1−23/一難去って
5月23日、第二幕へ。
時計の針が示す時刻は7時過ぎ。ようやく暮れてきた日を眺めながら、ここに至るまでの過程を脳内で反芻する。
幻影の兵士達が消滅し、騒ぎが鎮静化されたのが一時間ほど前。あれほど絶望的に思えた襲撃の痕跡は一部を残して跡形もなく消失し、全ては悪い夢だったかのように落ち着いている。
そもそも、あの襲撃にはどういった意味があったのか。多くの生徒が首を捻った末、最終的に出した結論はこうだった。
……すなわち。あれはタチの悪いボヤ騒ぎ程度のものだった、と。
まぁ、そう思うのも無理はない。彼らがここに居たのは時間にして10分にも満たず、しかもその内訳は99パーセントが口も利かない幻影の兵士たちだ。第二部全体に出現した襲撃者のうち、生身の人間は確認されている限り二人だけだというのだから、大多数の人間にはただのゾンビ映画体験コースでしかない。
ちなみに外にわんさかいた兵士たちは、第二資料室にいた男の撤退からほどなくして、溶けるようにして消えてしまった。あれだけ好き放題していた集団が一斉に消えていくさまは、それはそれでちょっとしたホラー映像と言えなくもない。もちろん、いくらリアルでも本質は幻影なんだし、当たり前と言われればその通りなんだけど。
そして。極めつけに、この騒動において一番恐ろしいのは——
「死亡者ゼロ人、重傷者もゼロ人……ねえ。これ、公式記録ってことでいいんだよね?」
「ああ、嘘みたいな話だがな。あの規模の幻影を弄くり回して、徹底的に死傷者を出さないようにしてやがる。今回の陽動役はとんでもない手練れだな……最悪、十二宮の線もありうる」
そう。あれだけの大騒ぎだったにも関わらず、危急の治療を要する怪我人は一切出ていない。軽傷者こそ何人か出ているものの、それもすべてパニックになった生徒の転倒、打撲といった程度のものであり、既に医療班が万事片付け終わっている。
あの規模の幻影を自在に操作し、その実力を綿密に調整している。そればかりか第二資料室の監視の目を偽装し、あまつさえこちらの防備が緩くなる時間を的確に突いて攻勢をかける、という働きっぷりだ。敵の支援役は間違いなくMVP、星皇軍にすらいないようなレベルの化け物と言っても過大評価ではないだろう。
「十二宮で陽動……だとしたら双子座とか? 対策あるの?」
「無い。ぶっちゃけ手詰まりだ。完全に後手に回ってるからな……現状で動かせるもんは全部動かしたが、まあ無駄だろうな」
ガシガシと頭を掻きながら、坂本さんが恨めしそうに書類を睨む。坂本さんが珍しく働いてる、という絵面は頼もしいけど、裏を返せばそれだけ自体が切迫していることの証左とも言える。
今僕がいるのは、軍本部の司令室。別名サボりルームと呼ばれる理事長室ではなく、名実ともに第二星皇軍の心臓部となる場所だ。
集まっているメンバーも、坂本さんをはじめ、滝川さんに鬼島さん、離席中の響さんと、そうそうたる面子が揃っている。この第二本部における最高権力、同時に最高戦力が結集していると言っても過言じゃない。
……で。どうしてそんな場に、あからさまに場違いな僕がいるかというと。
「はい、これが頼まれてた資料。それと生徒の様子だけど、今の所大きな騒ぎにはなってないよ……僕が探りを入れた限りでは、ね。この調子なら、長くても数日で沈静化してるんじゃないかな」
頭を下げて借り受けたそれを坂本さんへと手渡しながら、およそ一時間の諜報活動の結果を口にする。
気が動転した生徒が多数いてパニックになったり、暴動が起ころうものなら一大事だ——そう思い、情報収拾がてらぶらりと学院内を見聞きして回ったものの、生徒たちの様子は予想外に落ち着いたものだった。中には武勇伝を語り始める生徒もいた始末だし、心配して損したと言ってもいいのかもしれない。
……もっとも、それにはやはり、襲撃者の側が徹底して「被害者」を出さなかったことが寄与しているんだろう。生徒たちが正常な認識を取り戻すまではまだ経過観察が必要ではあるけど、どちらにせよこのぶんならさほど心配せずとも済みそうだ。
「ま、なーんにもなかったんだからそうなるわな。もっとも、そうなってもらわないと困るんだが……んで、これが降谷って子の携帯か。よくもまあ撮ったもんだ。滝川、これ頼んでいいか?」
「……頑張ってはみますけど、さほど期待はしなでくださいよ」
僕の話を聞いた坂本さんは、さほど意外でもないのかぞんざいに頷いただけだ。興味の大半は僕が持ってきたそれの方にあるのか、受け取るや否や滝川さんを呼びつける。
まったく扱いが悪いにもほどがある云々、とぼやきながら、司令室を後にする滝川さん。入れ替わりに入ってきた響さんが、これまた疲れ切った様子で報告を始めた。
「総本部曰く、救援要請は受け付けられないそうです。人的被害は無いに等しく、器物や建物にも急を要する案件は認められないのが理由、とのことでした。ただ、結界の調査にはのちのち人員を派遣する、と」
「そうか、ご苦労。……さぁて、本格的に打てる手がなくなってきたな」
冷蔵庫から乱暴な手つきで麦茶を取り出し、がぶ飲みする坂本さん。別のペットボトルを響さんに投げ渡すと、およそ似つかわしくない大きなため息をひとつ吐いた。
「坂本さんが直接出るって手はないの? 少なくとも一箇所は負担を減らせそうだけど」
腰に手を当ててぐりぐりと回す坂本さんの姿は、完全に仕事が行き詰まっている人間のそれだ。普段以上に死んでいる目も相まって、雰囲気だけなら三徹めあたりのエンジニアともタメを張れるんじゃないだろうか。
どうにも倦んだ空気の中、携帯を取り出した鬼島さんが部屋を退出していく。何事か連絡を受けたらしいその姿を横目に見ながら、ふと思いついた疑問を口にする。
もちろん半分くらいは冗談、なんとなくで言ってみただけだ。でも、それは裏を返せば、もう半分は紛れもない本心ということでもある。
犯人が今どこに逃げているかはともかく、さすがにみすみす見逃すようなことはしていないはずだ。捜索にしろ万一の会敵にしろ、坂本さんが前線に立てるのなら、戦力面に関しては何も不安要素はない。俺は一兵卒の方が性に合ってるとか言ってたし、本人としても会議室で腐っているよりよほど有意義だろう。
……と、思っていたんだけど。
「出れるもんなら俺としても出たいんだがな。まさかこの被害で俺を出すような真似、俺が許しても総本部が許さんだろう。あー、嫌だ嫌だ」
僕の疑問に対し、坂本さんは投げやりな様子で首を振る。手に持った書類を今すぐにでも投げ捨てそうなその様は、とてもいち組織のトップとは思えない。
しかし。そのおかげで、抱えていた疑問がようやく氷解した。
なぜ襲撃者たちは、こうも徹底して被害者を出さなかったのか。その答えのひとつが、これ——坂本さんの動きを制限できるから、というわけだ。
数字上、襲撃者たちが齎した被害は無いに等しい。怪我人は重傷どころか軽傷者すらおらず、当然死亡者数もゼロ。施設にこそ多少の被害はあっても、それも例えるなら瓦が数枚剥がれた程度のものにすぎない。
言ってしまえば、近所の悪ガキが爆竹を鳴らしたのとなんら変わりない。もちろん捕まえて問いただす必要はあるものの、そこに坂本さんという戦力を投入するのは、子供の喧嘩に戦車を持ち出すくらい場違いだ。当然、そんなことを総本部が認めるはずもない。
総本部の意向を無視して、独断専行を決め込む手段もあるにはある。しかし、坂本さんが第二本部のトップという立場である以上、その判断には少なくない責任が伴う。いっときの浅慮で動けば、この先坂本さんという特大の戦力が使用不可になるのは確実だ。
つまり、まとめると。
「完全に奴さんの作戦勝ちだよ、今回は。ったく、俺が責任者じゃなかったら拍手でも送ってるところだ」
結局、初めからすべてが彼らの掌の上だったということだ。トップらしからぬ坂本さんの発言に響さんが視線を飛ばすものの、その鋭さも普段と比べればどこか足りていない。
最短の時間と最小の戦力で、おまけに犠牲の一人も出していない。それでいてきっちりと目的を達成しているあたり、奇襲としてはお手本とも呼べる鮮やかさだ。僕だって当事者でなければ、素直に感嘆の声を上げているに違いない。
「……そういえば、俊の話はどうなったんだっけ。用事がないなら連れてこようか?」
動かない事態の打破を試みるため、脳内で放置されていた案件を引っ張り出す。
何かが変わるとは思えないけど、何もしないよりはマシのはずだ。もちろん、何もせずに行き詰まっているのが耐えられない、という個人的な心情も、まったくないと言えば嘘になる。
「ああ、それがあったっけな。なら、ついでにあの二人も連れてきてくれ。樋笠と、あー……」
「水無坂さんね、了解」
僕の言葉で思い出したのか、坂本さんが目を揉みながら口を開く。彷徨う言葉の行き先を予測して答えれば、当たりだったらしく坂本さんは手を打って頷いた。
「……ねぇ。本当に——」
でも。
本当にいいのか。最後まで言い切ろうとして、しかし半ばで虚空に消えた言葉が、どうしようもない僕自身の感情を如実に表す。
自分が持ち出した話題とはいえ——いや、だからこそ。下された指示を理解しつつも、僅かに逡巡してしまう。
完全に当事者となった俊はともかく、残りの二人は括りとしてはただの学生だ。いくら軽い情報の共有にすぎないとはいえ、本来なら学生が知り得る領分じゃない。
一度知ってしまえば——僅かでも関わってしまえば、その瞬間から部外者とは呼べなくなる。それを理解していながら立ち入らせることに、不安がないとは口が裂けても言えるはずがない。
「現状において、樋笠の人間を遊ばせておく余裕はないからな。それを差し引いても、奴は相当に優秀な戦力だ。水無坂のほうも、既にこの件に関わっているんだろう? なら、知る権利はあるはずだ。二人とも口は堅いようだしな。それに」
僕の思考の停滞を悟ったのか、それともただ急かしているだけか。坂本さんの視線が、おもむろにこちらへと向けられる。
「——大前提として、だ。二人とも、十二分なやる気がある。だろう?」
その言葉のどこにも、揶揄うような響きはなく。
真面目、どころか大真面目な顔で言葉を締めくくった坂本さんが、問いかけるような視線を投げてくる。
確認するように眼だけを動かせば、響さんが表情を変えないまま小さく頷いていた。残念ながら、出来の悪い冗談の類でもないらしい。
「……了解。準備ができたら連絡するよ」
方針が決まったのなら、僕が口を差し挟むことはない。
僕のやるべきこと、それをできる限り迅速に行動に移すだけだ。そうでなければならない。
煮え切らない感情に消しゴムをかけ、思考にこびりつく消しカスを振り払う。それでも朧げに残る何かに蓋をして、僕は司令室を後にした。
坂本さん、響さん、鬼島さん、そして博士。第二本部の上層部はこのあたりでしょうか。
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