4-16/たとえ天が落ちるとも
第4部、完結。激闘と絶望の行く先は。
最期を迎えるとき、人は何を思うのだろう。
考えて、考えて、結局答えが出ることもなく終わる。望んでいる答えがそこにあるとは限らないのに、どうしてもそれを知りたいと思ってしまう。
苦しいのか、辛いのか、あるいはそんなことを考える余裕すらないのか。死んだことのない人間に、分かるはずもないけれど。
──せめて、自分が手にかけた人間は。
安らかな最期であってほしいと、そう願ってきた。
「────あ────」
心臓に刃を突き立てたのは、初めての経験だった。
塵とも砂ともつかないものが、風に乗って流されていく。死体の一片すら残らないその儚さは、その本質が兵長ではないことの証左に他ならない。
人間として死ぬことが、どれだけの救いになるのかは分からないけど。兵長からその安らぎを奪ったのは、僕以外の何者でもない。
「あ──っぁ…………!!」
ダメだ。倒れるな。気を失うな──逃げるな。
強引に踏み出した一歩が、崩れ落ちる体を繋ぎ止める。飛びかけた意識に鞭打って、能力に一つひとつ制限をかけていく。
今僕が倒れたら、管制塔は文字通りの丸裸だ。他の敵が居ないとも限らないのに、滝川さんを一人にするわけにはいかない。
犯した罪の重さを噛み締めるのなら、最後まで命を全うしろ。それすら出来ない恥晒しに、生きる資格があるはずもない。
魚見恭平の、一ノ瀬一楓の成すべきことなんて。それ以外には、何も──
「──すごーーーーーい!! すごい、すごーい!!」
「…………っ!!!」
──何が。
何が起きたのか、まるで分からなかった。
気配を隠しているわけじゃない。むしろ、なぜ今まで気づかなかったのかと思うほどに、それは圧倒的な存在感を放っている。
いや。だからこそ、なのかもしれない。
殺気も、害意も。およそ邪気というものが一切しない、あまりにも純粋な好奇心。今この場においてあまりにも不釣り合いなそれは、脳が処理を受け入れないほどの矛盾に満ち満ちている。
「あなたがヒーローさん、なのかな? でも、アメミヤさんでもサカキさんでもなさそうだよね、うーん……」
降りしきる雪よりも白い肌、氷点下よりもなお冷えきった青い瞳。波打つ豊かな金の髪が、異国からの使者であることを告げている。
「ま、いっか! かっこいいヒーローなら、なんにんいてもいいよね! そうでしょ、あたらしいヒーローさん?」
止めどなく溢れ出す言葉の数々は、言うまでもなく流暢な日本語だ。ネイティブと比較しても何ら遜色のない、イントネーションすら自然なレベルだと断言できる。
ただ。たったひとつの、おぞましい異常を除いては。
「君は──何者、なんだ」
「わたし? シホにはソーニャ、ってよばれてるよ。ヒーローさんもソーニャがいいの?」
まるで要領を得ない問答は、疑念をより一層強めるだけだ。あまりに不可解すぎる光景が、思考から理解という行動を弾き飛ばす。
その、少女は。
少女としか思えない口調で話し、少女と言うに相応しい立ち居振る舞いをするそれは──しかしながら。
少女と言うには、あまりにも成熟しすぎていた。
名前や外見から推察する限り、ロシアの血でも入っているのか。しかし、海外の人が早熟であることを加味しても、それはあまりにも異常なものだ。
軽く175はある身長に加えて、女性として成熟しきった体。どう若く見積もっても20歳は超えているであろうそれが、少女のものとしか思えないような日本語を話す。
訛りが移った、なんて生易しいものじゃない。己が年端もいかない少女であると、本気でそう認識していると思しき異常性が、その口ぶりには見え隠れしている。
「ヘイチョウさん……だっけ? すっっっごくすごかったよねぇ、あのひと! すごいひとにひとりでかっちゃうんだから、ヒーローさんはもっとすごいひとだよね!」
「……っ、君、いつから──」
「さいしょからずっといたよ? おわるまではじーっとしてろっていわれたもん。でも、もうおわったからいいよね?」
まるで、それが当然の事実のように。
首を傾げる「少女」の言葉が、ぞわりとした怖気となって肌を突き刺す。
「さいしょから、ずっと」。その言葉が孕む意味なんて、改めて問い直すまでもない。
「まさか──あの、星屑の群れは」
「うん! よわいのとちょっとつよいの、いっぱいいたでしょ? あれだけあつめるのたいへんだったんだぁ……でも、とってもつよいのはアメミヤさん? たちがたおしちゃった。ヒーローさんががんばるところ、もっとみたかったのに……」
黒幕がいるとは思っていた。これだけの数の星屑が、監視の目にかからず自然に集まるなんて、そんなことは人為抜きでは土台不可能だ。
前触れなど一切ない出現の仕方、最初に戦闘した場所に留まり続ける異常性。特A級に感じた違和感なんて、挙げていけばキリがない。考えれば考えるほどに、そこには誰かの意思が介入しているとしか思えなかった。
「……君は、誰に頼まれたんだ。こんなことをするように、きっと誰かが頼んだんだろう?」
でも。彼女はきっと、犯人であって黒幕じゃない。
それは推測ではない確信。ほんの少し言葉を交わしただけでも、容易にその結論へと至ることができる。
仮に、星屑に指示を出していたのが彼女だとして。それが彼女自身の作戦立案によるものだとは、僕にはとても思えない。
“シホ”と。彼女が口走ったその名前は、決して無関係ではないはずだ。彼女に対して何らかの権限を持っているその人物は、恐らくこの事件の根幹にいる。
この惨劇を意図的に引き起こした、真の黒幕。その手がかりを前にして、指をくわえて見ているなんてできるはずがない。
「うーん……わかんない! ねね、そんなことよりもね──わたし、かっこいいひとがすきなの。ヘイチョウさんもアメミヤさんもかっこよかったけど、わたしはヒーローさんがいちばんすき! だからヒーローさん、わたしとおともだちになって?」
しかし。
僕の話よりも、ずっと優先すべきものがあると言わんばかりに。「少女」は満面の笑みを浮かべて、僕の方へと駆けてくる。
真っ白な頬を染める朱色は、彼女の内面を映し出したものか。恋する乙女のようなその表情は、見る者を虜にして離さない。
「……それは、できない。君がここで何をしてたのか、正確にはわからないけど──でも、僕にはそれを知る義務がある。誰が君にこんなことをさせているのか、僕は知らなくちゃならないんだ」
「…………そっか、わかった。じゃあ、ちがうやりかたにするね」
あからさますぎるほどに肩を落とした彼女は、しかし歩みを止めることはない。
一歩、二歩。軽やかにステップを踏んで、「少女」は距離を詰めてくる。手を伸ばせば触れられる位置に来た時には、その視線は僕よりも高いところにあった。
「ねぇ、ヒーローさん──」
精巧な人形と見紛うほどに、完成されきった顔立ちが。瞳の奥すら覗きこめる距離にまで、覆い被さるようにぐっと近づいて。
「私のものに、なりなさい」
──────あ?
「────は────い」
なん、で────
「私はずっと一緒にいる。あなたの前からいなくなることも、あなたを裏切ることもしない。だからあなたも、私に全部捧げるの」
なにも──
──わからない、なにも
「契約する。そう言って?」
────ち、がう
「……契約、を」
ちがう──ぼくは──
『──やあ、すまないね。身内が迷惑をかけた』
思考が。
唐突に、「戻ってきた」。
「…………っ!?」
靄のかかっていた思考に、冷や水を浴びせかけるかのごとく。呼吸のやり方をようやく思い出した体が、酸素が必要だと声高に訴える。
「……ねぇ、シホ。なんでジャマしたの? シホはわるいひとなの?」
『はは、まさか。ただ、少し彼と話がしたくてね。今彼と契約されると、私としては困ってしまうんだ』
「…………ふん、しらないもん。シホなんてきらーい」
聞こえてきた声の出処は、「少女」が持っている携帯端末。たった一言で、場の空気が完全に変化する。
直感する。“シホ”と呼ばれるこの人物こそ、間違いなく今回の黒幕だ。
「…………っ、あなたが──」
『ん? ああ、待たせて済まないね。今回は顔を出すつもりはなかったんだが──いやはや、予想外の幸運は何処にでもあるものだ。まさか君が持っているとは、ね』
どこかで聞いた声、どこかで耳にした口調。頭の片隅に引っかかったその声の主は、しかし通信のノイズに塗れて判然としない。
辛うじてわかるのは、“シホ”という名前とは裏腹に男の声らしい、ということだけ。偽名の可能性も考えれば、まるで意味をなさない情報だ。
「……何が目的なんですか。規模も労力も、嫌がらせで済む範囲じゃない」
『ちょっとしたテストのようなものだよ。だが、それで君という情報を得られたのは、完全に想定外だった。仮説だけだったものに実例が存在するとわかったんだ、興奮しないはずがないだろう?』
僕の困惑をよそに、男はただマイペースに話し続ける。その口ぶりとは裏腹に、言葉の中にはどのような感情も宿っていない。
どこか薄ら寒い、上滑りするようなその言葉。それはさながらアナウンサーのように、一切の淀みなく読み上げられる。
『君がどのような経緯をたどってその能力を手にしたにせよ、無二の価値があることに違いはない。大事にするといい、それは君にしか扱えないものだ』
「何の、話を──」
「──シホ、まだ?」
ぴしゃり、と。
言いかけたその言葉は、しかし「少女」によって遮られる。
はねつけるような声色は、大人の話に退屈する子供そのものだ。むくれたその様子に、通信の向こうからは苦笑が返ってくる。
『申し訳ない、彼女は堪え性がなくてね。今日はとても有意義な時間だったよ──さあソーニャ、早く帰っておいで。ケーキを用意しておこう』
「ほんと!? やった!」
たった一言。先程までの機嫌が嘘のように、それだけで「少女」の表情が晴れ渡る。
ころころと変わる感情は、まさしく少女と表現する他にない。あまりにアンバランスすぎる外見とのギャップが、その異常性を際立たせる。
「…………っ!!」
──でも、当然。
冗談でも、ここで逃がすわけにはいかない。
マナも体力も使い切った。出せるものがあるとすれば、あとは己の神器1本しかない。
多少手荒になるのもやむを得ない。兵長たちに報いるために、今ここで必ず捕まえて──!!
「讓咏噪遒コ隱」
目の前に、いた。
「────っ!!」
本当に、なんの前触れもなく。眼前に出現していた星屑が、「少女」へと続く道を阻む。
「謗帝勁縺吶k」
間違いなく低級、ランクCでも下位の部類。今の状態の僕でも、1分あれば片付けてしまえるだろう。
でも。その1分は、今この場においてはどうしようもなく重い。
「くそ…………!!」
走り去ることもなく、ただ踊るような足取りで離れていく彼女。その姿を目で追いながらも、決して追いつくことは叶わない。
「じゃあ、ヒーローさん。またね!」
最後に、満面の笑みで手を振って。
その「少女」は、悠然と吹雪の向こうへ消えた。
# # #
「寒っ」
ふと。
そんな言葉を、今更のように口にする。
しんしんと、あるいはこんこんと。どんな表現を用いようが、降りしきる雪の勢いを形容できるとはとても思えない。
横合いから殴りつけるような吹雪が、夜の闇すら覆い隠さんばかりの強さを示す。好き放題に荒らされた地表でさえも、瞬く間に白いベールが均していく。
戦いに敗れたもの。血戦に勝ち残ったもの。大地に刻まれた激闘の跡は、既にその名残すらも消えかかっている。
あまりに激しく、それでいてどこまでも静寂に満ちている。幻想的で非現実的な光景を前にして、思考を過ぎるのは他愛もない考えだ。
──ああ。そういえば。
「……そういや、ホワイトクリスマスか」
「ああ、確かに。ロマンチックだね」
なんとなく独りごちたはずの言葉は、しかし思いのほか大きな声量で出力されていたらしい。あまりに不釣り合いな隣からの声に、堪えきれず小さな苦笑が漏れた。
「もっと他に居るだろ、言うべき相手」
「はは──ま、この状況じゃ選り好みもできないからね。男子で固まるクリスマスも、案外悪くなかったりするんだよ」
存外に軽く返された言葉は、彼の体験に基づくものか。男子以外と過ごしたことがあるやつの台詞なんだよなあ、それ……危うく騙される所だったでしょうが。比較対象を隠すんじゃない。
「どちらにせよ、沈んだままの気分でいるよりはよっぽど良いってことさ。そんなことを楽しめる余裕が出てきた、ってことも含めてね」
おお……さすがにイケメンは言うことが違えや。俺も樋笠も雪まみれになっているのは同じはずだが、一体どこで差がついたのやら。
……いやまあ、生まれ持ったものの時点で色々違うからな。才能とか家庭環境とか、積極的にそのへんのせいにしていこう。みんな違ってみんな駄目、素晴らしい博愛の精神だ。
「余裕、ね。……何もかも終わったもんを、余裕なんて言葉で片付けて良いのやら」
「それでも、だよ。たとえ空っぽだったとしても、それを味わえるのは生き残ったものだけだ。だからこそ意味があるし、それを無意味にしちゃいけない」
「生き残った人間の責務、ってやつか?」
「そんな大袈裟なものじゃないさ。ただ、自分が出来る範囲で、出来ることをすればいい。それがきっと、彼らへの礼になる」
「……手厳しいな」
吐き出した白い息は、僅かたりともその場に留まってはいない。喉元までせり上がってきた次の言葉ともども、形になることなく消えていく。
何も正視を避けているわけではない。ただ、静寂の時間が続くほどに、その事実をはっきりと認識するようになるだけだ。
「…………終わった、んだな」
殊更に響き渡るその声は、どうにも受け入れることができそうにない。
「終わった」。なんて嘘くさくて、現実味のない言葉だろう。
“特A級”は討伐された。あまりにも多い犠牲を対価に、生還への血路は切り開かれた。その文言に、理解できない点など何ひとつとしてない──だというのに。
「ああ、一先ずは。次がある可能性は無きにしも非ずだけど……とりあえず、今すぐにってわけじゃ無さそうだね」
「追加戦力があるなら、こっちが疲れてる今が一番狙い目のはずだ。それがないなら──」
「これ以上のおかわりはない。あるいは、強い手駒をあらかた出し尽くした、と見て良いだろうね。追加の駒を持っているとしても、恐らくはこっちが片手間に処理できるレベルなんだろう」
言いかけた言葉の続きは、頷きとともに樋笠に引き取られる。そこに異論がないあたり、彼としても意見の大筋は俺と一緒のようだ。
「こっちとしちゃ、品切れになってくれなきゃ困るんだがな。あれだけ捌いてまだ在庫があるとか、それはもう発注ミスの部類だぞ」
「正確な数は把握しきれなかったけど、間違いなく2桁後半はいたからね。あれだけの数の星屑を送り込むなんて、人為的なものでない限りまず不可能だ」
管制塔前に跋扈していた、おびただしい数の低級星屑の群れ。はるか昔の出来事のように感じられるのは、それだけ今までの数時間が濃厚だったせいか。
傍若無人に暴れ回る“獣”とその正体、そして特A級との死闘に次ぐ死闘。それぞれの事象が特濃だったせいで見劣りしがちだが、考えてみればあの事態も相当に異常だったはずだ。
あの数の星屑を、誰に気づかれることもなく一挙に引き入れる。内結界にロックが掛かっていたことも、決してこれと無関係ではないだろう。直接的な攻撃はもう無くとも、脅威の根幹は未だ取り除かれていないと考えた方がよほど賢明だ。
「マインドコントロールとか、そういうのでもあったんじゃないのか? 星屑に効くそれっぽい能力とか、探せばありそうなもんだがな」
「無い、と断言はできないかな。ただ、そういった能力は得てして、本体を叩けって相場が決まってるからね。今回の大群は向こうからしても手痛い出費だろうし、今本体が出てきてもさしたる脅威にはならないはずだよ」
もちろん、まだ能力者の仕業と決まったわけじゃないけどね。考え込む素振りを見せていた樋笠は、最後にそう念を押して顔を上げる。
ありがちな言葉で言うのなら、雑魚敵を無限に呼び出してくる召喚師タイプのキャラだろうか。召喚モンスターの一部がやたら手強いのも、ある意味お約束通りと言えなくもない。
確かに分かりやすいシステムではあるが、本体が雲隠れしていては勝負が成立しないのである。そのへん含めて向こうの戦略なのだろうが、もう少しプレイヤー目線で物事を考えて欲しいものだ。
「結界の締め出しってまだ続いてんのか? ボス倒したら開くもんだろ、こういうの」
「確かめてみる必要はあるけど、恐らくはまだ。落ち着いたらもう一度滝川さんに見てもらって、それでもダメなら朝を待つしかない──そもそも倒したかというと微妙だからね、ボス」
「や、捕獲もクエスト達成認定されるだろ。蟹の生け捕りだぞ」
なんとも言えない樋笠の視線が、俺の背後に向けられる。釣られて視線を向ければ、目に飛び込んでくるのはその「ボス」の姿だ。
蟹と言うにはあまりにも巨大な、病人のように青白い虫。未だひくひくと蠢くその姿は、耐性のない人間が目にすれば泡を吹いて倒れること請け合いだろう。
「…………蟹かな、これ」
「だいたい蟹みたいなもんだろ。なんなら鍋にして出汁でもとるか、寒いし」
「お、いいね。寒い時期にはぴったりだ」
勢いに任せて適当なことを抜かしたのだが、樋笠には思いのほかウケたらしい。くつくつと鳴る喉と一緒に、彼にしては珍しい悪ノリが返ってくる。
封星弾、それは『星の力』を縛り付ける兵装。『星の力』そのものである星屑に対し、その有用性は言うまでもない。
いくら驚異的な回復力を有する星屑とはいえ、瀕死のところに撃ち込まれるとなれば話は別だ。自己再生もできず、さりとて死ぬことも許されぬまま、永遠に体の自由を奪われ続ける羽目になる。
「特A級の生きたサンプルなんて、星皇軍でも前例が無いんじゃないかな。滝川さんが泣いて喜びそうだ」
「報告したら今すぐにでも飛び出してきそうだからな、博士。……通信妨害に感謝するのは初めてかもしれん」
「はは、確かに。鍋どころか、このまま生で食べたがるかもしれないね」
「勘弁してくれ……」
無論冗談ではあるのだろうが、絵面が容易に想像出来てしまうのだから恐ろしい。目を爛々と輝かせ、食レポに精を出す博士の姿が目に浮かぶ。
言うまでもなく、通信が使えない今、とっとと管制塔に引き返して博士を安心させてやるのが最善なのだろうが……なんだろうな、この気持ちは。特A級の捕獲については、朝まで伏せておく方が賢明かもしれん。生のまま手を出して、食あたりでも起こされたらたまったものではない。
「時間は?」
「23時48分、そろそろクリスマスだね。もっとも、この時計が壊れてなければ、の話だけど」
「プレゼントとか無いのか?こんな殺伐としたクリスマスとか嫌だぞ俺」
「それなら、君の店で祝勝会でも挙げようか。クリスマス限定のケーキセット、前から食べたいと思っていたんだよ」
「バ先でクリスマス会するのもなあ……」
や、あそこのディナーが美味いことに間違いはないんだが……というか良く知ってるなその情報。おおかた降谷からの情報なのだろうが、それを忘れないあたりがまたデキる男だ。
他愛ない話をする間にも、時計の針は止まることなく進んでいく。このまま雑談に興じていれば、きっとすぐに朝が来るのだろう。
「──じゃあ、そろそろだね」
「ああ」
そして。
それが叶わない幻想であることを、俺も樋笠も知っている。
「ちなみに、いつから?」
「最初から。……まあ、確信したのは会議の時からだがな。明らかに怪しすぎたろ、あれ」
「はは、確かに。……まだまだだね、僕も」
樋笠に俺に魚見、そして博士と兵長。生き残った5人が顔を突き合わせたあの会議は、思えば不自然な点が多々あった。
「あの時のお前は、明らかにタイミングを窺ってた。自分の意見を完璧な形で通すために、あえて全員の意見が出揃ったタイミングを狙った──感情論を封殺できるだけの、それらしい理屈を用意した上で」
糾弾するような俺の口調にも、樋笠はただ黙って微笑んでいる。真意を見透かされたことに驚くのではなく、むしろそれを望んでいたとでも言わんばかりの表情だ。
「いくら戦力になるとはいえ、“樋笠拓海”が他の人間を巻き込むことを認めるはずがない。本来なら、お前は一人で特A級を討伐するはずだった──自分の信念を曲げてでも俺を作戦に参加させたのは、そうせざるを得ない事情があったからだ。違うか?」
「ほぼ正解だね。……正直、ここまで読まれているとは思っていなかった」
瞑目し、再び開かれた瞳。口から出た言葉とは裏腹に、そこには恐怖も驚きもない。
虚空に向けられたその視線に、何者も映ることはなく。凪いだ水面のように、何処までもただ静かに在り続けている。
「君を頼りにしていたのは本当だよ。僕の意思がどうであれ、君には独力で特A級の討伐を達成できるだけの実力がある。……ただ、今回は君の強行案に乗るのが一番手っ取り早かったからね。あの場で別の案を出して泥沼にするよりも、君を支持する方がスムーズに行くと思った。どれだけ時間が残っているか分からない以上、議論で時間を浪費するのは避けたかったんだ。それに──」
「時間切れになった時を見越して、だろ? 魚見が引き金を引けなくても、俺なら必ず引ける。まったく、有難くもない信頼だな」
「得手不得手はどうしてもあるものだからね。……本当に、悪いことをした。恭平にも、君にも」
彼の言葉を途中で遮り、あえて嫌味に口元を歪める。お互いに分かった上で言っているのだから、我ながらつくづく性格が悪い。
そう。あまりにも簡単で、この上なく明快な話なのだ。
特A級の毒に一度侵されれば、もはやその先の運命から逃れることはできない。どれだけ強靭な意思で押さえ込もうとも、時計の針は緩慢な動きで進み続ける。
“獣”に堕ちた2人も、そうなる前に俺が殺した3人も──そして、あらん限りの力で耐え忍んでいた兵長も。みな特A級の「針」に被弾し、その結果不治の毒に侵された。確定した結末に違いがあるとすれば、それは遅いか速いかだけだ。
樋笠拓海は。
最初の会敵の時点で、「針」に触れていた。
「兵長を頼む」と。あの時あの局面で、そう指示を出したのは他ならぬ俺だ。それに応えた樋笠は、殺到する「針」の嵐の中に飛び込み──そして、全身に裂傷を負いながらも兵長を救い出した。
仮に俺が指示など出さずとも、彼は同じ選択をしたのだろう。自分がどうなるか分かった上で、躊躇うことなく兵長の救出を選択したはずだ。
自分を責める判断など、お門違いも甚だしい。それは樋笠への侮辱であり、貴い意思に対するこの上ない冒涜だ。
「不謹慎なことは分かっているけど……正直に言うと、兵長があの状態で助かった。僕以上に症状が重い人間がいたおかげで、そっちに全員の意識が向いたからね。滝川さんや恭平が僕の状態に気づいてたら、だいぶ話が拗れそうだったから」
「針」に触れれば毒を浴びる。毒を浴びれば獣になる。それを樋笠一人だけが逃れられるなど、それほど都合のいい話があるはずがない。
ただ、彼は隠していただけだ。逃げる時も、戦う時も──進行しているはずの症状と死への恐怖を、彼は完璧に隠し通した。いつ限界が来るともしれないまま、そのタイムリミットを先延ばしにし続けた。
「何よりも避けるべきは、単身で乗り込んで時間切れになることだった。僕が“獣”になったとして、それを知らせる術は何処にもない。だから、その時のセーフティとして──なんて、ね。卑劣なやり方だろう?」
「その結果間に合ってるんだから、収支としちゃ十二分に及第点だろ。死にかけの学生2人で特A級討伐なんて、どう考えたって表彰もんだ。その後に殺し合おうが、戦果が消えて無くなる訳じゃないんだからな」
地に転がった特A級、その腹部から壊れかけの短剣を引き抜く。痙攣するその姿には同情したくもなるが、生憎とそこまで暇なわけでもない。
短剣はガラクタ同然、星屑に景気よくぶち込んだ封星弾は残り数発。まともに使えるのは碧落だけだ。
近接戦では明らかに格上。お互いに満身創痍とはいえ、“獣”に変異すればその傷は瞬く間に治癒してしまう。後に残るのは、痛みも恐怖も感じない、正真正銘の化け物だ。
選択肢は速攻のみ。完全に変異するその前に、今ここで樋笠拓海の息の根を止める。
「……いいや。そうはならないよ」
──だが。
臨戦態勢を取る俺を前に、樋笠はゆっくりと首を振る。
「君のおかげで、タイムリミットに間に合った。ケジメは僕自身でつけるよ──こんなことも一人で出来ないようじゃ、先輩として失格だ」
手の震えは、恐怖にあらず。彼に残されている時間が、それだけ差し迫っていることの証明だ。
それでも。樋笠拓海は、どこまでも高潔であり続ける。
再び抜き放たれた神器は、しかし俺に向けられることはない。ただ彼の覚悟を示すがごとく、真っ直ぐに天へと掲げられている。
「実はさっき、丁度よさそうな高さの木を見つけてね。ただ、ここからだいぶ離れた所にあるみたいで──僕は良くても、方向音痴の君は帰り道を見失いかねない。君は先に管制塔に戻って、朝になってから来た方が良いと思うんだけど……どうかな?」
「……はは。なんだそりゃ」
思わず吹き出した俺に釣られたのか、不意に破顔する樋笠。渾身のギャグが決まったと言わんばかりに、ニヤリと頬を緩めてみせる。
「頭ぶち抜くなら、手軽で便利な拳銃があるぞ。貸してやろうか?」
「いいや、遠慮しておくよ。僕には刀の方が性に合ってるからね──ほら、このご時世に切腹なんてなかなか出来ないだろう?」
「介錯もなしで切腹か。あとは演説でもぶちかませば完璧だな」
どんな言葉をかけたところで、その意思が止まることは決してない。彼を信頼しているからこそ、言葉はとめどなく溢れ続ける。
「…………なあ」
「うん?」
上滑りする言葉が行き着く先。それは別れの挨拶でも、ましてや引き止めるための言葉でもない。
「いや、大した話でもないんだが。……『やりたいこと』、結局聞き損ねてたと思ってな。あるんだろ、夢」
それは、どこまでも下らない会話の続き。
特A級が出現する、その直前まで話していた言葉。決して叶うはずもない、あまりにも虚しすぎるユメの話だ。
何がやりたいかなんて、今更聞いたところで仕方がない。今から死ににに行く人間にやりたいことを訊くなど、人の心が無いと言われても仕方がないだろう。
「うーん、そうだなあ……夢と言われると、そんなに大層なものではないんだけどね」
だが。
誰にも言わなかった夢を、今ここで初めて打ち明けるかのように。束の間考える仕草をした樋笠は、やがて一大決心でもするかのごとき表情で口を開く。
「実は僕、まだ外に出たことがなくてね。ほら、ずっとこっちの世界で育ってきた、って言っただろう?だから、君たちの言う「外の世界」がどんなところか、いまいち想像がつかないんだ。情報としては十二分に知ってはいるけど、こればっかりはどうしても自分の目で見てみないとね」
「……意外だな。じゃあ、海も見たことないってことか」
「そうなるね。もっとも、さすがに海が見たい、なんて感想を持つほどに純真無垢ではないけれど──有り体に言ってしまえば、上京願望みたいなものかな? 行ったことは無いけれど、東京がキラキラしたところであることだけは知っている。そんな「都会」に憧れる、田舎の少女みたいなものだよ」
こんな血なまぐさい少女がいたら、東京は大パニックだろうけどね。そう言って笑う樋笠の視界に、俺の姿は映っていない。
ふっ、と。不意に細められた目が、彼の夢を描き出す。雪と闇に彩られた世界を越え、視線は遥か遠くで像を結ぶ。
「……いや。きっと、東京じゃなくてもいいんだ。田舎でも、都会でも──電車に乗って行けるところなら、本当に何処でもいい。乗ったことのない電車に乗って、行ったことのない場所に降り立って……電車の中で時間を持て余すのも、土地勘のない土地で迷うのも、きっと想像よりずっと楽しいと思う。だって、全部が初めてのことなんだから」
樋笠拓海の在り方が苦しそうだと、そう思ったことなど一度たりともない。
己の意思で生き方を選んだのか、それとも生き方が意思を形作ったのか。いずれにせよ、彼はその在り方を自ら選びとった。誰かの手を取り、光ある方向へと導く、その生き方を良しとした。
だから、今。彼が降ろしたのは、きっと重荷とは違う何かだ。
あまりにも軽やかで、輝くような笑みだった。
仮に翼があったとすれば、すぐにでも何処かに飛んでいってしまうような。重さをまるで感じさせないその笑顔には、今まで見たことのない感情が宿っていて。
「だったら、使うのは鈍行に限るな。青春18きっぷの旅だ。新幹線も悪くないが、アレは風情ってもんがない」
「へえ、そんなものが。僕としては、一度地下鉄に乗ってみたいんだけど──」
「時間帯によっちゃ地獄だぞ。……ま、地下鉄なんていつでも地獄みたいなもんだが。電車に乗ってんのか人に乗ってんのか分かりゃしない」
「む。そう言われると、ますます乗ってみたくなるね。心配しなくても、人を捌くのは得意なんだ」
「大概キレてるジョーク飛ばすよな、お前……」
言葉も、身振りも、息を吸い込むことすらも。耐え難い苦痛の中で、それでも対話を続けるのは、決して俺への温情だけではないのだろう。
今際の際に命を削ってでも、言葉を交わす意味があると。
樋笠拓海はこの話に、それだけの価値を見出したのだから。
「──よし。それじゃ、僕は行くよ」
しかし。
それも、ここまでだ。
「言い残すことは? 遺産だろうがHDDだろうが、確実に処分してやるぞ?」
「はは、頼もしいね──でも、問題ないよ。遺産と権利に関しては、予め本家の方で取り決めがある。仮にも樋笠の嫡子だからね、こういうところはしっかりさせておくものさ」
「……大層なこった」
静かに微笑む彼の顔に、先程までの色はない。
残された生はただ、己が責務を全うするために。再び穏やかに凪いだその水面に、感情の波が立つことはない。
「……ああ。でも──そうだな」
たったひとつの、例外を除いては。
「十中八九、この事件は適当な事故として処理されると思う。結界の内部でこんな事件が起きたなんて、軍からすれば信用に関わるからね──当然、僕の生死もぼかされるハズだ。面会謝絶とか行方不明とか、そんな形に落ち着くだろう。でも」
逡巡。それは俺に貧乏くじを引かせる罪悪感か、それとも後に残る人間を思ってのことか。恐らくは、その両方なのだろう。
「……もし、香純が知ることを望むのなら。その時は、彼女にすべてを打ち明けて欲しい。もちろん、守秘義務や立場上の問題はあると思うけど──それでも、頼みたいんだ」
「別に構わんが。……本当に、いいのか?」
「彼女は強いよ。君や僕が思っているより、ずっとね。だから、大丈夫だ」
「……分かった」
嘘偽りのない最後の願い、剥き出しになるはずの人間のエゴ。それはきっと、切望と呼んで差し支えないもののはずだ。
しかし、それすら。其処に在るのは、どこまでも純粋な祈りのみ。
ああ、本当に。
本当に、どこまでも──何処までも、美しい。
「俺には一言くれないのか? 在校生代表だろ」
「『恭平に謝罪の意を伝えておいて欲しい』、かな。彼を止めるためとはいえ、傷つけるようなことを言ってしまったからね。出来ることなら自分で謝りたいけど、そうも言っていられないから」
「はいはい。……伝書鳩か俺は」
行ってしまう。樋笠が消えてしまう。そんな悲しいこと、到底認められるはずがない。
脳が、心臓が、血液が、抑えきれない感情を叫ぶ。抗えない衝動が、怒りをぶつけるかのごとく猛り狂っている。
一度背を向ければ、もう振り返ることはない。遠ざかっていくその背中を見るほどに、たったひとつの欲求が牙を剥く。
だって。だって、こんなにも。
こんなにも、※※※※※のに──。
「……ああ」
ああ、なんだ。簡単な話じゃあないか。
何かが。パズルのピースを嵌めるかのように、何かがすとんと腑に落ちる。
迷う必要なんざどこにもない。ラストチャンスを前にして、手を拱いているのは馬鹿のすることだ。
戦うことを選択しなかったのは、あくまで樋笠がそれを望んだからに過ぎない。たった一度引鉄を引くだけで、俺の望みは満たされる。
──そうだ。どうせ、此処で消えてしまう命なら。
せめて、最期は──
「──俊!!」
──声が、届いた。
叫ばなければ、声を張り上げなければ、もう聞こえないほどの距離に居るのに。それがなんだと言わんばかりに、彼は全ての力を振り絞って。
振り向いた樋笠拓海は、その時。
確かにそう、言ったのだ。
「“任せた”──!!」
樋笠拓海、退場。お疲れ様でした。
以下、章終わり恒例のあとがきです。お時間ある方、どうかしばらくお付き合いください。
ここまで読んでいただいた皆様に、心よりの感謝を。改めまして、作者です。
コンパクトな展開を意識して開始した本章でしたが、気づけば第三部ともそうそう変わらない、どころかそれ以上のサイズになってしまいました。投稿速度の低下も相まって、半年ほどクリスマスをやっていた気すらします。クリスマスとは一体……。
この部から本筋に入る、というのは以前のあとがきでも述べましたが、この第四部は言うなれば入り口であり、同時に転換点となっています。これまでの部をイージーモードだとするのならば、今回の難易度はノーマルといったところです。
「主人公」である彼らが、何を選択し、何を捨てるのか。これまでなあなあで済ませてきたぶん、きちんと苦しんでもらわなければなりません。その苦悩、明らかな歪さを解決する「冴えたやり方」は、果たして存在するのでしょうか。
ちなみに。今回をもって退場する彼ですが、登場当初からこの終わり方にすると決めていました。美しくて取るに足らない夢、その続きは確かに受け継がれています。
さて。後日談一話を挟んで、物語は新章に入ります。難易度は少し上がって“ハード”。満を持して中世風王道ファンタジーをお届けします。
また、今後の投稿に関してですが、定期投稿を行うことが難しくなりました。今から約半年の間は、不定期投稿を行おうと思います。のんびりした歩みではありますが、お付き合い頂ければ幸いです。
それでは。第五部「英国編」でお会いしましょう。
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