過去の少年たち
村上が死んだ。そのメールは村上の携帯から送信されたようだが送り主は村上の母親だった。そのメールに記されていた内容は、村上が車の単独事故で死んだこと。今までのことに対する礼の言葉。最後に顔を合わせてやってほしいという言葉。そして葬儀の場所と時間。このメールは一斉送信で送っていますということ。そしてまた礼と謝罪。それくらいだった。
携帯を手の上に乗せたまま何処を見るでもなく、またボーっとしていた。急なことに訳が分からなかった。冷たい風が吹く。猫はまた何処かへ行ってしまっていた。
そして俺はある過去の少年を思い出す。いつも呑気に見えた奴のことを。
村上と俺が出会ったのは小学二年生の頃だった。実際には一年生の頃から顔は知っていたが、二年生で同じクラスになり、そこから自然と仲良くなったのだ。
村上はいつも少しヘラヘラしているような奴だった。いやヘラヘラというか、ボーっとというか、なんというか、まあ印象としては呑気な奴だなあ、みたいな印象だった。身長は小学生当時も大人になってからも平均よりは低いくらいで、少し丸顔で、髪は基本ボサボサで、笑うときにニヤリと気持ち悪く笑う奴だった。それを見て俺もニヤリと気持ち悪く笑ったりした。
小学生の頃というのはクラスが変わるだけであまり遊ばなくなったりというのもあったが、結局俺と村上はそれから大人になるまでずっと仲が良かった。
村上と当時何をして遊んだりしていたのかは覚えていない。時が経ったからというのもあるかもしれないが、俺と村上はいつもなんの印象にも残らないような無意味なことをよくやっていた。俺たちはそういう仲なのだ。それがまたいつまでも心地良かった。
小学生の頃の村上との特別な思い出は特にない。それくらい無意味で、でも楽しくニヤリと笑っていたのだ。
唯一思い出すことと言えば六年生の時の修学旅行のことか。俺と村上含め数名で同じ部屋に泊まっており、消灯時間も近づく中、みんなで枕投げをやった。みんなで枕を投げ合ったり奪い合ったりしている中、村上の投げた枕が俺に当たる。そしてやってやるぞと火がつき、そこらに落ちている枕を村上に対して投げまくった。そして手元に残った最後の枕で上から振り下ろして叩いてやろうとしたとき、村上はまたニヤリと笑った。そして村上は手にしていた枕を下から突き上げるように振った。そしてその枕が俺の股間に当たる。俺が呻く。そして俺の顔を見てまたニヤリと笑った。今思い出しても腹の立つ顔だ。あの時のことは結局ずっと恨み続けている。
その後寝るときに、好きな女子を言い合う、みたいなことはしなかった。俺たちはそういう話をする仲ではないのだ。お互いのそういう部分に対して極端に興味がないんだと思う。ただお互いのそういう話には興味がなくても、どうしても自分の恋愛事情に関することで自慢したかったりすることがあれば容赦なく自慢することもあった。主に俺が。まあ簡単に言ってしまえば自慢できる奴が村上くらいしかいなかったからなのだが。
あとはその翌日、スキー場に行ったときのことか。村上と一緒に滑っていたのだが、村上が「うぎゃわあ」なんて言って思いっきり漫画のように転んだ。そのときには大いに笑ったものだ。さすがに少し恥ずかしかったのか村上は少ししょげてトイレに行くと言って降りて行った。
思えばその時か、河合さんのあの笑顔を見たのは。そうしてまたあの笑顔を思い出した。
そして俺たちは中学生になった。
俺もそうだったが村上の学ラン姿はあまりにも似合っておらず、初めて見たときにはお互いまた気持ち悪くニヤリとした。結局卒業するまで村上が学ランに似合うことはなかった。
三年生の時以外は違うクラスだったが俺たちのつまらない仲が変わることはなかった。
俺も村上も帰宅部だったこともあり、いつも一緒に下校した。うざい教師の悪口を言ったり、いわゆるリア充に対する愚痴を吐いたり、中学遠いんだよ、なんていう無意味でつまらない愚痴を吐いたり。また無意味でつまらなく、でも面白い日々を三年間続けた。
三年生の時にはクラスも一緒になったが特に今まで以上に仲が深まるわけでもなくそのままであった。その一定の距離感が心地良いのだ。
そして三年になったことで受験のことも含め、帰り道の数十分では愚痴を吐ききれず、近くの公園の屋根付きベンチに寝転んで愚痴を吐き合ったり、学校での失敗などを自虐ネタにして言ったりしたものだ。そういうときによく村上は「お前は自虐趣味でもあるのか、マゾか」なんて馬鹿にしてくるのだった。
ある日、村上が珍しくつまらない自慢をしてきた。「俺クラスの女子とメールしてんだよ、良いだろ」なんて言ってきた。そして携帯の画面を突き出すように見せびらかしニヤリと笑う。メールの相手はクラスの一軍の女子だったので「不釣り合いだ、諦めろ」と言うと村上は「黙れ、別にそういうんじゃねえよ」と言い睨むのだった。そして「彼氏のいる女に興味ねえよ」と言っていたが、多分どれほどかは分からないが多少は好意を寄せていたのだと思う。意外と純粋かよ。
そしてそれに返すように「てか俺も女子とメールくらいしてらあ」と言って自慢したが村上はもうその話には興味がないようでコンビニで買った焼き鳥を食いながら「はいはい」と言い流すのであった。やはり腹の立つ奴だ。自慢するだけ自慢しよって。
勿論その俺のメールの相手は無口な杉崎さんのことだ。そしてまたあのメールの言葉の数々を思い出した。
そういえば後になって村上に杉崎さんの話をしたとき「あの人、〇〇と付き合ってたけどな」といらぬお知らせをしてきたのも村上であった。
そしてそのまま特に大した色恋沙汰も大した青春も大きな変化もないまま、俺たちは中学校を卒業した。ただその三年間はそれなりに楽しかった。つまらないなりに青春だったと、今では思う。
俺たちは別々の高校に進学した。
高校に入学してからも俺は中々友達ができず、村上はとっつきやすいタイプなので話す相手はいたようだがしばらく友達ほどの存在はできずに、結局俺たちは休日にまた一緒に遊んだりした。
俺が軽音楽部に入ってギターを始めたという話をすると村上は「俺ベース弾けるぞ」と言い出した。お互いあまり相手に対して興味を持たないこともあって、相手の知らない一面もたまにある。俺は知らなかったが村上は中二の夏あたりからベースを個人的にやりだしたらしい。全く知らなかったので少し驚いた。
ベースをやっているのに村上は高校では軽音楽部には入らず、何故かバスケ部に入ったらしかった。何故入ったのかと訊くと「ほぼやったことないからやってみようと思って、好奇心だな」と言っていた。しかし俺が二年生になって軽音楽部を辞めると同時に村上もバスケ部を辞めていた。俺と同じように二年先輩に気になる人でもいたのだろうか。
俺は部活でギターを弾いているだけで当時ギターを持ってはいなかったが、たまに部活用のギターを借りて持ち帰り村上と弾き合ったりしたものだ。あれは中々青春だった。俺たちには似合わないな。
俺は当時先輩に教えてもらっている段階だったのであまり弾けなかったが村上は結構ベースを弾けるらしかった。前に村上とカラオケに行った時、あまり歌が上手くなかったので音楽のセンスはないのかななんて思って心の中で嘲笑ってやってたが、そんなことはないらしい。
俺が当時練習してた簡単な曲を一緒に演奏したときは中々に興奮してまたニヤリと笑ったものだった。
ふと、特に何かを考えたわけでもなくなんとなくで訊いた。
「お前、夢とかあんのか?」
村上はまた間抜け面で「あー」と少し考えた後、
「まあ音楽で食っていきたいなあ、みたいなのは思ってるけど。お前は?」
俺は少し考えた。でもあまりにも何も思いつかなかったのでこう答えた。
「童貞卒業かな」
村上はニヤリと気持ち悪く笑い「そういうことじゃねえよ馬鹿が」と俺を罵倒した。
そして「しかもそれは無理だな」なんて言ってきたので「無理じゃねえわボケ」とツッコんだ。
ある日、俺がいつもの部活用ギターではない赤いギターを持って行くと村上は「買ったんか?」と訊いてきた。「いや借りたんだよ」と言うと「かっこいいな」と珍しく好感的な反応を見せた。
勿論その赤いギターを借りた相手は部活の先輩の森さんだ。そしてまた文化祭でギターを弾く美しい森さんの姿を思い出した。
高校二年生、なんと村上に彼女ができたらしかった。村上が自分から言うわけでもないし、俺から訊いたわけでもないが、村上が床に置いた携帯にメールが来ておりそれが女性っぽい名前から来ていたので、「おいこりゃなんだ」と何度か問い詰めると「彼女だよ」と言うのだった。相手の恋愛事情などに興味はないがこれは許せん。何故こいつが俺より先に「彼女」なる存在を作れるのだ!と思い、
「ふざけるな!大事な友人を見捨てるのか!この裏切り者!それでもお前は漢か!」と罵倒すると村上は馬鹿にするようにニヤリと笑ったのでちゃんとグーで肩を殴ってやった。それでも村上はまだニヤリとこちらを馬鹿にしていた。
しかし村上はその後すぐに別れてしまったらしかった。その時俺は前とは真逆の意見で村上を罵倒した。
「ふざけるな!せっかく手に入れたおなごを!このタコ野郎!それでもお前は漢か!」と。するとまた村上はニヤリと笑ったのだった。
高校三年生になって受験も近づいてきたので俺たちが会うことも少しだけ減った。それでもいつもつまらない話をしていた。
俺が「童貞ってどうやって捨てるんだ?」と訊くと「童貞の俺に訊くなやボケ」と村上は言った。
「あー、このまま童貞のまま高校卒業すんのかなぁ。嫌だなぁ、嗚呼、死ぬしかねえな」なんて俺は言っていたが、結局俺たちは童貞のまま高校を卒業して、しかも当然死ななかった。
卒業式の日の朝、村上にメールで「高校は卒業できたのに童貞は卒業できなかったな。なんでだろうな。それが理由で卒業式の最中泣きそうだわ」なんて送ると、
「勝手に泣いとけ童貞が...。童貞なんて、別に...。ぐすん、ぐすん。。。」と帰ってきたので、思わず抱きしめて禿げるくらい頭を撫でてやりたかったが気持ちが悪すぎるのでやめた。
その日の卒業式後か、久しぶりに、そして最後に寺坂さんとあの桜の見える窓の側で会ったのは。そしてまた窓の外に見える桜と寺坂さんの可愛らしい笑顔を思い出した。
そして俺たちは大学に入学した。
大学も別々の学校で、お互い一人暮らしを始めたり色々と忙しかったのでさすがに会う回数も減ったが、そこまで家が遠くなったわけでもなかったこともあり、結局俺たちは月に数回は遊んでいた。
大学に入学してからも俺たちは基本的には変わらず間抜けで気持ち悪くニヤリと笑い合っていたが、村上は少しお洒落になった。「大学デビューでも目指してるのか」というと「大学デビューしようという勇気もない奴が口挟むな間抜けが」と罵倒されたので絞め殺してやろうと思ったが俺は大人なのでやめてやった。
その後俺がついに童貞を卒業したときには村上に思いっきり自慢した。そしてまたあの体温と武山さんの綺麗な姿を思い出した。
しかしそれを自慢したとき村上は「今更かよ、俺は大学入学して一ヶ月くらいの頃に卒業したぞ」と言い返してきた。衝撃を受けた。こいつ、間抜けな顔をして俺より先にやることやってやがったのか。そしてまた罵倒した。
「ふざけるな!大事な友人の先を越しやがって!この裏切り者!それでもお前は漢か!」と言うと村上はまた馬鹿にするようにニヤリと笑ったのでまたちゃんとグーで肩を殴ってやった。それでも村上はまだニヤリとこちらを馬鹿にしていた。
俺が大学へ行かなくなり引きこもりになった。
たまに村上が家に来た。
勿論村上は俺を慰めたりする奴でも励ましたりする奴でもないので、またいつものようにニヤリと笑いながら俺の家にあったスルメをむしゃむしゃと食っていた。正直それだけで俺はだいぶ助かっていた。
村上は大学に入ってから軽音サークルに入ったらしく仮バンドを組んだりして演奏をしているという話をしていた。そのサークルの先輩の愚痴を言ってニヤリと笑う村上が気持ち悪くて、心地良かった。
たしかに当時は外出は嫌いだったが、引きこもりと言っても近くのコンビニとかには普通に行けた。でも遠出は嫌っていた。特に意味はなかった。なんとなくでしんどかった。でもそれから村上と遊ぶとき少しずつ外に出て行くようになり、電車にも普通に乗れるようになった。そしてじきにバイトも始めた。村上がいなければもう少し時間がかかっていただろうと思う。
二十一歳、俺の父親が死んだときには村上も葬儀に来ていた。
さすがの村上もそういう場では真面目にやっているようだったが、少しそういう場所を離れるとやはりいつもの村上に戻った。そして俺が父親の死を不謹慎にネタにしていじると村上はまたニヤリと笑いながら「呪われるぞ」と言った。
夕暮れ時、村上は急に「小学生の頃、お前と、お前のお父さんと、俺で公園で遊んだの懐かしいな」なんて言い出した。
「そんなことあったか?」
「うん、帰りにアイスキャンディー買ってくれたりしただろ」
「あー、あったな、あのアイスキャンディーめちゃくちゃうまかったよな」
「夕暮れ時まで遊んで疲れてたのもあるかもだが、ほんとにあれ以上にうまいのに未だに出会ってねえわ」
「俺も、たしかに懐かしいな」
「だから俺のお前のお父さんのイメージ、夕暮れとアイスキャンディーだわ」
「んな綺麗だったり美味いもんじゃねえよ、臭えし」
「思春期の女子高生みたいなこと言うなよ」
そう村上は珍しく的確にツッコみ、そして俺たちは二人で笑った。
そして村上は「丁度こんな夕暮れ時だったなあ」なんて言っていた。
二十二歳、村上は大学を卒業し、就職した。
いつかの村上は「音楽で食っていきたいなあ」なんてことを言っていたが、結局村上は音楽と全く関係のない会社に就職した。俺は当時もバイトだけでそこまで忙しくはなかったが、どうやら村上は結構忙しいらしく、さすがにこの頃から中々会わなくなった。
冬、年末、最後に村上と会った日だ。
久々に遊ぼうということで村上が働く会社の最寄駅の駅前で待ち合わせをした。当日、村上は少し遅れると言って三十分程遅れてきた。
スーツ姿で現れた村上は前とは少し違っていた。疲れ切ったような様子だった。俺の姿を見つけても前みたいにニヤリとは笑わず、僅かに口角を上げた。
居酒屋に行った。その日は俺もバイト終わりで疲れていたので、普段はあまり飲まないビールも美味かった。村上はビールを飲みジョッキを置いて、濁点混じりのため息をついた。
俺はニヤリと笑い「疲れたんか、ざまあみろ」とおちょけて言ったが村上はまたニヤリとはせずに少し口角を上げて「うっせーよ」と言うだけだった。
それからは色々と話した。村上はあまり自分を語るタイプでもないので七割くらい俺が喋っていた。最近彼女ができたんだということを俺が自慢すると村上が「ふざけるな!この裏切り者!」と少し口角を上げて罵倒してきたので少し安心した。ただあの気持ち悪いニヤリという笑みはなかった。
「正月は実家帰ったりすんのか?」と訊くと、「一応な、年明け三日から仕事だからあんまし休めねえけど」と言ってまた少しため息をついた。
そして村上は「お前は...、あ、そ、そうか、父親、し、死んじゃったんだもんな、ご、ごめんな、本当に、ごめんなぁ。」とふざけて言ってきたので「この不謹慎野郎め!」と罵倒してやった。村上はまた少しだけ力無く笑った。
それからもしばらく、久々にまたつまらない話をして居酒屋を出た。外は声が出るほど寒かった。
雪が、降っていた。そしてまたあの魅力的な冬の日と、魅冬の素晴らしく美しく綺麗な姿を思い出した。
それから少しだけぶらぶらして、自動販売機であったかい缶コーヒーを買って、近くにあったベンチで二人、震えながら飲んだ。
村上はベンチに体を沈めるようにぐったりと座って、雪の降る空を見上げ、ため息を吐いた。それが白い息として空間に現れた。そして少しして消えた。しばらくボーっとしたり、またつまらない話をした後、帰ることにした。
「じゃあな」と言って去ろうとする村上に対し俺は何か言ってやろうと思った。でも就職もしてない俺が励ましたりするのもおかしな話だし、そもそも俺たちは励まし合うような関係ではないし、なんて言えばいいかよく分からなかった。ただなんとか言葉を振り絞る。本当はその背中に雪玉でも投げつけて振り向かせようと思ったが、積もるほど降ってなかったので俺は村上の背中に小さな石を投げつけ「おいこら」と声を投げかける。そして村上が振り向く。そして俺はいつものように言った。
「俺は小六の修学旅行の枕投げのとき、お前に股間に枕ぶつけられたこと未だに恨んでるからなボケが」
すると村上は前までのように、気持ち悪くニヤリと笑った。
気がつくと俺は、あの日の村上のようにベンチに体を沈めるようにぐったりと座っていた。空からは雪ではなく桜が降っている。