4-9/律動
前回のあらすじ
しかし にげられなかった!
1分という時間の重みは、状況に応じていくらでも重みを増す。
無為に過ごしていれば一瞬でも、切羽詰まった状況であれば話は別だ。定期試験中の1分など、何者にも代え難い宝物のように思えることだろう。
ましてや。命のやり取りの真っ最中ともなれば、その重要性は計り知れない。
たった1秒という時間ですら、戦場では生死を左右するに余りある。その60倍ともなれば、それだけで戦局を左右するのも不可能ではないはずだ。
その1分を稼げと、「誰か」が叫んでいた。
その声は、無策で特攻する人間のそれではなかった。必勝の策を用意し、それを実行に移さんとする者の声だった。
得物を握り直した直後、墨汁でもぶちまけたかのように拡散する“くらやみ”。一気に広がる黒煙に包まれた瞬間、深淵よりもなお暗い闇が視界を奪う。それが奴の奥の手だと気付いた時には、視界は完全に閉ざされた後だった。
唐突に視界を奪われ、なりふり構わずに暴れまわる星屑。音だけを頼りにその位置を特定し、被害を受ける前に先んじて攻撃を叩き込む。冗談のようなそんな動きも、現にこうして出来てしまうのだから不思議なものだ。
『ぐ、ぅ……っ……!』
声が、聞こえる。それに、足音も。
一歩踏み出すたびにふらつき、今にも倒れそうな足取りで。
それでも「誰か」は抗い続けることを、俺は今までの経験則から知っている。
であれば。俺はその背中を、ほんの少し押してやるだけでいい。
「————行け!」
威勢良く吼えたその声が届いていたのか、俺に確認する手立てがあるはずもない。仮にそれが届いていたところで、何も変わらないことなど分かりきっている。
だが。
彼が成した成果を雄弁に語るかのごとく、「何か」が作動する音がして。
次の瞬間。けたたましいアラート音が、その全てを上書きした。
# # #
ままならない。
「…………な」
思考がまとまらない。次の行動が定まらない。
「こっちからの連絡が届いていない」。滝川さんは確かにそう言っていた。それが正しいのなら、この結界は通常通り機能していなければ辻褄が合わない。
あるいはなんらかの影響で、結界のロックだけが正常に作動した可能性もある。でもその場合、この結界に触れ続けることで脱出が可能になるはずだ。緊急時用の脱出システムすら機能していないなんて、明らかに常軌を逸している。
——繧キ繧ケ繝?Β縺ョ逡ー蟶クを確認しました。現在蜴溷屏繧定ェソ譟サしています……。
——システムの逡ー蟶ク繧堤「コ隱阪@縺セ縺励◆。迴セ蝨ィ蜴溷屏を調査しています……。
無機質に鳴り響くアラートは、電池の切れたラジオのごとく調子が狂っている。
繰り返される不協和音が、心を支えていた何かを削り取っていく。それが覆しようのない事実であればあるほどに、混乱は想像を超えた速度で肥大する。
「な、んで——」
特A級星屑の侵攻。管制塔側の守りが手薄になった途端、湧いて出たように現れた無数の星屑。それらに続く結界のシャットアウトは、きっと無関係でありながら無関係ではない。
どれだけ星屑が湧いて出ようと、それそのもので異常をきたすほどに響さんの結界はヤワじゃない。本来なら緊急事態宣言は問題なく受理され、今頃は援軍が星屑を蹴散らしていたはずだ。
何かが——いや、誰かが。この管制塔で今起こっている事件、そのすべての糸を引いている黒幕がいる。
先にも過ぎった嫌な予感が、より強い確信を持って全身を駆け巡る。
この結界に細工をし、機能不全に陥れた犯人。その誰かは恐らく、星屑の出現とも関係している。それも昨日今日の話ではなく、もっと前から仕込みは済まされていたと考えた方がいい。
「……っ、でも」
おかしい。有り得ない。
思考が加速するその度に、そんな思考が溢れ出す。
結界に細工をする。口で言うのは簡単でも、それが困難を極めるのは言うまでもない。日本星皇軍を守るセキュリティの要、そこにハッキングを仕掛けようとも、生半可な腕では返り討ちに合うだけだ。
ましてやここ第二本部の内結界は、響さんが直々に維持管理を請け負っている。結界の申し子たる響さんを欺けるなんて、星皇軍どころか世界中を見回してもいるはずがない。
……仮に。もし仮に、響さんの裏をかける誰かがいるとすれば。
それは彼女と同じか、それ以上に結界の構造を熟知している人間だ。
内結界について彼女以上の知識を有する人間なら、あるいは「抜け道」のようなものを知っている可能性もある。セキュリティホールを突くハッカーのように、気付かれずに細工を仕込むことも可能だろう。
でも。そんな条件に合致する人間なんて、それこそ内結界というシステムそのものを構築した人間くらいのものだ。
それがどこの誰かなんて知らないし、そもそもそんなことをする理由が見当たらない。自分が作った防壁に攻め込むなんて、あまりにもバカげている。
有り得ないはずの事態と、そんな僕の眼前で起こる事実。
ふたつの激しい乖離が、泥沼のような深みへと僕を沈めていく。
「……くそっ!」
考える時間なんて、もとより用意されていない。
この状況を仕組んだ誰かは、僕のこの行動すら想定内だった——僕に許される行為はただひとつ、それを受け入れるかどうかだけ。受け入れられないのであれば、ここで死ぬより他にない。
「讓咏噪繧呈黒謐」
「謌ヲ髣倥r邯夊」
「…………っ!!」
鳴り響くアラートの出所から、僕の存在を察知したのか。視界を奪う暗幕をものともせず、二体の人形が迫り来る。
およそ肉という肉が削ぎ落とされた身体と、それとは正反対に肥大した頭。おぞましいその姿は、人間の姿を可能な限り冒涜的にしたような歪さだ。
「——————!!」
「っ、ぅ——!」
あまりに甲高いその咆哮は、もはや声の体すら成していない。
頭の中に直接響き渡るかのようなそれに、平衡感覚を根本から揺さぶられる。両足で踏みしめているものが本当に地面なのか、その認識すらも曖昧なものへと変わっていく。
超音波か、それに類する高周波か。コウモリのような能力で、向こうはこちらの位置を特定しにかかっている。
目を潰されても全く影響がないどころか、彼らにとっては願ってもない狩りのチャンスだ。周囲の星屑が一掃され、おまけに僕は足を止めているとなれば、これ以上の好機は望むべくもない。
「く、そ…………!」
構えろ。立ち向かえ。どれだけ己を焚きつけても、身体はその命令に従おうとしない。
複数能力の同時展開に、神器の多重召喚。継戦を度外視した能力の運用は、とっくの前に限界を通り越している。
すべてはたった一瞬、この手で門に触れるため。出せる力があるとすれば、そのときに底の底まで絞り尽くした。
戦う意志なら、ここにある。だというのに、指の一本すらも動かない。
となれば。
八方手詰まりなこの状況で、この先を望むというのなら。
「っ…………5番、展開……!!」
残された手段はもう、限界を超える以外にない。
頭も、体も。
これ以上ないほどに酷使して、ショートしていたそれらすべてが——オーバーヒートも厭うことなく、更に先へと加速する。
最後の能力は自己再生、大宮亜里亜から奪ったへび座の力。どれだけ身体が不調を訴えようとも、それをねじ伏せて動けるだけの魔法の力だ。
「讓咏噪繧堤「コ——」
「どけ……!」
向かってくる二体の星屑を、振り抜いた神器で横一文字に切り裂く。
熱を持ちながらもクリアになる思考と、燃え上がりそうなほどに熱い身体。能力による強引なドーピングによって、肉体が限界値を振り切って動き出す。
「まだまだ…………!」
疲労もダメージも、当然ながら消えていない。それらすべてを先送りにして、どうにか立っているだけだ。
能力の過剰使用による負荷を、更なる能力の使用によって打ち消す。あまりに馬鹿げたやり方でも、今の僕にはこれしか取れる手段がない。
唯一の突破口とも言える望みが消滅した今、選べる選択肢は殲滅一択だ。この能力を、自己再生を維持できなくなれば、今度こそ僕は意識を失うだろう。
悩まなくて良くなったぶん、問題は明快になったのだと。そう考えることができれば、まだ些か楽だったのだろうか。
残り5割弱の星屑に対して、こちらの戦力は一人と二人。どれほど効率的に処理したところで、今までと同程度の時間と手間がかかる。
「……う、く…………っ……!」
吐き出した息が熱い。文字通り命を燃やしているんだから、それも当たり前と言うべきなのか。
孤独な暗幕の中で、標的となる星屑に目星を付ける。この暗幕がどれほど持つかも分からない今、できうる限りの速度で狩りを実行しなければならない。
マナ切れが先か、殲滅が先か。いずれにせよ、今回のゲームはそう長くない。
膝から崩れ落ちそうな身体に鞭打ち、目の前の素っ首を落とさんと刃を振るう。
まずは一匹、確実に息の根を止めて——
「……………………あ」
そして。
そんな想像すらも温いと、今になってようやく理解する。
「次」の脅威は、待つまでもなく。
向こう側から、やって来た。
# # #
暗幕の効果範囲から抜け出せば、たちまち視界は元へと戻る。
奴の中心部から広がる黒煙は、さすがに脱出を阻む仕組みまでは備えていないらしい。接近戦に拘らなければ、こうして離脱することも可能というわけだ。
もちろん。そんなものを実感できたところで、この状況が好転するわけもない。
光を取り戻した視界、その正面で揺蕩う“くらやみ”。その向こう、恐らくは内結界の門があるはずの辺りから、やかましい音がひっきりなしに流れ出してくる。
明らかに尋常でないその様子からするに、必勝の策はアテが外れたと見るべきだろう。それもちょっとやそっとの失敗ではなく、かなり致命的なレベルだと思った方がいい。
奴の安否も気がかりだが、障害がある以上確認のしようがない。この暗幕がまだ保っているあたり、少なくとも無事ではあるはずだ。
——そう。「そんなこと」に構っていられるほど、この現状は甘くない。
「樋笠!」
「大丈夫! それより……!」
咄嗟に声を張り上げれば、目当ての人物が暗幕を突き破って飛び出してくる。
その様子から察するに、視界が奪われた中でも星屑を切り刻んでいたのか。無事が確認できたことは僥倖だが、あいにくと喜んでばかりもいられない。
ぞわり、と。
予感は一筋の線となって、蛇のごとく背筋を這い回る。
「構えて……! 何かが——」
何かが、来る。
その警告すら、最後まで言い終わらないうちに。
“獣”が、現れる。
「————————————!!!!」
響き渡るは甲高い咆哮。およそ人語の体を成していないそれは、しかし星屑の雄叫びともまた違う。
人間の声帯では実現不可能な音声を、強引に出力しているかのような。不気味なことこの上ない「音」が、その喉から漏れ出していた。
……ああ、そうだ。
その“獣”には、喉があった。
喉があって、顔があって。二本の腕があって、二本の足で立っている。
人の似姿を取った星屑であれば、さっきから散々斬り倒してきた。だが目の前にいるコレは、疑いようもない人間そのものだ。
管制塔と迎撃ポイントをつなぐ林道、俺たちが今しがた駆け抜けてきたその道から。人間には到底不可能な速度で走ってきたそれが何なのか、そんなものは一目見るだけで簡単に理解が及ぶ。
「——ぁ、あ————」
漏れ出す声は、僅かな人間性の残滓か。辛うじて理解できる「音」が出力されるほどに、認め難い現状が事実となって降りかかる。
——その“獣”は、見覚えのある服を着ていた。
この服は何だ? 決まりきっている。日本星皇軍の制服だ。
——その“獣”は、見覚えのある顔をしていた。
特A級星屑と相対し、いよいよ以て死を覚悟したあの瞬間。まるで天からの佑けのように、俺たちに差し伸べられた救いの手——誉ある日本星皇軍が隊員、その一人。
俺は彼を知っている。つい数時間前まで、博士や兵長と一緒にコタツを囲んでいた彼だ。この先の天気はどうだのと、兵長に他愛のない質問を投げかけていた彼だ。
——その“獣”は。人間と言うにはもう、あまりに手遅れだった。
俺たちを逃した彼らが、どのように戦ったのかは分からない。だがあの戦況を見る限り、そう簡単に遅れを取る布陣ではなかったはずだ。
特A級星屑“シャウラ”。単純な戦闘力そのものは、俺たちでも太刀打ちできる程度のものだった。いくら第二形態まで存在しているといっても、それだけで固有名を与えられるほどに厄介な相手ではないはずだ。
だが。その名前の与えられた所以が、直接の戦闘能力以外の点に当たるとするのならば?
「……シャウラ」
終ぞ答えが出ることのなかった疑問、その全てが氷解したかのように脳裏を駆け巡る。
シャウラ。その名が持つ意味は「針」。
黄道十二宮のひとつである蠍座、その尻尾で煌々と輝く二番星。
蠍と、尻尾と、針。これだけのものが揃えば、導き出される答えなぞたったひとつだけだ。
「————ぃ、やだ————」
悲痛な言葉は、彼に許された最後の抵抗か。あるいはそれすらも、そう聞こえただけなのかもしれない。
泡を吹き、白目を剥いたその様子は、当然ながら常人のそれではない。痙攣する身体とは裏腹に、両の足はしっかりと地を踏みしめている。
彼の体を蝕む、蠍の劇毒。それが齎すものは、死すらも生易しいと思えるほどの凄惨な絶望だ。
「————ぁ、————いやだ、イやダ、縺?dダ————!!!」
祈りも、叫びも。
たったそれだけの切なる願いすら、叶えられることは決してない。
全身に負っていた裂傷が、瞬く間のうちに治癒していく。人間の姿形を保ったまま、腕と頭だけが別の何かへと変じていく。
「………………!!!」
何かを言おうとしているのだろう。何かを伝えようと必死なのだろう。
だが。既にその頭は、人ならざる何かと挿げ替わっている。
例えるのなら、それは悪趣味な活花だった。
人間の首から上をもぎ取り、そこに大輪の花を継ぎ接いだかのような。不気味な現代美術さながらの光景は、しかし紛れもない現実そのものだ。
両腕だった部位から生えてくるのは、彼の神器だったと思しき長剣。手首を切り落とし、代わりに刃を突き刺したかのごときその外見は、懐かしの異形を彷彿とさせる。
「繧?a繧——繧?a縺ヲ縺上l」
悪趣味極まりない一輪挿しが、人語にほど近い「音」を鳴らす。今まで散々聞いた鳴き声であるからこそ、それが意味を成さないことは分かりきっている。
そうして。
一人の人間だったものは、数秒とないうちにバケモノへと堕ちていた。
「…………!!」
何が見え、何が聞こえているのか。文字通り花そのものの頭がどうやって外界を認識しているのか、正確な仕組みなど判るはずもない。
だが。その視線は、確かに俺を捉えている。
「……っ、俊!」
切羽詰まった樋笠の声。同時に数匹の星屑が、我先に“獣”へと殺到する。
どうやら唐突に入ってきた新顔に、獲物を横取りされては堪らないと思ったらしい。それは縄張り争いのような、単純極まりない動物の思考回路からくるものだ。
「逞帙>」
咆哮と、横薙ぎの一閃。
たったそれだけで、無数の星屑の首が飛ぶ。
「繧、繧ソ繧、」
腕と一体化した長剣が、ただ乱雑に振るわれる。
人間らしい戦略など、何ひとつとしてありはしない。純然たる暴虐が、群がる星屑を片端から切り刻む。
「縺?◆縺」
力押しの戦法でしかないという意味では、獣は周囲の星屑とそう変わらない。だがそのスペックは、とても雑魚とは呼べないほどに抜きん出ている。
膂力も速度も、そこらの星屑とは比べ物にならない。ただの力押しこそ最も効果的であると、この獣は最初から理解しているのだ。
「逞帙>、繧、繧ソ繧、縺?◆縺……!!」
……嗚呼、そうだ。
眼前で暴れ回るこれは、到底人間などと呼べる代物ではない。だが、本能のままに動く星屑かと問われれば、それも断じて違うと言い切れる。
暴走する“獣”。人間の成れ果て。どちらでもありどちらでもない、曖昧で不透明な存在。
「蜉ゥ縺代※縺上l」
腕が振るわれるたび、周囲の星屑が塵芥のように消えていく。およそ尋常ではないその力は、まさしく暴走特急と言うに相応しい。
どれだけの星屑が群がろうとも、獣は一顧だにすることはない。その目に映っているのはただ一人、俺という獲物の姿だけだ。
「谿コ縺励※縺上l」
人間を獣へ——星屑へと変える。それこそが“騎士”の、“シャウラ”の真の力だとしても、この出力は明らかに常軌を逸したものだ。
なんらかの作用によって、“獣”は限界値を大幅に超えた能力を引き出されている。それがどういったものかはさておき、相当無茶な負荷がかかっているのは明白だ。
言うなれば、クスリによって強引に身体能力を底上げするかのような。即戦力として機能させ、そのまま使い捨てることも厭わない強化が、この獣には施されている。
「…………ああ」
まだ、血は赤いのだろうか。
身体を切り裂かれたら、痛みにのたうち回るのだろうか。
それとも痛いという感覚すら、既に消えてしまっているのだろうか。
どこまでが人間で、どこからが星屑で。
そんな基準、所詮は後付けでなされる区分けに過ぎない。今ここにいるコレがなんなのか、確かめなければ断言のしようがないのだ。
そうだ。この目で、この手で——確かめて、みなければ。
「く…………う」
ふつふつと。
止めどなく、血が湧き立つ音がする。
欲しい、もっと。
もっと、もっと。
一山いくらの雑魚などでは満たされず、加速するばかりの飢えと渇き。それを補うに足る存在が、今まさに俺だけを狙っている。どれだけ星屑の群れを薙ぎ倒そうが手に入らない、より純度の高い闘争がそこにある。
「豁「繧√※谺イ縺励>」
「っ、ぐ……!」
並み居る星屑を撫で斬りにし、一瞬で距離を詰める獣。その剣を受け止めた盾が、一撃の重さに耐えきれず軋みを上げる。
特A級の攻撃を正面から受け止めたことが、どうやら想像以上に尾を引いているらしい。このまま防戦に回れば、そう遠くないうちに砕け散ることは明白だ。
「谿コ縺励※谺イ縺励>」
「この——」
組み合った盾から水流を吹き出せば、獣は地面に跡を残しながらも踏み止まる。ふらつくその隙に一発入れようと構えた瞬間、電流のように予感が迸った。
「…………!」
「鬆シ繧」
直感に従って攻撃をキャンセルし、大きく身を沈めた刹那。雷光のように鋭い蹴りが、今まで首があった空間を通過する。
頭上を通り抜ける、紛うことなき人間の足。その足先から伸びているのは、腕にあるものと同様の長剣だ。
どうやら腕だけでなく、足からも任意で刃を出せるらしい。正面からぶち当てた水流を耐え抜いたのも、刃を地中に突き刺してアンカーにしたからだろう。どの程度の強度があるのかは知らないが、叩き折るのは無理筋だと言わねばならないようだ。
「縺ッ繧?¥ 譌ゥ縺」
「加減しろ、この——」
速さ、重さ、そして手数。狂ったように攻め立てる獣の攻撃は、あらゆる要素が高次元に纏まっている。あれだけ猛っていた星屑の勢いですら、この圧力の前では児戯にも等しい。
人間であろうと動物であろうと、間断なく攻め続けることなどできないはずだ。だが、リミッターを外されている獣に、そのようなルールは通用しない。
力押しも力押し、防御など一切考えないパワープレイ。相手に反撃を許さなければ良いのだと、そう言わんばかりの攻勢が俺を飲み込んでいく。
一度でも押し込まれたら最後、あの長剣に両断されてお終いだ。だが獣の猛攻は、このコンディションで捌き切れるほどに悠長なものでもない。
どこかで攻めに転じなければ、遠からずこの盤面は詰む。それを理解しているからこそ、思考は一層の焦りを伴って空回る。
……そうだ。仕留めなければ。
敵の強さに、その攻撃の苛烈さに焦っている、などと。
そんな稚拙な嘘で、何を欺けるというのだろう。
「っ…………」
どれだけ厳重に蓋をしたところで、元栓が閉まっていなければ意味がない。
手が震える。抑え込まれていたはずのものが、“獣”の参戦によって勢いを増す。
理性という名の堤防を越え、「それ」が波濤となって押し寄せる。焦りがあるとするのならば、原因はその限界が崩れ落ちているからに他ならない。
「謌ヲ縺?◆縺上↑縺」
「くそ……!」
どれだけ己を律しようとも、人間は欲に抗えない。それは物欲などではない、より根源的な欲望だ。
なぜ食欲があるのか? 決まっている。食わなければ、人間は死ぬからだ。
生命を維持するために必要だから、人間はその欲を望む。それなしでは生命を保てないのだから、当然の帰結としてそうなっているだけ。
——ああ、当然の帰結だ。だというのに、どうしてそこから背こうとする?
「……そんなもの」
そんなもの、決まっている。そう言いたいはずなのに、続く言葉が出てこない。
悪魔の誘惑を断ち切るには、それに見合うだけの理由が必要だ。甘言を振り払い、毅然として立ち続けるに足る、誇り高い何かが存在するはずなのだ。
『で? そんなものが、お前の何処にある』
聞こえる。
『高尚な人倫を掲げたいなら好きにすればいい。だがそんなものが、お前の中にあるとでも言うつもりか?』
聞こえる。
『人倫なんてものを意識するのは、そこから外れている自覚があるからだ。清く正しく生きている人間が、そんなことを考えるはずがないだろう?』
声が、聞こえる。
『俺はお前だ。自分ひとり騙せない建前に、一体どれだけの意味があるんだろうな?』
呆れたように。慈しむように。愛おしむように。
神経を逆撫でするせせら笑いが、全身に絡みついて離れない。粘ついたその笑い声が、理性の堤防を容赦なく削り取る。
「縺斐a繧薙↑縺輔>」
「っ——!」
横からの一撃を回避し損ね、何かに追突されたような衝撃が走る。掠っただけでこの威力、まともに直撃したらどうなるかなど考えたくもない。
振るわれる剣から逃れるため、ひたすらに後退と回避を繰り返す。突破口を見つけようにも、時間が経つほどに抑えは効かなくなっていく。
「俊……!」
樋笠の前に立ち塞がるのは、最後に残った星屑の群れ。“獣”の虐殺から逃れた一握りが、俺と樋笠との合流を阻む。
「そこから離れて! まだ——」
そして。
「まだ、次が来る……!」
逼迫した樋笠の声が、更なる絶望を指し示す。
——ああ、そうだ。
何故、気付かなかった?
“騎士”と戦闘していたはずの獣が、あの林道を通って戻ってきた。それは取りも直さず、それが許されてしまったということだ。
いくら負傷しているとはいえ、あの兵長が敵前逃亡を許すとは思えない。本来なら、獣は戦場で……兵士としての誇りを持ったまま、星皇軍によって討伐されているはずなのだ。
何故、獣は此処に、管制塔に至ることができたのか。そんなもの、わざわざ問うまでもない。
「————あ——ア——」
幽かに聞こえる、虚ろな声。木々を薙ぎ倒す音に比して、応戦する声はあまりにも弱々しい。
数人の人影が、森を突き破って飛び出してくる。統率もなく、ただ逃げ惑うことしかできないその様子を見れば、導き出せる結論はたったひとつだ。
「闍ヲ縺励>——逞帙>——」
「手遅れ」がひとり。満身創痍のものが4人。
その4人ですら、いつまで持つかわからない。
眼前にあるのは、たったひとつだけの明快な事実。
単純で、簡単で。そしてそれゆえに、決して言い逃れのしようがない。
日本星皇軍は、敗走した。
果てるまで戦えと、確かにそう言いました。
本日より三日連続更新です。明日夜の更新をお待ちください。
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