1−1/アイコンタクト
というわけで、初投稿です。ロングランは確定事項ですが、どうか長い目でお付き合いいただければ。
「……めみや。雨宮!」
早朝特有の、心地よい冷たさを孕んだ空気。その空気に混じって肌に突き刺さる声に、重くなった瞼を持ち上げる。少しばかり微睡んでしまった気もするが、それは重要な事ではない。
重要なのは、なぜ今俺が周りにいる生徒から注目を受けているのか、という事だ。
……状況を整理しよう。ここは集合場所である高校の駐車場、現在時刻は朝の6時過ぎ。
一年は6時に集合を完了し、一旦整列をしたのちに一組からバスへ乗り込む。そういう手筈だった。
さて、ここで俺のクラスと出席番号を確認してみよう。一年一組2番、1番ではないところが引っ掛けのポイントだ。どうせなら1番にしてくれりゃよかったのに、と今でも思う。
「一組2ばぁーん、雨宮俊。いるかー?」
……おおっと。どう考えても俺ですねこれ。
分かり易すぎる理由に、僅かに残っていた微睡みが一瞬で吹き飛ばされる。例えるならば、授業で唐突に指名されたあの時の時に近いだろうか。凄まじい量の脂汗が一気に押し寄せてくるあの感覚は、何度経験しても慣れることがない。あれほんと心臓に悪いからやめて欲しいんだよなあ……。
はいはい、と焦った声で連呼し、押し寄せる羞恥から逃げるようにバス内まで避難する。
腰を下ろしてから先生方のありがたい話が終わるまで、時間にしてわずか5分もない。この短時間で居眠りを始める奴など、まず間違いなく俺くらいのものだ。超恥ずかしい、新手の拷問かよ。
「……顔赤くなってないよな」
傍から聞けば気持ち悪すぎるであろう独り言をぼそりと呟き、バスの窓ガラスを覗き込む。
映りこむのは、これといって特色のない平凡な顔。鏡写しのその顔が、いつものようにやる気のない瞳をこちらに向ける。
服装にも表情にも、取り立てて不自然なところはない。直せなかった寝癖が少々荒ぶっていることを除けば、いつも通りの面白みの欠片もない顔のままだ。
……もっとも、現状を鑑みるに、ある意味では面白いのかもしれないが。公開処刑って自分に関係ないときはめっちゃ面白いですよね、わかる。
ひとり、またひとりと、止まることなくバスに流れ込んでくるクラスメイト。彼らから向けられる微妙な視線に気づかないフリをし、頑なに窓の外を眺め続ける。
大前提として、モブキャラであることを自認している人間に、集団から注目されるイベントなどこなせるわけがない。それがマイナス方面の出来事ならなおのことだ。
「おいwwwなんだよあれwww」みたいに茶化してくれる相手がいないため、微妙な空気になることは疑いようがない。スベり芸ですらない、何かおぞましい空気になるのは確定事項なのである。いかん、言ってるうちにマジで心にきた。
——兎にも角にもだ。こうなってしまった以上、俺の取りうる手段はひとつしかない。
すなわち。伝家の宝刀、寝逃げである。
バカらしいと笑われそうであるが、これが案外バカにできるものでもない。どうせ目的地までは数時間もある上、その間話す友人もこれといって存在しないのだ。
そも、先ほどの居眠りも睡眠不足が原因で起こったのだから、寝ておくのはむしろ正解と言えるだろう。寝逃げでリセット、素晴らしい言葉だ。
以上のことより、勝利の法則は決まった。先程のことはすっぱりと封印して、思う存分惰眠を貪る。これに限る。
願わくば、今度は変な夢を見ることもなく、素晴らしい眠りが訪れますように。
そんな思考を最後に、俺の意識は闇の中へと沈んでいった。
# # #
とまあ、人生そう上手くはいかないわけで。
とにかく眠い。ただひたすら寝ていたい。そのほかの感情が死に絶えてしまう程度には、俺の意識は依然としてこちら側にあった。
こちとら勤勉な目覚ましに朝の5時前に叩き起こされ、半分以上寝ながら飯をかっこんで自転車を漕いできた身だ。寝てもバチは当たらないし、第一あのインスタント公開処刑で罰としては十分だろう——そう思っていたのだが、どうもそうは問屋が卸さないらしい。
さあ寝よう、という意気込んだバスの車内は、とても朝6時台とは思えないほどの熱気と喧騒に支配されていた。こんな環境下にあって入眠できるやつを俺は知らない。
……もしかすると、うちの駄姉ならワンチャンあるかもしれないが。しかし、それ以外に候補がいない時点で、結果など分かりきっている。
そもそも、なぜ朝っぱらからこんな目にあっているのか。なぜ俺が、睡魔とゼロ距離の殴り合いを演じなければならないのか?
その原因——それは言うまでもなく、この京都旅行だ。
もちろん、一学年総出で動いていることからもわかる通り、名目上は学校主体のイベントだ。研修旅行だか何だか、とにかく大仰な名前をつけられていたことだけは記憶している。
……まあ実態としては、紛れもなくただの遠足なわけだが。入学後の一ヶ月で作り上げた友達関係を、このイベントでさらに深めよう、といった趣旨だろう。
本来こういうイベントは秋にやるものだと思うのだが、そこは学校側の「粋な計らい」でこの季節に開催と相成っているらしい。全くもって大きなお世話である。
と。そんな話は、一旦脇に置いておくとして。
半ば以上時自業自得であることは承知の上だ。しかし、俺はこの行事のお陰で眠い、煩い、蒸し暑いという三重苦を強いられることになった訳で——
「というか、なんであんな短時間で寝られるのか、僕には不思議でしょうがないんだけど。肝が太いとかそういうレベルじゃないよね——ちょっと、聞いてる? もしもーし」
「……寝不足なんだよ。見りゃわかるだろ」
訂正。正しくは四重苦だった。
魚見恭平。誰にでもやたらと馴れ馴れしく絡むくせに、気がついたらいつも俺の近くにいるこの男の名前である。
その容姿、身に纏う空気。すべてを総合して端的に表すならば、「普通」の一言に尽きるだろう。
取り立ててイケメンなわけではないが、かといって不細工というわけでもない。身だしなみは少なくとも俺よりは気を使っているようだが、それを含めても印象には残らない。
どこか軽薄そうな、胡散臭い笑みを顔に貼り付けていることを除けば、これといった特徴は無いに等しい。なんなら意図してそうしている節もあるのではないか、と思うほどだ。無論、ルックスもファッションセンスも皆無な俺が言えた筋ではないが。
……が。この男の特徴、特筆すべき点はそこではない。
こいつの最大の武器は、その圧倒的なコミュニケーション能力にこそある。どのグループにも即座に馴染める程のそれを入学後から遺憾無く発揮したこいつは、この短期間で校内にネットワークを作り上げていた。
テストの内容だろうが色恋沙汰だろうが、こいつにかかれば数日と要らずに答えが返ってくる。人をたらしこんで情報をかき集めてくるという点では、こいつの右に出る者はまずいないだろう。
……では。何故、そこまで広大なネットワークを持っているこいつが、よりにもよって俺のような人種と絡みを持っているのか?
——そもそもの発端はおよそ一ヶ月前、入学直後にまで遡る。
一見すれば分かるとおり、俺は人と関わる事に消極的な人間だ。会話が嫌いというわけではないが、自分からしようとは思わない。他人から話しかけられれば応えるが、こちらから輪の中に入っていこうとは思わない、といったふうに。
15年かそこらの間積み重ねられてきた、エリートぼっちといって差し支えない性質。筋金入りのそれは、高校入学程度でひっくり返るようなものでは当然ない。
案の定と言うべきか、俺は入学してから今まで、どのグループにも属さなかった。無論、部活は選択の余地なく帰宅部だ。
もっとも、それで生じた不自由など、少なくとも今の所は微々たるものでしかない。自由に使える時間が増えるぶん、むしろ歓迎しているくらいである。ビバ独り身、ありがとうぼっち。
……まあ、そんなわけで。俺の学園生活は、薄味ながらも満足のいく仕上がりになりかけていたのだ。
学校ではだらだらと授業を聞き、放課後は図書室あたりでゆっくりと読書に耽る。ある意味、完成されたサイクルと呼べるかもしれない。
が。ここに一つの、盛大に味を狂わせるスパイスがあった。
外でもない、目の前で無性に腹の立つにやけ面を浮かべているこの男——すなわち、魚見である。
最初から馴れ馴れしい、やたらと話しかけてくる後ろの男。入学当時、この男に対して抱いた第一印象がそれだ。
今であればいざ知らず、まさか初対面の相手を無視する訳にもいかない。今では心の底から無視しておけばよかったと思うのだが、その時は渋々話し相手になった——なってしまった。
その時の会話内容も、今となってはよく覚えていない。
知らない人間ばっかりだとか、クラスにうまく馴染めるか不安だとか。そういったよくある、本当によくある話だったと思う。
そう、ここまでは何も問題ない。入学当初のぎこちないコミュニケーションの一環として、すぐにでも忘れ去られるものでしかなかったはずなのだ。
唯一にして最大の問題。それは、その取り留めのない話が、どうやらこの男のお気に召してしまったらしい——ということだ。
以来、何故か俺を気に入ったらしいこの男は、事あるごとに俺に絡んでくるようになった。今考えても、俺の話の何処に琴線に触れる要素があったのか不思議でたまらない。
一ヶ月という期間をそんな状況で過ごせば、クラスの連中が俺と魚見をワンセットのように扱うのも当然のことであろう。気付けば俺は、学校内で既に知らない人はいない「あの」魚見といつも絡んでいる変な奴、という属性を付与されてしまった。
……当然のことだと言ったが、もちろん納得している訳ではない。断じて無い。誰が納得するかこんな扱い。今すぐ過去に戻って自分をぶん殴りたい気分だ。
「ところで、話は変わるんだけどさ。タイムマシンってあったらいいなって思わない? 過去を変えるとかロマンだよねぇ……ま、個人的には友達を助けるため、みたいな理由の方が燃えるんだけどさ」
こうしている今も、魚見は俺に向かってひたすら話し続けている。
相槌もなく喋り続けられるあたり、普段からその類の修行でもしているのではなかろうか。よく心が折れないなお前。
しかし。……しかし、だ。
いくら返事をしなくていいとはいえ、このままこいつを放置するのは精神衛生上大変によろしくない。四六時中騒音を垂れ流すスピーカーと同居しているようなものだ。
申し訳ないが、故障したスピーカーなど欲しくもない。ここは適当にあしらって、早々にお引き取り願うとしよう。廃品は回収業者にポイ、素晴らしきリサイクルの精神。
「あのな。見て分からんなら言ってやるが、とんでもなく眠いんだよ俺は。お前の相手をしてやれるほどの元気があると思うか?」
「えー、扱いが雑すぎると思うんだけど……ま、公衆の面前で堂々と寝るくらいなんだし、無理もないか」
おら退がれ退がれ、と手で追い払う仕草もサービスでつけてやると、とうとう諦めたのか魚見は引き下がっていく。なにやらぶつぶつと言っていたが、そこは無視するに限る。
ともあれ、四重苦が三重苦になっただけでも儲けものだ。相変わらず、ろくに仕事もしない頭を掻き毟りながら、視線をなんとなく窓の外に向ける。
——そう、「なんとなく」だ。
殺気を感じたとか、誰かが呼んでいたとか。よく授業中に妄想するような、そんな運命じみたものでは全くない。
いや、あるいは。なんとなくだったからこそ、それに気付くことができたのかもしれない。
初めは小さな違和感だった。
目の端に映りこんだ、飛翔する小さな黒い「影」。
ただの影ならば、俺は何の疑問も抱かなかっただろう。一瞬で興味を失ったはずだ。
だが。俺はその影から、なぜか眼を離すことができずにいた。
影はゆっくりと、しかし確実に接近している。
徐々に露わになるその容貌は、およそ真っ当な生物であるとは思えない。少なくとも、澄み渡る青空には不釣り合いなことこの上ない。
「……まさか」
このバスを狙っている、のか。
後に続くその言葉を、すんでのところで喉奥に押し留める。
馬鹿げている。ありえない。
あの影の進行上に、たまたまこのバスが存在するだけだ。そも大前提として、あの影が何を目指しているかなどわかるはずもない。
しかし。俺の考えを嘲笑うように、影はこちらに向かって脇目もふらず接近し続けている。
今やバスとの距離は相当に縮まり、その輪郭は肉眼でも細部まで認識できるほどだ。鳥とは似ても似つかないその姿は、異形と呼ぶほうがまだ当て嵌まっているだろう。
「っ——」
この際誰でも、それこそ魚見でもいい。
この異常事態を、俺以外で認識している人間はいないのか。影から目を離し、縋る思いで車内を見渡す。
そして。二度目のショックが、間髪入れずに俺を殴りつけた。
そこにあったのは、何も変わらない世界。
会話に花を咲かせる者、一人で黙々とスマホに向き合う者、微睡みに身を委ねる者。数秒、数分前までと何一つとして変わらない光景が、当たり前のように目の前に広がっている。
「…………!」
おかしい。そんなはずがない。声をあげそうになる自分を、またしても強引に抑え込む。
車内にいる人間は、数にして40人以上。振り返ればおのずと視界に映りこむ程に、異形は近くまで接近している。これだけの異常事態ならば、誰か一人は絶対に気付くはずだ。
なのに、何故。何故、誰一人として気付かない? 何故、こうも平然としていられる?
……いや。
本当は、とっくの前に解っていた。ただ、認めたくなかっただけだ。
認めてしまえば、俺の方が異常だと言ってしまうようなものだから。この平穏な世界に混ざり込む異分子は俺の方なのだと、宣言してしまうようなものだから。
それでも、俺を取り巻く世界は、冷酷に現状を突きつける。
そして、遂に——「俺にしか見えていない」異形は、バスに追いついて並走し始めた。
間近で見るその姿は、まさしく悪魔と呼ぶにふさわしかった。
真っ黒な痩せぎすの人間のような体躯に、明らかに長すぎる枯れ枝のような腕。肩口から申し訳程度に生えている翼は非対称で、そもそも動かしている様子すら見受けられない。
耳も、鼻も、口すらも。その顔には、そのことごとくが存在しない。ただひとつ、真っ赤に染まった単眼が中心に有るだけだ。
金縛りにあったように硬直している俺の前で、異形はその眼を動かし、睨めつける様にバスの中を見回す。車内の全てを余す所なく検分するように、単眼がゆっくりと通り過ぎていく。
その視線が、俺の前で止まった。
恐怖で凍りつくという状況があるとすれば、それがまさしく今なのだろう。
思考回路が停止し、全身の肌がくまなく粟立つ。不恰好な彫像のように、体が一切の命令を受け付けない。
顔を背けようとする主人の意思に反するように、唯一動かせる両目が異形へと吸い寄せられる。合わせるべきではないはずのに、俺の視線はどうしようもなくそこへと向かう。
「……ぁ」
堪え切らずに漏れ出した声は、誰に届くこともない。
相対するは、異形の瞳。ガラス一枚を隔てて、ほぼゼロ距離で目と眼が向かい合う。
その瞳に映っていた感情は、俺の知るどんなものとも違っていた。
苦痛、絶望、憎悪——その全てを内包したような、ドロドロに濁りきった瞳。そこから目を離せないまま、息すらも苦しい感覚が俺を包む。
時間が、空間が。世界の全てが完全に停止し、凍りついたかのように動きを止める。
それは、1秒にも満たない刹那。あるいは、すべてが無意味になるほどの永劫。
俺から視線を外した異形が、いずこかへ飛び去っていく。時計の針は役割を思い出したかのように、緩慢な動きを再開し始める。
「…………」
言葉を発することもできず、ただ思い出したかのように身体中から脂汗が吹き出す。
幻覚だと、納得してしまいたいはずなのに。そう割り切ることができないのは、異形の姿が今も瞼の奥に焼き付いているからに他ならない。
未だに残る震えを誤魔化しながら、手首の腕時計へと視線を向ける。
たった数分。永遠かと思えるほどの緊張に反して、時間はそれだけしか経過していなかった。
運転手は仏頂面のまま運転を続け、クラスメイトは何もなかったかのように同じような会話を繰り返している。異形が姿を見せてから飛び去るまでの数分で、俺以外の乗客に異変は一切見られない。
……いや。
実際に、何もなかったのだ——少なくとも、彼らの身には。
クラスメイトも、運転手も。ここにいる俺以外の人間には、何ひとつとしておかしなことは起こっていない。
「……有り得ない」
その言葉が、ただの慰めでしかないことは分かり切っている。
俺はあの異形を確かに見た。他の誰でもない、俺だけが確かに、あのおぞましい視線を向けられたのだ。
それでも否定したのは、それで何かが変わるかもしれないと期待したからなのか。あるいは口に出すことで、自分の心に区切りをつけたかったからなのか。
それすらも曖昧なまま、俺はもう一度小さく呟く。
有り得ない、と。
# # #
「もしもし、坂本さん? ちょっとまずいことになった」
「いや、さっき送ったメール……まあそうだよね、見てないよね」
「そうそう、俊の件。理由は不明だけど、星屑が一匹居場所を嗅ぎつけたみたい」
「いや、それがよく分からないんだって。明らかに俊だけを狙ってるし、そうかと思えばいきなりどっか行くし……」
「とにかく、出来るだけ速く討伐隊を派遣してほしい。ロックは……まあ、そうだよね。わかってるよ」
「了解。頑張ってはみるけど、あんまり期待はしない方向で。じゃ、また連絡するよ」
1話が長めの作品ですが、そのぶん没入感を意識して書いております。
俊と魚見のたどる道筋を、どうか見守ってあげてください。
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