4-13/ケンカク
まえがき
ラストバトル、開始。
“騎士”。雪と闇に覆われた世界の中で、なおも圧倒的な存在感を放つ白銀の城。
ケンタウロスのようなシルエットは、蠍に人間の上半身を接続したかのごとく歪極まりない。にも関わらず、どこか機械的かつヒロイックなイメージを抱いてしまうのは、その身を包む銀色の甲冑のせいか。
およそ星屑の在り方とはかけ離れた静けさが、より一層不気味さを加速させる。雪が降り積もったその躯体は、精巧な模型と言われても信じられるほどに身動ぎひとつしない。
その正面に、躍り出る。
「————!!」
「なんだ、起きてたのか」
ぞくり、と。
一歩踏み込んだ瞬間、殺気が全身に突き刺さった。
一瞬で再起動を果たした“騎士”の瞳が、甲冑の奥から俺を射抜く。そのまま寝ていてくれたら楽だったのだが、冗談でもそんな楽観は通じないらしい。
単にエネルギーを温存していただけか、それとも「誰か」からの待機命令でもあったのか。何れにせよ、行動の取捨選択ができる時点で、捕食衝動に任せて突っ走る低級の星屑よりもよほど厄介だ。
もちろん。この大一番、そうでなければ面白くない。
「讓咏噪遒コ隱」
「はは、来いよ——!」
開戦の狼煙を上げるは、正面より遅いくる大量の「針」。“騎士”の腕から撃ち出され、凄まじい速度と物量で殺到する弾丸が、接敵への難易度を著しく引き上げる。
“騎士”が持つ六本の腕のうち、遠距離用の飛び道具を射出する四本。中でも通常弾サイズの「針」を連射する二本の腕の厄介さは、この現状を見れば明らかだ。
一発でも掠れば終わりの攻撃が、何十何百と際限なく降り注ぐ。「毒」の存在を明確に意識するようになった今、その脅威度は初戦の比ではない。ただ撃っているだけで勝ちを拾えるのだから、向こうからすればこれほど楽な話もないだろう。
「上か」
背筋を走る予感は上方、意識の外部から。
吹雪に塗れた視界の端に映り込む、山なりに撃ち出された4発の「ミサイル」。クラスター爆弾よろしく上空で弾けたそれから、追加の針が雨のごとく落ちてくる。
着弾した周囲一帯を吹き飛ばし、範囲内の木々をも豪快に抉っていく。遠距離用の腕のうち、残った二本から発射されるミサイルは、範囲と引き換えに絶大な密度と威力を手にしたものだ。
広範囲かつ高速の射撃と、一撃で超大な瞬間火力を叩き出すクラスター爆弾。己の強みを理解し、二種類の遠距離攻撃を使い分けるその頭は、下手な人間よりもよほど優れている。どのような思考回路をしているのかは知らないが、単なる獣の狩りと呼ぶにはあまりにも頭が良い。
それでは。
まずは、その強みを潰すところから始めよう。
射撃の範囲と距離、大玉一発のインターバルはおおよそ把握した。ここからは、こちらが仕掛ける番だ。
殺到する無数の針、その追随を振り切れるのは先の会敵で確認済み。トップスピードで駆け抜ければ、嵐に捕まるその前に標的を捉えられる。
降り注ぐ毒針の合間を縫い、一気に“騎士”へと肉薄する。振り下ろされる腕の一本、槌と一体化した近距離用のそれが、文字通り目と鼻の先に突き刺さって地を揺らす。
飛び道具に頼り切ることなく、それを突破されることをも想定に入れている。これも予想通りだ。直前で急制動をかけなければ、俺は今頃ミンチになっていただろう。
こちらの行動を読み、次の一手を選択する判断の速さは、高い学習能力に基づいたものか。以前の戦闘で見せた手の内も、恐らくは学習されていると考えた方が賢明だろう。
しかし、だ。
相手がこちらを学習し、対応してくるというのならば——それならそれで、やりようはいくらでもある。
「碧落」、照準よし。狙うは“騎士”の右後方、倒れ損ねた大木のうちひとつ。
打ち出した錨が、狙いを違うことなく幹に深々と突き刺さる。そのまま再度引いたトリガーが、ワイヤーを強引な勢いで巻き取っていく。
腕の合間をすり抜け、ふわりと空中に浮き上がる。加速する身体が“騎士”の背後に回り込むまで、時間にしてわずか1秒もない。
刹那の攻防。対空したまま一撃を狙う俺と背中を取られた“騎士”、先の戦闘と全く同じ光景が、誂えたように展開される。
同じ光景。一度見た展開。
であれば、相手が次に取る行動も、自ずとひとつに絞られる。
それはさながら、大仰な絡繰仕掛けとでも言うべきか。
“騎士”の腰から上だけが、真後ろまで勢いよく反転する。再び向かい合う俺を捉えているのは、「針」を撃ち出す四つの砲門だ。
視線が交錯する。存在すら不確かな星屑の瞳が、この身をすり潰さんばかりの圧力を向けている。
詰み方は一度目の戦闘とまったく同じ。兵長という横槍が居ない今、どうあっても次の一撃は避けられない。
「————!!」
咆哮はなく、ただ殺気だけが迸る。
学習済みの“騎士”に、同じ手は二度も通じない。ましてや一戦目で対応された戦法など、封殺されてしかるべきだ。
俺を殺すために最も適切な手段を、即断即決で選んでくる。そう断言できるほどに行動は最適化され、そこに慈悲など一欠片もない。
「——はい、当たり」
ああ、これでいい。
誂えたように、ではない。この状況を作り上げるために、わざわざ同じ展開を誂えたのだ。
特A級星屑、“シャウラ”。その名を冠するに相応しい能力と、それを最大限に活用する活用できるだけの知能。
——そのすべてに、最大限の敬意と警戒を払った上で。
それを、真正面から凌駕しよう。
「神器変形」
多段式変形銃「碧落」、変形機能解放。握りしめた銃把が、銃身と水平になるまで展開する。
剣形態といえば聞こえはいいが、その形は剣と呼ぶにはあまりにも不恰好だ。大筒じみていた銃口も相まって、見てくれは懐中電灯とでも呼んだ方がよほど当てはまっている。
だが。その真骨頂は、第一形態など比較にならないほどのじゃじゃ馬だ。
——がちゃがちゃ、と。
鳴り響くは、およそ銃でも剣でもない異質な音。威嚇するかのような怪音に、“騎士”の動きが刹那の間だけ停止する。
その変わりようは、もはやゲテモノと呼ぶことすらも生易しい。
銃口から先端に至るまで、ワイヤーの長さはおよそ3メートル。
幹に突き刺さり、未だ巻き取られていないそのすべてが——文字通り刹那の間に、「両刃の剣」へと変化する。
ワイヤーを軸とし、刃が蝶の翅のように左右に展開する。一対あたりが10センチ程度の刃渡りしかないそれは、しかしパズルのように隙間なく、かつ際限なく敷き詰められていく。
「“碧落・薙”」
「碧落」第二形態、その実態は蛇腹剣。
連なる小さな刃の数々が作り上げる、一本の長大な刀身。それは剣というよりも、「斬れる鞭」とでも言った方がよほど適切だ。
突き刺さっていた錨が、刀身の形成によって幹から押し出される。拠り所となるものが何もなくなった今、俺が滞空できる時間はあと数秒もない。
「…………!!」
即座に異変を察知する“騎士”は、まったくもって流石という他にない。
第六感か、それとも人間とは異なる感覚で察知しているのか。どのような仕組みにせよ、その反応速度は驚異的だ。
だが。
それでもなお、一手遅い。
必要となるのは、最小限の動きのみ。
驚異的な加速を得た鞭の先端が、凄まじい破壊力を宿して“騎士”に襲いかかる。極限まで減速した世界の中、なおも音を置き去りにするほどの勢いを持った切っ先が、“騎士”の構えた腕を僅かに撫でた。
「————la————」
そして、次の瞬間。
まるで、何かの冗談のように。
——三本の腕が、すぱんと落ちる。
「悪いな」
液体かどうかも定かでない謎の物質が、傷口から凄まじい勢いで吹き上がる。
間欠泉もかくやの勢いで噴出するのは、重油のようにどす黒く濁った“騎士”の体液か。未だ空に浮かぶ俺に浴びせかけられたそれが、作戦の成功を言外に伝えている。
「謳榊す逕壼、ァ——」
正面の俺に向けて構えられていた腕は、しかし「針」の一本も発射することはない。その事実を処理しきれていない“騎士”が、たった一度きりの隙を晒す。
遠距離用の腕のうち三本が切断、もう一本も深い損傷を負っている。たった一瞬でそれだけの被害を受ければ、いかな“騎士”といえど思考が遅れるのもやむなしというものだ。
意識の断絶から回復まで、要した時間はコンマ1秒未満。処理落ちしたその数フレームを狙い撃つことなど、本来なら可能不可能を論じる以前の話でしかない。
しかし。
この男の前では、そんな不可能など簡単にひっくり返る。
「合わせて」
「おう」
「碧落」、再変形。瞬時に剣から銃へと戻る神器が、巻き取られたワイヤーを再度射出する。
キワモノすぎるコンセプトに反して、その性能は素直そのものだ。どれだけ無茶な指示でも僅かな遅れすら見られないのだから、博士の腕には一周回って腹が立ってくる。
「蜆ェ蜈亥ッセ雎。繧呈賜髯、」
「っと」
煩雑な駆け引きの類をあえて捨て、“騎士”が選択したのは槍でのひと突き。あまりにも愚直な正面への一撃は、しかしそれ故に恐ろしく速い。
行動を極限まで単純化し、遅きに失したぶんを取り戻す。即座にそう判断し、たった一手のアドバンテージすら詰めにくるのだから、こちらとしてはたまったものではない。
小細工を弄する俺と相反するかのように、“騎士”はただ純粋な力のみを叩きつける。空を裂いて迫る槍の圧力は、分かっていても避けられないほどの質量を持ったものだ。
「腕、もう一本」
もちろん。避けるつもりなど、最初から毛頭ないのだが。
突き刺した錨に引き寄せられる身体と、こちらへ突き出された槍。
目前に迫るその切っ先を踏みつけ、そのままの勢いで飛び越える。
曲芸師もさながらの挙動だが、やろうと思えばできるのだから不思議なものだ。足元から噴き出す水流で大きく跳ね上がった身体が、大きく弧を描いて“騎士”の直上まで飛翔する。
「抜刀、変形」
いつかと同じ光景、ならば目的もあの時と変わらない。狙うは通算何度目かのリベンジマッチだ。
「碧落」から手を離し、抜き放つはもうひとつの神器。いつバラバラになってもおかしくないほどに満身創痍のそれが、軋みを上げて斧へと変形する。
標的は腕の付け根、今しがた振り抜かれた近接用の腕。切断どころか叩き潰す勢いで、刃を身体ごと高空から振り下ろし——
「————!!」
「硬てえな、おい」
がきり、と。
“騎士”を包む白銀の装甲が、渾身の刃を半ばで阻む。
刃が食い込むところまではいったものの、逆に言えばそこ止まりだ。いくら刃毀れしているとはいえ、その硬さには苦情の一つも言いたくなってくる。
「この——」
刃を押し込もうとする俺と、それを頑として受け付けない堅固な装甲。
ほんの瞬きほどの合間だけ、神器を突き立てた身体が空中で完全に静止する。その隙を見逃す温情など、ハナから“騎士”は持ち合わせていない。
「謳榊す霆ス蠕ョ」
密着した俺に対し、“騎士”が選択した攻撃手段は「尻尾」。体長の倍ほどもある長大な尾が、密着した俺を串刺しにせんと迫り来る。
奇しくも蛇腹剣と似た構造をしたそれに貫かれれば、兵長でもない限り一撃死は避けられないだろう。常に最適解を導くその思考を前にすれば、本当に星屑なのかと疑いたくもなるというものだ。
「……これで」
が、生憎と。
人間側としても、出し惜しみなどしてやる義理はどこにもない。
10秒にも満たない攻防と、目まぐるしく移り変わる戦況。その締めを飾るのが、何も俺である必要はない。
「——追加、一本だ」
振るわれる一閃は、紛れもなくただの斬撃でしかない。
刀身が伸びるわけでも、枝分かれするわけでもない。極限まで鋭く素早い、しかしただそれだけの機能しか持ち得ない通常攻撃だ。
「ああ。もらった」
そうして。
「ただの斬撃」が、尻尾を一刀のもとに切り捨てる。
「………………!!」
タイミングを指示した俺ですら、その動きを目で追うことが精一杯だった。ましてや死角から不意打ちされたとなれば、いかな“騎士”と言えど対応できるはずもない。
大きくバランスを崩しながらも、“騎士”は強引な動きで反撃を試みる。いかに出鱈目な攻撃とはいえ、一撃でも当たれば致命傷になるのは依然として変わらない。
——「だったら、一発たりとも当たらない位置に避難してしまえばいい」。
なるほど明快で、その上完璧な対策だ。
「もうちょっとどうにかならんのか。……その、抱え方とか」
「……むう。確かに、デリカシーに欠けていたね。次からは気をつけるよ」
そう、「完璧」なのだ。
樋笠拓海という人間は、それすらも簡単にやってのけるのだから。
“騎士”の尻尾を切り落とし、反撃されるその前に俺を抱えて退避する。人間の限界を遥かに超越したその動きを、彼は当然のようにやり果せる。その理由を問われれば、それは「樋笠拓海だから」という他にない。
すわ警護対象かと思うほどの丁重さで地面に下ろされ、安堵よりもむず痒さが先に来る。ここまではっきりと格の違いを見せつけられれば、肩を並べているという認識すら間違いではないかと感じてしまう。
“騎士”と俺たち、彼我の距離は5メートルと少し。俺を抱えて跳んだにも関わらず、樋笠はたった一手で安全圏まで退避している。仮に俺の救出を優先していなければ、確実にもう一撃は急所に入っていただろう。
「いやあ、どうかな。尻尾を取れたのは、あそこだけ装甲が薄かったからだしね——他の腕とかだったら、さっきの君みたいに途中で引っかかってたと思うよ」
「……いや、何も言ってないんだが」
「何が言いたいかくらい、目を見れば大体わかるからね。中でも君は分かりやすいタイプだよ」
ええ……怖……。戦場で味方に盤外戦術使うのやめてください……。
一方的に削られたことからの警戒からか、能動的な攻め気を見せない“騎士”。戦況の膠着をいいことに、二人並んで言葉を交わす。
「にしても、プランAが上手くハマったね。どうなるかと思ったけど、やっぱりさすがだな」
「味方の性能ありきの作戦なんだけどな、これ。……いやほんと、強くて助かってる」
「駒の性能をきちんと把握してる、ってことさ。頼りすぎはよくないけど、味方を過小評価して負けるほどつまらないこともない」
いつも正面切って戦う樋笠が、暗殺者としての仕事に徹すればどうなるか。その答えがこれなあたり、彼が受けてきた戦闘訓練の内容が窺い知れるというものだ。樋笠一族とやらの来歴を考えるのであれば、それも妥当な話なのだろう。
“騎士”を相手取るのならば、対遠距離用の四本の腕はどうあっても避けては通れない。数ある攻略法の中から俺と樋笠が選んだ選択が、「プランA」だった……というわけだ。
……もっとも。便宜上プランと呼んではいても、その実態は「最大火力を最高の条件でぶつける」という単純極まりないものなのだが。
俺たち二人が持つ攻撃手段の中でも、段違いの最大火力を有するもの。およそ刀の枠を超えた長射程から放たれる、風の力を束ねて全てを両断する大技——あのカインにさえも致命打を与えた樋笠の絶技は、しかし一戦につき一度しか使えないという致命的な弱点を抱えている。
必殺技を確実に当てるためには、不意打ちというかたちが一番手っ取り早い。しかし、戦闘開始の時点で彼が潜伏した位置からでは、目的を達成するのは絶望的だった。
樋笠がベストパフォーマンスを発揮できる位置まで、俺が“騎士”を連れていくしかない。だが、一度見せた攻撃は対応される。ならばどうするか——その答えがここまで綺麗に決まったとなれば、少しは気分も良くなるというものだろう。
「ぶっつけ本番でそこまで戦えてる時点で、君も十分に規格外だよ。蛇腹剣なんて、とても僕には使いこなせないからね」
「…………嘘つけ…………」
碧落を使って背後に回り込めば、向こうは必ず滞空中の俺を狙いに来る。半ば確信じみた予想通り、“騎士”は上半身を丸ごと回転させての迎撃を行ってきた。
一度めの時点で既に看破され、対策が為されている。だからこそ、あえて全く同じ行動を取り、“騎士”が最適な選択をするように仕向けたのだ。
ぐるりと反転し、俺と正面から向き合う形になった“騎士”の身体。それはすなわち、“騎士”の背後に潜伏していた樋笠にとって、最高の角度から目標を狙い撃てることを意味しているわけで。
蛇腹剣による初見殺しと完璧にタイミングを合わせ、放たれた樋笠の「必殺技」。針の穴を通すようなコントロールで二本の腕を捥ぎ取った手腕は、とても真似できる代物ではない。ほぼゼロ距離での一撃を決め損ねた俺が言うのだから、その信憑性もマシマシになるというものだ。
「……二本とも斬ったつもりだったんだがな、腕。あの距離から一本削り損ねるとは思わなんだ」
「まともに撃つことはもうできないだろうし、十二分に及第点さ。なんなら、その武器で甲冑を破壊できることがわかっただけで、収支としてはお釣りが来るレベルだよ」
碧落・薙。蛇腹剣になるという概要だけは聞いていたものの、初使用が実戦など正気の沙汰ではない。
樋笠と俺、切り落とす遠距離用の腕はそれぞれ二本ずつ。そう決めていたはずなのに、蓋を開けてみればこのザマだ。一本こそ狙い通りに切り落とせたものの、もう一本は銃口部分を斜めに削ぎ落とすに留まっている。
「第一形態で撃ち出したワイヤーの長さが、そのまま蛇腹剣のリーチになる」。博士が誇らしげな顔でそんな説明を始めた時には、その綺麗な顔に一発入れてやろうかと思ったほどだ。果たして予想を上回るクソ……クセのある性能なのだから、どこまでも期待以上、というか異常である。
「あの硬さを見る限り、僕の剣もほぼ通らないと考えた方がいいだろうね。君の蛇腹剣を一発当てるのが、攻略への最短距離ってところかな」
「ああ、だいたいのクセは掴んだ。あとは射程と足場次第だな」
振り回される蛇腹剣は、長ければ長いほど先端の威力も切れ味も跳ね上がる。切っ先をピンポイントで当てれば、先のように3メートル程度の長さでも“騎士”の腕を切断できるという寸法だ。
最長射程、20メートルの状態で先端をぶち当てれば、“騎士”の胴体すら薄氷のごとき柔らかさで両断できるだろう。使い手がどうやって振り回すのかをまるで考えていないあたり、博士の趣味もここに極まれりだ。
もっとも、逆に言えば。不安定な蛇腹剣に頼る以外に、俺たちはあの甲冑の硬さを突破する手段を持ち合わせていないのだが。
もう一本の壊れかけの神器では、腕を切断するにはまるで足りなかった。あの樋笠ですらも通常攻撃では破壊できないというのだから、ますます以て頭のおかしい硬度という他にない。
一発限りの「必殺技」を撃った今、樋笠に“騎士”の装甲を削る手段はない。必然的に、彼の補助を受けて俺が決める、普段とは正反対の立ち回りが求められることになる。
「焦らず確実に狙っていこう。サポートは任せて」
「……胴体からまっぷたつ、にできれば楽なんだがな」
ただでさえ扱いが難しい蛇腹剣の先端を、狙った部位に違わず命中させる。聞くだにクソゲー感たっぷりだが、まだ攻略の余地はある。
“騎士”の行動、足の速さは概ね見切った。遠距離攻撃と尻尾のリーチを奪った今、奴に残されているのは近距離用の腕が二本だけ。
いかに相手を回避不能の状況に追い込み、蛇腹剣の先端を当てられるか。俺の当て勘次第で、このゲームの趨勢が決するというわけだ。
「まずは右腕一本だ。——いくぞ」
「了解」
優勢に見えても、その実条件は五分以下。不意打ちと樋笠の「必殺技」というカードを切った現状、戦える土俵は正面からの力比べしかない。有効打を与えられる手札の数で言えば、未だ相手の方が勝っている。
最後の手札、「プランB」をいつ切るか。この戦いの決着は、そこにかかっていると言っても過言ではない。
「——————!!!」
駆け出す俺たちに呼応するかのように、“騎士”が金切り声を上げる。空気さえ震わせる咆哮は、もはや声の体すらも成していない。
脳内に突き刺さる怪音が、耐え難いほどの不快感を掻き立てる。思考を、意識を、ぐちゃぐちゃに攪拌するその音が、隠したはずのものを地獄の底から引きずり出す。
燃える。
燃える。
肺を刺す冷気と、身体のうちで燃え上がる炎。それはしかし、不浄を焼き尽くす聖火などでは断じてない。
一歩踏み出すたびに強くなる、深淵に近づいていく感覚。底なし沼の中で燃え上がる陰気な焔が、足元に蛇のごとく絡みつく。
この炎は、やがて俺の全てを覆うのだろう。俺の身体を、存在そのものを焼き尽くしても、火の手が止まることなどないのだろう。
内に燃やすものがなくなれば、その火は外へと逃げていく。消えることのない火の手が広がればどうなるか、わざわざ考えるまでもない。
——ああ、きっと。
その光景は、きっと、どうしようもなく——。
# # #
時間は平等だ。誰の身にも残酷なほどに分け隔てなく、ただ無情に秒針は進んでいく。
過ぎた決定を覆すことなど、生半可な力ではできやしない。ましてや、全員を強引にでも「納得」させた結果をひっくり返せるほど、僕に決定力があるわけでもない。
それでも。止まらない時計の針を前にすれば、どうしようもなく思い至ってしまう。
何ひとつとして変えられない、己の無力さを。
彼らを止めることも、彼らと共に戦うことも——選択することすら選択できない、有り得べからざるほどの弱さを。
「………………」
進み続ける秒針は、とっくの前に天辺を回っている。ただ、始まってしまったことを受け入れたくないから、こうして思索に沈むふりをしているだけだ。
作戦開始時刻を過ぎても、管制塔の周りは何も変わらない。彼らの戦闘開始に合わせて増援が出現することも、新たな第三勢力が出現する様子もない。
どこまでも静かで、白と黒に覆われた世界。どこをどう見渡そうと、そこに生命の躍動などあるはずもない。
数時間前に命を懸けていたことすら、何かの間違いだと思えるほどに。そこにあるのはあまりにも静謐な、時間の止まった世界のみ。
吹き荒ぶ吹雪が、感情さえも白く覆っていく。このまま外に突っ立っていれば、明日の朝には氷の彫像にでもなっているかもしれない。
それもいいかもしれないな、なんて。
あまりに馬鹿げた現実逃避に、我ながら失笑が漏れてしまった。
室内で休息を取れ、という滝川さんの助言も無視して、わざわざ管制塔の外に突っ立っている。その行為に意味があるのかと聞かれたら、苦笑を返すことが精一杯だろう。
周辺警備なんて稚拙な言い訳、ハナから通用するとも思っていない。そもそも兵長が近辺を見回っているのだから、僕が出たところで邪魔になるだけだ。
雪の夜に用もなく外に立っているなんて、これほど頭の悪いこともない。いたずらに体力を消費することがどれだけ愚かか、頭では理解しているはずだ。
僕がこうして、ただ吹雪の中で突っ立っている間にも。
雨宮俊は、樋笠拓海は、命懸けの戦いを繰り広げている。
自分の選択が正しいと、完全無欠の正当であるなどと言うつもりはない。
でも、それ以上に——彼らの選択が、間違っていないと言いたくない。
「…………っ」
どれだけ耳を澄まそうと、戦闘音など聞こえてくるはずもない。にも関わらずこんなことをしている自分が、何よりも惨めで馬鹿らしくなってくる。
だから。
その声も、最初は聞き間違いかと思った。
「………………兵長」
しじまの向こうで、影が揺らめく。
そこにいるのは、満身創痍の見知った姿。傷を押して周囲の巡回を続ける、初瀬兵長の姿に他ならない。
「————————」
重傷どころか、今ここで息絶えてもおかしくない致命傷を負いながら。
それでも決して倒れることのない精神力は、まさしく不屈と呼ぶにふさわしい。
…………あぁ、そうだ。兵長の精神は、最後まで抗い続けていた。
「—————ァ—————」
ただ——ただ。
「毒」に蝕まれたその肉体が、刻限を過ぎてしまっただけ。
今更何をしたところで、訪れる結果が変わることは何ひとつとしてない。当然の摂理で、当たり前の話だ。
「——————に げ ろ」
だって。
だって、結果は。
最初から、もう終わっている事実でしかないのだから。
ボス戦に向かわないルート選択をした魚見くんには、特殊イベント戦を用意しておきました。平等に苦しんでこその主人公です。
次回は二週間後、いつも通り日曜夜に更新予定です。それぞれの戦い、ラストバトルは新たな局面へ。
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