1−15/研究員にご用心
前回のあらすじ
変な人、登場。うわ出たよ……。
「くぅ————っ! やっぱり運動後といえばコーヒー牛乳だよねえ! きみもそう思うだろう?」
「ええ、まあ……はい」
「そうだろうそうだろう! いやしかし、最近は訓練も終わって、ほとんど客入りが無かったからねえ。君のような見込みある若者がいてくれて、ぼくも嬉しいよ。あ、飲み物はどうかな? ここで会ったのも何かの縁だ。年長者として、ドリンクくらいは奢らせてもらうよ」
「あー……じゃあ、同じものを」
「はいはい、コーヒー牛乳一丁。それはそれとして、きみはどうしてこんなところに? 学生でこんな辺鄙な場所に来るのは、よほどの物好きくらいのものだろうけど。もし射撃に興味があるなら嬉しいね。ついに同好の士が増えることに——」
待て、情報量が多すぎる。一回にどれだけ喋ってんだこの人。降谷より多いぞ。
あの気の抜けた射撃練習が終わったのは、時間にして数分ほど前のこと。その後後ろに立っていたよくわからない人に、どうせなら少し話さないか、と引き留められたのだ。
急ぎの用事があるわけでもなし、急に遊ぼうと言って付き合ってくれる友達がいるわけでもなし。多少の立ち話もたまにはいいだろうと思い、誘いを受諾したわけなのだが——
結論から言おう。俺は甘かったのである。
息つく暇もなく展開されるマシンガントークに気圧され、どうにかして合間合間に返事を挟み込むことしばし。気付いた時には、帰るタイミングを完全に見失っていた。降谷といいこの人といい、最近会話する人はどうにも俺に喋らせてくれない気がする。
……にしても、だ。
既に脱出を諦めた俺は、目の前のお兄さん——かお姉さんかは知らないが、年齢的にはそのあたりがベストだろう——へと視線を向ける。
声が中性的なことは先に述べた通りだが、その容貌もまた然りだ。
こうして至近距離で見ても華奢な体型をしている上、顔面偏差値もかなり高い。イケメンが女装をしたら美人になる、という話を聞いたことがあるが、実際に目にするとそれが真実であることを思い知らされる。
こんな場所でも白衣な上、髪型も適当に纏めているだけなものの、それが似合っているのがまた憎い。男性として見ればいささか細すぎるきらいもあるが、研究者という単語に対する世間一般のイメージにはこの上なく適っている。
……いや、適ってるだろうか。適ってるよな? たぶん、適ってる。あんまり適当なことを言うと社会的に叩かれるからな、滅多なことは言えたもんじゃない。
「——近頃は研究員でも色々と派閥があってね。こんな訓練必要ないって人も勿論一定数いるわけなんだけど、ぼくとしてはそれに反対で——」
相も変わらず、畳み掛けるようなトークは止むことがない。
周囲に何かないかと視線を巡らせるも、受付の他にあるのは自販機と小さなソファくらいのものだ。
「——というより、普通に考えておかしいんだよね。自分の立場を理解してない人が多すぎるというか、どう考えても甘いというか——」
どうやら、暇潰しになるような物もないらしい。諦めて目線をそっと正面に戻した俺は、しかしそこで今まで気付かなかったものを発見する。
——それは。未だ話し続けるこの人物の奥の壁に貼られている、黒マジックで書かれた素っ気無い張り紙。
1分足らずで作ったのか、文字通り必要最低限の情報しか書かれていない。だがそのおかげで、それなりに離れた距離にいる俺からでも内容を読み取ることができる。
ふむ、なになに……封星弾が必要な場合は、研究部二棟の管理者に申し出ること。読み方はふうせいだん、で合っているのだろうか。
そして肝心の責任者であるが……ダメだな、文字が潰れて読めん。小さ過ぎて読めなァァァァァい!
が、人間とは寸止めされるとますますもって気になる生き物であるわけで。
なんとかして読もう、どうにかして解読してやろう。眼前にいるはずの人の存在も忘れ、躍起になって目を凝らす。
「きみ、封星弾に興味があるのかい?」
そんなことを続けているうちに、目の前の御仁も様子の変化に気づいたらしい。張り紙を指差すその顔に浮かぶのは、より一層強くなった満面の笑みだ。
……なぜだろう。なんとなくの直感でしかないが、どうにも嫌な予感がするぞ。
もちろん、人の話を聞いてなかった時点で、非は圧倒的に俺にある。ある、のだが……。
なぜだろうか。それを差し引いても、どうしようもなく危険な香りしかしないのは。
「……興味がある、というか、名前が気になったので。どうにも直球な名前だな、と」
正体不明の地雷を避けるべく、言葉を選びに選び抜いて口を開く。
封星弾。星を封じる弾、と言う字義をそのままに捉えるのならば、これは『星の力』を封じる弾、あるいは弾丸の類なのだろう。
しかし。この日本星皇軍という組織、星刻者を隔離し、保護するのが使命のはずだ。自分たちの特別な力を封じるなど、武器につける名前にしては物騒すぎる。
「ほうほう、なるほどなるほど……きみ、もしやこっちに来たばっかりだったりする?」
つらつらと自分の考えを主張し終えると、最後まで口を挟まずに聞いていた白衣の人は大きく頷いた。質問という体こそとっているが、その口調は確信に満ち溢れている。
「ええ、まあ。……ひょっとして、自分のこと知ってます?」
「いやいや、間違いなく初対面だよ。ただ、なんとなーくそんな感じがしたからね。ここで知っておくのも悪くないし、ひとつ課外授業でもやってみようか」
ええ……あの、課外授業ってなんですか。
適当なところで話を切り上げるつもりが、完全に地雷を踏み抜いていたらしい。なんか瞳めっちゃ輝かせてこっち見てくるこの人……腹減ったし早く帰りたいんですけど。
「さて、この星刻者の世界になぜ『封星弾』なんて物騒なモノが存在するかだけど。これを説明するにはまず、この日本星皇軍に存在する二つの派閥について語らなければならないね。きみはこの上、地上層にどんな建物があるのか知ってるかな?」
どうやら本当に授業めいたものをするようで、白衣の人は二つの瓶を手に解説を始めていた。言うまでもなく、先程飲み干したコーヒー牛乳のそれである。
どうすべきかと悩むものの、現状この場から逃げ出す手段は無いに等しい。
どうやら慎重かつ穏便に、最速で話を終わらせるのが最善手のようだ。出だしからもう無理ゲーくさいんだよなあ……。
「校舎と、軍の建物と……あと病院ですかね。隣が研究所なんでしたっけ、あそこ?」
「そう。軍の建物と研究所、すなわち軍部と研究部だ。この二つは日本星皇軍、つまるところ日本の星刻者世界の中心となっている枠組みでもある。当然と言えば当然だけど、この二つに所属している人間の傾向には違いがあるんだ。これはある意味、この二つの勢力の性格を表しているとも言えるね」
随分と投げやりな答えを返したはずなのだが、どうもそんなことは些事にもならないらしい。
俺そっちのけで解説を楽しむ白衣の人によって、片方の空き瓶が目線の高さに持ち上げられる。その空き瓶そうやって使うのか……いや、分かりやすいし別にいいんだけども。
「まず軍部だけど、これは読んで字の如く、日本星皇軍という組織の中核を担っている部分だ。主な役割は星屑の討伐、野良の星刻者の保護、こちら側の世界の秩序の維持……などなど。仕事の比率は2番目と3番目が圧倒的だから、治安維持のための組織と言った方が正しいのかもしれないけどね。ただ、やはり軍という名目上、何かあったときは実働部隊として動くことが多い。そうなると、重要視されるのは直接的な『強さ』だ。戦闘力と言いかえてもいい。戦闘力が高い人間は軍からも重宝されるし、多くの場合本人も軍に入ることを望む。だから軍部には、強力な星刻者が集まりやすいってわけだ」
もちろん、星刻者の保護活動を目的にしてる人も多いんだけどね。そこまで一気に言い放ったその人は、最後にそう付け足して空き瓶を下ろす。
説明はわかりやすいのだが、なにぶん一度あたりの情報量が多すぎるせいで理解が追いついていない。もう少し情報を整理する時間をくれ、と叫びたい気分である。
「ぐえっ、げほっ——そ、れで、研究部についてなんだけど」
俺が情報の洪水を咀嚼しようと奮闘している傍で、説明している当人は自分の瓶に残ったコーヒー牛乳をぐい飲みして咽せていた。そらそんな勢いつけて飲んだらそうなるんだよなあ……俺は別に気にしないので、説明より先に口周りを拭いてください。
「……ああ、死ぬかと思った。それで研究部についてだけど、これは『星の力』の研究と応用を担当する部門だ。『星の力』を基にした道具や機能を作成することもあるし、そういう意味では技術部みたいなところもあるんだけどね。ともかく、大事なことはその研究部にいる人間、つまり研究員についてだ。きみは研究員と聞いて、どのような人物像をイメージする?」
「……はあ、研究員」
「何も深く悩む必要はないよ。思いついた条件を適当に羅列していけばいい」
畳み掛けるような説明の数々に、理解を放棄してただ復唱する。
思いついた条件とか言われてもですね……研究員といっても、門外漢の俺に分かるのは白衣というイメージだけだ。やたら顔と声がうるさい狂気のマッドサイエンティストしか浮かんでこないのだが、十中八九間違いだろう。そんな人間が一般的なら、俺は間違いなく研究員にはなれない自信がある。
「なんというか……そう、その、非力ってイメージですね。軍人なんかと比べると余計に」
どうにかして脱線した思考を引き戻し、無難な着地点まで持っていく。
さすがに今回はダメかと思ったが、顔色を伺うと思いの外良い反応をいただけているようだ。ここまでくると答えさえすればなんでもいいというか、なんなら無回答でも喜ぶ可能性すらある。仏像にも嬉々として説明するのではなかろうか、この人。
「そう、非力なんだ。さっきも言ったとおり、『動ける』人間は自ずと軍部に流れる傾向にある。対照的に研究部に集まるのは、その多くが戦闘には関係のない能力を有している者や、適合率が低い人間ばかり。そうすると必然的に、ある一つの問題が起こってしまう」
そこで説明を切り上げた白衣の人は、またしても視線をこちらに向ける。
試すような視線が、妙な圧力を持ってこちらを射抜く。どうやら「ある一つの問題」がなんなのか、俺なりに考えてみろということらしい。
だが。今度の質問に関しては、悩む余地など何処にもない。
今までの話を聞き流しているだけでも、この問題には簡単に行き当たる。
「……軍部と研究部の戦力差。仮に問題が起こっても、軍部が圧倒的に有利すぎる点——ですか」
「正解。百点満点、花丸の答えだ」
ひとしきり拍手をしたあと、白衣の人が椅子から立ち上がる。
手に持った空き瓶は、しかし同じ高さにはない。一方がもう一方の上に重ねられているその構図は、何かを暗示しているようにも思えるものだ。
「14年前の星皇軍設立に際して、研究部と軍部の間にひとつの取り決めが設けられた。即ち、『研究部と軍部の立場は対等である』というもの。しかし、どれだけ口では対等だと言っても、実際の戦力差は如何ともし難いだろう。もし意見の対立なんかがあったら、弱者の側は簡単に叩き潰されてしまう——そう考えた当時の研究部のトップが、対抗策として用意したのが『封星弾』というわけさ」
すらりとした白衣の人の指が、壁に貼られた件のチラシをとんとんと叩く。
「この封星弾は読んで字の如く、『星を封じる』ための武器。つまり、対能力者用の弾丸だ。銃器としての殺傷力ももちろん期待できるけど、それ以上の能力がある。撃ち込まれた相手は一時的に『星の力』が使えなくなるという、星刻者にとっては致命的すぎる能力がね。海楼石の弾丸とか、分かりやすく言えばあんな感じかな」
やけに捻りのないネーミングだが、そのあたりはとりあえず置いておくとしよう。散々星の力だの星刻者だのが出てきた今、そのあたりのセンスには期待していない。
「なら、『研究部の人は拳銃の携行が必須』というのはつまり——」
「よく知ってるね、その通り。研究部所属の人間にとって、拳銃と封星弾の携行は必須事項だ。自衛用の道具兼、軍部の優位性を少しでも均すための措置ってわけだね」
いえ、聞きかじりの知識なんでそんなに感心してもらっても困るんですが。魚見の話もたまには役に立つものだ。
……しかし、だ。
仮に、この話が全て事実であるとして。この話に従うならば、別の問題がもうひとつ出現することになる。
「……でも、そのやり方だと、結局は同じな気がするんですが。弾を撃ち込まれた時点で戦えなくなるのなら、今度は逆に研究部側が有利すぎる」
この封星弾、一歩間違えば軍部どころか日本星皇軍そのものが使い物にならなくなる代物だ。
習熟が必要な能力に比べて、道具さえあれば誰でも使える銃弾という武器。訓練もほぼなく全星刻者の弱点を突ける、その脅威など今更言うまでもない。いくらメタを張るための能力とはいえ、アドバンテージがあまりにも圧倒的すぎる。
「圧倒的優位、というわけでもないね。坂本さんなんかは銃弾を回避できるだろうし、回避という選択肢に限らなくても銃弾に当たらない方法はいくらでもある。『星の力』は君が思っている以上に多彩で、厄介なんだ。だからまぁ、本気で研究部と軍部が戦っても勝敗は五分五分なのさ。そして、そんなことは誰もやろうとは思わない。共倒れなんて最悪の結末だからね」
だが。
俺の指摘を予期していたかのように、席に戻った白衣の人は小さく笑う。
「封星弾は抑止力なんだ。きみたちの世界でも、警察官が拳銃を使うことなんて滅多にないだろう? でも持っていること自体は子供でも知ってるし、いざとなればそれを使えるよう訓練も受けている。それと同じさ」
「……はあ、なるほど」
立て板に水が如く、淀みのない調子で繰り出される反論。そのおかげで、曖昧ながらもなんとなく腑に落ちた。
まあ、元より聞き齧っただけの俺が思いつく問題だ。その程度の疑問点など、これまでも数え切れないほど槍玉に挙げられてきたのは想像に難くない。議論などとっくの前にされ尽くされている、と考えるのが自然だろう。
「以上が封星弾についてのざっくりとしたお話。まあ色々と端折ってるから、細かく説明しようとすればいくらでもできるけど、とりあえず今日はここまで。どう?分かった?」
ぱん、と手を打ち鳴らし、白衣の人が立ち上がる。それに倣い、俺も凝り固まった腰を持ち上げた。
課外授業と聞いた時は、すわ何が始まるかと身構えたものだが……終わってみれば想像より遥かにきちんとした授業だったというか、坂本大佐の雑な説明の数倍は分かりやすかった。先程の話から考えるに、大佐の説明能力は全て戦闘力に変換された疑惑がある。
「……まあ、なんとなくは。どうもありがとうございました」
が。いかに分かり易かったとはいえ、その勢いで別の説明でも始められたらたまったものではない。ここは逃げるが勝ち、三十六計なんとやらだ。
張り紙の下にあったチラシを一枚手に取り、そのまま射撃場からとっとと退出する。外はまだ明るいが、時計を見ると5時をとっくの前に回っていた。朝晩の区別まである地下街、控えめに言って意味が分からんな……そのうち雨まで降り出しそうだ。
「それじゃ、ぼくは研究棟に戻るから、ここでお別れだ。今日は無駄話につきあってくれてありがとう。もしよければまた今度、ぼくの研究室を尋ねてきてくれ。いつでも歓迎するよ」
連れ立って外に出た白衣の人から差し出された名刺を受け取り、とりあえずどこかに仕舞おうと思い立つ。無駄話の自覚があったのか、この人……地味に今日一番の衝撃かもしれない。
ガサゴソと制服のあちこちをまさぐった末、内ポケットの生徒手帳を引っ張り出す。常日頃から生徒手帳を持ち歩いてるあたり、俺の優等生レベルも相当な部類だ。たぶん、一ヶ月後には存在そのものを忘れてるというオチがつくだろう。
とまあ、そういうわけで。俺は生徒手帳を取り出し、件の名刺を中に挟もうとしたわけなのだが——
結論から言おう。これは明らかな失策だった。
それまでのんびりとした動きでこちらを眺めていた白衣の人が、光の如き速さで俺の腕を掴む。
射竦めると表現するのが正しいであろう、圧倒的な力強さを持った視線。それは他でもなく、俺の生徒手帳ただ一点に注がれていた。
「——それ、見せてもらっていいかな?」
たった一言。それだけで、空気の流れが完全に変わる。
先程までとなんら変わりない、終始穏やかな調子で発せられたその言葉。しかし、そこに鬼気迫る表情が伴えば、選択肢などあってないようなものだ。
まるで意味がわからない空間の中、悪寒に似た背筋の寒気だけがひたすらに大きくなっていく。緊張に耐えかね、いっそこちらから声をかけようか、という考えが頭を過った時だった。
「——そうか。まさか、きみが」
その声の何処にも、感情と呼べるものは見当たらず。
「縁とはかくも不思議なものだね。こんなところで出会えるとは、ぼくも想定外だったよ」
何を聞かれているのかもわからないまま、ピクリとも変わらない表情に慄く。
ここ数日で似たような体験は腐る程あったが、プレッシャーという意味では今が一番かもしれない。星屑と戦っていた時が可愛く思えるほどの緊張感だ。
背筋を伝う冷や汗と、喉を滑り落ちる生唾。カラカラに乾いた喉の奥から、それでも真意を問い質すための言葉を口にしようと——
——する、直前で。
「最っっっっ高だよ! まさかきみが、ぼくが探していた人材だったなんて!」
感情が、爆発した。
完全に狙っていたとしか思えないタイミングで、目の前のその人は歓喜の声を上げる。
「……はい?」
「いやいや、謙遜なんて必要ないよ、きみがぼくの探していた雨宮俊くんであることは、ここにはっきりと書いてあるんだからね」
目を白黒させる俺を他所に、白衣の人は俺の生徒手帳を堂々と掲げてアピールする。短時間での豹変ぶりについて問い質したいのは山々だが、凄まじいまでの語気がそれを許さない。
どうやらその口ぶりから察するに、ここまでの行動は俺の名前を確認したかったから、ということらしい。
別に、それ自体には何も問題はない。流血沙汰も覚悟していただけに、安堵感としては相当なものだ。だが……。
え、じゃあ何? あの迫真の表情の意味はそれだけ? 尺使いすぎじゃない?
「話を聞いた時点で、素晴らしい人材だとは思っていたんだよ。初陣で、知識もろくにない状態で、Bランク相当の星屑を撃破するなんて、そうそうできることじゃない。しかも神器は未開放なんだろう? まさしくうってつけの人材だ! いずれは僕のほうから訪ねようと思っていたんだけど、まさか、そっちから会いに来てくれるなんて!」
「話、って、誰から——ちょ、痛い痛い」
上機嫌で俺の背中を叩いていた白衣の人は、その一言にきょとんとして手を止める。
何だその「心の底から予想外です」みたいな顔は。俺なんか予想外のことしか起こってないぞ。
「誰……って、恭平だよ。魚見恭平。あれ? 聞いてない?」
あ、じゃあ絶対知らねえわ。あいつがこの類の話を俺にするわけがない。
とにかく、この際魚見などどうでも良い。今一番重要なこと、それは冷静になることだ。
混乱する頭を鎮めるため、先程渡された名刺の解読を試みる。
「滝川……玲。滝川さん?」
はて、滝川。つい最近、どこかで聞いたことがあるような響きだ。
思考の縁に引っかかっている記憶を手繰り寄せようとするものの、それを遮るようにして細い腕が俺をむんずと掴む。
見かけによらず筋肉がついたその腕は、鮫か鰐かと思うほどに食らいついて離れない。なんとかして踏ん張ろうとする努力も虚しく、俺の身体はあらぬ方向へ引き摺られていく。
「あの……滝川さん」
そして、その手の持ち主はといえば。
「なんだい、雨宮くん」
「いや、その。手、痛いんですけど」
なんだい、じゃないが。背中を叩かなくなったと思ったら今度は腕か。
「なに、少しの辛抱だ。ぼくの研究室なら、好きなだけ話ができるからね! さあ急ごう!」
「だから行くなんて一言も——待って痛い痛い痛い」
最高の笑顔で振り返る滝川さんは、レッカー車もびっくりの膂力で俺を引っ張っていく。なんでこんな良い笑顔なのに恐怖を感じるんだろうか。俺が牽引されてるからだな。
なんでもいい、この局面から脱出できる手立てはないか。小さな抵抗の糸口を探し続ける俺の脳裏に去来するのは、先程の小さな疑問の答えだ。
それは、既視感の正体となる会話。滝川という名前の響きをどこで耳にしたのか、その答えとなるもの。
『——滝川って人を見かけても、あんまり関わらない方がいいかもね。もしかしたら、君とは変人同士で波長があう可能性もなくはないけど』
……間違いない。確信犯だろあいつ。
俺にわざわざ話したのは、自分との繋がりを示唆するためか。事態を完全に見越した上で、最小限の情報だけを伝えているあたりが実に憎たらしい。
「……覚えてろ」
絶対許せねえ、覚悟しろよ魚見。いつか必ず、うちの姉の料理をフルコースで食らわせてやる。
14年前。日本星皇軍の設立。研究部のトップ。いったい何があったのでしょうか。
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