5-6/素敵なトリップはいかが?
作者、怠慢により日曜に投稿できませんでした。なんか最近にもこんなことやったような……。
問題。あなたは寝不足の状態で飛行機に乗っています。周囲に知り合いはおらず、12時間の空の旅が予定されているとき、目的地に到着した時点でのコンディションを求めなさい。
──え? 正解? 見りゃわかるだろそんなもん。このザマだよ。
「う”お”え”え”え”え”え”え”え”…………」
背景、雨宮葵様。春暖の候、益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。私が出立してからもうそろ一日が経つ頃かと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。
わたくし、雨宮俊は今。異郷の地のトイレでひとり、口から虹色のモノを垂れ流しております。
人生初の空の旅、人生初の海外旅行。そのスタートダッシュは、どうやら順調とは程遠いモノのようで。
「お”え”……死ぬ……」
情けなくえずいた自分の声が、トイレの個室に反響する。この有様で特待生枠などと言ったところで、誰一人として信じてはくれないだろう。
確かに、移動時間という懸念は最初からあった。門で目的地まで直行の正規留学組に対し、俺は直行便で空の旅である。時差の存在もあるとはいえ、かかる時間の多寡は比べるべくもない。
もとより寝付きが良い方ではないというのに、朝イチの便で発つと言われたのだからたまらない。マナの節約などという理由で空港近辺の門を使うこともできず、結果四時半起床からの車で送迎という始末だ。なんで前泊とかさせてくれなかったんですか? 予算の都合?
「あ”〜〜〜〜………」
自分の喉から絞り出される、この世のものとは思えない呻き声。もしこのトイレに誰かがいたら、間違いなく通報されること請け合いだ。
睡眠不足から乗り物酔いのコンボにやられ、出立前に口に入れたものはことごとくがUターンの憂き目にあっている。おまけに時差ボケなのかなんなのか、思考まで焦点が定まらないという特典付きだ。おお、もう……まっすぐ歩けるかも怪しいなこれ……。
しかし、だ。だらだらとこんなことをしていても、誰ひとりとして助けてはくれないわけで。
移動距離を考えれば当然だが、時刻は18時をとうに回っている。現地で手配されているという“ガイド”は、言うまでもなく待ちぼうけを食っている頃合いだ。
“ガイド”、とは言うものの、見た目から名前から一切教えられていない。星皇軍の制服を着てロビーにいれば、あとは向こうから見つけ出してくれる、という話だが……眉唾もいいところというか、正直今になって不安になってきたまである。
仮にも国際空港、それもVIP扱いでもなんでもない、正真正銘の一般航空だ。一度ロビーに足を踏み入れれば、人混みに紛れることは想像に難くない。
到着便の時刻は先方に伝えてあるとはいえ、それでも同乗者はごまんといる。ましてや30分以上トイレで呻いているとなれば、その時間さえもアテにならないだろう。
自由の身になった瞬間に駆け込んだために、この空港のどこに何があるのかも把握していない。なんとなればここまでの道のりさえ朦朧としていたのだから、よくもトイレまでたどり着けたと言うべきか。
とにかく、だ。差し当たっては、適当に腰を落ち着ける場所を見繕うことが急務だが……。
ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。ここでひとつ、大きな問題が生じてくるのである。
雨宮俊、前年度学年末英語テスト、48点。スピーキング&リスニング、総得点数12点。
「……いやぁ……」
うん。無理だろこれ。
各本部から選りすぐりの人員が集まる留学生にあって、この成績はもはや逆ベクトルで伝説だ。なんとなれば英語でのコミュニケーションはおろか、日本語での交流すら怪しいまである。
これで海外までひとり旅をしろというのだから、もう無茶振りとかそういう次元の話ではない。旅行に見せかけた巧妙な罠ではないのかと、総本部にまで疑いを向けてしまう始末だ。
不幸中の幸いといえば、ほぼ手ぶらで行動できる点だろうか。せめてもの救済措置として、荷物だけはあらかじめ門で送って貰えたのだが……その理由が税関の目を掻い潜るためというのだから、あまりにご無体だ。
お陰さまで、手荷物と呼べるものはせいぜいがリュックひとつだけ。とっさの事態が起こっても対応できるよう、両手が空いているというこの自由度は、旅行においてなかなか経験できるものではない。
……いや、うん。そもそも普通の人間は、旅行の時に手が空いているか否かなんて気にしないのだが。
毎度毎度予想外のタイミングで変なことに巻き込まれるせいで、戦地帰りの傭兵みたいな思考が身についてしまった。図らずも職業病みたいなことになっているのだから、こちらとしては不本意極まりない。
「……よし」
とにかく、だ──今さっき同じことを言った気がするが、兎にも角にも、
もう行きますよ、なんて空気を醸し出しておきながら、いつまでたってもゲーゲーしているのは大変よろしくない。いい加減に胃の中も空っぽになったので、意を決して動くことにするとしよう。
ふらふらと個室から這い出し、洗面台で頭から冷水を引っ被る。とても人と会う態度ではないが、さりとてこうでもしなければ意識も定まらないのだから仕方がない。
そういえば30分以上個室で呻いているにも関わらず、トイレに入ってくる足音ひとつ聞こえなかった。たまたまそういう時間帯なのか、海外というのはそういうものなのか、判断が分かれる場面ではあるが──まさか、海外ではトイレに行かないのがマナーなのだろうか。ありえん話ではないな……日本でもアイドルはトイレなんかしないからな……。
「……んん?」
……が。どうやら、そんなことを言っている余裕もなくなってきたようで。
気合を入れ、ようやくトイレから這い出した瞬間。言いようもない感覚が、ぞわぞわと背筋を走り抜けた。
こんな外れた場所にあるトイレですら、如実に伝わってくる違和感。そろりそろりと歩を進め、ロビーに近づいていくごとに、それが確固たるものになっていくのを感じ取る。
腐っても国際空港、平日に人がいないなどという事態には間違ってもならないはずだ。場末の映画館ならいざ知らず、何万人という人間が行き来するこの場所で、そんなことが起こるはずもない。
だというのに。厳然たる事実として──人の気配が、一切ない。
同じ便に乗っていた人間なら、文字通り山ほどいるはずだ。この30分に限っても、発着した便の数が皆無ということは絶対にありえない。
その状況下で、これほどまでに人影がない。その事実をどう受け止めるべきか、鈍っていた頭が軋みを上げて動き始める。
「……居ない、よな」
何かのドッキリかと背後を振り返るものの、当然誰の姿もない。耳が痛くなるほどの静寂とともに、不釣り合いなほどの空間が広がっているだけだ。
閑散としたロビーに響くのは、ただ一人俺の足音だけ。異様なその光景が、ひときわロビーの威容を引き立たせる。
人っ子一人ない空港など、見ようとして見られるものではない。こんな時でなければ、思うさま周囲のモノを物色して回りたいところだが……残念なことに、そんなことを言っている場合ではなさそうだ。
人間だけが余すところなく消え去ったと、そう言われても信じてしまいそうなほどに不可思議な現象。マリー・セレスト号もかくやという状況に、忘れもしない記憶が掻き立てられる。
屋内。広い空間。無人の施設。突如として出現した、まるで誂えられたかのような「ステージ」──強烈な既視感の正体は、似たような経験を過去にしているからに他ならない。
であれば、次に何が来るかの予想も、自ずとできるようになるというものだ。
「おっと」
駆け抜ける直感に従い、振り返りざまに大きく身を沈めて回避。瞬間頭上を駆け抜けた斬閃は、明らかにこちらの頭を狙ったものだ。
回避されると思っていなかったのか、襲撃者がわずかに息を飲む。気取らせずにこの距離まで近付くあたり、相当に冴えた腕の持ち主なのだろうが……にしてもここまで殺意全開だと、知らないうちに何かヤバい恨みでも買ったのかと心配になってくる。
……いや、これに関しては買ってるな、うん。誰にどう命を狙われようとも、樋笠拓海を殺した恨みだと言われれば反論できない。大人しく殺されてやるつもりはもちろんないが、少なくとも向こうの言い分には正当性が担保されている。
──が。今回に関して言えば、樋笠拓海の敵討ちかどうかは微妙なところだ。
今更だがここはロンドン、日本から片道ウン十万の道のりだ。万一俺がここに赴くという情報が漏れていたとしても、俺の後を追ってくるにはあまりに多くの障害が立ちふさがってくる。
雨宮俊を殺すために足を伸ばしたのだとしても、あまりにコストが見合っていない。星皇軍から出て油断したところを捕まえるつもりだったのなら、羽田の時点で十分に事足りるはずだ。
このやたらと芝居がかった手口から察するに、あるいはカインの関係者かとも思ったが……ここまで舞台を整えておきながら不意打ちなど、とてもではないがあの男が許すはずはない。このステージをカインがプロデュースしているのであれば、今頃花火のひとつでも打ち上がっているだろう。
「ちょっと──」
どうにかして会話の糸口を探そうとするものの、その斬撃は問答無用と言わんばかりの勢いだ。リーチが長いことも相まって、油断しているとすぐにでも三枚に下ろされてしまいそうになる。
襲撃者が装備している武器──十中八九神器だろう──は、随分と切れ味が良さそうな薙刀だ。身の丈以上の得物を器用に振り回すあたりからも、男が手練れだということが窺い知れる。
……男。そう、男だ。
日本人か、中国人か、それとも韓国人か。アジア系だということはわかるものの、それ以上の情報がまるで入ってこない。
中肉中背、美形なわけでも醜悪なわけでもない、没個性の塊のような男。しっかり視界のうちに収めているはずなのに、瞼を閉じれば次の瞬間に姿を忘れてしまいそうになる。
「すいません、一応聞くんですけど……どちらさま? 人違いの可能性とかない?」
大きく距離を取り、手を前に突き出して休戦の合図。気休めにもならないと分かっていても、一縷の望みに賭けてみたくなるのが人間性というものだ。
ほら、ワンチャンまったくの人違いかもしれないし? 話せば分かってくれるタイプの人とか、そういう場合だってあるかもしれないし、ね?
「うわー」
はい、無理でした。
バカ丸出しの声を上げ、足払いのひと突きを間一髪で回避する。縄跳びのようだと思えば微笑ましいが、失敗したら足ごと持っていかれるのだからたまらない。
仕方がない。かくなる上は強硬策に変更だ。
どのみち黙って殺されてやるつもりもなし、実力行使というのならそれでいい。両足でも折ってひっ捕らえたのち、犯行動機から共犯者までゆっくり聞き出せば良いだろう。
「っと──」
相も変わらず、男は一言も口を開かないまま。肌をなぞる刃を側転で受け流し、物は試しと周囲に視線を走らせる。
周囲には点在する掲示板に待機用のベンチ、少し離れたところに営業中の売店の群れ。例によって人の気配はない売店には、光だけが煌々と灯っている。
公共の場所を荒らし回るのは気が引けるのだが、さりとてこちらとしても命がかかっている。誰も使っていないというのなら、遠慮なく使わせてもらうとしよう。
「ちょっと失礼」
まずは小手調べだ。アタリをつけた手近な掲示板から、襲撃者めがけて一直線に水流を放出する。
距離も速度も、避けようと思えば余裕で避けられるものだ。所詮は直線の水鉄砲、一歩横にズレただけでも当たらないようにできている。
たった一瞬、半歩だけの移動で水流を躱す襲撃者。もとより避けられるための攻撃だが、こうも動きに無駄がないのは想定外だ。もう少し驚いてくれるかとも思ったのだが、どうやらこちらの能力はしっかり予習済みらしい。
だが。水流の起点にできる場所は、文字通り掃いて捨てるほどある。
天井に架かる電光掲示板から、整然と並ぶベンチに至るまで。山ほどあるオブジェクトが、すべて水流を射出する発射口と化す。それがどれほど面倒なことかは、わざわざ考えずとも明らかだ。
いかに広かろうと、屋内である限り逃げ場はない。襲い来る三次元的な攻撃に対し、ひたすらに回避を強いられるのがどれほどの苦痛かは、一年前に身をもって味わった。
常に相手を動かし続け、体力と思考のリソースを奪いつくす。カインにされた戦法をもう一度、今度は仕掛ける側として再演しているのだから、物覚えが良いことこの上ない。
三本、四本、五本。方々から連射される水のレーザーが、揃って襲撃者ただ一点へと収束していく。直撃しても首が飛ぶことはないが、さりとて体勢を崩すことは避けられないだろう。
……と、思っていたのだが。
「おお──っと──」
違和感。それが確固たる形になる前に、鋭利な刃がこちらに届く。
咄嗟にスラスターじみた挙動で水流を噴出させなければ、間違いなく首が飛んでいた。肌から滲む赤色が、その確信をより一層強くする。
決して舐めていたわけではない。だが、距離の詰め方も、そこからの一閃も、想像以上という他にないものだ。
一点を狙った刺突から、空間ごと切り裂く豪快な斬り払いまで。この男……男? の技量は、もはや誰が見ても明らかだ。仮に星皇学院に在籍しているのだとすれば、星皇祭本戦クラスの実力であることは疑いようもない。
……さりとて。それだけで今の猛攻を切り抜けたのかと問われれば、どうにも首を傾げざるを得なくなる。
あの密度の攻撃を前にしてもなお、襲撃者は最短に近しい距離を突っ切ってきた。多少の被弾を覚悟しなければ、そんなことは絶対に不可能だ。
にも関わらず。男の衣服は、未だに僅かたりとも濡れていない。
何か。恐らくは能力に由来する、なんらかのカラクリが働いている。そうでもなければ、この状況は説明できないはずだ。
休む間も無く襲い来る攻撃に対し、咄嗟にベンチの上に乗り上げて回避する。考えをまとめようとするものの、結論を出すにはあまりにも情報が足りていない。
「うわ」
一太刀のもとに解体されるベンチから、もうひとつ隣の席の背へ。不安定なベンチの背をひょいひょいと飛び移っていく姿は、我ながらそれなりに様になっている。
いや、うん……しかしこのベンチ、ひとつあたりおいくら万円なんだろうな……損害賠償って星皇軍が肩代わりしてくれるんだろうか。保険とか効くのこれ? 仮にもこっちは留学生なんですけど?
「こんの──」
時間稼ぎのために射出した水流は、しかしその尽くが躱される。より正確を期して言うのならば、それは当たらないと言った方が正しいか。
しっかり狙いをつけているはずなのに、すべての攻撃が掠りもしない。回避が上手いという言葉だけでは、やはりどうあっても説明できない違和感だ。
……なるほど。なんとなくだが、相手のカラクリに当たりがついてきた。
並み居るベンチの向こう側、完全に無人の売店コーナーへ。もっとも手近な場所にあるのは、どうやら土産物屋ではなくコンビニに近しいものか。
彼我の距離は3メートル程度、一瞬でも足を止めればたちどころに解体されてしまう間合いだ。武器になりそうなものを探そうにも、そんな余裕は1秒たりともありはしない。
だが。幸いなことに、欲しいものはすぐそばにあった。
「ほれ」
噴き上げる水流は、線ではなく面。一瞬のうちに形成された水のカーテンが、俺と襲撃者の間に一線を引く。
視界が遮られる直前に見えたのは、水を被った襲撃者が急ブレーキをかける姿。それは取りも直さず、自分の予想が正しいことの証明だ。
もちろん、この水のカーテン自体に大した攻撃力はない。濡れ鼠になることを許容すれば、一瞬で突破できる程度のものだ。襲撃者が急停止したのも、意識の外から攻撃されたこと以上の意味合いを持ってはいない。
──その一瞬が、一刻を争う戦闘中にどれほどの意味を持つか。そんなものは、既に嫌というほど経験してきている。
奇策で稼いだ時間を利用し、引っ掴むのは売り物の傘のうち一本。無造作に店頭の缶に突っ込まれているそれを、槍投げもさながらに襲撃者へとぶん投げる。
襲撃者がどこにいるか、カーテン越しのこちらから正確な位置は掴めない。あくまで予想、大雑把なアタリだけつけた攻撃だ。
折しもカーテンを突破してきた襲撃者が、眼前に迫った傘を腕一本で掴み取る。余裕があればそのまま投げ返してきそうなあたり、その実力は今更疑うべくもない。
だが。こいつは今、確かに“掴んだ”。
「おっと──わざわざ掴まなくてもいいんだぞ? それとも、避けられない事情でもあったか?」
確認のためにもう一本ぶん投げるが、やはり「当たらない」。言葉が通じているかも分からない相手に煽りをかますのは、その事実にこの上ない満足感を覚えているがゆえか。
今の攻防で、能力のカラクリはおおよそ見切った。あとはどう反撃するかだが……幸いなことに、その算段は今手元にある。
振るわれる薙刀に対し、背後に滑り込むようにして一歩内側へ。こいつに攻撃を「当てる」には、この距離まで接近しなければ不可能だ。
この襲撃者の能力、それは恐らく「位置をズラす」もの。より正確に言うなれば、「そう見えるように認識を書き換える」と言った方が正しいか。
こいつを狙って撃ち出した水流は、すべてが服の裾を濡らすことすらできていなかった。それは狙いが甘かったのではなく、こいつがそもそもその場所にいなかったからだ。
位置をズラすとは言っても、「いないものをいるように見せかける」レベルのものではない。奴から攻撃を受けて出血した部位は、確かに俺の目が観測した襲撃者の位置と同じだった。幻影・幻術の類である可能性も未だ捨てきれないが、少なくともまったくの背後から攻撃される可能性はないと考えていい。
能力のトリガーは十中八九、この男を「視認する」こと。こちらが視覚を通してこの男を認めても、視界に映り込むこの男は実際とはズレた位置にいるというわけだ。だからこそ、この男だけを狙った攻撃は、片端から苦もなく対処された。
例えるのなら、それは“焦点が合わない”とでも言うべきか。そこにいるはずのものを捕まえられない気持ち悪さも、この能力が作用していたからこそだ。
しかし、だ。カラクリがわかってしまえば、対処法はいくらでもある。
まず、ひとつめ。こいつの能力は、「こいつを標的とした攻撃」に対してしか発動しないということ。
いくら焦点をズラしたところで、避けようのない面攻撃を受ければ意味がない。個人を標的とした攻撃に対しては効果覿面でも、それで爆弾の爆発を防げるかと問われれば否だ。
噴き上げた水のカーテンに対し、襲撃者はわざわざ一度足を止めた。こいつ単体への攻撃ではなく、あくまで分断を旨とした行動であったからこそ、奴は俺の焦点をズラすことが出来なかったというわけだ。
そして、何よりも。対象を視認していなければ、こいつの能力は何の意味もない。
水のカーテンに隠された状態で、適当にアタリをつけて投げた傘。それを奴はわざわざ“掴んだ”──能力が発動していれば、避けるまでもなく傘はあらぬ場所を通過していくはずなのに。
能力が発動しない状況下においては、おのずと本人が対処するしかない。だが、それを掴まなければ対処できないほどの位置に“本体”がいるのだとすれば、誤魔化している距離はそれほどでもないということになる。
距離によって変わるだろうが、大きく見積もっても体ひとつ分。それがこの襲撃者がズラせる認識の限界点、ということなのだろう。
「──捕まえた」
極限まで引き伸ばされた1秒の中、周囲へ手を彷徨わせる。本来は何もないはずの空間を“掴んだ”瞬間に、自分の読みが正しいことを確信した。
インチキじみた性能で戦闘を進めていても、一度種が割れてしまえば一気に弱体化する。分かりやすいくらいの特殊能力型だが、さりとてこいつ本体の攻撃性能が減退する、というわけでは間違ってもない。
こうして捕まえていられるのも、時間にしてせいぜいが1秒程度。のんびりしていれば、たちどころに薙刀でズンバラリンと解体されるのがオチだ。もしかすると今この瞬間にも、柔術やらなんやらで逆に伸されてしまうかもしれない。
だから。死なない程度に、とっとと戦闘不能になってもらうことにしよう。
「桜雲、起動」
二刀の片割れ、“星”のほうの人造神器。護身具としてポケットに忍ばせておいたそれを起動し、そのまま拘束した襲撃者へと振り下ろす。
心臓は論外、色々と“お喋り”してもらうことを勘案すれば肺を破くのもよろしくない。ここは穏便に、腹のあたりにでもぶっ刺して動きを止ておくのが得策か──
「➖➖➖➖➖➖➖ッ!!!」
その、刹那。
それはさながら、自現流で言う所の猿叫か。こちらの動きを一瞬止めるほどの咆哮、それがこの男が発した声だということに、思考が看過できないラグを生じさせる。
この世のものとは思えない絶叫を至近距離で受け、ほんの僅かに生じた空白。一瞬と呼ぶのも躊躇われるほどの時間でも、それが隙であることに変わりはない。
──だが。何よりもマズいのは、それが大声という点だった。
そこから、たった数秒間のうちに。雪崩のような事態の数々が、処理しきれない速度で押し寄せる。
「────Police! Don’t move!!」
手を上げろ、あるいは動くな。意味合いとしては、概ねそんなところだろうか。
案の定まるで聞き取れないが、明らかに歓迎されていないであろうことは馬鹿でもわかる。少しでも妙な動きをすれば、たちどころに撃ち殺されるであろうこともだ。
人為的に用意されたとしか思えないほど、閑散としていたロビーの一帯。そこから瞬きする間もなく、数十人の警察らしき人々に取り囲まれているなんてこと──どれほど異常事態に慣れていても、対処するなんて不可能だろう。
「ハメられた」と。そう気付いた時には、抑え込んでいたはずの襲撃者の姿はどこにもない。この場にいる不審者はただひとり、物騒な得物を構えている雨宮俊ただひとりという有様だった。
「……へい、あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」
「Shut up!!」
お、今のはわかったぞ。黙れって言ってるな、多分だけど。
……日本星皇軍って英語でなんて言うの? めんどくさいしスチューデントでいい?
雨宮俊、英国へ。前途多難どころか垂直な壁ですが、彼ならきっとだいじょうぶでしょう。目的地に着けるといいね。
次回、とらわれの雨宮俊。誰一人として助けに来てくれない悲しいピーチ姫に救いはあるのか。
次回は来週、日曜夜に更新です。今回は更新できませんでしたが、来週はどうにかなる……はず。遅れが出ないよう作業に尽力いたしますので、どうか寛大な心でお付き合いください。
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