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その道の先に  作者: たけのこ派
第五部/英国編
118/126

5-8/天剣、すべてを断つ

本編内で二重括弧(『』)のセリフは「英語で喋っている言葉」となっています。みんながみんな日本語を喋ってくれるわけじゃないからね、仕方ないね。言うまでもないことですが、雨宮俊には聞き取れていません。

 その手に握られているのは、身の丈ほどもある無骨な大剣。美しさのかけらもないそれは、男でも振り回すのに苦労しそうなほどの逸品(いっぴん)だ。

 そんな“鉄塊”を。正面に立つ彼女は、あろうことか軽々と振るい抜く。


「うお──」


 空気が(うな)る。明らかにこちらの頭をカチ割ることを意図した一撃が、空間そのものを大きく揺らす。

 即座に後退していなければ、間違いなく真っ二つにされていただろう。情け容赦の一切ない攻撃は、何周かしていっそ清々しいとすら思えるほどだ。


『あなたが例の侵入者ね! そっちから来てくれるなんて、ずいぶんと()()()()()じゃない!』


「のー、あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ!」


 勇ましく吠える彼女の言葉も、一切理解できないのだから手の打ちようがない。回避の片手間にカタカナ英語を絶叫するものの、それも伝わっているかは怪しいところだ。

 振り抜かれたはずの大剣は、既に次の一撃を放つ体制に入っている。速度も速さも鋭さも、とてもこの見た目から出力されたものとは思えない。

 城の中の一角で、人知れず花を愛でる姫君。そんなイメージを抱かせてからの“これ”なのだから、まったくもって初見殺しという他ない。虫ひとつ殺せないような仕草をしておきながら、その表情は紛うことなき戦士のそれだ。


「っ……!」


『大人しくお縄につきなさい! 今なら腕一本で許してあげるわ!』


 擦過さっかする剛剣を紙一重で躱した瞬間、足元のわずかな段差に引っかかってつんのめる。間一髪で踏みとどまったものの、ここで転倒すればたちまちのうち肉塊に早変わりだ。

 相手はリーチに優れた大剣、しかもホームグラウンドと来ている。何が何やら分からない俺に比べれば、地の利を活かせることは言うまでもない。

 それなりに広い空間とはいえ、所詮は小さな中庭だ。縦横無尽に動き回るには、あまりに自由度が不足している。あと少しでも後退すれば、文字通り袋の鼠になること請け合いだろう。

 となれば。今ここで俺がとるべき手段は、たったひとつだ。


「──あの。話し合いましょう。くーるだうん、ぷりーず」


 右手を前に突き出し、全身全霊で静止を呼びかける。もちろん左手を上に挙げ、降参の意思表示をしておくことも忘れない。

 もとよりバッドコンディション極まりない今の状況で、この上殴り合いをするなど狂気の沙汰だ。まずはこちらに戦意がないことを示して、それから話ができる人間を呼んできてもらうのが筋というものだろう。

 加えて言えば、だ。その美貌といい佇まいといい、それなりの身分にある人物であることは疑いようもない。そんな人間といざこざを起こせば、それこそ大問題も大問題だ。

 わざわざ襲撃者云々の話を伏せておいたにも関わらず、これでは俺の方が襲撃者扱いされかねない。肩書きが留学生からテロリストに変わるのは、いかな俺とてお断りだ。

 と、いうわけで。ここはどうにかして、穏便にことを収めようと思ったのだが。


『寝ボケたことを言えるだけの度胸はあるのね! 足一本に変更してあげる!』


 ですよねー。正直そうなると思ってたよ、うん。

 突き出した腕を慌てて引っ込めた刹那、肘があったあたりの場所を切っ先が通過する。花が血まみれになるとか気にしないのかなこの人……しないんだろうな……むしろ、嬉々とした笑顔で養分になるとか言い出しそうだ。


「うわー」


 気の抜けたことこの上ない声で、足元を狙った突きを(かわ)す。なんか数時間前にもやったぞこれ……まるで思い当たるフシがないあたり、これもデジャヴというやつなのだろうか。

 しかし、だ。このままではいよいよもって、逃げることすらもできなくなる。見逃してもらえるのなら土下座でもなんでもするが、それで逃げられると思うほどにお花畑な性格はしていない。

 ()くなる上は、プランBだ。手を止めてもらえる程度の膠着(こうちゃく)状態を、この手で作り出すしかあるまい。


「──桜雲、起動!」


 振るわれる大剣に対し、滑り込ませるように神器を起動する。博士渾身(こんしん)の人造神器が、活躍の機会が来たとばかりに刀身から鈍い輝きを放つ。

 骨ごと砕かれそうな大剣に対し、こちらの得物は細身のサーベルだ。正面からまともに鍔迫(つばぜ)り合えば、いくら女性が相手でも押し負けることは言うまでもない。

 どうにかして受け流さねば、得物があったところで大損害を受けるのは必至。下手を打てば拮抗どころか、武器ごと両断されかねない。

 しかし。そんなこちらの危機感すら、まだまだ甘いとせせら笑うかのごとく。


「っ、重──」


『へえ、立派な武器があるんじゃない。コソ泥の割には、だけど』


 掠っただけでもわかるほどに、想像を絶する重さの一撃。その重量を感じた時には、身体は無意識のうちに大きく距離をとっていた。

 もちろん、鍛え上げられた技量があるのは間違いない。女だと侮っていたわけでは微塵もないが、それでも気合をひとつふたつ入れ直さねばならないほど、その剣には確かな力が宿っている。

 だが──それだけでは、まるで説明がつかないと思えるほどに。

 その剣はあまりにも重く、そして堅かった。


『ほら、その剣はお飾り? 見せかけだけの剣士なんて、無能な兵士よりお荷物よ!』


 その大きさにはとても見合わぬ速度で、彼女の剣が空を切る。間に合わないと、そう判断して受け流す体制に入った瞬間、衝撃が痺れとなって肌を突き刺した。

 押し潰す、ですらない。その圧倒的な暴力は、り潰すと表現した方がまだ正しいだろう。


「……っ、ぐ──!」


 まともに取り合えば、確実にミンチまで直行だ。咄嗟に人造神器の刃を収納し、そのままの勢いで前方へとダイブする。

 唐突に刃だけが消失するのは、いかな彼女といえど想定外だったのか。地面に突き刺さる刃に肝を潰しつつも、わずかな空隙(くうげき)を抜けて彼女に向き直る。


『ちょこまか鬱陶しいと思ったら、賢い戦いもできるってわけね。──いいでしょう、きちんと潰してあげます』


 脇をすり抜けて距離をとった今、互いの立ち位置は入れ替わっている。広々と空間を使える俺に対し、彼女は花壇の端にまで追い詰められているはずだ。

 だというのに。彼女が身に(まと)うその余裕は、一切崩れることがない。

 呼吸の間も置けずに立ち上がるこちらとは対照的に、あくまでゆったりとした動きで振り返る彼女。その威容、堂々たる佇まいからは、天性の支配者としてのオーラが(ほとばし)っている。

 カインと相対した時にも感じた、底なし沼に飲まれるような感覚。どこか未熟であるそれは、しかし未熟であるからこそ、抜き身の刀のような威圧感もまた内包していた。

 

『さあ──避けてみなさい』


 何事か呟いた彼女とは裏腹に、その刀身には何の変化も見られない。

 今までの鋭い狙いを投げ捨てるかのごとく、ただ無造作に振るわれた剣。それはこちらの身体に掠りもしない空間を切り裂き、彼女に似つかわしくない隙を(さら)す──


 ──否。

 背筋を撫でる悪寒は、今までの危地に勝るとも劣らない。直感が命ずるまま、手に握った神器(やいば)で体を(かば)う。


「──っ!」


 がきん、と。大型車でも追突してきたがごとき、想像を絶する衝撃がこの身に走って。

 次の瞬間にはもう、この手の人造神器は天高く弾き飛ばされていた。


「っあ…………!!!!」


 呼吸が乱れる。あくまで防御したはずなのに、腕ごと使い物にならなくなるようなダメージを貰っている。

 不思議な力が働いて、この手から神器を奪ったのではない。むしろ、方向性としては真逆もいいところだ。

 今まで避け続けてきた、彼女が振るう渾身の一撃。それが真正面から、(えぐ)り込むように直撃した──彼女の剣それ自体は、全く別の空間を斬っていたはずなのに。

 斬撃が途中で曲がったのか、それとも見えないほどの速度で一撃を加えられたのか。タネはまるで分からないが、確実に断言できることがひとつある。

 今の彼女の攻撃は、魔法や特殊能力じみた何か──“ではない”。異能が働いていることはあっても、それはあくまで部分的なものだ。

 加えられた一撃は、あくまで物理攻撃の延長線上。異能が働いているのだとすれば、それは剣の軌道が変わったことにこそある。


『そんなもの? 少しは期待したのだけど』


 未だ衝撃が残る身体をせせら笑うように、彼女は“次”の攻撃を構えている。この状態であれを喰らえば、無事で済まないのは言うまでもない。

 水無坂のような瞬間移動の類……では、恐らくない。瞬間移動特有の、攻撃に移るまでの独特の“間”が、彼女の攻撃には存在していなかった。

 ならば幻術幻覚の類で、こちらが彼女の位置を誤認している可能性は? 勘に従うのであれば、これも恐らくだが否だ。その手の能力があるのなら、会敵の時点から使用した方が良いのは言うまでもない。彼女の掛かりっぷりからして、初撃の段階で避けられないダメージを負っていただろう。

 あるいは様子見も兼ねて、段階的に能力を解放している可能性もある。だがそれにしても、あの剣の重さはおよそ尋常ならざるものだ。彼女本人ではなく、その剣に作用する能力であると考えた方が、よほどすんなり飲み込める。

 喰らったのはたった一撃。だが、その一撃がどのようなものかは、痺れるような身体の痛みが十全に証明している。身を守るものが何もない今、剣を振らせた時点でゲームオーバーだ。


 よって、今俺がすべきは。全身全霊で、彼女の初動を潰す以外にない。


 勝負は一瞬。花園にはあまりにも場違いなその緊張感が弾けると同時、鬼気迫る表情の彼女が動く。


『────ッ!?』


「良し」


 ()()()()

 駆け抜ける手応えは、さながら電光のように。“正解”を引いたという確信とともに、狙いを逸らされた斬撃が肌を撫でる。

 どうにかして体勢を崩したところで、あの斬撃の狙いが逸れることはない。攻撃を透かしたいと思うのであれば、彼女ではなく剣の方を狙う必要があった。

 あの摩訶不思議な剣の狙いを逸らすため、意識の外から攻撃を加える。現状の手札でどうにかしようと思うのなら、それは水流を活用する他にない。

 湧き上がる奔流(ほんりゅう)は、彼女の剣を包み込むように。突如として己の剣先から水が溢れ出せば、いかな彼女といえど狙いが狂うのは避けられないらしい。

 加減なしにぶっ放した水流は、俺自身ですら扱いに困るほどの勢いを持っている。自分ではなく他人の剣を起点にするのは、難易度としてもかなりのものだったが──ほんの一瞬、お互い完全に静止していた時間があったことで、辛うじて照準を合わせることができた。

 レーザーのように地を抉る水流は、しかし当たることなく俺の脇を駆け抜けていく。出力をミスった散水ホースに振り回されているようで面白いが、そんなことを言っている余裕がないのもまた事実だ。

 半ば以上飛び込む形で手にするのは、吹き飛ばされた人造神器。彼方に転がっていたそれを手にした瞬間には、体勢を立て直した彼女が二撃目を構えている。所詮は虚仮威(こけおど)しの域を出ない一発ネタだが、こうも簡単に克服されれば(ヘコ)むのもやむなしというものだろう。


『上出来じゃない。創意工夫は嫌いじゃないわ』


「……対応早くない? 優良企業かよ」


 お互いに相手の手札を(あば)き、再度向き合っての仕切り直し。こう書くと互角のようにも思えるが、実質的なアドバンテージの差は果てしないものだ。

 斬撃のタイミングをズラす、その対処法そのものは間違ってはいない。だが、苦労して(ひね)り出した一発ネタを本当に一発で対処されてしまった今、新たな手を考えなければ次で()()のは確定だ。

 対して彼女からすれば、手の内を知られたことは大した痛手にはなっていない。「斬撃をどうこうする」という能力を看破したところで、それをどうにか出来るかはまた別の問題だ。むしろ能力を(おぼろ)げにでも把握したせいで、思考リソースが圧迫されているフシすらある。

 向こうはただ同じ手を連打するだけでよく、対してこちらの同じ手は通じない。あまりに酷いその格差に、今すぐ背を向けて逃げてしまいたい気分だ。


 ……本来であれば、もう少しテンションが上がって(しか)るべきなのだが。どうも乗り気にならないのは、どうしても“その後”を考えてしまうからだろう。


 このやんごとなき身なりのお嬢様に、現在進行形で刃を向けている。その時点で実刑判決は免れないというか、なんとなれば極刑も視野に入れねばならぬのだが……どうにかして穏便に収めようという思考が抜けきらないあたり、俺も俺で大概に諦めが悪い。

 今ここで一目散に逃げ出そうものなら、やましいことがありますと宣言しているようなものだ。神器を持ち出したのも徒手(としゅ)空拳(くうけん)では限界がきたからだが、まさかそれが悪手になるとは思いもしなかった。

 せめてもの言い訳になる点といえば、こちらからは一切の攻撃をしていないことか。もっともそれすら、不用意に手を出せばどうなるか分からない、という感情が大部分を占めているのだが……あの玉のような美貌にキズひとつでもつけようものなら、本当にシャレでは済まされなくなる。水無坂しかり、美しいものは泥に(まみ)れても美しいが、それとこれとは全く別のお話だ。


『どこの馬の骨だか知らないけど、実力だけはあるみたいね。あとは品格が備わっていれば、一廉(ひとかど)のものにはなったでしょうに』


「わたしあやしいものじゃないです。ほんとです。あいあむいのせんとぼーい」


 端正な眉を(ひそ)め、溜息と共に首を振る彼女。

 相変わらず何を言っているのかまるで分からないが、問答無用で仕掛けてくる段階はもう過ぎたのか。目標に一段階近づいたといえば聞こえはいいが、その殺意は全くもって衰えていないのだからタチが悪い。


 にしても、だ。正面に向き直ったことで、改めてその美しさを実感する。


 芸術品のような顔立ちも、それそのものがオークションにかけられそうな(つや)めく髪も。間違いなく、今まで見てきた中でぶっちぎりのものだ。

 身の回りに美人と呼べる人間は大勢いるが、彼女らとは美しさのベクトルがまるで異なっている。「女性の中で」美しいのが彼女らだとすれば、眼前のお嬢様は男女すべてを魅了する美貌の持ち主だ。

 国籍も、主義主張も関係なく、万人が目を惹きつけられてしまうほどの。美術品のごとき輝きは、「美しい」という概念を本能的に理解させられているかのようだった。

 ……そんな人間が、鉄塊のごとき豪剣をぶん回して襲いかかってくるとは。この世の厳しさを実感するというか、何事も思い通りにはいかないというか……。美しさはモナリザ級でも、獅子奮迅っぷりは巴御前(ともえごぜん)と呼んだ方がよほど的確だ。肉体派のモナリザ、ジャンルとしてあまりに革新的すぎる。


『ええ、ええ。軽く生け捕りにするつもりだったけれど、実力があるのなら話は別です。ここからは、本気でブチのめしてあげる──後戻りは効かないわよ?』


 への字口の俺とは対照的に、彼女は好戦的な態度を隠そうともしない。

 攻撃が止まって多少は期待したのだが、どうやら闘争本能に火をつけただけだったらしい。そろそろシャレにならないところまで来てる気がするんだが……このへんで手打ちにしない? ダメ?


()()()()()()


 ──ぞわり、と。


 肌が粟立(あわだ)つ。その原因は言うまでもなく、眼前で剣を構える彼女だ。

 来る。先程の斬撃すら、まるで比べ物にならないモノが来る。次元の違う一撃が、今まさに解き放たれようとしている。

 攻撃手段そのものは、その手にある剣で間違いない。だというのに、彼女が何をしてくるか、まるで読むことができそうにない。

 一発一発は重くとも、あくまでジャブの域を出なかった今までとは違う。構えられたのは渾身の右ストレート、勝負を決めるにふさわしい“必殺技”だ。

 全身から汗が噴き出す。抑えきれない手の震えに、暴れ狂う胸の鼓動に、全身の血がぐつぐつと煮えたぎってゆく。


 ああ、そうか。

 “殺し合い”を、して良いのか。


 止まらない。止められない。どれだけ自分に言い聞かせたところで、その衝動は止めようもない。

 そんなことをすればどうなるか、分かっていないはずがないのに。理性の鎖をいとも簡単に引きちぎり、ココロの奥底にあるものが歓喜に(むせ)ぶ。

 ほんの少し刃を交えただけでも分かる。眼前の彼女の技量も、誇り高さも、選ばれた人間が持つべきものだ。

 彼女はきっと、樋笠拓海と同じなのだろう。命絶える瞬間まで気高くあり続ける、あり続けられる人種なのだろう。


 仮に、その心臓を抉り出したとして。そのとき彼女は、どんな顔をしているのだろうか?


 無意識のうちに構えていた刃、その切っ先は彼女ただ一点へと。(てのひら)の震えも、思考を掻き乱す雑念も、今は何ひとつとして感じない。

 彼女の剣が動こうが、そんなものはどうとでもなる。それを突破して余りあるだけの力は、もとよりこの手のうちにあるのだから。

 触れた瞬間に伝わる熱は、さながら最後の抵抗か。それすらも心地よく感じてしまうほどの激情の中、迎え入れるように『扉』が開く──


















































「“動くな”」














































 ことは、なく。

 代わりに届いた低い声が、金縛りのようにこの身を封じ込めていた。

 物理的な力は一切加えられていないにも関わらず、全身を押しつぶすかのような圧迫感が包んでいる。謎の力の出所は、察するにこの声の主によるものか。


「5秒だけ時間をやる。今すぐに武器を置け、雨宮(アメミヤ)(シュン)


 何処とも知れぬ暗闇から、ただ声だけが響いてくる。そこに友好の意志はかけらもなく、あるのはただ敵意だけだ。

 今この瞬間にもお前を殺せるぞと、そう言わんばかりに研ぎ澄まされた声。そんなものを耳にして、なおも逆らおうとするのはあまりに蛮勇だろう。

 人造神器を速やかに置き、そのまま数歩離れて両手を挙げる。洋画でよく見るシチュエーションだなこれ……夕方とはまた違う脅され方をしているあたり、もはや脅されプロの領域に到達しているのかもしれない。誰がいるかそんな称号。


『ベストタイミングで止めるじゃない。そんなだから空気が読めないって言われるのよ、あなた』


「姫様は良い加減、ご自身の立場を自覚なさってください。我々騎士団一同、どれほど誠意を尽くしてお守りしていても、姫様がここまで無頓着(むとんちゃく)ではどうしようもありません」


()()()()()、ねえ……あーあ、いつからこんな子になったのかしら。姫は悲しいわ、よよよ』


「元からこの性格です。それよりも、今はこの件を。何があったのですか?」


 ──暗がりから現れたのは、一人の男だった。

 流暢な日本語を操ってはいるが、その彫りの深さは間違いなく外国人だ。「姫様」とさほど年が離れていないであろうその姿は、しかしかっちりとした制服に包まれている。本人の言を信じるのなら、それが“騎士団”の正装なのだろう。

 わざわざ日本語を使っているのは、こちらの動向を把握しているぞという意思表示か。あるいはもっと単純に、お前が何を言おうと聞き逃さない、という精神の表れなのかもしれない。

 事実、他愛のない雑談をしているように見せかけながらも、視線は片時も俺から離れることがない。妙な動きをすればたちどころに殺してやると、そう言わんばかりの殺気が全身から立ち上っている。


『さあ? 私が知っているのは、その男が唐突に出てきたことだけよ。身なりも挙動も怪しかったから、取り敢えず一発()めてやろうと思って。思いのほかやり手だったから、こっちもテンションが上がっちゃったけど』


「……残りの話はあとで聞きます。──貴様、雨宮(アメミヤ)(シュン)で間違いないな?」


「……ええ、まあ、はい。なんで──」


「質問を許可した覚えはない。……この者たちに、見覚えは?」


 口にした素朴な疑問が、有無を言わさぬ強さで跳ね除けられた直後。新たに二人の人影が、暗がりの中から姿を見せる。

 ……手錠にも繋がれているがごとく、神妙な顔をしたその顔ぶれは。こちらとしても、大いに見覚えしかないものだった。


「うわちゃあ……何やってるんスか、雨宮(アメミヤ)さん。道案内したと思うんスけど」


「この件に関しては、我々の側に非があります。……やはり、横着(おうちゃく)はするべきではなかったかと」


 「何やってんだお前」とでも言わんばかりに、呆れ返った表情をしたものがひとり。俺のブレザーを小脇に抱え、苦虫を噛み潰したような表情をしたものがひとり。

 ……いやお前、腹立つ顔してんなアルバート……。うわちゃあって言ったか今。もちろん俺が悪いのは大前提だが、それはそれとして隣の北沢さんに謝ってほしい。世が世なら管理者責任だからなお前。


「……見覚え、あります、もちろん。知り合いです、大親友です」


「誰が軽口を叩いて良いと言った。……だが、おおかたの事情は把握した。貴様の立場は理解してやるが、さりとて姫様に刃を向けた事実に変わりはない。元はと言えば、貴様が紛らわしい格好をしていたのが原因だからな」


 北沢さん──というよりは、彼が抱えた俺のブレザー──に目をやりつつ、男はそんな言葉を口にする。

 態度こそやや軟化したものの、その言葉の鋭さは微塵も揺らぐことがない。むしろ俺の行動に納得がいったぶん、殺意だったものがすべて批難の意識に転化したかのごとき口ぶりだ。

 ……まあ、うん。そりゃブレザー脱いでたら、学生と思われないのも無理はないのかもしれないが。それにしたってこう、もう少し手心というかなんというか……。刃を向けざるを得なくなった俺の事情も、もう少し()んでくれて良いのではないか。


 ──というか、だ。押し寄せる情報の波に飲まれて、すっかり認識がマヒしていたが。


「……あの、お姫様? あなた、日本語わかってらっしゃいますよね?」


「軽々しく口を開くな。今の貴様の立場を弁えろ」


 さも当然のごとく、日本語で喋る男と意思疎通をしていた「姫様」。そのことを指摘するや否や、その隣に立つ男から射竦(いすく)めるような視線が飛んでくる。

 どうやら彼の中では、あくまで俺は罪人にカテゴライズされているらしい。それ自体は別に良いんですけどね、あなたの後ろでその姫様が舌出してますよ。煽りすらくっそ顔がいいんだから腹立つなこいつ……今のを写真に撮って売り出せば、それだけで億単位の金が動きそうなのだから手に負えない。顔の良さだけで人間国宝まで狙えそうだ。


「貴様の処遇に関しては、明日中に決定する。それまでは大人しく、部屋で反省でもしていることだ。──ついてこい、部屋に案内する。アルバート、姫様を頼む」


 ともあれ、だ。どうやらこの男の登場によって、騒動は一応の収束を見たようで。

 言いたいことだけをさっさと言い終わり、男はついてこいとばかりに(きびす)を返す。こっちの反応を待ってくれないあたり、どうしても客人としては扱ってもらえないようだ。

 脱力したアルバートと胸を撫で下ろす北沢さん、そして我関せずと言わんばかりに振る舞う「姫様」。三者三様の有様を呈しつつも、この場はお開きといった空気が流れ──


「雨宮さん。お電話です」


 ……と。その空気を遮るかのように、北沢さんが口を開く。

 彼の言葉を裏付けるのは、俺のブレザーのポケットに入った携帯電話だ。分厚い生地越しにもわかるほどのバイブレーションは、どうやらこの局面でも無視できないほどのものだったらしい。

 ……電話などまるでしないせいで、着信音もその他も初期設定のままだったのか。すいません……クソデカバイブレーションですみません……。


「電話か? 悪いが、今貴様に出させてやるわけにはいかん。貴様の処遇が決まるまでは、通信器具はこちらで管理させてもらう。万一のためだ、悪く思うな」


「……どうぞ。ただし、今この場ではスピーカーにしてくれ」


 北沢さんから手渡されかけたガラケーは、しかしつかつかと歩み寄ってきた男に奪い取られる。あまりに杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)なその対応、ドイツ人とでも名乗ったほうが良いのではないか。


「知り合いか?」


「……たぶん身内だ。この時間に電話してくるような非常識なのは、知ってる限り一人しかいない」


 言葉遣いが崩れたのは、男の対応に不満があるからではない。唐突に別角度から湧いた不安が、取り繕う余裕すらも奪い去ったからだ。

 現在時刻、23時までもう少し。日本とはおよそ8時間の誤差があることを考えれば、向こうではそろぼち活動が始まる頃合いだろう。

 そして。この時間に電話をかけてくる人間といえば、知る限りでは一人しか思い当たらない。


「──あ、繋がった。おはよー俊くん、まだ起きてるー? お姉ちゃんはひとりで起きられましたー!! えらい! すごい!」


 ほれみろ、思った通り。

 1日も大詰めという段階になって、耳にあの駄姉(あね)の声が突き刺さってくる。慣れた俺ならいざ知らず、初見の人間にとってそのダメージは計り知れないものがあるだろう。音量極小ならいざ知らず、スピーカーにしているのだからなおのことだ。

 案の定というべきか、男は電話を耳に当てたまま固まっている。いや流石に悪いことしたな……堅物な人間に音響兵器をぶつけるの、思った以上に効果的だったらしい。スタングレネード扱いされる実の姉、世界広しといえどウチのアレくらいではなかろうか。


 だが。こちらのそんな予想など、低レベルに過ぎると一蹴(いっしゅう)するがごとく。

 電話を手にした男が、唐突にその身を震わせて──信じられないと言わんばかりに、その言葉を口にした。


「──葵、さん?」

合縁奇縁、袖振り合うもなんとやら。何がどう繋がってくるか分からない、そんな英国編となっています。

次回、雨宮葵、イギリスではっちゃける。電話越しにすらダメージを与えてくる女、まったくもって油断なりません。そこかしこにわがままお姫様がいる雨宮俊の明日はどっちだ。

次回投稿ですが、諸事情により一週間休みをもらうことになりそうです。二週間後の日曜夜に投稿予定。

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