもう殴られてるかの違い、ってこと?』


『まあ、大雑把に言えばそうなるな』


 僕なりに噛み砕いて出した答えに、坂本さんは大きく頷く。

 たった数回殴り合っただけでこの結論に達するあたり、戦闘面に関しては間違いなく異次元の領域に到達している。その頭の回転をもう少し実務関係に回してくれれば、第二本部はもっと円滑に回るはずなんだけど、と思わずにはいられない。

 もちろん、実際に交戦した坂本さんと僕では、多少の認識の差はあるんだろう。僕に理解できるのは、とにかく通常の瞬間移動より厄介な能力を持っている、ということだけだ。


『で、まあ。これに輪をかけてめんどくさいのが、奴の得物だな。奴の主武装が銃器なのは見ての通りだが、格闘戦もぼちぼちできる。適当な爆弾やら、ナイフなんかも持ってると見ていいだろうが……問題なのはそこじゃない』


 いや、それも結構な問題だと思うんだけど。喉元まで出かかった言葉を制するようにして、坂本さんが言葉を接いでいく。


『奴が持っている銃、アレはほぼ間違いなく神器だ。秒間何発でクレーターを乱造できるライフルとか、いくら神器にしたってチートくさいったらありゃしないが——それも射程無視、発射から着弾までのタイムラグがほぼないときてる。恐らくだが、何らかの方法で自身の能力を付与しているんだろう。弾が速いんじゃなく、そもそも発射した瞬間に着弾してるってわけだ』


 地面を抉る銃弾を連射できるなんて、えらく近代的な神器だがな。苦笑しながらそう語る坂本さんの顔は、言葉とは裏腹に少年のような輝きに満ちていた。探し求めていた銃型の神器が実在することに感銘を受けたみたいだけど、もちろんそれどころの話じゃない。

 そもそも、銃が神器だなんて考えたこともなかった。変則的な神器は坂本さんのものも含めていくつか見ているものの、流石に近代兵器は想定の範囲外だ。

 弓や弩といった飛び道具ならまだ前例はあるものの、その場合には弾数という問題がつきまとう。一発ごとにマナを消費して撃っているのか、弾倉のようなものを作り出しているのか——弾切れという大きな隙を狙うにせよ、そのシステムを読み違えればこちらが不利になるのは確実だ。最悪の場合、弾数が無尽蔵という可能性も十分にある。

 それに加えて、格闘が「ぼちぼち」できるという評価。坂本さん基準でこの評価なら、まず正攻法での攻略は不可能だ。多少はアドバンテージが取れると思っていた格闘戦ですらこの有様なら、他の分野など比べるべくもない。


『あとは、そうだな……奴のリーチなんだが、基本的に「目の届く範囲全て」だと思っておいたほうがいい。これは俺が向かい合った経験からの推測だが、九分九厘間違いないだろう。さっきも言ったように、この効果は銃にも適用されてるから要注意だな』


『要注意、って言われてもねぇ……どう考えても十二宮(ゾディアック)クラスでしょ、それ』


『ああ、恐らくはな。消去法でいくなら、射手座あたりが濃厚な線だろう。能力の分類は距離操作ってところか? 自分と任意の地点の距離をゼロにして攻撃を叩き込む。現在地で足を振れば、それがそのまま相手の頭に当たる。チートもいいところだ、まったく』


 それがわかってるなら、なおのことそこに僕を宛てがうなんてことはして欲しくないんだけど。聞き入れられないことをわかっていても、あまりの理不尽さに抗議せずにはいられない。

 普通の瞬間移動よりもさらに早く、おまけに攻撃範囲は目の届く範囲全て。能力の自由度と危険度を鑑みるなら、十二宮と見てまず間違いない。そんな相手に要注意と言われても、そもそもの地力が違いすぎる。

 もし坂本さんと滝川さんの予測が全て当たっていると仮定した場合、敵には少なくとも三人の十二宮がいることになる。本来なら星皇軍全体を動員して然るべき、考えただけで気の遠くなるような戦力差だ。


『おいおい、話はまだ終わってないぞ。攻略法を考えないでどうする。「目の届く範囲全て」って言っただろ? 裏を返せば、目の届かない空間には奴は跳べないってことだ』


『……遮蔽物を利用しろってこと?』


『違う違う、もう少し頭を働かせてみろ。そのビデオの中にもあったはずだぞ?』


 そう語る坂本さんの瞳は、疲れのせいかいつもの倍どんよりとしていて。

 それでも。どこか楽しげに笑っていたのは、決して気のせいではないんだろう。

 記憶を辿れば、数時間前の会話の全てが鮮明に思い出せる。坂本さんの言葉、そのひとつひとつが大きなヒントであり、この男を攻略する上での突破口だ。


『……煙幕。視界を制限すれば、奴の能力は使い物にならなくなる』


『ご名答。さて、その上で、お前が使える手札は何だ? 考えろ。必死に考え抜いて、その力を有効に使いこなしてみせろ。それこそが、()()にとっての弔いになるはずだ』


 ……あぁ、わかってるよ。


 その言葉を口にすることなく、ただ胸の中にしまい込む。

 目前で動かない男は、僕のことを警戒しているわけではない。彼はただ、ゲームスタートの合図を待っているだけだ。

 準備する時間はくれてやる、という言葉通り、彼の側から仕掛けてくる様子は見られない。その余裕はあるいは、スタートボタンは僕に押させてやるという意思表示なのか。

 見え透いた挑発だ。でも、相手が手を抜いてくれるのであれば、それに乗じない手などあるはずがない。

 重要なのは最初の一手。彼を完全に封じるために、最初の一手で勝負を決める。


「3番、展開(セット)


 声に合わせて脳内に浮かび上がるのは、閑散としたロッカールーム。誰からも忘れ去られた人間が最後に流れ着くような、そんな情景が思考の只中に現出する。

 学校の更衣室のような、小さいながらも雑然としたその空間。1番から4番までの数字を割り振られたロッカーは、そのうち一つが既に開け放たれている。

 むろん、こんなものはただのイメージだ。僕が能力を管理しやすくするために作った、文字通り妄想の産物にすぎない。


 でも。僕が能力を扱う上で、これは何よりも重要なものになる。


 アナログチックな鍵束から、3番のキーを選び出す。該当するロッカーをその鍵で開け放てば、その中にしまい込まれた一冊の本があらわになった。

 3番のロッカー。三人目の犠牲者。割り当てた能力をこの本に喩えるならば、タイトルが示すのはその能力(チカラ)の本来の所有者だ。

 その本が表す『星の力』は烏座。そして、そのタイトルは倉図康介。

 覚えているとも。忘れない、忘れてなるものか。僕以外の全ての人間が忘れ去ったとしても、僕だけは絶対に忘れない。

 それが——あなたたちを殺した僕にできる、唯一の贖罪なのだから。


「さあ、行こう」


 自分を鼓舞するように、最後にそう小さく呟く。


 そして、次の瞬間。周囲一帯に、濃厚な闇が吹き出した。


 烏の能力、それは簡易結界のような「暗幕」を周囲に張り巡らせること。僕を中心に広がる黒色の煙は、範囲内にいる術者以外の一切の視界を奪う。

 例えるのなら、盲目のデバフとでも呼ぶべきこの能力。その本質はただの暗闇ではなく、視力そのものを奪い取る点にある。

 この煙の中にいる限り、僕以外の人間はどうあっても視覚で外界を認識できない。そもそも目が潰れているのだから、カメラや暗視ゴーグルの類もただのガラクタ同然だ。

 爆風の如き速さで、周囲一帯へと広がる「黒」。煙に覆われた世界を縫い、男から一目散に遠ざかる。

 先制で視界を封じたとはいえ、これではまだ完璧には程遠い。男が自由に動ける限り、暗幕の効果は半減どころか激減してしまう。この食堂一帯を覆うほどの範囲はあるとはいえ、戦いの場を移されたら努力が一瞬で水の泡だ。


「2番、展開(セット)


 だから、躊躇はしない。間髪入れずに、二枚目の手札をここで切る。

 2番ロックに割り当てられた、猟犬の『星の力』。地面から生じる強固な鎖が、対象を自動で拘束する。

 土田佳蘭。猟犬座の能力者。彼女の最期は、全てこの目で見届けた。

 彼女の存在を示すものは全てこの世から消失し、残ったのはただ彼女を救えなかったという事実だけ。いくらこの能力を使いこなしたところで、その事実が覆るはずもない。

 能力によって変質させられた床の一部が、突如として泡立つような異音を生じさせる。直後、そこから生成された二本の鎖が、男めがけて弾丸のごとき勢いで射出された。

 どれだけ逃げ回ったところで、その鎖の長さには限りがない。執拗な追尾性を備えたそれは、暗幕の中から逃れようとした男の足を瞬く間に絡め取り、そのままひとつの地点へと縫い付ける。


「ほぉ……お前、そういうタイプか」


 暗幕に飲み込まれ、さらに強固な拘束によってその場に引き倒された男。彼は自身の機動力が奪われたことを証明するかのように、立ち止まったまま手に構えた銃を乱射し始める。

 「目の届く範囲全てに転移できる」——坂本さんの推論を基に組み立てた戦術は、どうやら当たりを引いていたらしい。徹底したメタ戦術なことは承知の上だけど、こうでもしなければ同じ土俵に立つことすら困難だ。

 視界を鍵として発動するタイプの能力なら、応用次第で付け入る隙は意外と多い。こうして封じ込めてしまえば、その脅威はただの高火力な銃撃に成り下がる。


「ハ、面白ぇ!」


 が。

 僕の楽観的な思考を嘲笑うように、正確無比な射撃が僕を襲う。手当たり次第に撃っているように見えて、その実しっかりと居場所は掴まれているらしい。

 足音からの推測か、それとも動物的な直感に依るものか。いずれにせよ、この状況下でも僕の位置を正確に把握し続けているのであれば、想像以上の化け物だ。


「……っ!」


 足を掠めた銃弾がクレーターを作るのを見て、悪寒が全身を駆け巡る。

 転移能力を封じても、やはりこの神器はあまりにも危険な代物だ。一撃でも擦ればアウトの時点で、状況が好転したとは口が裂けても言えはしない。このままでは、遠からずあの嵐に捕まってしまう。


「4番、展開(セット)!」


 首筋をなぞる銃弾を躱し、さらにひとつの能力を解放。

 4番ロックに割り当てた鷲座の能力により、瞬発力と俊敏性を底上げし、一気に危険域から離脱する。直後、僕がいた位置に銃弾が殺到し、机が跡形もなく吹き飛んだ。

 鷲座の力。金屋アタル。最後に人間の意地を見せたその瞳が、未だ記憶に色濃く焼き付いている。

 大丈夫、まだ憶えている。どれだけの年月を経たとしても、僕はあなたたちを忘れない。僕が僕である限り、忘れることは許されない。


「へえ……ただの腰巾着野郎かと思ったら、なかなか面白い手を持ってるときた。何者(ナニモン)だ、お前? 同時に三つの能力を扱う奴なんざ、今までの中でも数えるほどしか見たことがねえ」


「さあ、何者でしょう。案外ただの幻覚、みたいなオチかもしれませんよ?」


 本心を隠し、精一杯の虚勢を張って肩を竦める。たった一手のミスも許されない状況で、本心から笑うことなどできるはずもない。

 ……もっとも。こと現状に限っては、悪いニュースばかりというわけでもない。少なくとも、要となる()()()がまだバレていないことは、今の台詞からも明らかだ。

 もちろん、僕の能力を初見で見破れる人などまずいないだろうと断言できる。というより、今見破られたらその方が致命傷だ。相手がこの世界に馴染んでいればいるほど、固定観念が邪魔になって正解にはたどり着けない。


「ほーぉ、なかなか悪くない冗談だ」


 鼻を鳴らす男を前にして、露見しそうになる感情を抑え込む。

 僕の役目は時間稼ぎだ。攻撃を止めて会話をしてくれるのなら、それに越したことはない。

 暗幕と鎖、ふたつの能力による封じ込めは完璧に近い形で機能している。慢心ではなく事実として、アドバンテージを手にしているのは僕の側だ。

 相手の攻撃の要である視界を奪い、脱出手段である足も拘束した。能力で作り出された猟犬の鎖は、半端な力では破れはしない。


「よし、決めた。今回は最後までオマエと遊んでやるよ、手品師。早々にくたばってくれるなよ? せっかくのお楽しみが台無しだ」


 なのに。

 そんなことは全て些事だと、そう言わんばかりの表情で。

 暗幕のただ中にいるはずの男は、しかし恐怖に囚われる様子もなく不敵に笑う。何一つとして見えていないにも関わらず、その視線は僕を正確に捉えている気がした。

 その顔に浮かぶ笑みは、坂本さんと相対していたときのそれと同じ。僕を正式に敵とみなしたその表情から、今までとは比にならないほどの威圧感が迸る。


 ——ぞくり、と。突き刺さる視線が、嫌な感覚となって背中を撫でた。


 恐怖。束の間忘れていたその感情が、再び湧き上がるようにして身体を締め付ける。今更のように追いついてきた震えが、思考を汚染する恐慌が、身体から自由を奪っていく。


「……っ」


 ダメだ。立ち止まるな。動け、動け!

 半狂乱で叫ぶ感情に突き動かされるようにして、地面を蹴って走り出す。今の僕の瞬発力なら、動きを封じられた男の先手を取ることなど造作もない。

 たった一手。今の僕なら、触れるだけで勝負を決められる。

 ()()が何を意味するか、当然僕は理解しているはずだ。彼に触れることによって何が起きるのか、それがどのような後悔を引き起こすのか、嫌という程に実感しているはずだ。なのに。


 ——違う。お前の役割は足止めだ。ここで攻めに転じれば、奴の思う壺になる。


 心のどこかで、恐怖に抵抗するかのように理性が囁く。

 しかし、その声はあまりにも小さく、また脆い。男に向かって駆ける僕自身が、それをわかっていても止められないほどに。


 そして。僕はまんまと、男の策に嵌る。


「ぐ……う、っ!?」


 まずい、と。

 本能的に感じた直後、眼前で光が爆ぜた。

 男が投擲したのは、坂本さんに対しても使用された閃光弾。赫灼たる光が僕の目を灼き、脳を揺さぶる轟音が一時的に五感を狂わせる。


「おーおー、なるほどなぁ。その能力、制御はかなりシビアなもんらしいな」


 ——マズい、バレる。


 揶揄うようなその言葉に、全身から冷や汗がどっと吹き出す。

 ガラスが砕け散るような甲高い音が響き、男を縛り付けていた鎖が砕け散る。咄嗟に身体を投げ出した直後、弾丸のような蹴りが至近距離を擦過した。


「おいおい、どうしたどうした? インファイトがお望みなら、思う存分やろうじゃねぇか。まだまだ時間はたっぷりあるんだからよ」


 軽口を叩きながらも、攻撃の手が止まることはない。一撃で頭を吹き飛ばす勢いの蹴り、それが僅か数センチの誤差で放たれたことに、総毛立つような感覚が身体中を駆け巡る。

 ほんの一瞬。それだけの時間で、簡単に形勢をひっくり返された。

 取り返しのつかない後悔と、今にもはち切れそうな鼓動。錆びついた身体を必死に動かし、あらん限りの力で曲がり角へと転がり込む。


「っ——!」


 息が上がる。間近に迫った死の気配が、正常な判断力を鈍らせる。

 大丈夫、まだ大丈夫だ。僕は消えてない——()はまだ、確かにここにいる。

 手の震えを、足の震えを抑えるように。繰り返し自分に言い聞かせれば、ようやくまともな思考力が返ってきた。


「……っ、はぁ……っ、あ」


 追撃が来ないことを確認し、魂ごと吐き出すような呼吸を繰り返す。

 恐怖心に負け、相手の懐に自ら突っ込んだ。それだけでも相当な失策だ。

 しかし。それ以上に深刻なのは、この男が僕の弱点をしっかり見抜いていたことだ。

 『星の力』は、星刻者それぞれの特徴にもっとも適した形で発現する。しかし、能力を本来使用すべき他人から奪い取った僕に、そのルールは適用されない。他人用にカスタマイズされた能力を制御する僕は、本来の持ち主とは比べ物にならないほど多大な集中力を、展開中は維持し続けねばならないデメリットがある。

 たったひとつでも、気を抜けば霧散しそうな能力の制御。それを僕は並行して行っていた。そんな状態の僕が、前後不覚に陥ればどうなるか?

 問うまでもない。必死で繋いでいたパスは途切れ、能力の出力は急激に低下した。本来は強固なはずの鎖が引き千切られたのも、出力低下により引き起こされたものだ。

 今はどうにか出力を同等にまで戻せたものの、それでも起こってしまったことはどうにもならない。暗幕はギリギリで繫ぎ止めることができたとはいえ、鎖は完全に使用不可になってしまった。再構築にかかる時間とマナを考えれば、とてもこの戦闘中に作り直すことはできないだろう。

 このまま障害物の影に引き篭もっていても、自由に動けるようになった男の前では無力に等しい。僕の生存確率さえも格段に落ちた今、時間稼ぎの遂行など夢のまた夢だ。


 ……さあ、どうする。


 狂ったように跳ねる鼓動に急かされながら、必死に次の策を考える。

 隠れんぼにせよ鬼ごっこにせよ、この暗幕の範囲内ではどうしたって限界がある。こちらの位置を正確に捉える男の技量の前では、暗幕という防御などあってないようなものだ。

 どう転んでも今の僕に勝ち目はない。ならいっそ、この場から脱出して仕切り直せば——


「……いや」


 それは違う。

 小さく、しかし確かに訴える理性の声が、今度こそ折れかかっていた心に届く。

 この任務の大前提は、この男を一箇所に留めおくこと。今この場を離脱すれば、この男は間違いなく僕を追ってくるだろう。そうなれば、鬼島さんや俊にも確実に被害が及ぶ。

 今この場で、僕がとるべき最適解。それを為すためには、考え方を変えなければならない。

 生粋の戦闘狂——この男に対するその表現が何も間違いではなかったことは、既に嫌というほど実感した。接近戦に応じる心構えがあるという趣旨の発言も、決して口だけのハッタリではないはずだ。

 僕はまだ、この男の興味を惹きつけている。男が未だ何も仕掛けてこないのも、その事実があるからこそのものだ。僕が何かを仕掛ければ、男は確実に乗ってくると考えていい。


 であれば。突破口は、間違いなく存在する。


 確認しよう。この男の厄介な能力は二つ。射程無視の能力と、神器による高火力かつ広範囲の射撃だ。

 今までの情報を統合してみても、射的無視の能力を無効化できているのはほぼ間違いない。であれば、残る問題はあの射撃のみ。

 もちろん、危険度は今までとは比べ物にならない。それでも、この作戦を実行に移す価値は十二分にある。

 これは自分で蒔いた種、紛れも無い僕自身の失態だ。であれば、自分で尻拭いをするのが筋というものだろう。


「…………」


 靴音を鳴らして一歩を踏み出し、男と正面から向かい合う。

 既に盲目の世界に慣れきったのか、男は世間話でもするかのような自然体で佇んでいる。未だ封じられたままの視界も、どうやら彼にとっては何の枷にもならないらしい。


「で、どうする? 鬼ごっこか、それとも殴り合いか。俺はどっちでもいいが、なるべく楽しませてくれよ?」


 左手で銃を構える男が、笑いながら問いかける。

 全身を蝕む恐怖心は、もちろん今も消えていない。一瞬でも気を抜こうものなら、奮い立たせた心は簡単に折れてしまうだろう。

 恐れが、震えが、鞭のように全身を打ち据える。今すぐ逃げ出してしまえと囁く弱気な僕は、嘘偽りない僕の本心そのものだ。

 ……それでも。僕には、やらなければならない役目がある。


「どちらにせよ、できるだけ手を抜いていただけるとありがたいんですが」


 今度こそ、最後まで役割を全うする。

 一分でも、一秒でも長く、この男をここに釘付けにする。

 その意志こそが、恐怖を踏破する理由。ぬかるみに足を取られても、なお走り続ける理由になるはずだ。

 浅く息を吸う。光を全て遮断する暗闇の中で、空気が痛いほど張り詰める。

 この緊張感を、僕は知っている。一秒先の未来すら空白になる、一瞬のようで永遠の時間。

 坂本さんと対峙する時に味わうあの感覚が、血に乗って全身を駆け巡る。緊張感という名の風船が、限界を超えて弾け飛ぶまでひたすらに肥大していく。


 ——動いたのは、ほぼ同時だった。


 突きつけられた銃口から迸る発火炎。擦過する銃弾も、背後で作られるクレーターも無視して、ただただ前方へと駆ける。

 それは命知らずの吶喊でも、無策での自爆特攻でもない。生き残るためにこそ敢行する、正真正銘の綱渡りだ。

 彼我の距離、およそ10歩。このまま無策で突入しようものなら、刹那の間に僕の体は蜂の巣にされるだろう。視界を封じようともなお圧倒的な脅威であるあの銃の前では、今無傷なことが信じられないほどの幸運だと言っていい。

 あの化け物じみた範囲と威力がある限り、僕の不利はどうやったって覆りはしない。いくら100発を回避したところで、たった一回のミスで終わり(ジ・エンド)だ。


 だから。僕が狙うのは、最初からただ一点だけ。


「1番、2番、4番、召喚(コール)!」


 神器も星刻者の一部。であれば、その出し入れの方法すら、立派な戦術として機能する。

 己を鼓舞するがごとく、絞り出したあらん限りの大声で。迸る咆哮とともに、複数の神器が僕の頭上に喚び出される。

 錆びついた大剣、穂先の欠けた長槍、華奢ながらも鋭利な曲剣。それらはすべて「彼ら」の神器、僕が力を奪ってきた星刻者の生き様そのものだ。


「喰らえ……!」


「——ッ!」


 召喚された瞬間、砲弾のごとき勢いで射出された複数の神器。爆撃のようなそれを前に、男は不意をつかれたようにして大きく体勢を崩す。

 この距離でなお直撃を避けているのは、獣のごとき直感のなせる技か。これでも未だ無傷を保つあたり、敵ながらあっぱれという他にない。


 でも。これで今この瞬間、銃撃の脅威はなくなった。


 地面を蹴り飛ばし、一気に男との距離を詰める。男が再び引き金に手を掛けるまで、少なく見積もってもあと2秒は必要だ。

 銃撃は止み、手の届く位置に男がいる。王手をかけた千載一遇の好機、これを逃したら次はない。

 必要なのはあと一手。この状況を、チェックからチェックメイトに動かすための一手だ。


 そして。最後の詰め(その一手)は、既に僕の手に握られている。


 音もなく握りしめるのは、僕の能力に備わった()()()神器。召喚(コール)する必要がない、たった一本の無骨な剣。

 「無音で神器が召喚される」。通常の星刻者なら当たり前の光景も、この状況下では必殺の手札になり得る。

 特筆すべき能力も、一撃で相手を屠るような威力もない。正真正銘、ただの脆弱な神器が、僕が用意した最後の切り札だ。


 ——結実するのは、あまりにもか細い綱渡りの成果。


 振り抜いた神器が、過たず男の左腕を切りつける。夥しい血飛沫とともに、男の神器がけたたましい音を立てて床に落下した。


「ハ——」


「っ!」


 すかさず襲い来る神速の蹴り、それを間一髪で躱して飛び退る。お返しとばかりに蹴り飛ばした銃は、床を滑って暗幕の彼方へと消え去った。

 これが僕の狙い。すなわち、男の神器の無力化だ。

 凄まじい性能の神器であろうと、その構造は実際の武器と変わらない。銃器というカテゴリで括られている以上、引き金を引くものがいなければ作動しないのは明らかだ。

 もちろん、彼が神器を手元に再召喚すると言うことも十分に考えられる。しかし、神器を一度消して喚び戻そうとすれば、そこには看過できないほどの隙が生じる。そのリスクを勘案できないような男なら、僕はこれほど苦戦を強いられてはいない。

 坂本さんに右腕を、今の一撃で左腕を。仮に再召喚出来たとしても、これまで通りの乱射はかなり難しくなったはずだ。傷ついた両腕でライフルをぶっ放すのは、いくら強化された身体能力といえども分が悪い。


「ハ……ッ、ハハハハ! コイツは面白ぇ、最高だ! 思ってたよりずっと遊び甲斐がある!」


 だというのに。

 視界は奪われ、武器は奪われ、浅くはない傷を負わされた。それでもなお、男は満面の笑みを浮かべて大笑する。


「……それはどうも。体調が優れないようなら、休憩にしても構いませんが?」


 距離を取りつつ、余裕ぶった答えを必死にひねり出す。

 一世一代の大博打は、これ以上ないほどの勝利に終わったはずだ。にも関わらず全く有利になった気がしないのは、けして気のせいではないのだろう。 

 ここからは耐久勝負だ。男が神器を再召喚する隙を作らせないために、戦況を良い方にも悪い方にも動かさない、緻密なゲームコントロールが求められる。

 悲壮な覚悟があるわけでも、不退転の決意があるわけでもない。ただ戦いたいという欲求、気分が乗っているという程度の話で、彼はこの戦いに躊躇なく命を賭けている。そんな相手の行動をどれだけ読めるのか、僕にとってはまるで未知数だ。

 加えて僕の能力、それ自体の制限時間もある。あと五分か、十分か——全開放が初めての体験である以上、限界点は感覚で捉えるしかない。


「…………」


 深く、深く。詰まったものを押し出すように、一度だけ大きく息を吐く。

 大丈夫、大丈夫だ。震えてはいても、腕も足もまだ動く。

 どれだけ膝を折りそうでも、逃げ出したいと思っていても。この恐怖に飲まれるわけにはいかないと、そう決めたのだから。


 ……まぁ、それでも。それでもやっぱり、怖いものは怖いわけで。

 だから——


「だから、なるべく手短に頼みますよ……先輩」

魚見の抱え込んでいるものがなんなのか、それはもう少し後のお話で。


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