表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その道の先に  作者: たけのこ派
第四部/クリスマス編
103/126

L’étranger/冴えたやりかた

獣と人、戦いの果てに。

「やめろ……嫌だ! 来るな、来るな——!!」


 声が響く。迫り来る恐怖から少しでも遠ざかりたいがため、その手に握った神器を闇雲に振り回す。

 戦意を喪失していることに違いはないが、その様子は命乞いと言うにはあまりにも攻撃的だ。一般人ならまだしも、訓練を受けた軍人が凶器を携行しているのだから、鎮圧の難易度など言うまでもない。

 頭を振り乱す表情は、正しく鬼気迫るといった様相そのもの。実像とは異なる何かに怯え、その恐怖を力ずくで排除しようとする彼を取り押さえることは、並大抵の労力では効かないだろう。


 だが。幸いなことに、こちらに居る戦力は並大抵のものではない。


「すみません。……失礼します」


 心の底から申し訳ない表情と、その感情を如実に表した声。それが聞こえた時には、既に行動は実行に移されている。

 闇雲に振るわれる攻撃を物ともせず、瞬く間に対象との距離を詰める樋笠。目を(みは)る間も無く、気付けば彼は——佐野隊員は、速やかに無力化されていた。

 たった一撃。全く無駄のない一撃によって、佐野隊員の意識が刈り取られる。


「あ————」


「おやすみなさい。……せめて、良い夢を」


 糸が切れたように倒れこむ彼を、回り込んだ樋笠が危なげなく受け止める。

 気を失った人間の重さは想像を絶するものだと聞くが、それを支える樋笠が一切フラつかないのは流石としか言いようがない。ゆっくりとした動きで隊員を地面に横たえる手際を見れば、彼もまた負傷しているという事実を忘れそうになる。


「……こっちは終わったよ。すまないね、処理を任せてしまって」


「いやいい。適材適所ってもんだろ——ちょうどこっちも終わったとこだ」


 もののついでにそう付け足せば、樋笠は大きく息を吐く。

 いかな彼といえど、この状況下では緊張しないはずもないということなのか。最後の星屑(ダスト)、魚見が串刺しにした一匹に向けられた視線は、明らかな安堵が滲んでいた。


「おい、せめて仰向けに倒れろ。汚れるだろ」


「……今更だと、思う、んだけど」


 最後の一匹を倒し切った瞬間、電池が切れたように崩れ落ちる魚見。倒れたところに声をかければ、奴は忌々しそうにかぶりを振って立ち上がる。

 取り繕ってはいるものの、その呼吸はまさしく絶え絶えといった有様だ。体力だけではない、おそらくは能力面でも相当な負荷がかかっているのだろう。

 “獣”によって大部分が殺戮(さつりく)され、僅かばかりが残った星屑たち。明らかに先刻よりも動きが鈍かったのは、獣の出現に気を取られていたことが原因か。

 いくら俺と魚見が限界とはいえ、勢いを削がれた個に押されるほどに耄碌(もうろく)してはいない。紙一重とはいえ“獣”を倒したのなら、残る雑魚の掃除など些細なものだ。

 樋笠が「仕事」を済ませるその前に、こちらはこちらで責務を全うする。結果的には樋笠の方が速かったが、あれだけいた星屑をすべて処理し切った事実そのものは変わらない。

 相も変わらず姿を見せない“シャウラ”の存在は気がかりだが、この場に現れないならそれに越したことはない。終わりが見えないかに思われた戦闘も、ようやくひと段落の目処(メド)はたったということだ。


「学生に己の尻拭いをさせるなど、日本星皇軍としてあるまじきことです。……本当に、面目次第も無い」


「いえ、何よりも無事だったことが大事ですから。彼らがきちんと起きたら、たっぷり(ねぎら)ってあげてください。……僕が言うことを許されるのなら、どうか、彼らふたりのぶんまで」


 頭を下げる兵長の言葉には、今すぐにでも舌を噛み切ってしまいそうなほどの激情が滲んでいる。いくら樋笠が取り成しても、その無念は簡単に収まりそうもない。

 

 だが。たとえ兵長でなくとも、あの状況をどうにかすることなど不可能だったはずだ。


 “シャウラ”からの撤退戦がどのようなものかは想像で補うしかないが、その旗色が絶望的だったことは言うまでもない。何より兵長自身が致命傷を負っている中で、撤退できたことそのものが奇跡と言っても過言ではないだろう。

 部下を引き連れ、命からがら撤退した先が戦場になっている。本来ならそれだけで、十二分に戦意を(うしな)う理由足り得る。

 そして、それ以上に。なお悪いのが、“獣”の存在だ。

 絶望と恐怖に支配され、(あわ)れな断末魔とともに獣へと変じた彼ら。戦場という極限の理不尽がまかり通る地にあっても、それはあまりにも悪趣味かつショッキングな光景だ。

 兵長は、それでも耐えた。部下が化け物へと変じていく状況を前に、それでも鋼鉄の精神でもって戦士たらんとした。

 だが。隊員たちは、その狂気に耐え切れなかった。

 1秒前まで戦友だったはずのソレが、もはや人語すら解さない何かへと堕ちている。その事実は確かに、彼らを大きく揺さぶるものではあっただろう。しかし、彼らを真に狂乱させたものは、()()()()()()方の理由があったからだ。


 自分だけが無事である保証はない。

 次は自分かもしれない。

 10分後か、1分後か、10秒後か——あるいは、たった今。

 呼吸したその瞬間に、己の身は人でないものへと変わるかもしれない。

 

 自分がいつ化け物になるかわからないまま、そのカウントダウンだけが着実に進んでいく。その恐怖を前にして、平静を保つことなどとても不可能だ。

 日本星皇軍という場に身を置いた時点で、皆が等しく覚悟を決めている。誇張でもなんでもなく、最悪の事態を想定して戦っているはずだ。


 だが、最悪の「その先」があるのなら、その覚悟も話は変わってくる。


 完全に狂気に堕ちた三人の隊員たちの様子は、“獣”を倒そうとも変わらなかった。彼らを蝕む内なる恐怖は、そんなものではもはや足りないと言わんばかりに膨れ上がっていた。


 そんな彼らを一刻も早く、かつ傷つけることなく無力化する。無茶振り極まるその「仕事」を、樋笠はたった今、事も無げにやり遂げたのだ。


「さて……いつまでも地面(ここ)に寝かせておくわけにもいかないし、管制塔まで運ぼうか。応急処置もしたいしね」


「仮眠室の奥に担架があったはずです。私が——」


「いえ、兵長は見張りをお願いします。……我々の方が、よほど傷も軽いですから」


 何やら言いたげな兵長の言葉を遮り、樋笠が小さく首を振る。

 こうして会話をしていると忘れそうになるが、この場で最も重い傷を負っているのは間違いなく兵長だ。余裕のなかった戦闘時ならともかく、本来なら彼もまた担架に乗せられる側の人間である。

 今こうして立っていることすら、とんでもない苦痛を伴っているはずだ。腹を貫かれ、部下を失ってもなお、気力だけで最前線に居座り続ける意志の力は、およそまともな人間のそれではない。


「恭平は……少し難しいかな。俊、頼める?」


「あいよ。……ま、担架は向こうから来てくれるらしいが」


 雑なこと極まりない返事とともに、視線を樋笠の真後ろへと飛ばす。

 全員が死力を尽くし、守り抜いた管制塔——その入口に目を向ければ、そこにはわたわたと担架を運び出す博士の姿があった。


「雨宮くん——見てないで手伝ってくれ——これ、引っ掛かって——」


「……はいはい」


 出来の悪いコントのような光景に、我知らず頰が少し緩む。

 言うまでもなく、笑っていられる状況ではないはずだ。にも関わらず、否応なく口元が歪んでしまうのは、きっと偶然などではないのだろう。

 あれだけの死闘を、五体満足で切り抜けた。得難い生の実感が、今になってようやく身体中を駆け抜ける。

 俺はまだ、生きている。“獣”になることもなく、あるいはもっとおぞましい何かになることもなく。

 当然の結果、自明の理。そしてだからこそ、つらつらと言い逃れを並べ立てる必要もない。


 ……そうだ。その向こうに何があろうと、今の俺にあの扉は必要ない。

 俺は自分の意思で、自分の道を選び取るだけなのだから。


「今行く——」


# # #


 こみ上げる目眩(めまい)を堪え、平衡(へいこう)感覚を失わないよう歯を食いしばる。手に持ったマグの中身を一息に(あお)れば、どうにか視界が正常なものへと立ち戻った。


「…………っ」


 喉奥に滑り落ちた緑茶は、未だ熱湯と呼べる程度には熱いままだ。焼け付くようなそれはそのまま、感覚の加減を測る物差しになる。

 熱。香り。味。そのすべてが、己の知っている感覚と変わらない。どうやら僕はまだ、正常な人間として機能しているらしい。


「…………」


 持ちうる能力を総動員しての戦闘は、どうやら想像以上の負荷を肉体にかけたらしい。頭痛はちっとも治る気配がないけど、これでも随分とましになったほうだ。

 戦闘が終わった。そう認識した瞬間、体が崩れ落ちることを止められなかった。いくらガス欠寸前だからって、兵士としては紛れもなく失格だ。

 今は能力の元栓(ロック)を閉めて回復に専念しているけど、それでも分身のひとりすら作れないだろう。もう一度同じ戦闘を繰り返せと言われれば、10秒と持たずに殺される自信がある。

 隊員たちを管制塔(ここ)に運び込むことも、俊と先輩に丸投げしてしまった。死地をくぐり抜けたのは彼らも同様、どころか僕よりもよほど重傷のはずなのに、だ。

 無事に仮眠室に寝かされた隊員たちの状態は、差し当たっては安定しているらしい。深い眠りのなか、ただ安らかに寝息を立てているだけだというのだから、彼の意識を奪った先輩の手際はよほど鮮やかだったに違いない。


「ありがとう、わざわざ済まないね。……このまま休んでいてもいいんだよ?」


「いえ、今炬燵(こたつ)に入ると寝てしまうので。俊が寒そうにしているので、彼を休ませてあげてください」


 噂をすればと言わんばかりに、その先輩が姿を見せる。

 仮眠室とこちら側の談話スペース、その間にかかった分厚いカーテン。その仕切りを押しのけて現れるのは、先輩と言葉を交わす滝川さんだ。


「それじゃ、もうしばらく待ってもらえるかな。こっちのコトが終わり次第、すぐに呼びに行こう。申し訳ないけどあと少し、外で待っていてくれ」


「ええ、もちろん。俊にも伝えておきます」


 一礼とともに開けられた扉が、暖房の効いた室内に冷気の侵入を許す。降りしきる雪のひとひらが入り込むと同時、扉は速やかに閉められていた。

 現在管制塔内部に残っているのは、寝かせられた隊員たちを除けば僕と滝川さんのみ。俊や先輩のみならず、「一度寝たら起きられない」などと(うそぶ)いて見張りに立つ兵長の姿を見れば、自分だけが休息を取っていることが申し訳なく思えてくる。

 もちろん。僕だけが室内に残っているとなれば、そこにはそれなりの意味があるわけだけど。


「さて。加減は?」


「まぁまぁ……ではないけど、普通に動くくらいなら。複数能力の同時展開はたぶん無理」


「神器は?」


「出せて三本。最後の3番、あれがダメ押しになったっぽい。……慣れないことしなきゃ良かった」


「それだけできれば十分さ。むしろ、それだけで済んだことを幸運に思わないとね」


 3番、(からす)座の神器。俊が“獣”と呼んだソレを撃ち抜いたものは、一般的な武器の形状を取ってはいない。

 例えるのなら、それは使い捨ての強化装置のようなもの。それも目に見える何かというよりは、概念的な強化を施すシステムに近しいか。

 剣に使えばより鋭く、盾に使えばより硬く。重ねがけすればするほどに効果は増す、摩訶不思議な増幅器(ブースター)がこの神器の本質だ。

 これだけ聞くと便利なようにも思えるけど、実際はそれほど単純じゃない。よくある話だとは思うけど、例によってこの能力にも様々な制約が存在する。

 まずはこのブースター、合計で残弾数が13発しかない。単発の強化にしろ重ねがけにしろ、13発を使い切ってしまえば再装填(リロード)が必要になる。1秒の気の緩みも許されない戦闘時において、再装填に伴う隙はかなり致命的だ。

 さらにこの強化、一定時間しか持続しないという特典までついている。重ねがけすればその辺の棒切れでも神器と打ち合えるようになる優れものだけど、制限時間が過ぎればただの棒に逆戻りしてしまう。戦闘中に制限時間にまで気を配れるほど、僕の頭は器用に出来ていない。

 と、いうわけで。この神器をどう活用するか、僕がない頭を必死に捻って導き出した結論——それが、一撃に強化のすべてを注ぎ込む、という選択だった。

 己の神器を弓矢へと換装し、その一射に13回分の強化を重ねがけする。あまりにも強引なやり方だったけど、その甲斐あって“獣”に決定打を与えることができた。

 もちろんぶっつけ本番、スタミナ切れも甚だしいところからの一撃だ。ただでさえ限界を超えていたというのに、これで完全にとどめを刺されたといっても過言じゃない。もし仕留め損ねていようものなら、確実にこっちの身が持たなかっただろう。


「……それで」


 でも。今この場においては、僕の状態よりも優先すべきことがある。

 必要最低限のものだけを残し、それ以外を極力排した言葉。それでも滝川さんには伝わると、そう確信した上での質問だ。

 僕たちの応急処置を済ませたあと、滝川さんは眠る隊員たちの状態を詳細に確認する作業に入った。万一のためにと先輩の同伴のもと行われた診察が、先ほどようやく終了したというわけだ。


「概ね、きみたちの……雨宮くんの予想通りだよ。正直、度合いで言えば最悪の一言に尽きる」


 ただ、淡々と。

 勿体(もったい)ぶる様子もなく、その事実は端的に告げられる。


「簡易的な検査だから確かなことは言えないけど、三人の適合率は戦闘前に比して急激な上昇を記録してる。いくら彼らが錯乱していたとしても、ここまでの急激な数値変動はまずあり得ないはずだ。もちろん、きみに今更こんなことを説明するなんて、あまりにもお門違いなんだけど」


「……つまり」


「ああ。この適合率の変動には、外的要因が関わっている——それは間違いなく、“シャウラ”によって(もたら)されたものだ」


 感情と呼べるものを意図的に排した、殊更(ことさら)に事務的な声。

 滝川玲という一個人ではなく、責任ある研究顧問としての立場からものを述べているからこそ、そこには一切の容赦がない。


「件の星屑が攻撃に用いていた「針」、仕掛けがあるとすればそこだろうね。便宜上、ここでは“毒”と呼称するけど、この毒が彼らの適合率を強制的に引き上げたってわけだ」


「じゃあ、あの“獣”は——」


「毒が回りきった結果、だろうね。単に星屑に変異するだけじゃなく、より攻撃的、かつ従順な生物兵器に造り替える。自分の手駒として「運用」するための、()()()()システムだよ」


 息継ぎと息継ぎの合間、僅かに舞い降りる静寂。

 たった一瞬の空白でも、それは抗いがたい何かをこの場に落としていく。


「……解毒の、方法は」


「既存の知識と手持ちの応急キットじゃ、とてもとても不可能だ。今すぐ病院の機器と人員を総動員してなんとか、ってレベルかな——正直、それでも間に合うかは五分五分だ」


 ……ああ、駄目だ。

 知っている。一見すれば光明のように見えるそれは、その実絶望の(しら)せでしかないのだと。


「でも——」


「ああ。本来ならこんな状況に対処するために、病院が()に置かれているんだけどね。……内結界の出入りができない今、病院で治療を受けさせることは絶望的だ。ご丁寧に通信までシャットアウトされているから、本当にこっちからじゃどうしようもない」


 ここまで底意地の悪いやり口はぼくも初めてだ、と。

 タブレットを片手にコメントする滝川さんが、感情を押し殺して溜め息をつく。

 八方塞がりの状況になるまで、逃げ道を一つずつ潰された。その用意周到さは、あのカインとはまったく異なるベクトルで悪辣(あくらつ)だ。


「響ちゃん以下、今の第二本部はS級に……「国難」の方にかかりきりだ。こっちの異常に気づくのは、早くても朝になるだろうね。当然、そこまで彼ら三人が耐えられる保証はない」


「……それでも、可能性はゼロじゃない。なら——」


「これでも今は安定している方なんだ。もし彼らの目が覚めたら、今度こそ破滅まで一直線だろう。……それがどれほど危険なことかは、君が一番知っているはずだよ」


 知っている。錯乱し、正気を失った星刻者がどうなるか、そんなものは嫌という程に見てきている。

 狂気のうちに身を置けば、ただでさえ無いに等しいタイムリミットはゼロに向かって加速していく。一度そんなことになれば、今度こそ彼らを助けるのは不可能だ。


 知っている。

 知っている。

 知っている。


 今この状況で、どうするのが正解なのか——何をすれば、最善手だと言えるのか。

 滝川さんに言われずとも、最初からすべて承知の上だ。


「日本星皇軍研究顧問として、()()()()()特尉へ進言しよう。決定事項ではなく、あくまで選択肢のひとつとして聞いてほしい」


 でも、それは。


「この“毒”がどれほど特異なものでも、変異のプロセス自体は通常の星屑と変わらない。未知のシステムといえど、もたらす結果は既知のそれと同じだ。であれば、既知の方法で対処する余地がある」


 それは、つまり——。


「彼らはまだ、あくまで人間の域に留まっている。完全に変異していない今なら、人間のまま終わらせてやることができるんだ。そして、それを最も容易に成し得るのは——」


 予想通り。想定通り。告げられる宣告に、驚く要素など何処にもない。



 だから。

 次に続く言葉も、簡単に想像がつく。ついてしまう。



「——僕の能力(へびつかい座)なら、それができる。……そういうこと?」


「…………ああ、そうだ。きみの能力であれば、手に触れるだけで済む。確実性も安全性も、単純に寝込みを襲うのとは段違いだ」


 その言葉の裏に、どれほどの苦悩があっただろう。

 冷徹に、冷静に、ただ下すべき判断を下す。努めてそう在ろうと、そう振る舞おうとしている滝川さんがどれほど苦しんでいるのか、そんなものは顔を見るだけですぐに理解できる。

 滝川さんは、それでも前に進める人間だ。苦悩し、葛藤しても、然るべき選択をすることができる。

 軍人として、「大人」として。その判断は、きっと正しい。


「…………彼らは、まだ抗ってる。化け物なんかじゃない、人間のままなんだ」


「そうだ。“まだ”人間だ。そしてその“まだ”がいつまで続くか、確実なことは何も言えない」


「っ、——朝まで持ち堪えれば、状況は変わるかもしれない。本部がこっちの異常に気づけば、彼らはまだ助かる余地があるかもしれない……!」


 取り乱す自分が、どれほど馬鹿げたことを言っているのか。そんなもの、わざわざ考えるまでもない。


 「かもしれない」。そんな希望的観測が、今日だけでどれほど裏切られてきた?


 何度も何度も、儚い希望を抱いて。そしてその度に、手酷いツケを払わされてきた。

 悪意によって張り巡らされた罠の前では、希望など容易く握り潰される。「最悪の想定」など何の役にも立たないと、散々思い知らされてきたはずだ。

 朝になったところで、救援が来る確証は何処にもない。“シャウラ”がこのまま大人しくしている保証もなければ、星屑の群れが再来しないとも限らない。

 夢物語(ハッピーエンド)をいくら説いたところで、この現実の前では虚しいだけ。軍人の端くれとしての自覚があるのなら、悩む余地なんてどこにもない。


「…………僕に、彼らを殺せと?」


「ああ、そうだ。そして、その判断をさせたのはぼくだ。責任も(とが)も、すべては滝川玲ただ一人にある」


 この能力の使い道を決めた。

 軍人として生きることを選んだ。

 己の手からこぼれ落ちたものは、自分自身で始末をつけると——そう覚悟を決めて、この生き方(しごと)を選んだはずだ。


 でも。

 それでも。

 それでも、僕は…………!


「……10分、時間をください」


「わかった。決まったら、声をかけてくれ」



 結局。

 喉奥から絞り出せたのは、あまりにも情けないその言葉だけだった。


 意識は明瞭だ。そしてだからこそ、都合のいい逃げ場なんてない。

 何をすべきかなんて、この上なく明確に定まっているはずだ。何度も繰り返してきたんだから、いい加減に要領はわかっている。

 今までの5回、今からの3回。命の重みはみな同じ。奪ってきたものとこれから奪うもの、その重みに(くら)むことすらもできやしない。


「恭平」


 ふらついた足取りで立ち上がる。すぐそばにいるはずの滝川さんの声が、あまりにも遠い何処かから聞こえてくる。


「恨んでいい。……きみには、その権利がある」


 足元に視線を落としているはずなのに、どうしようもなく覚束(おぼつか)ない。

 きちんと足は動いている。でも、それが本当にきちんとしているのかなんて、僕自身では判断のしようがない。

 冷風が吹き込む。その冷たさに、ようやく自分が外へ出たのだと理解する。


 そんな調子だったから、気づけなかった。


 室内に入り込む冷気と、目を覚ますかのような寒風。その原因となったのが、僕ではないということに。


「…………っ」


「おい、前見ろ前。事故るぞ」


 僕が手を掛ける直前に、向こう側から開け放たれた扉。

 そこに立っていたのは、誰であろう雨宮俊だったのだから。


# # #


「……何?」


「いい加減寒いんだよ、誰かのせいでな。仮眠取らせてもらうぞ」


 そう宣言し、ずけずけと室内に踏み入る。何やら魚見が暗い顔をしていた気がするが、そんなことは知ったことではない。

 俺には俺の事情があるように、魚見にも魚見の事情がある。それだけだ。必要に駆られない限り、その事情の内部まで立ち入る必要はない。


「出るなら早よ出ろ。開けっぱにしてたら寒いだろうが」


「……分かってるよ」


 どうにも歯切れの悪い返答をした魚見が、後ろ手に扉を閉める。最後まで晴れないその表情を見るに、どうやら取り繕う余裕すらも無くなったらしい。

 寒い屋外から、暖房の効いた部屋の中へ。じんわりと体を包む熱に、大袈裟でなく生の実感を感じてしまう。


「話は?」


「終わったよ。済まないね、寒い中立たせてしまって。仮眠ならそこのコタツを使うといい」


「いや、仮眠室(おく)のベッドでいい。空いてるんだろ?」


「もちろん、空いてはいるけど……」


 魚見を送り出した博士の口調もまた、平時とは比べ物にならないほどに暗雲が立ち込めている。いくら有事の真っ只中とはいえ、あまりのテンションの低さに面食らうのも無理からぬことだ。


談話室(ここ)でも仮眠室(おく)でも、危険度なんてそうそう変わらんだろ。カーテン1枚じゃ何の足しにもならん」


「それはそう、なんだけどね……。いくら今寝ているからといって、彼らが起きない保証はない。きみを信頼してはいるけど、それでも睡眠時は限りなく無防備になる」


 その返答にいまいちキレがない理由は、俺の身を(おもんぱか)ってのことか。確かに寝ている隊員たちが目覚めれば、どう足掻いても平穏無事とはいかないだろう。

 ……こういう時だけ心配するくらいなら、普段からもう少し(いたわ)りを持って接して欲しいものだが。なんかズレてるんだよなあ……ぶっつけ本番で人造神器を使わせるとか、普通に考えて死ぬからなアレ。何考えてんだ。


「死にかけたって助けくらいは呼べるだろ。別に8時間寝るわけでもなし、10分経ったら起こしてくれれば良い。とにかく横になって寝たいんだよ」


「……分かった。もし何かあれば、とにかく声を出して助けを呼んでくれ。いいね?」


「あいよ、了解。じゃ、10分後に目覚まし頼んだ」


 しぶしぶ、と。

 本当に不承不承といったていで、首を縦に振る博士。その挙動を横目に見つつ、仮眠室にするりと入り込む。


「……重っ」


 もののついでにカーテンを閉めれば、想像以上の重さが掌に伝わってくる。

 たかがカーテン1枚といったが、これを正面から切り裂くのは相当に手間取るだろう。校長室だか音楽室だか、そのあたりで使われていても何ら見劣りしないほどに重厚だ。

 椅子をくるりと回転させ、大きく嘆息する博士。最後に見えたその姿も、聞こえてくるため息も、黒い仕切り(カーテン)が覆い隠していく。

 明かりが落とされた室内で、聞こえてくるのは三人分の寝息だけ。唯一の窓から差し込む月光も、吹雪が激しくなればすぐに覆い隠されてしまうだろう。

 

「………………ふう」


 事態は何も終わっていない。

 どれほどの死闘から生還しようと、状況は何ひとつ好転してはいない。

 そんな簡単な事実さえ、この安らかな空間の中では忘れてしまいそうになる。

 静かで。穏やかで。ただ、ゆっくりと時が流れていく。

 やるべきことすらも忘れそうになるのだから、(けだ)し平穏というのは厄介なものだ。姿見に映る己の姿も、気の抜けた姿を晒していることこの上ない。


「よし」


 とはいえ、だ。いつまでも窓の外を見ていても、やるべきことは終わらないわけで。

 神器抜刀。ぐりぐりと軽いストレッチを挟み、ボロボロになった盾から短剣を引き抜く。

 盾が使えないことは言うまでもないが、この短剣に蓄積されたダメージもシャレにならない。これ以上無茶な使い方をすれば、遠からず砕け散ることは明らかだ。


「ちょっと失礼」


 まず一人目。穏やかな寝息を立てる口元を押さえ、そのまま喉を()(さば)く。


「おお、赤い」


 冗談のように吹き上がる血しぶきが、俺の全身を濡らしていく。もうとっくに星屑(ダスト)になっているものだと思っていたが、どうやらその本質は未だに人間のままらしい。 


「………………!!!」


 目を覚まし、苦しみにジタバタとのたうち回る彼。名前も覚えていない誰かの声は、しかし誰にも届くことはない。

 切り裂かれた喉の奥で、ヒュウヒュウと風が通る音がする。まだ声が出せていたのなら、きっとあらん限りの大絶叫を上げていたのだろう。


「おっと」


 既に瀕死であるにも関わらず、彼は死力を尽くして馬乗りになった俺を跳ね飛ばそうとする。

 それは生への執着か、あるいはもっと別の何かか。いずれにせよ、火事場の馬鹿力というのは案外馬鹿にならないものだ。

 手に持った短剣をくるりと回転させ、そのままの勢いで心臓に突き刺す。何かが潰れる感触とともに、俺を(つか)もうとしていた手が力なく落ちた。

 死体が消えずに残るあたり、やはりこれらは人間と呼んで然るべきなのだろう。その呼称に当人たちが喜ぶかはさておくとして、だ。


「よっこいせ」


 二人目。やることは何も変わらない。ただ同じ手順を、できる限り速やかにこなすだけだ。

 長引けば長引くほど、手間取れば手間取るほど、面倒は加速度的に増大する。最短最速の手順で終わらせる、それ以外に俺が為すべきことなど何もない。

 (ほとばし)る鮮血越しに、二人目の彼と視線が合う。恐怖に染まったその瞳からは、どうしようもないほどの人間味が溢れ出している。

 この距離で他人と視線を合わせることなどないだけに、いざそんな状況になると緊張するものだ。これが女性だったらヤバかったな……やっぱり話題とか用意しておくべきなんだろうか。姉に降谷に水無坂と、周りにいる女子は特異すぎて何の参考にもなりやしない。


「おわ」


 危うく体勢を崩しそうになるあたり、一人目の彼よりも力が強いのか。心臓に突き刺すとどめの一太刀も、心持ち雑になってしまった。

 ベッドから落ちてしまえば、さすがの博士も異変に気付くだろう。別段それ自体は構わないが、こちらにはまだ仕事が残っている。やるべきことを終わらせるためにも、ここで(つまず)くわけにはいかない。

 血に濡れたベッドがふたつ、未だ真っ白なベッドがひとつ。そこに寝ている人間を処理するために、死体から短剣を引き抜いて立ち上がる。


 佐野(さの)満也(みつや)一等兵。最後に残った彼の名前を、為人(ひととなり)を、俺は知っている。


 たった1日の付き合いでも、彼には随分と助けられた。日本星皇軍の軍人として、信念を貫くその生き様には敬意も覚えている。



 だから。


 その言葉が、まるで理解できなかった。



「————な、んで」


 狂気はない。あるいは受け止めきれない衝撃が、星屑になる恐怖を一時的に上回ったのか。

 たった今目覚めたのか、それとも息を押し殺していただけか。佐野隊員の口から(こぼ)れた言葉は、紛れもない正常な人間のそれだ。

 もちろん、その混乱のほどは理解できる。同僚を二人殺し、そして自分をも殺そうとしている学生を前にして、平静を保つなどできるはずもない。仮に同じ状況になれば、俺だって(にわか)には信じられないだろう。

 彼には俺を恨む権利がある。命の限りに抵抗し、何となれば俺の命を奪うことすら、当然の権利として認められている。一方的に命を奪う人間が許されるなど、最初から微塵(みじん)も考えてはいない。



 ——だが。

 その言葉は、想定外も甚だしい。





























































































「……()()()()()()()()()























































# # #





 ぞわり、と。


 背筋を、おぞましい何かが撫でた。





 兵長も、先輩も。この場にいる全員が、弾かれたように顔を上げる。その視線が向かう先は、言うまでもなく背後の管制塔だ。

 「嫌な予感」。この場において何を指し示すのか、そんなものは最初からひとつしかない。


「————くそ!!」


 冷静さなどかなぐり捨てて、管制塔へと突進する。

 誰が星屑に変異したのか、そんなものはどうでもいい。何よりも重要なのは、管制塔の中にいる二人の安否だ。

 中に残してきた滝川さんが、仮眠を取ると言ってた俊が。脳裏に去来する最悪の想像を振り払い、強引に扉を開け放つ。

 たった10分。ただそれだけの時間ですら、世界は僕を待ってはくれない。明明白白にすぎる事実が、ナイフのごとく喉元に突きつけられる。


「俊、滝川さん————!!」


 談話室を過ぎ、その奥へと。カーテンを引き千切る勢いで、仮眠室へと突入する。



























「なあ」


















 


 “それ”は、赤かった。


 床を(ひた)すほどのおびただしい血と、周囲に転がる人間だったモノ。その中心で、赤い赤い人影が立ち尽くす。

 僅かに届いていた月光すら、吹き(すさ)ぶ雪が搔き消していく。隣で立ち尽くす滝川さんが、小さく息を飲む音がした。


「なあ、教えてくれ」


 暗闇に支配された部屋の中、“それ”がゆっくりと振り返る。

 隠そうとも隠しきれない、己の中に潜む黒——それを、まるでたった今初めて自覚したかのように。

 

 真っ赤な“(それ)”の口元は。


「俺は————」


 どうしようもなく、歪んでいた。

ヒトもケモノも、等しく闇夜に溶けていく。


抗うべき敵は、最初から己の中に。


次回の更新は年明け、1月9日の夜を予定しています。第4部もいよいよ大詰め、最後の戦闘をお楽しみください。


感想・評価等、いただけると励みになります。よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ