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その道の先に  作者: たけのこ派
第五部/英国編
121/126

5-11/あなたのおうちはどこですか

許されよ……許されよ……隔週投稿の遅さを許されよ……

「ほら、いつまでやってんだ。次は串刺しにするよ?」


 ぱん、と掌を打ち鳴らす音。響き渡る快音は、周囲を囲む城壁に吸い込まれて消える。

 19時を過ぎても未だに陽の光が残っているのは、さすが英国と言うべきなのか。その割には随分と肌寒いが、それもまた異国情緒というものなのだろう。

 ……が。今興味を向けるべきは、間違ってもそこではなく。


「び──っくりした……」


 さも当然のような顔(?)をして、俺と(アーサー)の間に(そび)え立つ大木。ウン十年前からそこにありましたと、そう言わんばかりに根を下ろすそれは、言うまでもなく1秒前まで存在すらしていなかったものだ。

 恐る恐る触れてみるものの、肌触りは疑いようもなく大木のそれだ。そのへんの街路樹から一本拝借しましたと、そう言われても何の疑いもなく信じられるほどに、それは一本の樹として完成されきっている。

 そんなものが爆弾もかくやの勢いでニョキニョキと伸びてきたら、戦意をごっそり持っていかれるのも仕方がない。現にやる気らしいやる気が全部持っていかれたというか、さっきまで殴り合いしてたのが嘘みたいというか……よく見たら足元にも花とか咲いてるし、なんかいい匂いもするし、ガチバトルとかどうでも良くなってきた気がする。何で俺こんなことやってたんだっけ? 義務感?

 あれだけ死闘を演じていたはずの(アーサー)も、いつの間にやら矛を収めている。お互いにすっかり毒気を抜かれているのだから、キツネにつままれた(幻術にかかった)ような顔になるのもやむなしだ。

 しかし、だ。そうなると──つまり、仮にこれが、幻術や幻覚の類でないとするならば──大木(これ)の出所は、もうそれ以外にはなくなるわけで。


「その程度で驚いてちゃ、命が幾らあっても足りないよ、弟。火だの水だのを操る能力があるんだから、木を生やす能力者が居たって別に不思議じゃあないだろう?」


「……やっぱり能力なんですか、これ」


「応ともさ。一生に一度お目にかかれるか否かのレアものだ、しっかり目に焼き付けとくといい。ま、それはそれとして、だ」


 傍目には少女にしか見えない団長殿(スカーレット)が、やけにジジくさい動きでガハハと笑う。何から何までアンバランスなその有りようは、何周かしてこれが正しいのではないかと思ってしまうほどだ。

 だが。直後に告げられた言葉は、それらすべてが些事(さじ)だと思えてしまうほどのもので。


「──合格だよ、弟。あんたはこれで、晴れてウチの騎士団の一員だ。これから二週間、みっちり働いてもらうからね」


「……な」


 何言ってんだアンタ、と。その言葉が形にならなかったのは、なにも立場に配慮したわけではなく。

 俺よりに先に、それこそ神速の速さで口を開いた奴が、文字通りの目の前にいたからだ。


「待ってください、団長殿。それは──」


「負けた奴がウジウジ言うんじゃないよ、みっともない。それとも、あれは本気じゃなかった、なんて言い逃れをするつもりかい?」


「言い逃れをするつもりはありません。ですが、それでは話と違います。あくまでこの一戦を以て制裁とする、そういう話だったはずだ」


「あァ、もちろん私もそのつもりだったさ。だが、気が変わった──ここまでの実力があるんだったら、有効活用してもバチは当たるまいよ。滅私(メッシ)奉公(ホウコウ)とでも言うのかね、有り体に言えばそういうやつだ」


 食ってかかる(アーサー)に対し、あくまで彼女は余裕を崩さないまま。

 俺が立ち入る隙が一切ないまま、ただ話だけが前へ前へと進んでいく。わざわざ日本語で意見をぶつけ合うのは、それを俺に聞かせるという意図があってのものか。


「彼は仮にも、日本からの客人だ。もしその身に何かあれば、しかもそれが我々の独断によるものだとすれば、大きな問題が生じるのは明白です」


「問題が起こるような実力じゃあないことは、手合わせしたアンタが一番よく分かってるだろう? こういう存在(ヤツ)はね、平場に置いといても腐るだけなんだ。檻の中で生殺しにするくらいなら、鉄火場に突っ込んでやったほうがよっぽど本人のためになる。それに──」


 そこでこちらに視線を向け、悪い笑みを浮かべる団長殿。悪戯(いたずら)っ子のようなその笑みは、しかしこの場にあってはあまりに恐ろしい。


「姫様に剣を向けた“愚か者”が、手合わせ一回で許してもらえるなんて話、我ながら虫が良すぎると思ってたトコだ。償いのために肉体労働に従事するってのは、万国共通の認識だろう? これなら各方面にも面子が立つってもんだ。()()()()()()も、きっと許してくださることだろうよ」


「……異存はありません。というか、却下させてもらえないんでしょう? 知ってるわ、この手のやり口にももう慣れたもの」


「いえいえ、まさか。姫様がお望みとあらば、違うやり方にさせていただきますが──ただ、まあ。おてんば姫様にも、多少のお灸は必要でしょう。軽はずみな行動から話がこじれることもあるのだと、これで多少は理解できたのではないですか、姫?」


 釘を刺すようなスカーレットの声に対し、姫様は肩をすくめてため息ひとつ。なんらかの“取引”がそこにあったらしいことは(おぼろ)げながらに察せられるものの、それが何かは生憎(あいにく)さっぱりだ。

 理解できるのはふたつ。いつの間にやら、俺の処遇はより悪い方に決定していたということと──このあまりに急な決定に、ともすると俺よりも納得していない人間がいるという事実のみ。


「……やはり、認められません。彼を騎士団に入れて、どうするおつもりですか。それに、たった二週間で何ができるわけでもないでしょう」


「言っただろう、労役ってヤツさ。同じ話を繰り返す気はないよ。それからお前は、もう少し上手い建前を用意しておくべきだね──少なくともこの男は、自分に力があることを証明した。(アオイ)嬢の身を真に案じるのなら、この弟を守られるだけの人間にしちゃあいけない。私はそう考えただけだ」


「ですが……!」


「はいはい、愚痴は後で聞いてやるよ。惚れた腫れたの話をこんな場所で持ち出すなんて、騎士サマらしくもないことをするんじゃない。とっとと告白でもして来るんだね、マセガキ」


 至極当然なはずの(アーサー)の主張は、しかしさらりと流されてしまう。憤懣(ふんまん)やるかたなし、というその表情も、今に限ってはこの上なく同意できる。


 ……で、だ。


 いや、色々あったのは見るからによく分かるんだけどもね? ただ、それはそれとして──


「ってわけだ。大体話は分かっただろう?」


「いや全然まったく」


 こちらに向き直り、さも既定路線のようにそう口にするスカーレット。

 勝手に納得するのは良いが、俺含めて全員が理解している前提で話を進めるのはいただけない。騙されんからな、空気に流されてやるものか。

 

「要するに、ケジメとしての話よ。模擬戦一本で手打ちにするのは、(わたし)が許しても他の人が許さない──具体的には、親愛なる私の兄上たちがね。だったら英国(こっち)にいる間は、継続した“罰”を与えるのが筋ってものでしょう?」


「……それがなんで騎士団云々の話になるんだ。騎士団が何をやる場所なのか知らんが、ズブの素人が入り込んで良い場所じゃないだろ。何も知らない高校生が一人入り込んで、組織運営がめちゃめちゃになったら目も当てられない」


「クソガキ一人にしっちゃかめっちゃかにされるほど、騎士団(ウチ)はヤワな組織じゃあないよ。ルールだのなんだのは1日で叩き込んでやるから、アンタは安心して見習い騎士の真似事をしてりゃいい。ほら、アンタの国にもあるだろう? 丁稚(デッチ)だったか、とにかくそういう感じのやつが。『おしん』はブルーレイまで持ってるからね、そのへんのことは大体わかる」


 姫様が出してくれた助け舟に乗っかれば、スカーレットから補足説明が飛んでくる。最後の情報いる? まあ要るか要らないかで言えば要るか……名作だしな……。


「現にそこのマセガキも、ついこの間まで見習いだったわけだからね。小間使いにでも選ばれたと思って、観念して二週間気張ることだ」


「……2年前です。ついこの間、というわけでは」


 不服そうに申し立てる(アーサー)の言葉は、しかし誰に聞き届けられるわけでもなく虚空に消えていく。見るに耐えない物悲しさだが、さりとてそれに構ってやれるほどの元気が今の俺にあるわけもない。

 つまり、だ。いよいよ話がとっ散らかってきたわけであるが──総評すると。


「扱いが留学生から騎士見習いになる……ってことで良いんですか。禁固刑は勘弁してやるから、その代わりに二週間働けと」


「よく分かってるじゃないか。ま、騎士団(ウチ)でケジメをつけさせるとなれば、他の方々も表立って口出しはしてこないだろうからね。めんどくさい派閥政治やらなんやらを波風立てずに乗り切る上でも、これが一番当たり障りのないやり方なのさ」


 いまいち理解が追いついていないままに口を開けば、小さな団長殿は満面の笑みを返してくる。

 見てくれは無邪気そのものの笑みだというのに、邪気しか感じられないのは何故なのだろうか……。女版坂本さんと会う前に評した気がするが、その評価もまだ過少なきらいがあるほどだ。一切抵抗ができないままに処遇を決定されれば、宇宙猫(スペースキャット)のごとき顔になってしまうのも仕方がない。


「よし、これでこの案件は解決だ。初仕事は明日の朝8時、ってとこかねえ──あァ、部屋は今のをそのまま使って良いよ。体裁上は“客人”だ、おろそかにするわけにもいかないだろうからね。さ、今日のところはこれで解散だ。ほれ帰った帰った」


 もちろん。事態の進行が俺に忖度してくれるかと問われれば、当然そんなことはなく。

 鶴の一声によって、この妙な会合の解散が告げられる。猫のように伸びをする姫様も、相変わらず渋い顔をする(アーサー)も、そこに一切の疑問を抱くことはない。


 ……え? マジでこれで終わり?


「ええ……」


 気の抜けた感想が、誰に聞かせるでもなく口から漏れる。言葉の(テイ)すら成していないあたり、もはや感想というか鳴き声だ。

 なんかよくわからんままに始まって、気づけば終わっていたんだが。どうすれば良いんだこれ……集まってた面子も三三五五に解散し始めたし、俺だけ行き場がない人みたいになっているではないか。ちょっとアーサーくん? 行きみたいに部屋まで案内してくれないの? 帰り道分かんないんですけど?


「──何をしているんですか、貴方」


「途方に暮れてるんだよ。見りゃわかるだろ」


「会話の文脈を読む力もないのですか? そんなことを聞いているはずがないでしょう。もう少し頭を使って会話してください」


「これのどこに文脈があるんだよ……」


 文脈どころか、乱丁落丁極まれりだと思うんだが。こんなんで会話って言えるんですか……? 年頃の女子(おなご)との会話とか、もっと和気(わき)藹々(あいあい)としてるもんだと思うんですけど。返品対応とかない? ないかー。


 ……まあ。その口調に安心感を覚えたことも、紛れも無い事実ではあるのだが。


 異国の地で異人に囲まれ、よくわからない組織で労役をする羽目になって。何ひとつとして慣れ親しんだものがない中で、唯一よく知っている人間が声をかけてきたのだ。多少のテンションの上下くらいは大目に見てほしいものである。

 胡乱な目を向ける水無坂(コレ)を前にしてさえ、郷愁じみたものを感じてしまう。たった数日会わないだけでこうなるあたり、俺も人のことは言えない性質(タチ)らしい。


「到着早々に問題を起こすとは、相変わらず良いご身分ですね。旅行気分で鼻の下を伸ばしていたのではないですか?」


「旅行気分なあ……」


 そんなテンションだったらどれだけ良かったか。何も考えず、あのお姫様に見惚(みと)れることができるような境遇なら、話はもう少し簡単だったはずなのである。いや本当に。

 女難の相、などという言葉を軽々しく使いたくはないものだが、それもここまで重なると話が違ってくる。駄姉(アレ)に、水無坂(コレ)に、姫様(ソレ)にと、だんだんグレードアップしているような気さえするのだから不思議なものだ。


「情けのない顔ですね。どうせ失礼なことを考えているのでしょう?」


「元からこんな顔だ。綺麗な顔じゃなくて悪かったな」


「性格の歪みは顔に出る、と言いますから。これを機に論語でも読んでみては如何ですか? 多少はマシになるでしょう」


「孔子ごときに俺の性格が変えられると思うなよ。俺は新人類のアダムみたいなもんだからな、今までの人間とは“格”が違う」


「…………うわあ…………」


 おい、だからその反応やめろ。わざわざ乗ってやってんだろうが。

 こいつは十中八九忘れているだろうが、もとよりこちらは寝起きの身なのである。感覚的にはほぼ昨日と地続きというか、なんとなれば疲れなどほとんど取れていない。そんなコンディションでガチバトルをやっていたのだから、もっと褒められて然るべきだろう。

 というか、だ。浮かれるなだの何だのと、散々に釘を刺されているわけだが。


「というかお前、なんでこんな場所にいるんだ。お前も物見(ものみ)遊山(ゆさん)で観戦しに来たんじゃないのか?」


「そんな訳がないでしょう。私は、ただ──」


「ああ、それについては自分から説明を。……良いです、よね?」


 思いつきで口にした言葉に対して、随分な食い付きがあったのと同時。遠慮がちに会話に入ってきたのは、誰であろう北沢さんだ。

 口調からしてきちんとした話であろうことが推察されるだけに、肩身が狭そうなのがまた随分と居た堪れない。ちょっと女子ー、北沢くんが萎縮(いしゅく)しちゃってんじゃーん。ごめんなさいウチの水無坂(もん)が……しっかり言い聞かせておきますので……。


「ようやく合流したことですし、雨宮さんと我々留学生で顔合わせをしておこう、という話になりまして。この“処分”もさほど時間がかからない、という話でしたから、19時過ぎには集合できるように話を合わせておいたのですが……水無坂さんもこちらに来たい、とおっしゃったので、このように。立ち会いは私ひとりでも良かったのですが……」


「や、そこは女ゴコロってヤツっスよ、北沢(キタザワ)さん。友人(カレ)が大変なことに巻き込まれてるってなったら、気になっちゃうのが乙女の心情じゃないっスか。そのへん汲まなきゃ、いい(オトコ)にはなれないっスよ?」


 茶化すように入ってきたアルバートの口ぶりは、間違いなく確信犯のそれだ。ちょっと男子ー、水無坂がとんでもない顔してるんですけどー? ごめんなさい他所のバカが……しっかり言い聞かせてもらいますんで……。


「あー、要するに歓迎会ってことか? 場を設けてもらったのなら、ありがたく参加させてもらうんだが……」


「ええ、私の部屋でやる手筈になっています。夕食は軽いものでしたので、何かつまみながら親睦を深めよう、と思ったのですが……如何でしょう?」


 般若と愉快犯に挟まれた北沢さんに対し、一瞬のアイコンタクトで意思疎通を図る。うんうん、分かりますよその気持ち。周りにやべーやつしか居ない中、正気を保っているだけでも立派なものだと思う。どうか胸を張ってほしい。


「ま、気楽にいけばいいんじゃないっスか? 留学生同士でギスっても楽しくないし、当人同士で盛り上がれるのは良いことでしょ。後で適当に、厨房から適当に摘むものでも差し入れるんで。5番の客室っスよね?」


 謎の顔の広さをアピールするバk……アルバートと、その横で疲れたように頷く北沢さん。しんどそうだなこの人……なんだかんだで話はまとまったし、これでいいと考えるべきなのか。


 兎にも角にも、だ。どうやら、これで本当にこの場はお開きとなるようで。

 

 ようやく暮れてきた日を浴びながら、目的地へと足を向ける。北沢さんの部屋がどこかは知らないが、後ろを付いていけばいいだけなのだから、これほど楽な話もない。

 言葉通りに差し入れを調達する気なのか、アルバートはさっさと立ち去ってしまっていた。勝手知ったる庭ということを差し引いても、イギリス組の行動にはあまりに遠慮がないというか……姫様も団長殿も(アーサー)も、全員城の中に帰って行っちゃったんですけど。客人に対して適当すぎない? もしかして隠れんぼとかしてる?


「行きますよ。いつまで突っ立っているつもりですか」


「……いや。随分と似合ってる髪型だと思ってな」


「見え透いたお世辞ですね。3点」


 くるりと後ろを向いた水無坂のミディアムヘアは、丁寧な編み込みでまとめられている。これでカクテルドレスでも着ていようものなら、もう完全に社交界の花形だ。

 正面の視点ばかりだったせいで意識していなかったが、ここまで綺麗な形になるものか。一年生の頃にやたらと髪型を工夫していたし、その頃の経験が活きているのやもしれない。

 ……たまには純粋に褒めてみるのもいいかと思ったんだがな……。態度が軟化するどころか、虎の尾を踏んづけたような空気になってしまった。ひい、怖いよお……食べないでくださーい……。


「ちなみに何点満点だ、それ」


「聞かなければ分かりませんか?」


「……いやいい、やめとく。ロクなことにならん」


 制服に包まれた背中も、その足取りも、もうすっかり見慣れたものだ。あって(しか)るべきはずの遠慮など、とっくの前に捨ててしまっている。

 暮れていく日が、彼女の耳までも真っ赤に染め上げる中。心なしか浮かれた足取りに先導され、目的地までの道を急ぐ。


# # #


『ここまででいいわ。城の中で送迎付きなんて、馬鹿げてるにもほどがあるでしょう』


 唐突に。

 そんなことを口にする姫に、意表を突かれて立ち止まる。いつの間にか自分を追い抜いていた彼女は、そのままくるりと反転してこちらに視線を向けた。

 城の最上部であるここは、廊下といえど豪奢に飾り立てられている。王家の血を持つもののみが住まうことを許される空間であることは、一瞥(いちべつ)しただけでもこれ以上ないほどに明白だ。


『ですが──』


『私が良いと言ってるのよ、アーサー。それとも、自分の身ひとつ守れない軟弱者だ、なんて言うつもり?』


 どのような美術品よりも整った双眸(そうぼう)に宿るのは、この上なく強い意志の光だ。

 知っている。この手の意思表示を示したが最後、姫はテコでも動かない。

 これまでも、そして恐らくはこれからも、その性質が変わることなどない。そう断言できるだけの時間を、自分は既に彼女と過ごしている。

 今回も、きっと自分の意見は受け入れてもらえないのだろうと。半ば以上諦めつつも、しかし公務から目を背けるわけにはいくまいと口を開く。


『まさか、そんなことは。……ですが、例の侵入者の件もあります。仮に不測の事態が起こったとき、それが騎士団(われわれ)に対処できた事態となれば、悔やんでも悔やみきれません』


『なによ、風呂に入ってる間まで警備するってわけでもないんでしょうに。どのみち無防備なところを襲いにくる人間の(ウデ)なんて、たかが知れてるわ』


『根拠のない憶測は危険です。仮にあの雨宮(アメミヤ)(シュン)が侵入者だったら、無事では済まなかったでしょう。……私でさえ、あれが本気になっていたら、止めきれるかどうかは怪しいのですから』


 “侵入者”。そう呼称されている存在は、雨宮俊とはまったく別件だ。


 遡ること数日前。この城の奥深く、ほとんどの人が存在すらも知らないような領域から、ひとつの警報が鳴り響いた。


 点検を含めても数年ぶりに動いたと思しき、骨董品じみた警報システム。それが意味するのは、その場所に不正な侵入を試みた何者かがいる、ということと──その何者かは尻尾も掴ませないまま、煙のごとく何処かへ消えた、という事実のみ。

 何も盗まず、何も荒らさず、ゆえにその目的すらも不明瞭。そんな意味の分からない侵入者がいると聞かされれば、城全体がピリつくのもやむなしというものだろう。

 いたずらにこちらが混乱していると分かれば、侵入者の思う壺になる。そもそも不和と不信を撒き散らすこと、それ自体が侵入者の狙いかもしれないのだ。

 あえて留学生を招いたのも、こちらの体制に不備はないことを示すため。もちろん尻尾を出した瞬間に捕まえられるよう、全員が気を張っていたのだが……まさか、そんな時分にほいほいと迷い出てきたのが、(くだん)の留学生だとは誰が思おうか。

 よりにもよってファーストコンタクトが姫だったことには同情──言うまでもなく、この思考は失礼極まりない──するが、それで雨宮俊(あのおとこ)の罪が帳消しになるわけもない。そも、いかな理由であろうと剣を抜いた時点で、千度断罪してもなお有り余る。

 ……そう。当面の課題は、あの雨宮俊という男の存在だ。


『へえ……珍しいじゃない、あなたがそんなこと言うなんて。さっきあれだけ反対していた人間の発言とは思えないわね──実力を認めているのなら、素直にそう言えばよかったのに』


『それとこれとは別の問題です。……あの男と手合わせされた姫様であれば、私の言わんとすることはお分かりでしょう』


 晴れない心の中の(モヤ)を的確に見抜かれ、苦り切った口調で言葉を返す。

 雨宮俊という人間に、どれほどのバックボーンがあるのかは定かでない。何やら特別枠として留学生に選出された以上、並並ならぬ経歴はあるのだろうが……それも、所詮は留学生としての枠に当てはめた場合にすぎない。いかな実績、実力があるとはいえ、それは学生として評価される範疇(はんちゅう)に留まっているはずだ。


 そう、思っていた。いや、そうでなければならないのだ。


『あの男の実力そのものは、さしたる脅威ではありません。確かに個人としては突出していますが、それもあくまで学生という枠内での話。使い手としてあれを上回るものも、労せず見つけられることでしょう。ですが』


 「天才」。そう称される人間であれば、自分にも幾らかの覚えがある。

 そもそも目の前にいる彼女──アイリス・ホワイトも、分類としては紛れもなく選ばれた者だ。十二宮(ゾディアック)の一端を宿すその身が、神の恩寵(おんちょう)を受けていないはずがない。

 だが。あの雨宮俊という存在は、()()()()()とは絶対的に異なっている。


『あれは“異質”です。仮に試合ではなく殺し合いだったのなら、最低でも相打ちに持ち込まれていた。確かに()()ではありましたが、しかし間違っても()()ではなかったと断言できる』


 手合わせした瞬間に理解した。いや、本能的に理解させられた。

 それはきっと、本人すら無自覚なものなのだろう。少なくとも現段階では、“それ”に気づいている人間はそう多くない──一定のレベルに達している人間が向かい合って、刃を交えて、それでようやく見えるか否か。日常の中で“それ”に(さら)される機会など、まずもって存在しないはずだ。

 まず間違いなく、団長殿はそれに気づいている。だからこそ騎士団に引き入れ、少しでも近い場所で動向を見張ろうとしているのだ。何か異常事態があれば、すぐにでも対処できるように。


 ──だが、あってはならない。仮にその「何か」が表に出てこれば、我々など(ゴミ)のように吹き飛ばされる。


 “それ”は確実に、雨宮俊の中に在る。人間の(うち)に収まっていいはずのないものが、どのような因果かそこに居る。その状態がどれほどの奇跡なのか、わざわざ明言するまでもない。


 ……しかも。しかも、だ。


『葵さんは、あの男の特異性に気づいているはずです。それを、弟などと──』


『アーサー』


 ぴしゃり、と。

 喉奥から溢れ出してきた言葉は、しかし半ばでその動きを止められる。

 そこにあるのは、天性の支配者としての眼差(まなざ)し。誰に教えられるまでもなく彼女が持ち得ている、君臨する存在としての威厳そのものだ。


『……申し訳ありません。失言でした』


『謝罪をする相手は私ではないでしょう。そもそも、あの葵さんが考えなしで行動するような人種でないことは、私たちが一番よく知っているはずよ。それを承知で言っているのなら、いよいよスカーレットに賛同せざるを得なくなるわね』


 頭が色恋でいっぱいなら、今すぐに愛の告白をしてきた方が良いんじゃないかしら、と。さんざ芝居掛かった態度でこちらを(もてあそ)ぶ姫様に、何も言い返すことができなくなる。もっとも今回は、(ハナ)から口答えできる立場にはないのだが。


『彼女は確かに、雨宮俊のことを弟と言ったわ。私はそれを信頼します。あなたがどうするかは、あなた自身が考えることね』


 軽やかにそう言い残して、靴音が遠ざかっていく。自信に溢れたその足取りに、虚飾や糊塗(こと)の意思は一片たりとも見当たらない。

 姫の姿が消え、広い廊下にひとり取り残される。周囲を通るものは誰もおらず、それゆえ耳に突き刺さるのは痛いほどの静寂だけだ。


『…………ッ』


 雨宮葵と、今はそう名乗っているのであろう彼女。その存在も、交わした言葉の一言一句も、すべては色()せることなく残っている。ほんの数日の出来事でも、それは何よりも輝く思い出になっているのだから。


 “弟”ができたのだと。あの時の彼女は、笑みを(こぼ)しながら口にしていた。


 もちろん、それが彼と同じである保証はない。二人目の、あるいは三人目の、自分が知らない弟がいる可能性は十二分にある。

 だが──昨日の口ぶりから察するに。そんな“弟”が何人もいるなどと、そんなことは土台考えられないはずだ。


「──“トオル”。サカキ、トオル──」


 彼女が口にした、“弟”の名前。それが何を意味するのか、今の自分には到底理解できなかった。

・実年齢不詳の軍服ロリっ子破天荒おばさん(『おしん』ブルーレイセット購入済み)

・色恋堅物騎士

・自由奔放モナリザもどき

・ハイテンションスピード狂ストリートボーイ

・胃痛ヘルパー北沢さん

まだまだ増えます英国編、乞うご期待。やることが……やることが多い……!

次回は来週、日曜の夜に投稿します。サカキさんって誰ですか? そんな人本編にいました?

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