1−19/開戦
続いて魚見視点です。
爆発、そして地響き。響き渡る轟音に、武道場にいた全員の動きがピタリと止まる。
「え……なに?」
香純が戸惑ったように声を上げ、不安そうに辺りを見回す。
もちろん、彼女だけが特別というわけもない。予想外そのものの事態に、この場にいる人間が等しく動きを止められていた。
皆が皆、彫刻のように一様に固まる中。不安が人から人へ伝染し、誰もが困惑した表情で顔を見合わせる。
……これは、まずい。
つとめて焦りを顔に出さないよう、頭を必死に回転させる。
喉まで出かかった声は気合で押さえ込んだものの、それで稼げる時間はごく僅かしかない。
面食らっているのは僕も同じだ。余裕綽々という訳にはいかないし、そもそもそんな強キャラムーブは僕には出来ない。先輩のおかげで多少の心構えはできていたものの、こうなることは紛れもなく想定外だ。
どのみち、この膠着状態は長くは続かない。停止した思考力が取り戻されれば、次にやってくるのは未知への不安だ。
次第に増幅されていくそれは恐怖を呼び起こし、最悪の場合大きなパニックを引き起こす。そうなれば、収拾をつけるのは困難を極める。
アクションを起こそうにも、残された時間はほとんどない。考えている間にもう一度爆発が起こる可能性も大いにある。
パニックを鎮められるだけの、具体的かつ即効性のある手段を今ここで用意できなければ、初動が大きく出遅れることは確定だ。
「はいはーい、静かに。ちゅうもーく」
——しかし。
今回に限って言えば、その手立ては驚くほど簡単に用意できるものだった。
たった一度。坂本さんが声を上げただけで、ざわめいていた集団は一気に静まり返る。
「全員こっち見たか? バッチリ見たか? ならいい。ぱっぱと要件だけ話すぞ」
平時と何も変わらないその声に、浮き足立っていた空気が明らかに変わる。
不安げに瞳を揺らめかせる香純も、幾分落ち着いた様子で坂本さんを注視していた。居住まいを正す生徒こそ多いものの、その顔に映る不安の色は先ほどよりも明らかに薄い。
……ただ一人。厳しい顔つきのまま押し黙る、樋笠先輩を除いては。
「あー、今の爆発だが、異常事態であることはまず間違いない。俺はその原因を確認しに、これから本部へ戻る。が、残念ながらその間、ここが襲撃されない保証はない。恭平」
「はいはい」
端的なその指示に合わせ、閉ざされた武道場の扉を開け放つ。
途端に飛び込んできた光景に、背後で誰かが息を呑む気配がした。
それを咎めようとは思わない。むしろ、それが妥当な反応だ。
この光景を見てなおも笑っていられるなら、それは紛れもない「本物」だ。素質アリと見なされて、今すぐに軍からスカウトが来てもおかしくない。
——そこにいたのは、無数の「敵」。
性別も年齢も服装も、恐らくは国籍すらも。何ひとつとして共通点のない人々が、虚ろな目で武道場の外を徘徊している。ゾンビ映画もびっくりの、B級ホラーのような光景だ。
「なるほど、こういうタイプか」
誰もが生唾を呑む状況の中、相撲の中継でも見るかのような呑気さで坂本さんが呟く。その言葉を待っていたかのように、彼らの生気のない瞳が一斉にこちらに向けられた。
坂本さんを捕捉したのは、武道場からほど近いところを徘徊していた7人の敵。示し合わせたようにこちらに踏み込んでくるそのさまは、敵というよりも兵士と呼んだ方がふさわしいか。
動きこそ単調ではあるものの、そこには確かな統率が存在する。おまけに、その手に携えているのは紛れもない神器そのものだ。この人数の星刻者を一度に相手取るなど、並大抵の使い手では不可能に近い。
……でも。
目の前にいるのは、残念ながら並大抵の人間じゃない。
「恭平」
「了解」
たった一言。
意思疎通を最小限の行動で済ませ、扉から離れる僕と入れ替わるようにして——
坂本さんの姿が、一瞬にして「消えた」。
人型の暴威が目の前を通過し、同時に兵士たちが根こそぎ吹き飛ばされる。
防御体勢を取ることも叶わず、7人がみな一様に宙を舞う。ボロ切れのように吹っ飛んだ彼らは、そのまま地面に叩きつけられ、そのまま跡形もなく消滅した。
「んお、案外脆いな……やっぱパチモンか。にしても大規模だな」
背後の面々を置き去りにしたまま、なんともない様子でひとりごちる坂本さん。
世間話でもしているような軽い口調に、僕ですら危機感が狂いそうになる。
「さて、お前ら。今のを見ててわかったと思うが、こいつらは形だけの兵隊、幻影で出来た代物だ。それなりに攻撃力やら知恵はあるようだが、その分防御は紙装甲と言っていい。数発強いのを叩き込めば、こんな風に簡単に倒せる。どれだけ強かろうが所詮は雑魚mobってことだな……っと」
悠々と話すその背後で、新たに3人の兵士が坂本さんに襲いかかる。
消滅時の逆再生のようにして、虚空から発生した彼ら。その様子は、さながらゲームで無限湧きする雑兵のごときだ。
「んで、ここからが本題なんだが。程よい強さがある上にリポップするこいつらは、お前らの経験値稼ぎに最適だ。さっきやったことの実践にもなるだろう。そこで、だ」
しかし、当たらない。
最小限の動きで為される回避と、そこから繰り出される芸術的なまでのカウンター。たった一撃で兵士たちを消滅させた坂本さんは、何事も無かったかのように話を再開する。
危機感がないように見えるものの、あえてそう振舞っている面もあるんだろう。
トップが泰然自若としているだけで、気の持ちようは随分と変わってくる。……もちろん、何割かは素だと思うけど。
そして。体裁を取り繕っていると言うのなら、それは僕にも多いに当てはまる。
どうにか寸前で踏ん張っているおかげで、今の僕は平静を保っているように見えるはずだ。その裏で必死に頭を回していることを隠し通せる程度には、僕も演技力というものを身につけている。
今の僕ができること、それ自体はそう多くない。だからこそ、打てる手は一つでも実行に移した方がいい。他人に頼むのは心苦しいけど、何もやらないよりはマシなはずだ。
「お前らの中でこいつらを倒せる自信がある奴は、ここをなんとかして守れ。ただし、深追いはなしだ。必ず自衛に徹すること。倒せる自信がない奴は、ここに篭って絶対に出てくるな。飛び道具がある奴は援護してもいいが、必ず当てられる状況以外では使うな——以上だ。さっきも言ったが、俺は今から向こうへ戻って指示を出す」
気持ち早口に、しかし聞き取りやすい芯の通った声で。一息のうちに伝達事項を並べ立てた坂本さんは、最後に僕の方へと向き直る。
「恭平、お前はこっちに残って戦え。死にそうなら最悪ロックも外していいが、くれぐれもやり過ぎないようにな」
「了解、努力はするよ。……それと香純、さっきのこと、よろしくね。できたらでいいから」
背後にいる彼女に目配せしつつ、下された指令に首を縦に振る。
ロック解除のお触れが出るのは正直予想外だったけど、戦力はあるに越したことはない。
淀みないその指示で勢いを取り戻したのか、武道場の面々は既に戦闘態勢に入っていた。わざわざ力試しに来るだけあって、戦闘に対する忌避感はさほどないらしい。
坂本さんであれば、軍本部の司令室に着くまでに一分もかからないだろう。どれだけの障害があろうと、この程度では時間稼ぎにもならない。
さて。香純に「お願い」も聞いてもらえたことだし、僕は僕の仕事をしなければ。
いくら好戦的な人間が集まっているとはいえ、本気の場では何が起こるか分からない。わけても大半の生徒には初めての実戦、イレギュラーは確実に起こるはずだ。
兵士たちを纏めて吹き飛ばし、坂本さんが足に力を込める。その様子を横目に見つつ、僕も戦線に加わろうと——
「……っ」
その時。
思わず行動を止めてしまったのは、第六感でも虫の知らせでもない。
もっと単純で、簡単な話。動きを止めるに足る理由が、そこにあっただけのこと。
——僕は初めて、坂本さんが攻撃を喰らうのを見た。
数メートルの距離を吹っ飛ばされた坂本さんは、武道場の壁に背中から追突して止まる。一瞬前まで坂本さんが立っていた地面には、爆発が起きたように大きく抉れた痕があった。
そして。もうもうと立ち込める砂煙、その中から現れたのは。
「ぁん? 思ったよりダメージねぇなオイ。ま、そうじゃなきゃ楽しめねぇからいいんだけどよ」
ひとつ。身に纏う物々しい空気を裏付けるかのごとく、その手に携えられた無骨な突撃銃。
ふたつ。それとはあまりに不釣り合いな、短パンにタンクトップというラフそのものの格好。
そして、みっつ。極め付けに、人を小馬鹿にしたような軽口。
そのすべてを併せ持つ、傭兵のような身なりをした白人の青年だった。
絶対的な自信を表すような笑みが、釣り上げられた口元から覗く。粗野ではあるものの、その口から溢れ出す日本語は流暢そのものだ。
一見して隙まみれの格好とは裏腹に、その立ち居振る舞いには微塵の油断もない。
次の瞬間には躊躇いなく発砲できるだけの、確かな力量と自信。その両方が、ふざけた態度の裏から滲み出している。
「っ……」
何よりも。この男の現れ方、それは現状において最高レベルに危険なものだ。
混乱していた戦況を加味しても、この場の誰にも——坂本さんにすら気取られることなく、一瞬で現れてみせたその能力と手腕。完全な奇襲をされていれば、完全に場を制圧されていたことは火を見るよりも明らかだ。
リーダーか、あるいは幹部格か。いずれにせよ、襲撃者の戦力において、上から数えたほうが早いであろうことは想像に難くない。
「ったく、痛ってーな……徘徊ネームドにしたって強すぎだろ」
緊張感の欠けたセリフと共に身を起こした坂本さんが、男の正面に立ち塞がる。
爆発をモロに受けたものの、どうやら服が焦げている以外は全くの無傷らしい。最悪の事態を免れていたことに、この状況にも関わらず安堵の溜息が零れ落ちる。
「ワオ、バカみてぇに硬ぇなアンタ。そこは期待通りだ」
「豆鉄砲じゃ大したダメージにもならねえよ。武器だけでもG級に変えてもらったらどうだ?」
軽口を叩きながら睨み合う二人の間からは、しかし迸るような威圧感が放たれていた。
巻き込まれることを恐れたのか、周囲の戦線はじりじりと後退し始める。生徒たちのみならず、幻影の兵隊たちまでもがみな一様に遠ざかっていく。
一瞬にして作り上げられた、決闘のための砂塵舞う武舞台。そこに立っているのは、この戦いの主役である彼らだけだ。
「ま、イイや。オレの役目はアンタの足止めなんでな——悪ィが、暫くは俺と遊んでてくれ。出来ればコトが終わるまでな」
会話を打ち切り、男が至極当然といった口調で銃口を坂本さんに向ける。
「……っ」
一転して追い込まれた状況に、我知らず小さな呻きが漏れる。
いくら坂本さんでも手の内が未知数の、増してやこのクラスの相手では、強行突破はまず不可能だろう。
守るべき生徒を背後にしている現状、正面からの勝負は成立しないとすら言ってもいい。今は坂本さん一人に興味が向いているようだけど、それもいつまで続くかは相手の気分次第だ。
この場での最良の選択は、この膠着状態を維持すること。しかしそれでは、本部に戻るという坂本さんの目的が果たせなくなる。そして、相手が「足止め」を標榜している以上、その間に別働隊が動いていることは疑いようもない。
はっきりしているのはひとつ。どちらにせよ、坂本さんは動けないということ。
で、あるのなら。この状況で、僕がすべきことは——
「恭平、作戦変更だ。本部へ伝言を頼む。至急だ」
「通信機とかないの?」
「全部置いてきた。んで伝言なんだが、『701号室に向かえ』。鬼島か、居なければ滝川にでも言えば意味は通じるはずだ。必要なら今すぐロックを外してもいい。頼んだぞ」
「坂本さんは?」
なんで軍のトップが通信手段のひとつも持っていないのか。この緊急時に文句のひとつも言いたいところだけど、まとめて携帯を置いてきた以上、僕も大きな口は叩けない。
「コイツと適当に遊んでから行くさ——くれぐれも気をつけろよ。俺を止められる奴がいる時点で、コイツらは相当ヤバい」
「……了解。坂本さんも気をつけて」
言いたいことはあっても、今はそれを言葉にする余裕がない。指示が出された以上、ここでぐずぐずしていても時間の無駄になるだけだ。
対峙する二人を横目に見ながら、本部へ向けて走り出す。男は意外にも手を出さず、余裕の表情で僕を見送った。
「止めないのか? 意外だな」
「オーダー以上のことはしたくないんでね。そもそも、オレはアンタが居たからこんな所まで来たんだぜ——分かるだろ、十二宮殺し。俺はアンタと本気で遊びてぇんだよ」
「遊びたいって気持ちはよーく分かるが、生憎余裕が無いんでな。それはまたの機会だ」
背後から聞こえてくる会話が途切れ、水を打ったような静けさが訪れる。
たった一瞬。予兆のように震える空気が、完全な静寂に身を浸す。
「……っ!」
そして——それを認識した時にはもう、爆音が僕の隣を一直線に駆け抜けていた。
心配事といえば、武道場の面々が巻き込まれないか否かだけど……坂本さんなら上手くやってくれるはずだ。というか、やってくれないと色々困る。
わらわらと、無尽蔵に湧いて出る幻影の兵士たち。その群れを潜り抜け、あるいは蹴り飛ばし、本部への道をひた走る。
武道場から離れたらもしかして、との思いも叶うことはなく、数が減る気配は一向にない。むしろ広いところに出た為か、より増えているようにすら思える。
最速で本部までたどり着くこと。それが今の僕の任務であり、最優先すべき事柄だ。
——となれば当然、手段を選んではいられない。
「悪いけど、時間が押してるんだ」
正午で止まったままの腕時計。その竜頭を押し込むと同時、力の沸き立つ感覚が溢れ出す。
搦手はこの際なしだ。最速最短で押し通る。
前哨戦では吹っ飛ばされた魚見、その真の実力が見られる……かも。
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