1−21/懊悩と焦燥と
前回のあらすじ
“英雄”。
相変わらず、ロックを外した時の感覚は慣れることがない。
例えるなら、寝起きの頭が急激に覚醒した時に近いだろうか。頭の中のモヤが晴れたような、しかし決して不快ではないその感覚に、毎度毎度酔ってしまいそうになる。
もちろん、そうも言っていられないことは承知の上だ。これが僕の力である以上、使いこなさなければ多くの人に申し訳が立たない。
「4番、展開」
合言葉のように口にするのは、能力を制御する魔法の呪文。
無尽蔵に湧いて出る幻影の兵士たちを躱し、あるいは蹴飛ばし。人の壁を正面から突破する勢いでもって、本部への道をひた走る。
「っ……じゃま!」
一発。たった一発の蹴りで、こちらへと押し寄せる人波に穴が空く。もっと強力な抵抗をされると予想していただけに、この手間のかからなさは嬉しい誤算だ。
思ったより、想像していたよりも数倍、順調に進んでいる。その事実に、こんな状況にも関わらず、安堵の感慨が心を満たす。
「……おかしい、順調すぎる」
そして、だからこそ。言いようのない不信感が、安堵以上に募っていく。
初動は完全に出遅れたものの、僕が武道場を飛び出してからは全くと言っていいほど妨害がない。あれだけ分かりやすく逃がされたというのに、追撃の類は一切ないままだ。
周囲に群がってくる幻影の兵士たちも、あくまで僕をただの敵として扱っている。そのレベルは正しく鎧袖一触という程度で、僕だけ警戒の度合いが引き上げられているといった特例措置はまったく見られない。
あの謎の男にしてもそうだ。ふざけた言動とは裏腹に、その態度は上の人間からの指令に忠実に従っている者のそれだった。いくら坂本さん以外に興味がないとはいえ、作戦や任務の障害になる可能性がある僕を放置しておくだろうか?
もちろん、この状況が妨害と言われれば納得する他ない。ない、んだけど……それにしたって、僕を本気で止める気がないことは明白だ。
「……うぅん」
そもそも、今回の件。奇襲と呼ぶにしては、あまりにも不可解な点が多すぎる。幻影の兵士の力量など最たるものだ。
この襲撃、規模からしても周到に計画が練られていることはほぼ間違いない。このタイミングで勝負をかけにきたのも、響さんが結界を張り替える時間、つまりこの第二本部への侵入が容易になる時間帯を完全に把握していたからだろう。であれば必然的に、こちらを完封する手立てを用意し、速攻で片をつけるだけの算段を立てているはずだ。
しかし現状、戦況が制圧されている様子は全くもって見られない。幻影の兵士たちは数こそ多いものの、逆に言えばその強みは数だけだ。学生でも冷静になれば対処できる程度のレベルしかないのだから、軍の正規兵とどちらが強いかなど問うまでもない。
幻術系、召喚系の能力を持つ星刻者を、相手側が工面できなかった可能性も十二分にある。……でも、ここまでの備えをしてきている襲撃者たちが、その程度の愚を犯すとは到底思えない。
坂本さんの心配が杞憂でないのなら、『相当ヤバい』相手、もしくは手札が向こうにあることは確実だ。それに対して後手を取られないように、坂本さんは僕にお使いをさせているのだろうけど——
「——っ!」
その時。視界の隅に映った光景が、折り重なる思考から僕の精神を引き戻す。
幻影の兵士たちと、その中心で翻る長い黒髪。遠目からゆえ顔は判然としないものの、それが取り残されている女子生徒であることは制服を見ても明らかだ。
比較的人気のない道を通ってきたからか、それともあらかた避難し終えたのか。この場所に至るまで、生徒の姿は一人も見かけなかったんだけど……どうやら、その幸運もここで打ち止めらしい。
いくら生徒が対処できるレベルの戦力とはいえ、あれではあまりに多勢に無勢だ。おまけに、武道場に集まっていたような好戦的なメンツでなければ、パニックに陥って自衛ができないことも十分にある。
救出か、任務の優先か。譲れないふたつの事柄が、胸のうちで激しくせめぎ合う。
「……ああもう、クソっ!」
自分の性格が我ながら嫌になる。まず間違いなく、一兵卒としては落第点だろう。
胸中の天秤を無理矢理傾け、女子生徒の方へと走りだす。使える時間は多くて1分、その間に決着をつけるしかない。
直近にいる相手は四人、いくら弱いとはいえまともに戦うのは骨が折れる。最初の奇襲でどれだけ減らせるかが肝だ。
「2番、召喚!」
まずは一人。召喚した神器を発射し、背後から勢いよく串刺しにする。地面に縫いとめられたそれは粒子となって消滅し、他の兵士たちの間に僅かな隙を生む。
たった一瞬。でも、こと不意打ちにおいてなら、その一瞬があればいい。
いち早く振り向いた二人目、その脇腹を全力の飛び蹴りで蹴っ飛ばす。くの字になって転がるその姿を横目に見ながら喚び出すのは、己自身の貧弱な神器だ。
「換装——」
基本形態の無骨な剣から、一撃で確実に屠るための太いランスへ。反応の遅れた三人目を貫き、そのままひと思いにえいやと引き抜く。大穴を開けられた幻影はただ静かに消えていき、断末魔をあげることすらもない。
「うわ……っと」
振り向いた刹那に襲いかかる、神器を携えた四人めの反撃。それを紙一重でかわし、引き抜いたランスをフルスイングの要領で頭にぶち当てる。よろめいたその隙に足をかけ、地面に転がしてから確実に止めを刺す。
ここまでにかかった時間、およそ20秒と少し。限りなく理想的な動きでも、残された時間はもう半分に近い。そのへんに蹴っ飛ばしたはずの二人目を速やかに始末しなければ、看過できないタイムロスが生じてしまう。
……しかし。
そんな僕の目算は、背後から聞こえてきた声によって崩れ去った。
「——どうもありがとうございます。それで魚見さん、状況を説明して欲しいのですが」
この場においては恐ろしく不釣り合いな、ともすれば冷たさすら感じるほどに落ち着き払った声。
いつの間にか僕の背後に回り込んでいたその声の主は、最後に残った一人を捉え、あろうことか手際よく組み伏せていた。
「……水無坂さんなら、わざわざ助けに来なくてもよかったかもね。まさか、こんな所に残ってるとは思わなかったけど」
想像だにし得なかった展開に驚きつつも、課せられた任務を思い出して咄嗟に踏みとどまる。
兵士をこともなげに無力化した、件の女子生徒——水無坂さんの口調は、平時と何も変わらないままだ。パニックに陥る事もなく、もがく兵士を涼しい顔で押さえつけるその様を見れば、僕の方が訓練かと勘違いしてしまいそうになる。
「それで、どうしてこんな場所に? 避難指示とかは?」
危険を確実に取り除くため、拘束された兵士の背中に神器を振り下ろす。片手間にその作業をしながら投げかけるのは、この場において最も重要な質問だ。
彼女は兵士の消滅に僅かに驚きを示したものの、次の瞬間には普段の表情に戻っていた。そういうものだと割り切ったのか、それ以上追求することもなく首を横に振る。
「私用が終わったところです。随分騒がしいとは思いましたが、誰とも会わなかったので」
「……そう。ともかく無事でよかった」
冷静沈着なのか、それともマイペースなだけか。どちらかと問われたら、その両方と返すのが一番正しいのかもしれない。
表情の一つも変えずに答え、スカートの裾をぱんぱんと払う水無坂さん。どうにも気の抜けるその仕草に、安堵を通り越して嘆息する。
確かにここは学内でも僻地だし、この時間帯なら誰もいなくても不思議はない。誰とも会わなかった、という彼女の発言は正しいと思うけど……でもさ、せめて窓の外を見るくらいはしようよ。
「……いや」
心なしか脱力した意識を引き締めるため、意識をもう一度切り替える。
そのとき。脳裏を駆け抜けた閃きが、走り出そうとする足に待ったをかけた。
「水無坂さん、携帯借りていい? 連絡しなきゃならない人がいるんだ」
「?……ええ、まあ。危急の要件であれば構いませんが」
電流のように思考をよぎった、新しい可能性。それを確かめるため、動き始めていた体と頭を引き戻す。
僕がこの任務を——伝令を任されたそもそもの理由。それはあのとき、僕も坂本さんも連絡が取れる機器を持っていなかったからだ。
あの場にいた誰かに携帯を借りるという選択肢もありはしたものの、目立つことをすれば襲撃者の男に狙われる可能性は否定できない。僕だけならまだしも、あの場にいる面々を巻き込むことはできる限り避けたかった。
でも。武道場から離れたこの場でなら、そんな心配も必要ない。
水無坂さんのスマホを受け取り、見知った番号を手早く打ち込む。幾人かの候補の中でも真っ先に出てくれそうな人といえば、自ずと相手は一人に絞られる。
『…………! 水無坂くん!? こんな時にどうして——』
ダメ元でかけたにも関わらず、奇跡的に相手はワンコールで電話口に立ったらしい。焦燥と困惑に彩られたその声には、こんな時でも不思議な安心感がある。
だけど。残念ながら、今優先すべき事態はもっと別のことだ。
「滝川さん? 魚見だけど、坂本さんから伝言。『701号室に向かえ』。繰り返そうか?」
『恭平!? なんで——待った、701号室だって? 異常は何も……いや、まさか!』
焦る滝川さんの質問を振り切って、会話もそこそこに伝言を伝える。途端に声が張り詰めたあたり、どうやらこれは僕の想像以上に大事な情報だったらしい。
途切れ途切れに聞こえてくる、人と人の間を飛び交う指示。次いで通話越しでもわかるほどの、ほんの数秒に満たない静寂が訪れる。
『……もしもし、聞こえてる? やられたよ、完全に出し抜かれてる。まさか、監視の目すら完全に誤魔化されてるとは思わなかった」
そして。その静けさを認識した時にはもう、電話口の向こうは今までの数倍の喧騒に支配されていた。
やりきれない思いを滲ませながら、合間合間に状況をこちらへと伝える滝川さん。伝言がどういう意味を持っていたのかはさっぱり分からないものの、それがこの喧騒のトリガーになっているらしいことだけは理解できる。
てんやわんやの騒ぎと、錯綜する情報の中。恐らくは複数の作業を並行してこなしているであろう滝川さんが、張り上げるようにして口を開く。
「とにかく、こっちで本部に連絡しておくから、恭平は少し待機していてくれ。すぐに折り返し連絡を——ッ』
——が。
その言葉すら言い終わらないうちに、その声が再度凍りついた。
「……なに?」
胸の内から湧き上がる、どうしようもないほどに嫌な予感。それを抑え込み、情報を必死に手繰り寄せようとする。
落ち着け。状況が予想外の方向に向かっている今、重要なのは冷静さを保つことだ。ここで僕がパニックになろうものなら、ますますもって収拾がつかなくなる。
そもそも、だ。そもそも、ただでさえ事態は最悪の部類に近い。これ以上悪化することなんて、どこをどう弄ってもそうそう——
『701号室に、雨宮くんが……雨宮俊が、侵入者の男と交戦中だ。救援要請はもう出してるけど、この現状じゃ間に合うとは言い切れない』
「……はぁ?」
あった。
雨宮俊が交戦中。この上なく予想外な報告に、思考が完全に停止する。
もちろん、その可能性がまったくなかったといえば嘘になる。でも、そんなもの、地球に今すぐ隕石が衝突する確率と同じようなものだ。
小数点以下、誤差とすら呼べない事象。それを念頭において行動できる人間が、一体どれだけいるだろうか?
『……ダメだ、多分間に合わない。こっちで何とかするしか——』
焦りを隠しきれない滝川さんの声が、僕を先の見えない迷路へと引きずり込む。
考えろ。焦るな。自分に言い聞かせれば言い聞かせるほどに、思考回路はさらなる混迷へと落ちていく。
「っ——」
この状況の打開策は? それを実行に移すための時間は? いちばん即効性の高い手立ては?
考えなければならない。考えて、今すぐにでも事態を打開しなければならない。1秒どころかその半分さえ惜しいほどに、問題となるものは山積みだ。
なのに。解を導くはずの思考は、堂々巡りに沈んで動こうともしない。
「私が行きます」
だから。
あり得ないはずの衝撃に、完全にショートしていた僕の意識。それを叩き起こしたのは、それと同程度にはあり得ないはずのものだった。
完全に予想外、想像だにし得なかったところから飛んできた声。凛として響くその声を聞けば、冗談でないことは嫌という程理解できる。
……でも。それは問題を別の問題で塗り潰すような、ひどく暴力的な対処法だ。
「水無坂さん。気持ちは有難いけど、この問題は危険すぎる。いち生徒の君に任せられる仕事じゃない」
「危険だからこそです。私なら、最小のリスクと最短の時間で彼を救出できます。そもそも、いち生徒であるというなら、魚見さんも人のことは言えないでしょう」
煩悶する僕を見かねたのか、それともまた別の思惑があってのことか。冷静に切り返す彼女の言葉に圧され、咄嗟に二の句を継げなくなってしまう。
事実、彼女という人員をこの件に割くのは、決して間違ってはいない。能力も実力も、この場において適した人材と言わしめるだけのものを持っている。
……だけど。それでも。
例えそうだったとしても、彼女はあくまで一般の生徒でしかない。ここでゴーサインを出せば、守られるべき対象を危険地帯に送り込むことになる。
『分かった。水無坂くん、君に任せる』
「滝川さん!」
『こっちで彼女を最大限サポートするよ。頭を抱えてる暇はないんだ』
逡巡する僕、その迷いを置き去りにするようにして、滝川さんが言い放つ。
有無など言わせない。脅しでなく、本当にそう思わせられるだけの強固な意志が、その口調から言外に溢れ出していた。
「っ……いや、分かった。水無坂さん、まずは研究棟に」
喉元まで出かかった反論と、やり場なく彷徨い続ける感情。それらすべてをひとまとめにし、煮湯のごとく腹の底へと吞み下す。
弁えろ。こんな場所で口論などしていたら、それこそ時間稼ぎを望む相手の思う壺だ。そもそも一兵卒に過ぎない僕が、上の決定にケチをつける事などできるはずがない。
「ええ。すぐに戻るので、携帯はお願いしますね」
思い悩む僕の心情など、どこ吹く風といった様子で頭を下げる水無坂さん。その言葉が終わった時にはもう、彼女の姿は虚空に掻き消えていた。
繋ぎっぱなしの電話口の向こうで、切迫した会話が響く。携帯越しでも容易にわかるほどに混乱していようとも、その場にいない僕ではただ傍観者になることしかできない。
「……〜〜っ」
言葉にできない思いの丈が、勢い余って口からこぼれ落ちる。
ここで腐っているよりも、僕にできることを試みるほうが余程有意義だ——いくら自分にそう言い聞かせようと、その程度で納得できるのなら、ここまで苦労はしていない。
「……切り替えないと」
かぶりを振り、どうしようもなく煮詰まった感情に蓋をする。
どれだけ納得がいかなくても、それ以前に僕は一人の兵士だ。それすら忘れてしまったら、僕がこの場所に立っている意味も否定することになる。
「換装」
いくら消しても湧いて出てくる、幻影の兵士たち。無尽蔵とも思えるそれらを掃討すべく、神器の形を使い慣れた無骨な剣へと変換する。
分かっている。徹頭徹尾、僕は脇役にしかなれない人間だ。今回の件だけじゃない、それ以前から、痛いほどこの身で実感を重ねてきた。
……それでも。誰かへと手を差し伸べるのが、主役でなければならないなんて道理はない。
周りにいるのは幻影の兵士たちばかりだけど、他に取り残された生徒がいない保証は何処にもない。水無坂さんのような都合よく自衛できる人間が、そう何度も現れるとは考えない方が賢明だろう。
神器を構え、手近な建物へと走り出す。こんな僕でも、小さな救出劇くらいは務まるはずだ。
……しかし。
それはそれとして。多少落ち着きを取り戻した脳内に、新たな懸念が浮かび上がる。
「雨宮俊が交戦中、ねぇ……」
どうしよう。よしんば無事だったとしても、葵さんになんて謝れば……。
逡巡、苦悩、懊悩。あるいは揺れ続けることこそが、魚見恭平の本質なのかもしれません。
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