5-13/汝、勤勉に努めよ
前回のあらすじ
北沢さん、お仕事です。
『──なるほど。忘れるな、ね』
「ああ。思い当たる節とかあるか?」
『うーん……正直、きみが考えている以上のことは出ないと思うよ?』
「それでいい。客観的な視点からのコメントが欲しい」
『……じゃあ、言うけど。十中八九、空港できみが戦った“襲撃者”関連だろうね』
「……だよなあ……」
午前6時。勤勉なもの、早起きのものが動き出す時間帯であるとはいえ、基本的にはまだまだ早朝と呼べる部類だ。うちの駄姉など、放っておいたらあと3時間は寝こけているだろう。
そんな駄姉の弁当と、それから自分の弁当を作るため、毎朝この時間に起床する。我ながら大したバイタリティというか、高校生の肉体的特権をフル活用していると言っても過言ではない。
昨日こそ夜まで爆睡してしまったが、それでも18時に起きているのは何の因果か。あとひとつ6を加えれば666、みんな大好き獣の数字である。黙示録の獣とか終末の四騎士とか、男のコはああいうの大好きだからな……俺も人類の敵とか名乗ろうかな……。
例の騎士団見習いとしての業務は8時から、つまりまだ2時間の猶予がある。いつもの癖で6時きっかりに起きたはいいものの、弁当を作る予定もないとなれば大概に暇だ。早起きは三文の徳とはいうが、今日に限ってはその三文を丸々ドブに捨ててしまっている。
二度寝をするのはいささか怖い、さりとて適当に時間を潰せる持ち合わせもない。いつもの俺であれば、どうすることもできずに悶々と過ごしていたところだが──今回に限っては、ドブに捨てるはずの三文を回収する手立てがあった。
そう。もはや誰もが忘れているであろう、博士が俺に持たせた人造神器がひとつ──例のガントレットから生成される、ナノテクでハイテクな通信機である。
定期報告をする余裕など全くなかったが、今ならその時間も取れる。8時間だか9時間だかの時差があることを考えれば、向こうにとってもちょうどいい時間だろう──そんなことを考えた末、手持ち無沙汰の2時間を博士への報告会に充てることにした、というわけだ。
空港での会敵から、昨夜の一件に至るまで。大方の情報は、既にこの10分ほどで共有済みだ。客観的に見ても二日で経験していいイベント量ではないのだが、何を話したところで特に驚いてもいないあたり、この人も随分と俺に慣れてきたらしい。
無線イヤホンサイズの通信機は、しかし存外にクリアな音声を届けてくれる。海を越え、ふたつの結界を越えているとは到底思えないのだから、蓋し技術の進歩というものは素晴らしい。
ちなみに。向こうの時間では昼下がりであるにも関わらず、博士との通話が繋がるまでにはたっぷり3分の時間を必要とした。ここまであからさまに寝起きアピールをされれば、もはや呆れすらも通り越すというものである。
言うまでもないことではあるが。メインとなる議題はもちろん、昨日の北沢さんの一件だ。
英国というアウェーなフィールドで、想定外の事態に直面するだろうという予感はあった。むろん、既にして山ほどの想定外に見舞われているし、そのうちの何割かは自己責任によるものが大きいのだが……それを加味してもなお、昨日のあれは意識外からの攻撃にすぎる。
「お前は監視されている」。その言葉の意味を問い質すその前に、扉は固く閉ざされてしまっていた。水無坂の手前、強引な手段を取るわけにもいかず、結果として問題は問題のまま残っている。
『襲撃者の詳細は? あれから何か、思い出したりはしてないのかい?』
「まさか。何も思い出せんどころか、なんなら戦ったのも嘘じゃないかって思い始めたとこだ。ここまで記憶に残ってないんだから、そっちの方がよほど辻褄は合う。そういう能力だったりしないのか?」
『現状じゃなんとも。いかんせん情報が少なすぎてね……「自分に関する記憶を消す」能力の線が一番カタいけど、そう思わせること自体が罠の可能性もある。きみの言う通り、戦ったことそのものが偽の記憶だった、ってこともあり得るわけだ』
「そこまでする意味は?」
『もっと大きな目的のための布石か、それともそれ自体が目的か。こればっかりは、本人に聞くより他にないけど……件の北沢くんに尋ねたところで、答えが返ってくるはずもないし。そもそも、これが別件だったら目も当てられない』
空港の“襲撃者”を思い出そうとしても、相変わらずピントの合わない靄が出力されるだけ。何かがあると分かっているぶん、その正体に行き当たらないのがなおのこと腹立たしい。
これが第二本部であるのなら、話はもっと簡単だっただろう。だが、あらゆる人脈と情報のアドバンテージを封じられたこの場所では、敵味方の区別は容易につきそうもない。
そもそも、“敵”なるものが本当に存在しているのか。いると仮定したところで、その目的が俺なのか、目的までの障害として俺がいるのか、その議論から始めねばならない。
信頼できる人間など、もとよりゼロに限りなく近い。とはいえ、身の回りの全員を疑ってかかろうものなら、頭がいくつあっても足りないこと請け合いだ。現に今も、朝イチとは思えないほどに脳が疲れきっている。
「俺としちゃ、別件の方が納得できるんだがな。そこまでして正体を隠しておいて、自分から接触してくるバカがいるか?」
『いない、とは言い切れないよ。異能なんてものがある時点で、常識的な推論は通用しない。きみだって、それは今まで散々味わってきただろう?』
「その異能を使ってるのが人間な時点で、理由ってもんは存在するはずだろ。ホワイダニットでもなんでもいいが、理由もなしにこんなことをするような暇人はいないはずだ」
『理由があるとして、きみが納得できるかは違う話ってことさ。側からは論理が破綻しているように見えても、当人からすれば完璧なロジックで動いているってことも有り得るからね。普通は奇人変人の妄想でしかないとしても、それを可能にする能力があるのなら話は別だ』
監視云々の話が事実だとしても、それをわざわざ開示する意味がない。こちらの行動を制限するにしても、そもそも何が理由で監視しているのかわからないのだから、極論を言えば一切行動が取れなくなってしまう。
俺に実害を与えることが目的なら、チャンスはいくらでもあった。警告などという回りくどい形に留めているのには、言うまでもなく確固たる理由があるはずだ。
俺に圧力をかけて、何か北沢さんに利点があるのか。北沢さんが何者かの支持を受けているのなら、その何者かは俺に対して何を期待しているのか。そんなことまで考えさせるあたり、やり口が陰湿なことこの上ない。
少なくともこの留学期間中、俺の思考リソースは永続的に制限され続けることになる。常に北沢さんの動向を意識せざるを得ないとなれば、ゲンナリするのも致し方ないというものだろう。
……まあ。もとより、この留学が総本部からの推薦であるという時点で、嫌な予感はしていたのだが。
もしかすると北沢さんも、余計なことはするなよ、くらいのニュアンスで言ったのかもしれない。俺が関わった面倒ごとのうち、何個かは総本部にまで届く案件になっている(らしい)のだから、お目付役として彼が派遣された可能性は十二分にある。
「…………いやあ…………」
無いだろうな、うん。
そも、第三本部出身の北沢さんが、総本部からの伝言を伝える意味が分からない。それに、総本部と第二本部の力関係を考えれば、あそこまでこそこそと伝える必要も無いはずだ。
『ま、分からないことを考えていても仕方がない。きみは取り敢えず、安全に気をつけて留学生ライフを楽しむことだね。北沢良樹については、こちらでも少し当たってみるよ』
「そりゃ助かる。……ここから留学生ライフを満喫するのは、どう考えても無理そうだがな」
安全に気をつけるどころか、都合三回は命の危機があったんだが。なんとなればこれからのほうが危機は増えそうなのだから、命がいくつあっても足りやしない。
『ま、なんでもモチベーション次第ってことさ。それじゃ、今日の任務頑張って。おつかれさま〜』
からからという笑いを残して、締めの挨拶をする博士。疲れるのは今からだろうに、という言葉を用意した頃には、既に通話は切れた後だった。
「……信頼、ね」
騒がしさの波が過ぎ、部屋に静寂が戻ったあと。改めて頭の中を整理すれば、自ずとその思考が浮かび上がってくる。
異能の力がある以上、常に敵は潜んでいると思わねばならない。わざわざ博士にまで連絡を取ったのも、英国にいる人間がどこまで信頼できるか分からないからだ。
いくら姉と繋がりがあろうと、それは彼ら彼女らを無条件に信頼する理由にはならない。彼らには彼らの思惑があり、時と場合によっては敵対することもあるだろう。
常に最悪を想定したところで、現実はその遥か上を飛び越えていく。クリスマスの一件で、それは身に染みて分かったつもりだ。いざという時の判断が鈍ってしまうくらいなら、最初から信頼などしないほうがいい。
……だが。頭ではそんなことを考えておきながら、無意識のうちに彼女を特別扱いしているのだから手に負えない。
信頼ではなく信用だから良いのだ、と。そんなことを一丁前に嘯いたところで、誰を騙せるわけもない。他の人間は全員敵、などと言いながらこのザマなあたり、ダブルスタンダードもいいところだ。
彼女に対してどんな感情を抱いているかなど、火を見るよりも明らかだ。ただ、それに目を向けたくないから、火よりも強い何かで蓋をしているだけ。その蓋もいずれ、燃え尽きて役に立たなくなってしまうのだろう。
「──はあ」
とにかく。今日1日を乗り切るために、まずは朝メシを食べなければ。
# # #
「3分遅刻。初日からいい度胸だね、弟」
「面目次第もございません……」
ま、こうなるんですけどね。
初日から特大のやらかしをカマし、軍服ロリの前で平謝りする雨宮俊。絵面だけ見たらかなりヤバいというか、そういう倒錯趣味の人間だと思われること確定だ。
……しかし、だ。こちらとしても、言い分のようなものはあるわけで。
「……8時集合、って言ってましたけど。集合場所がどこか、一切話してなかったですよね」
「あァ、そうだったかい? そりゃ申し訳ないことをした。んじゃ、処分は保留にしといてやろう」
当然のように暴論をぶん投げてくる彼女には、およそ反省の色など見られない。いっそ清々しいその在り方を見れば、もはや嘆息する気も起きなくなるというものだ。
8時集合と言われたはいいものの、集合場所など一切伝えられていない。騎士団の宿舎のようなものこそあると聞いていたが、その場所を聞こうにも英語などちんぷんかんぷんだ。
悩みに悩んだ末、朝イチで瞳野さんからアルバートに連絡を入れてもらい、宿舎に案内してもらったのが20分ほど前。すわ遅刻かと思ったぜ、などと安心していたのだが……その慢心は、程なく木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
『団長殿の今日の予定は外征だ。……ああ、お前には伝わっていなかったのか? いつもの事だ、これで怒りなど覚えていたら身が持たんぞ』
朝から詰めていたのか、宿舎にいた男から呆れたようなコメントを拝領し。キレる時間も惜しいとばかりにすっ飛んできてなお、3分遅刻の憂き目に遭ってしまった、というわけだ。
「外征」。そう呼ばれるイベントは、騎士団の中心任務のひとつとなっている。
内容としては単純な星屑の討伐だが、迎撃する場所は門の向こう側、いわゆる表側の世界だ。要するに星皇軍の「遠征」と同じ、こちらから出向いて星屑を討伐するという形式のものだが……騎士団ではその規模を小さくし、代わりに頻度を上げて行っているらしい。
ちなみにこの「外征」、考案したのは他ならぬスカーレットとのことである。“表”の土地の中でめぼしい場所をピックアップし、密かに──場合によっては大胆に──迎撃拠点へと作り変えるその所業は、彼女の人脈と豪胆さ抜きでは不可能だったろう、との話だ。
つまるところ、第二本部における管制塔の任務と同様、ということだ。狩ゲーのフィールドを予め用意しておいて、モンスターが出現したらいざ鎌倉、というわけである。ここまでの話は全部男に聞いたので、解らない点があれば全部奴に聞きに行くように。
「よォし、これにて全員集合だ。本日のピクニックはD区域、割とデカい群れが押し寄せてきてるらしい。新メンバーの説明は……面倒だから、適当に各々で挨拶でもしといてくれ」
30人と少しの人員を前にして、高らかにそう宣言するスカーレット。言うまでもないことだが、当然のように日本語だ。
恐らくは一度説明をしているのだろうが、集まっている騎士団のメンツをガン無視でそんなことをされれば、申し訳なくもなろうというものである。もしかしてリスニングのテストとかやってる? リッスン&リピートとか言われたりしない?
「さて、弟。アンタは私と一緒に来てもらうよ。対人戦の実力は存分に見せてもらったが、星屑相手となりゃまた違う。私としても、アンタの大立ち回りは興味があるからね。何か質問は?」
「山ほどありますけど……」
問題のD区域は10個のエリアに分かれており、そのひとつひとつが戦闘エリアとして恥じないだけの広さを持っている。当然、全員が固まって動けば日が暮れかねないため、エリア毎に3〜4人が分担し、各個撃破していくシステムだ。
星皇軍と同じ、一国の主力部隊というだけあって、騎士団は戦力的に見ても申し分ない。むしろ一箇所に固まっているぶん──星皇軍と違い、星刻者の「本部」と呼べるものはこの国に此処だけである──こちらよりも層が分厚いのではないかと思えるほどだ。
見習いを除いた正式な団員は、1番隊から10番隊のいずれかに編成される。隊ごとに性質・気風の違いはあるが、スカーレットが団長に就任した7年前から、全体的に「ガサツに」なったらしい。
唯一男が隊長を務める一番隊だけは、かなり風紀がピリッとした場所とのことだ。明らかなルーキーがトップを張っているにも関わらず、それだけの風紀を保てているのは、偏に彼が実力者であるがゆえなのだろう。
……うん、きっとそう、たぶんそう。「アレは危なっかしいから、隊全体で面倒見てるんスよ。当人は気づいてないかもしんないスけど」とか昨晩言ってた気がするが、それを加味しても締めるときは締める、ということのハズだ。このへんの話は全部バカから聞いたので、疑問点は全部奴に問い質しにいくように。
……さて。説明はこのへんに留めておくとして、だ。
いい加減、目を背けるのもやめにするべきだろうと。意を決し、腹を括り、眼前の以上に対峙する。
「──とりあえず。なんで居るんですか、彼」
「ん、チビ助から聞いてね。そこの、星皇祭だったかで数字出してるんだろう? だったら、試してやらないほうが失礼ってもんだ」
「暴論すぎる……」
“そこの”とかいうあんまりな呼称とともに、スカーレットに指差される男。その素性を僅かにでも知っていれば、納得よりも驚愕が先行すること請け合いだ。
「失礼だね、私だって意思確認くらいはするさ。現にもう一人の嬢ちゃん──水無坂、だったっけね──には断られたし、それは何も間違っちゃいない。こいつがここに居るのは、当人が来たいって言い出したからだ」
「脅迫じゃないですよね、それ?」
「ナメてんのかい、弟。仕事増やしてやろうか?」
驚いた勢いのままに口にすれば、相応の言葉が返ってくる。至極当然な対応じゃねえかな……いや、ナメた口利いてるのはその通りなんだけども……。
水無坂が断った、というのはそこそこな驚きだが、何も彼女はここに殴り合いをしに来ているわけではない。間違いなくバトル向きの性格ではあるが、だからといってバトル以外のことを選ばない理由にはならないだろう。
だが……うん、その。水無坂が断ったのだとすれば、この男はむしろそれに乗じて断りそうなものなのだが──
「俺が言った。その……俺も、強くならなきゃだから。実戦経験とか、積んでおきたくて」
しかし。
およそこの場にいるはずのない人間が、自ら望んで来たという事実。それを他ならぬ本人の口から聞かせられれば、信じる以外の手段など無くなるというものだ。
巴彼方。何度目を擦ろうと、どうやらその姿は偽物でも何でもないらしい。
「実戦なんてしないほうがマシだぞ。総本部にもトレーニングルームくらいあるだろ、あそこに篭って訓練してたほうがよっぽどタメになる」
「訓練だけじゃ、身につかないものだってある。それに……万一の時に動けるのは、きっと場数踏んでる人間のほうだ。アンタだって、そうなんだろ」
「否定はしない。でもな──」
「いい。……俺が、やりたいって言ったんだから」
返ってくる言葉の強さは、とても彼から発せられたものとは思えない。喧嘩腰ではなくとも、この一件に関しては絶対に譲らないという思いが滲み出している。
留学生として選ばれるには、大前提として立候補していなければならない。さりとて、この男が自ら留学したいと望むなど、それこそ天地がひっくり返ることでもなければあり得ないと思っていたのだが……どうやら、認識を改める必要があるらしい。
確かな芯が通った言葉は、抜き身のナイフのような鋭さを伴っている。それがいつ見たものであるのかなど、わざわざ考えるまでもない。
そこにあるのは、やらなければならないという焦燥。在りし日の水無坂と全く同じものが、今の巴からは滲み出していた。
覚悟というにはあまりにも危ういそれに、思うところがないはずもない。さりとて、どれだけ言葉を尽くそうと仕方がないのは、以前の一件で身に染みて分かっている。
そもそも、会って一日の人間に説教されたところで、覚えるのは困惑と怒りだけだ。これが樋笠であれば話も違っただろうが、俺では力不足もいいところである。
「そこ、いつまで待たせるつもりだい? 時間は有限なんだからね、ったく──いつまでもグズグズ言ってるなら、まとめて特攻隊長になってもらうよ」
白い目を向けてくるスカーレットに、言葉には出さずとも不満を訴える団員たち。至極もっともな怒りに、口を閉ざしてすごすごと引き下がる。
騎士団においても、俺たちとほぼ同年代の男が隊長を張っているのだから、咎め立てる理由などないのだろう。いかに危険なこととはいえ、当人が自分の意思で決めたことなのだから、決断には責任を持てということなのかもしれない。
……だいたい、日頃の自分の行動を差し置いて巴を止めるなど、都合がいいどころの話ではない。クリスマスあたりの姉に聞かせれば、正座のひとつでもさせられること請け合いだ。
『さあ、出陣だ。適当に終わらせて、昼には日本食と洒落込もうじゃないか──!』
何事か出立の合図を告げるスカーレットに、呼応して鬨の声をあげる団員たち。想像以上の熱量に気圧された時にはもう、この身は門の向こうに蹴り飛ばされていた。
「っ──おわ──」
ぐるり、と。胃の中がひっくり返るような、世界が上下逆さまになるような、形容しがたい感覚が走り抜ける。
何度経験しても慣れることのない、二つの世界を行き来する感覚。その衝撃からようやく立ち直り、ここはどこだと周囲を見回して──
「……広っ」
そして。いの一番に、そんな感想が漏れていた。
もちろん、広いとは聞いていた。管制塔の迎撃ポイントですらあの広さなのだから、それよりも大規模となれば必然、こうなるのは自明の理だ。
だが。これはそもそも、広い狭いなどという次元ではなく。
「豪勢だろう? ま、今は人っ子一人いない放棄地なんだがね。“よくないもの”が出るってんで調べてみたら、案の定、星屑がわらわら押し寄せてくるポイントだったわけだ。丁度いいってんで政府と話をつけて、ここいら一帯を我々の狩場にさせてもらってる。ま、要は怪獣退治のボランティアってことさ」
その光景を前に、ぽかんと口を開ける俺。今まさに門から出てきたスカーレットが、俺の間抜け面にくつくつと喉を鳴らす。
──眼前にあるのは、疑いようもない工業地区そのもの。無数の鉄塔が、煙突が、鉄骨が、ジオラマもさながらに視界を埋め尽くしていた。
仮に同じ広さの住宅街を想定すれば、一区画はすっぽり収まってしまうだろう。かくれんぼなどやろうものなら、1日かかって一人も見つけられないこと請け合いだ。
「……このレベルのが、他にもまだあるってことですか」
「ああ、もちろん。もっとも、全部が全部工業地区じゃないがね。誰でも一度は、街中で剣をブン回したいと思うモンだろう? 星皇軍じゃ結界で再現してるらしいが、命の取り合いはリアルなのが一番だ」
彼女が言葉を継いでいく間にも、門からは続々と団員たちが飛び出してくる。そのまま迷いなく駆けていくあたり、自分の「持ち場」がどこかというのは彼らには常識レベルらしい。
靄がかった工業地区にあってもなお、騎士団の真っ白な制服はよく目立つ。確かにこれならば、乱戦になっても敵味方の識別は容易だろう。
「さて、ジャリども。あんたたちはこっちだ──さっきも言ったが、今回の群れはかなりの大規模だ。二桁単位の星屑がわらわら湧いてるって話だからね。その実力、じっくり拝ませてもらおうじゃないか」
俺たちを先導するのは、純白の制服とは対をなす改造制服。軽やかな、それこそピクニックにでも来たかのような足取りで、スカーレットは歩を進めていく。
俺と巴はどうやら、二人揃ってスカーレットの管理下に置かれるらしい。もちろん彼女が実力者であることは疑いようもないが、それもここまで少人数、それも三分の二が非正規雇用ともなれば、不安になるのもやむなしだ。
実年齢不詳のゴスロリ少女と、これまた性別不詳の美少年。そんな二人に挟まれ、無言で鉄塔の森の中を歩いていく。入り組んだ構造をしているだけあって、各所に散っていった団員たちはもう見えなくなっていた。
耳に突き刺さるのは、他のすべてが死に絶えたような静寂。何かが起こる前特有のぞわぞわとした感覚が、遠慮なしに胸の内を荒らし回り──
「ほれ、お出ましだ」
「……っ!」
門を曲がった、その直後。都合10匹近くの星屑と、鉢合わせるようにエンカウントする。
四足歩行と二足歩行、いずれのフォルムも小型の恐竜に近しい。真ん中の一頭、恐らくはボス格のそいつに至っては、5メートル大の肉食恐竜そのままだ。
「縺ー縺代b縺ョ縺後¥繧」
「っ──!」
入り組んだ迷路の一角、遊園地と紛う程に交錯する鉄骨の中。障害物を巧みに避けて襲いくる恐竜に対し、やむなく桜雲を引き抜いて受け止める。
1メートルあるかないかの小型恐竜は、俊敏な動きで間合いを詰めてくる。迎撃しようにも、こうも障害物があっては応戦することなど不可能だろう。
「……ああ、もう!」
恐竜の群れを引き寄せるようにして、一目散に隘路を駆ける。目指すは眼前の空間、山積みのコンテナがそのまま放棄されたスペースだ。
「縺ォ縺偵m縺ォ縺偵m」
「……っ!」
躍り出た瞬間に襲いくる鋭利な爪。それを紙一重で躱し、文字通りの返す刀で斬りつける。
多少手狭だが、この場所であれば戦いにはなる。群れに囲まれる可能性もあるが、そこはそれ、俺も味方に頼らせてもらうのが筋というものだ。
「────ぁ」
……いや、訂正しよう。
味方をアテにするなどと、戦場でそんな楽観は通じない。どうやらその認識を、改めて持っておく必要があるらしい。
届いたそれは、声にすらなっていない声。恐怖に押しつぶされたその肺から、どこまでもか細い音が溢れ出す。
余裕綽々でこちらを見るスカーレットは、放っておいたところでどうにでもなる。それが手を出さないという意思表示であることは、口元の笑みを見るまでもなく明らかだ。
だが。もう一人の同行者は、どうやらそうも言っていられないようで。
「…………」
それはさながら、地面に落とされた雛鳥のように。星屑を前にして、巴はただ体を震わせているだけだった。
闘うか否かの話ではない。人外の星屑を前にして、心が恐怖で完全に折れている。一目見ただけでそう確信できるほどに、その矮躯からは力が抜けきっていて。
「くそ──!」
間に合わない。それは予想でもなんでもない、ただの純然たる「事実」だ。
四足歩行の一匹が、巴の身体を飲み込まんと迫る。人ひとりを丸呑みにできるほどの異常な口が、彼の眼前でがばりと開かれて──
「──あーあ。ま、そういうヤツだよな、お前はよ」
そして。
次の瞬間にはもう、全てが終わっている。
飲み込まれるはずだった彼は、確かにそこに居るというのに。恐怖に飲み込まれていた巴彼方は、もはやどこにも存在しない。
声を聞き届ける耳も、眼前の状況を把握する眼も。入ってくる情報すべてが、眼前のそれを巴彼方だと結論づける。だというのに納得できないのは、頭がそれを理解することを拒否しているからだ。
……ああ、なるほど。ここまで雰囲気が変わるのなら、気づかないのもやむなしだ。
姿は同じでも、身に纏う空気はまるで別物。酷く男性的なその笑みは、今までの彼とは似ても似つかない。
「フン、まあいい。……お望み通り、オレが全部殺してやるよ」
たった一瞬。星屑をバラバラに解体した巴は、既に別の獲物へと狙いを定めていた。
顔だけの男、巴彼方。コンセプトは「主人公」です。
次回は来週日曜、夕方か夜に更新予定です。ここ最近人間とのバトルしかしていませんでしたが、久々にVS星屑をやろうと思います。乞うご期待。
感想・評価等、いただけると励みになります。よろしくお願いいたします。