魅力的な冬の日
目が覚めると既に昼であった。しかし問題はない、今日は休みである。「うゔぁあ」なんていう唸り声を上げながら背伸びをする。よく寝た。
歯を磨いたり朝食を食べたり一通りの事をやり終え、小説を読んだりテレビ番組の録画を観たりといつも通りの休日。
ふと思い立って部屋の掃除をして、荒れた棚や押入れの中なども綺麗に整理することにした。
殆どの場所の整理を終え、いよいよ一番荒れている押入れに取り掛かる。荒れた押入れの上の方を整理していると突如上から何かが落ちてきて頭にぶつかりまた落ちて行く。「いてっ」と声を上げ、下を見て落ちてきた物を確認する。それは細長い長方形の箱であった。なんの箱かと思い、しゃがみそれを手に取りその箱を開けた。
ちゃんと見覚えはあった。そこに入っていたのはネックレスだった。これといった特徴はないが綺麗であり女性が身につけるネックレスである。
そして俺はある過去の少女を思い出す...
いや、思えば俺と彼女が出会った頃には彼女は既に過去の少女であった。彼女はその時既に年齢も精神的にも一人の大人の女性であったからだ。だから言い直そうか。
そして俺はある過去の女性を思い出す。愛を教えてくれた彼女のことを。
二十二歳、冬。俺は引きこもりからもとっくに脱出し、でも何をしていいか分からずバイトに明け暮れていた。そんなバイト先で出会ったのが彼女であった。俺はその時から彼女に惹かれていた。容姿が綺麗なのもその一因であろうが他にも彼女には惹かれる部分があった。彼女はバイト先の後輩で二歳年下の出会った当時二十歳の大学三年生であったが俺より全然大人っぽい人だった。というか大人だった。他人に優しく自分に厳しいような人で仕事もきっちりこなす、そんな彼女に惹かれていたのだ。
彼女の名前は田口魅冬。
付き合う前は「田口さん」と呼んでいたが付き合うにあたって「魅冬」と呼ぶようになった。彼女も「永久さん」から「優純くん」と呼ぶようになった。思えば今までの俺の人生で人をちゃんと下の名前で呼んだのは最初であり最後やもしれんな。
彼女の容姿は、髪はショートカットで綺麗な目は大きく顔の第一印象として捉えさせるほどである。身長は平均より少し高いくらいで本当に美しく、声も落ち着いていて全体的に大人っぽさを漂わせている人だった。二歳上の俺よりもずっと。
ただ付き合ってから気づくことだったが彼女はやはり大人っぽくもあるが、非常に可愛らしい人でもあったのだ。
そうして俺は彼女と付き合った日から、彼女に振られて別れた日までの約一年間を、あの春夏秋冬を思い出す。
十二月、クリスマスも近づき、雪が降った日の事だ。彼女の二十一歳の誕生日。魅力的な冬の日だった。
俺は勇気を出して彼女をデートに誘い、そのデートの帰り、雪を乗せた寒い風に包まれながら彼女に告白した。中学生みたいな分かりやすい告白をした。
彼女は微笑み「はい」とだけ答えた。俺も微笑み嬉しくて少し泣きそうになった。彼女も雪も言わずもがなとてつもなく綺麗だった。
初めての彼女だった。というかこれも二十五歳の現時点であっても最初で最後の彼女か。
思えば告白なんてのも初めてだったな。これも最初で最後になるか。これからする予定も当然ないし。
しかしなんで彼女は俺なんかと付き合ってくれたのか。彼女は俺のどこが好きだったのか。それは丁度この一年後にようやく知った。
思えばこの時くらいか、旧友である村上と最後に会ったのは。まあ今はいいか。
一月、年も明け、付き合いだして一ヶ月くらいの頃だ。
夜、これもまたデート後のときだ。公園のベンチに座って二人、なんともないような会話をしていた。なんとなくまだ帰りたくなかったのだ。
「今日楽しかったね」
「うん」
「今度どこ行く?どっか行きたい場所とかある?」
「うーん、俺はどこでも良いけど、魅冬は?」
それから魅冬は少し考えるようにして言う。
「私もどこでも良いかな」
そうして顔を見合わせ笑った。
「あ、でも京都とか行ってみたいかなあ、泊まりとかも良いし」
「じゃあお金貯めないとだな」
「バイト頑張らなくちゃだね」
そうして会話が終わる。沈黙。夜の公園は静かで俺たちが黙ると少しの風くらいしか音がしなかった。不意に魅冬が少しこっちに寄ってきたような感じがした。魅冬の方を見ると魅冬もこっちを見ていた。
俺も目を逸らさず見つめる、そのまま俺たちは顔を近づける。魅冬が目を閉じる。鼓動が一気に早くなった。
そして、唇を重ねた。ファーストキスだった。
重ねた唇を離れさせて魅冬の顔を見る。魅冬も俺の顔を見ていた。
魅冬は恥ずかしそうに少し微笑んだ。色白な肌の頬は赤らんでいた。とても可愛かった。
一月の空気はやはり冷たく、でも体はとても熱かった。
二月、俺たちは京都旅行へ行った。
手を繋ぎ綺麗な京都の街や色々なところを巡り歩いた。しかし魅冬の綺麗な姿は京都によく似合ったものだ。綺麗な夜の鴨川の景色は今でもはっきりと覚えている。
少し高めの旅館に泊まった。単純に贅沢した。綺麗な部屋に入った瞬間、綺麗な魅冬は普段の大人っぽい印象とは逆に可愛らしくはしゃいでいた。俺もはしゃいでいた。
「温泉行こっか」魅冬は可愛らしくそう言った。
温泉から上がって魅冬を待つ。なんだかずっと少しドキドキしていた気がする。
予想通りだった。風呂を上がり浴衣姿で微笑み手を振っている魅冬の姿はなによりも素晴らしく美しく見惚れたあと頭を抱えるほどであった。本当に綺麗だった。
二人、部屋に戻る。豪華な食事が出されそれを見た魅冬は「わあー!」と可愛らしくにっこりとして言った。俺も言った。しかしその日の魅冬はいつも以上に可愛らしく綺麗だった。
それからもう一度京都の街を歩いた。京都の綺麗な街に綺麗な浴衣姿の魅冬。
京都の明かりが彼女の顔を照らす。嗚呼、だめだ、頭がクラクラする。綺麗すぎる。美しいというのはきっとこれのことなのだろう。そう思った。
もう一度部屋に戻る。既に布団は敷かれており、俺は無邪気に勢いよく潜った。それを見て魅冬はまた笑って、「馬鹿だなぁ」なんて言いつつも魅冬も隣の布団に潜った。そして二人、また笑った。楽しい。それからテレビをつけてお笑い番組を見てまた笑う。楽しい。それから二人でトランプをした。小さな子供みたいにいっぱいはしゃいで、いっぱい笑った。楽しい。
歩き疲れ、笑い疲れ、楽しみ疲れたのでまたそれぞれの布団に潜り眠ることにした。
「おやすみ」とお互いに言って俺は電気を消す。でも魅冬は「豆電球はつけて」と言った。それもまた可愛い。仕方なく豆電球だけをつけて布団に潜る。
布団に潜りながらもそれから数十分二人でいっぱい話した。これもまた楽しい。でもやっぱり疲労があって俺は眠ってしまった。
何かが体に触れるのを感じ目が覚めた。布団の中で何かが動いている。なんだ?と思ったがすぐに気づいた。
魅冬が俺の布団に潜り込んできていた。俺を起こさないようになのかゆっくりと静かに潜り込んできた。そして布団から少しだけ頭が出た状態で、静かに俺に抱きついた。あったかい。
とてもとてもあったかかった。
そしてその体温である過去の少女を思い出しそうになったがそれはすぐに消えた。それ以上にあったかかったから。
ふと魅冬が上にある俺の顔を覗いてきて目が合う。「あっ」と魅冬が声を上げる。そしてお互いにニヤリと笑う。暗い部屋の中でもはっきりと分かる綺麗なその笑顔はまた可愛らしく美しかった。そして抱きしめた。ギュッと抱きしめると魅冬も俺を力一杯抱きしめた。ずっと一生このままが良いとすら思った。
上にあがって布団から顔を出した魅冬はまた微笑みながら俺にキスをした。そしてまた抱きしめた。
そうしてその後、そのまま俺は魅冬と初めて体を重ねた。その後もギュッとお互い抱きしめ合っていた。
そうして俺は幸せの意味を知った。彼女が教えてくれた。
三月、俺の二十三歳の誕生日。
この頃には魅冬と同じだったバイト先は辞め、俺は違うバイトを始めていたこともあり、バイト先で会えることがなくなり、会う日はより一層特別感が増していた。だからその日も楽しく嬉しかった。
魅冬と夜に入るくらいまでデートをした帰り、小さめのホールのケーキやチキン、ビールにジュースを買って二人で俺の住む六畳のボロアパートへ。
俺が「片付けるからちょっと待ってて」と言って部屋に入り散らかった部屋の物を適当に押入れに押し込んだり放ったりしていると俺の忠告を無視した魅冬が「おじゃましまーす」なんて言って勝手に入ってきた。
俺は戸惑いながら少し怒ったがそんなのは無視して魅冬は「散らかってるね」なんて言って笑ったんだった。
魅冬は「私も手伝う」と言って手伝ってくれて、パッと適当に掃除を終えて低いテーブルを畳の真ん中に置いてその上に買ってきたケーキとチキン、俺はビール、魅冬はオレンジジュースを置く。そして座布団を二つテーブルの周りに置き、その上に二人向かい合って座る。
そして「じゃあそろそろ」とニヤリと笑った魅冬はケーキにろうそくを左側に二本、右側に三本挿し火をつける。そして魅冬はまた「じゃあ」と言って電気を消した。そして、
「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデーディア...優純くーーーーん!!ハッピーバースデートゥーユーーーー!!!おめでとう!!」
そう歌いまた綺麗な顔でにっこりと笑った。俺もその顔を見て笑った。嬉しかった。
そしてろうそくの火を吹き消す。部屋は真っ暗に。暗闇の中には魅冬が手を叩くパチパチという音と魅冬が笑う気配があった。俺も笑っていた。
魅冬が電気をつけると古い電気は何度か点滅してパチっとつき、部屋全体を再び明るくした。
魅冬が再び座布団の上に座る。そしてまた少し微笑んで「おめでとう」と優しく言った。素直に「ありがとう」と返す。
「じゃあ食べよっか」と言い、ケーキを少し端に寄せてチキンに手をつける。うん、クソうまかった。普段はあまり飲まないビールも、うん、やはりクソうまかった。
そしてある程度食べたところで魅冬は「あっ」と少しわざとらしく言って背中の方からある袋を俺に差し出した。
「どうぞ」と言われ、「ありがとう」と言い、それを受け取り中を確認する。中には少し高級感の漂う箱があり、更にそれを開ける。中には腕時計が入っていた。
一見シンプルでもあり、しかし高級感漂うアンティーク調の腕時計であった。いかにも俺好みだ。俺が腕時計を持っていないことを知っていて買ってくれたのであろう。それを腕につけてニヤニヤしながら魅冬に見せつける。
すると魅冬が俺を見て笑いながら「似合ってるよ」と言った。もう一度「ありがとう」と言う。その後思わず、「いやあ、嬉しい。」と言葉が漏れてしまった。それほどまでに嬉しかった。また幸せだった。
この時に貰った腕時計は今でもずっとつけている。毎日つけているから慣れてしまってそれを見るたびに当時の思い出に浸るなんてことはないのだが。
そしてまた食事に戻り、少しまた食べてから小さめのホールケーキに手をつける。俺が包丁を持って、どうしたものかとしていたら、「もう、私がやるから」と眉を少し困らせ笑いながら魅冬は俺から包丁を受け取りそれをとりあえずパッと四当分に切った。そして結局俺は二切れ、魅冬は一切れ食べて残りの一切れは箱にしまい冷蔵庫にしまった。
ケーキを頬張る魅冬の姿はまた可愛らしく抱きしめたくなった。まあその後実際に抱きしめたのだが。
二人なのにわざわざホールケーキを買った理由は、普通の小さな一人分のケーキを買おうとケーキ屋でどれにしようか屈んで悩んでいた俺の肩を魅冬がトントンと叩き、ニヤニヤしながら「せっかくだしさ」と言ったからである。流石に普通のサイズのホールケーキでは食べきれず元も子もないので少しだけ小さめのサイズにはしたのだが。ちなみに残りの一切れは翌日、更に半分に切って二人で食べた。
その後はバラエティ番組を見て二人で笑ったり、一緒にゲームをしたり、布団の中で抱きしめ合ったりした。そしてその後電気を消して魅冬と幸せを抱きしめて眠った。
朝、目が覚める。体を起こそうとしたところで横に魅冬が居ないことに気づいたが、魅冬は既に起きて我が部屋の少し汚れたキッチンで朝食を作ってくれていた。その姿がまた美しい。結婚したら毎日こんな美しい姿を見れるのかななんて思った。
体をぐいっと起こす俺に気づいて魅冬は、
「おはよう」と優しい声で言って、優しく微笑んだんだった。
幸せな朝だった。
二十三歳、春。
四月、満開の桜の下。
昼、俺と魅冬はお花見に来ていた。
桜の下でレジャーシートを広げ、その上には魅冬が持ってきた少し大きめのお弁当箱。
そして俺は魅冬に目をやる。その満開の綺麗な桜はやはり大方の予想通り魅冬の美しい姿に素晴らしく似合っていた。とにかく綺麗でふらふらとさえした。また「美しい」というものの意味を実感した。
こんなに綺麗な桜を見たのはいつぶりだろうか。高校三年生のあの時以来か、とまたある過去の少女を思い出しそうになったがそれはすぐに消えた。以前見た桜よりもその時見た桜の方が綺麗に見えたから。
魅冬はニヤニヤして俺の顔を見たりしながらお弁当箱を開けた。お弁当箱にはラップに巻かれたシンプルなおにぎりや綺麗な卵焼き、その間から覗くたこさんウインナー。俺が好きな唐揚げや春巻き、プチトマトにブロッコリー。その他にも色々と色とりどりの綺麗なお弁当だった。
綺麗なお弁当に思わず「おおっ」という声が漏れる。それを聞いて俺の顔を見てまた魅冬は優しく笑った。
二人揃って手を合わせ「いただきます」と言い俺がまず割り箸で唐揚げを取って食べる。魅冬はまだ食べずに俺の反応を伺っている。うん、やっぱり美味い。
俺が笑って「美味しい」と言うと魅冬は嬉しそうに笑って唐揚げを食べた。
そして春巻きも食べるがまあこれも美味い。卵焼き、いやあ、うめえ。本当にうめえ。他にもいっぱいいっぱい食べる。いやあ美味しい本当に美味しい。魅冬も可愛い。
ふと魅冬が「トマト苦手なの?」と言う。バレた。すると魅冬は「もう大人なんだから好き嫌いしないの」と言って口に押し込んできた。「うがっ」という声が出る。ううん、やっぱりこれは美味しくない。俺が顔をしかめているとそれを見て魅冬は声を出して笑った。美しい。でも不味い。ううぅ。。
口直しに唐揚げを口に突っ込む。嗚呼、やっぱり美味しい。嗚呼、美しい。
お弁当を食べ終わりくつろぎながら桜と魅冬に見惚れていた。桜を見上げる魅冬の姿は天国を描いたようでさえあった。もしかしてここは天国か。いやまさかの現実だ。
それからもいっぱい話して、いっぱい笑った。そうしているとなんということかあっという間に日が暮れていた。ふと辺りを見回す。満開の夜桜は昼とは違う見事な美しさを放っていた。魅冬が「綺麗だねぇ」と言う。それに俺が冗談交じりで「君の方が綺麗だよっ!」なんてつまらないことを言ってみせると魅冬はまた笑う。まあ冗談でもないんだがな。
魅冬と出逢った頃、魅冬はクールな感じであまりいっぱい笑ったりする子ではないと思っていたが、付き合って分かったが魅冬はその綺麗に整った顔で、大きな瞳で、よく綺麗に笑う。
また見惚れていた俺に気づき俺の顔を見て魅冬は、ほら、また綺麗に笑った。
今思い出しても天国のようだ。
五月、初めて喧嘩をした。
きっかけは本当にしょうもないことだったが俺がムキになってしまい喧嘩に発展してしまった。
夕方、珍しく怒った魅冬は俺の部屋から飛び出して行った。そしてすぐに俺は後悔した。文字通り頭を抱えた。完全に俺が子供だった。追いかけるなんてこともできずにずっと頭を抱えていた。数時間経ち、すっかり夜。どう謝ればいいか携帯を握り固まっている。すると急にその携帯が鳴り出した。ビクッとして携帯を見ると魅冬からだ。息を整え、電話に出る。
数秒間の沈黙の末、魅冬が言った。
「ごめん」
なんで魅冬が謝るんだ。悪いのは俺だろうに。何で俺は謝ることもできないんだ。本当に子供だ。そして俺は言う。
「いや、俺が悪かった、本当にごめん。子供だった。」
また数秒間の沈黙、そして電話の向こうから次に聞こえたのは魅冬の優しく笑う声。そして魅冬はその優しい綺麗な声で言った。
「好き」
胸がキューンとした。息が苦しくなって俺も返す。
「俺も好きだよ」
俺も魅冬もあまり頻繁に「好き」とわざわざ言わないタイプなのでその言葉は喧嘩をしていた俺たちをしっかりと再び繋ぎ止めた。
六月、梅雨。
俺は風邪をひいて熱を出し寝込んでいた。窓や室外機に時折雨があたる、トンッという音が孤独を増加させた。しんどい。会いたい。
“ピンポーン”
急にインターホンが鳴る、なんとか体を起こし受話器を取るのも面倒なのでそのままドアに向かい覗き穴に目をやる。
そこには魅冬が居た。会いたかった人がそこには居た。熱が出たとはメールで言ったがまさか来てくれるとは。もたれかかるようにドアを開ける。少し開いたドアの隙間から魅冬は綺麗な顔でこちらを覗き、心配そうに少し首を傾げて「大丈夫?」と訊いてくる。
嬉しかった。本当に本当に嬉しくてなんだがホッとした。その瞬間、体がふらつく。倒れかける俺に魅冬は「やっ」と驚きながらも俺の体を急いで抱きしめる形で抱えた。
見上げると魅冬はさっきより心配そうな顔をしていたので安心させようと「大丈夫、魅冬の顔見て安心しただけ」と言うと、魅冬は眉を困らせながら微笑み俺の頭を撫でた。
六畳の和室の真ん中に敷いた布団に入りぐったりと体を沈める。魅冬はキッチンでなにかを作ってくれている。前にも見た覚えがある光景だがやはり良い。
そして魅冬は作っていたものをこちらへ持ってきた。俺が体を起こそうとすると魅冬は俺の腰に手を添えて起こしてくれた。
そこには卵おかゆがあった。輝いていて実に美味しそうで先程まで全然食欲がなかったのにすぐに食べてしまいたくなった。
そして魅冬は木のスプーンでそれをすくい、優しくフーフーとそれを少し冷ます。そしてこぼれないようにスプーンの少し下に手を添えて俺の口へと運んでくる。そして食べる。いやあ、美味しい。なんだかまたすごく安心した。「美味しい」と言うと魅冬は微笑んで「良かった」と言った。そしてその後もゆっくりとそれを食べさせてもらいすぐに全部食べきった。量も丁度良い。
手を合わせたあと「ありがとう」と言い微笑むと魅冬も「いえいえ」と言って微笑みまた俺の頭を優しく撫でた。そして俺は再び横になる。
魅冬はふと部屋の端にある赤いギターを見つけ、「あれ触ってみてもいい?」なんて言ってそのギターを持つ。弾き方は知らないのだろう。なんとなくで小さくジャーンと鳴らし何故か少し恥ずかしそうに笑った。
そしてその赤いギターを弾く姿を見て、またある過去の少女を思い出しそうになったがそれはすぐに消えた。あの時聴いた音よりも下手で可愛らしかったから。
ふとわがままを言う。
「膝枕、してほしい」
すると魅冬は可愛くニコッと笑って「良いよ」と言った。そして俺が魅冬の膝に頭を乗せるとまた魅冬は俺の頭を撫でて微笑んだ。
嗚呼、さっきまでの孤独は何処へやら。なんだろうこの安心と嬉しさと幸せは。体はしんどいけどずっとこのままでいたい、とすらまた余裕で思った。
その日はずっと魅冬に甘えていた。そして魅冬はずっと優しく俺のわがままに応え優しく微笑むのだった。
そんな優しい魅冬に俺はずっと安心していた。
熱は次の日にはすっかり下がっていた。
二十三歳、夏。
七月、二人でまた旅行へ行った。
今回は有名なテーマパークへ行った。最初は温泉街にでも行こうと思っていたが二人で相談してそれはまた次の冬のお楽しみにしておくことにした。
そのヨーロッパの街並みを再現した広大なテーマパークは歩いているだけでも楽しかった。
様々な綺麗な場所に綺麗な魅冬の姿はいつも素晴らしく似合っている。やはりその綺麗な街並みにも綺麗な魅冬の姿は素晴らしく似合っていた。
昼、パーク内を走る船に乗って船視点で街並みを眺める、それはそれは綺麗で実に魅力的な光景であった。そして隣で街並みを眺める魅冬の横顔も実に魅力的だった。
昼食にはその地域で有名なハンバーガーを食べた。「いただきます」と二人で言って真っ先に頬張る俺を見て魅冬は小さく「ふふっ」と声を出して可愛らしく優しく笑いそれから魅冬もまた頬張った。これが中々美味かった。
「うまっ」と声が漏れる。魅冬もそれに続いて「ほんとだ美味しい」と言って顔を見合わせまたにっこりと笑った。
忘れるといけないからと先に少しお土産屋に寄った。俺は特にお土産をあげる相手なんていないので自分用のものを何個か手に取る。魅冬は大学の友達とか用にクッキーなど色々と買っていた。
ふと魅冬はよくわからない犬のぬいぐるみを眺めていた。魅冬は犬が好きだから自分用に買うか迷っているのだろう。“よくわからない”というのはその犬のぬいぐるみの体勢であり、えらくぐったりとしており眠たそうに見えた。それがどこか哀愁があり可愛らしいのであった。
俺が横から魅冬に声をかけ「俺が買ってやんよ」とおちょけてカッコつけて言うと魅冬は口を覆って笑った。そのあと魅冬は遠慮していたが結局俺が魅冬にプレゼントした。ちなみに俺は猫派である。
それからも歩いて街並みを堪能したり、アトラクションに乗って楽しくてはしゃいだりしたあと、俺たちはパーク内にある花畑へ行った。辺り一面に咲く綺麗な花はひまわりだ。奥には大きな風車も見える。あれ?なんだ?ここは天国か?あ?とまた思ってしまうほど綺麗極まりなく圧倒さえされた。
魅冬は可愛らしく「わあ、すごい!」と言って俺をおいてひまわり畑の中へ入って行く。やはりここは天国なのかもしれない。
嗚呼、美しい。ひまわり、風車、魅冬。綺麗なそれら全てが見事にマッチして、いやあ、本当に美しい。
いつも以上にはしゃぐ魅冬が本当に可愛い。俺もひまわり畑の中へと入って行く。魅冬はひまわり畑へ入ってくる俺を見て手を挙げてにっこりと笑う。
すると突然、魅冬は俺に抱きついた。力一杯抱きしめてきた。思わず辺りに人がいないか見回したが近くにはいなかったので俺もギュッと抱きしめ返す。そして手を離した魅冬は俺の顔を見てまたにっこりと笑った。そこでまた思った。やっぱり俺は笑顔に弱い。
しかしやっぱりここは天国だ。うん、間違いない。
それからも色々と歩き回ったりしているとまたあっという間に夜になってしまった。しかしこのテーマパークは夜からがまた良い。
夜、空は暗いにも関わらず、辺りは色とりどりに綺麗に輝いていた。イルミネーションだ。魅冬と手を繋ぎその夜のヨーロッパを再現した綺麗な街並みを歩いた。そして向かったのはパーク内にある塔。ここは展望台になっており街全体が見渡せるのだ。二人でワクワクしながら登る。そして展望台に着いて外を眺める。期待以上だった。二人揃って「うわあー!」という声を出す。
イルミネーションで輝く街並みを全て見渡すことができて、あまりにも綺麗で美しすぎてまた圧倒された。しばらくそうして釘付けになってしまった。どれくらいの時間その素晴らしい景色を眺めていただろうか。ふと横にいる魅冬に目をやる。魅冬はまだ外の景色に魅了されたまま眺め続けている。横顔がまた綺麗だった。あまりにも綺麗だった。美しかった。
俺は魅冬の姿を見て美しいだとか綺麗だとか分かりやすいワンパターンな感想しか言っていないが、魅冬の姿は綺麗や美しいという言葉で表すのが一番合っているのだ。それほどまでに綺麗で美しいのだ。それ以外の言葉では表せないほどに綺麗で美しいのだ。そして可愛いのだ。
その時ここは天国か?とまた思った。まあ天国だった。
その日はパーク内にあるホテルに泊まる。今回も奮発して前回よりも更にかなり高い場所に泊まる。そのホテルにはまた船に乗って向かう。船から見る夜の街並みも当然あまりにも綺麗だった。そのままホテルが現れる。大きく格式があり綺麗に輝くそのホテルの姿を見てまた二人揃って驚きの声を漏らした。今日は圧倒されることばかりだ。チェックインして部屋に入る。
広々とした部屋には西洋風の実に高級感漂う棚やソファやランプなどの家具があり、そして何よりも目立ったのはやはり大きなダブルベッドだった。シンプルで綺麗な真っ白の枕とマットレス、ベッドの上に置かれたクッションと掛け布団には綺麗な青い花が描かれている。カーテンとお揃いの柄らしい。とても綺麗だ。
わかりやすくはしゃぐ魅冬は部屋に入ってベッドが目に入るとわかりやすくその大きなダブルベッドに大の字で飛び込んだ。思わず笑ってしまったが次いで俺も飛び込んだ。ふかふかだった。
今日の魅冬は普段の大人っぽいのとは逆に俺以上にずごくはしゃいでいる。可愛い。
そして次に窓の外に目をやる。そこには光り輝くヨーロッパ風の建物やその光が反射する綺麗な海があった。またこれがとてつもなく綺麗だった。魅冬が「すごい」と声を漏らしていた。
それからレストランで夕食をとって、そのあとラウンジで催されていたコンサートに飲み慣れないワインを飲みながら耳を癒す。ヴァイオリンの音が心地良くもすごい迫力で魅了された。演奏が終わると魅冬は可愛らしく笑ってパチパチと拍手をしていた。
部屋に戻り二人で「楽しかったね」なんて話をしたり「次の冬の温泉も楽しみだね」なんて話を窓の外を眺めながらした。
夜も深まりベッドに潜り込む。前とは反対にその日は珍しく魅冬が俺に甘えてきた。普段甘えたりしない人だから余計に可愛く見えた。俺がまた力一杯抱きしめると、魅冬は文字にならないような可愛らしい声を出した。そして顔を見合わせ魅冬はまた大人っぽいその顔で可愛らしく、でも美しく微笑んだのだった。結局そのままはしゃぎ疲れた魅冬は俺の胸の中で眠った。その日のはしゃぐ可愛らしい魅冬はいつもとはまた違った素晴らしさがあった。未だにしっかりとあの可愛らしくでもいつも通り美しい魅冬の姿を覚えている。
八月、花火大会へ行った。
夕方、魅冬と祭りの会場である大きな公園で待ち合わせ。俺は待たせるわけにはいかまいと集合時間の十五分前には公園に着き、服装はいつも通りのシンプルなシャツを着て、暑いので一番上のボタンは外し、携帯をいじりながら公園の前で魅冬を待っていた。
魅冬はやはりしっかり者であるからか集合時間の五分前には俺の前に姿を見せた。そして俺は目を輝かせた。道路の向こう側から魅冬はこちらに小さく手を振った。俺もなんとなく振り返すがそれどころではなかった。
魅冬は綺麗な浴衣を着ていた。
無論、あまりにも美しい。
前にも、京都旅行の時にも魅冬の浴衣姿を見たが勿論その温泉のときに着る浴衣ではなく祭りでよく見るタイプの浴衣の方だ。
魅冬は綺麗な赤い浴衣を着ており、柄は白色の可愛らしい花と黄色い月が描かれていた。右耳の上らへんには綺麗な赤い花の髪飾りをしていた。その綺麗な浴衣を着る綺麗な魅冬の姿は先程も言ったように美しく可愛く大人っぽく、なんと言えばいいか、「宝石のような」と言うか、いや宝石よりも美しく魅力的で目を離せなくて、ううん、やっぱり上手く言えない。しかしやはりその姿も「美しい」という言葉が一番似合う姿だった。
ずっと見惚れていた。いつの間にか魅冬は道路を渡り終え俺の目の前まで来ていた。見惚れる俺の顔を大きな綺麗な瞳で見つめながら「優純くん?」と少し微笑みながら覗き込む。あまりに綺麗なその姿につい緊張して「お、おう」という言い慣れない言葉を吐いてしまった。それを聞いて魅冬はまた首を傾げ可愛らしく微笑んだ。
そして公園に入る。まだ人は少ないと思っていたがそんなことはなく、屋台のある方へと行くにつれ段々人が増えて行き、はぐれると危ないので俺らはそこで手を繋いだ。履き慣れない可愛らしい下駄を履く魅冬のため、少しゆっくりめで手を繋ぎながら人混みの中を行く。
当時俺は二十三歳、ただこの時、芯から青春を感じた。
手を繋いだまま屋台に並ぶ。定番の焼きそばだ。香りが素晴らしく腹を鳴らせようとしてくる。並んでいる途中も「花火楽しみだね」なんて言って心が躍るばかり。そして焼きそばを買い、違う屋台でジュースも買って公園の端っこにあるベンチに座ってそれらをいただく。やはりこういう時に食べる焼きそばはたまらなく美味い。魅冬も「ん、美味しい」なんて言って俺の顔を見てまた笑うのだった。だめだまた見惚れる。普段から見惚れることは多いが今日は特別多い。
その後にはこれまた定番のかき氷を買う。俺はブルーハワイ、魅冬はいちご。発泡スチロール製の青いペンギンが描かれたカップに入っていた。このシンプルな荒いかき氷がまたうまい。先を小さなスプーンのように改造されたストローでかき氷を掬って食べ、魅冬はまた笑った。俺らの座るベンチの横にある遊具で遊ぶ小さな子供の声がまた心地良かった。
それから色々話したりしている間に日も暮れ、花火会場へと向かう。その道中、お面の屋台があるのを見つけ、今時お面の屋台なんてあるんだななんて思いながら二人で見に行く。色々なキャラクターのお面などがある中、端っこに追いやられたようにあった狐のお面を魅冬が、ひょっとこのお面を俺が買った。俺がひょっとこのお面をつけると魅冬はまた笑った。俺が「面白い?」なんてことを聞くと「いや別に面白くはない」と魅冬は笑いながら言うのだった。
「じゃあなんで笑ってんだよ」と俺が笑いながら言うと狐のお面を頭の辺りに付けながら魅冬は、
「楽しいから」
とまた笑って言ったのだった。
花火がよく見える公園内にある川沿いには既にいっぱい人が集まっており、場所がなかったので少し後ろの木陰に座り花火を待つことにした。
そこから十分程が経ってなんとなくで会話をしていたその時、
「ひゅ〜〜〜るぅ......バァン!!」
空に綺麗に輝く花が咲いた。辺りからは歓声が上がる。
素晴らしく美しい。
その時、魅冬は横で「わあ!...綺麗」と可愛らしくはしゃぐ。俺も同じくらいはしゃぎ「おおっ!」と言いつい笑顔になる。横に目をやると魅冬もこっちを見ており、二人、笑顔のまま更に笑った。
それからも次々に花火が上がる。
「どぉん!」「バーン!」「バババババー」「ボォン!」
と色々な音を鳴らし色々な色と形の花火が上がる。赤く大きな花火がまた「バァーン!」と大きな音を鳴らし上がる。俺はその時花火ではなくその赤い花火に照らされた魅冬の横顔を眺めていた。薄暗い木陰で少し赤く染まったその浴衣姿の魅冬の横顔は、もう本当に、どうしたらいいかわからないほどに、素晴らしく、美しかった。
そこからも花火は上がり続ける。いつまで経っても素晴らしく綺麗だ。花火を眺める俺に左からふと魅冬の声がかかる。
「優純くん」
花火の大きな音の間を縫って聞こえたその声に振り向くと魅冬は俺の顔を見つめてゆっくりと顔を近づけ、少し首を傾けて、キスをした。
暗い木陰、黄色い花火に魅冬の顔が照らされた。
魅冬はゆっくり唇を離し俺の目を見て少し恥ずかしそうに笑い、狐のお面で顔を隠すのだった。俺が同じようにひょっとこのお面で顔を隠すと魅冬はお面の下で声を出して笑った。
その後再び花火の方へと顔を向けて、お面を横にずらし、また綺麗な顔が現れる。その目は花火によって輝いていた。そしてまた俺はその魅冬の横顔に、見惚れていたんだ。
九月、魅冬の家に行った。
魅冬の家には今までも何度か行ったことがあるが、その時は中々久しぶりだった。
魅冬は四階建て洋風マンションの三階に住んでいる。洋風と言っても前に行ったテーマパークのように西洋の建築を忠実に再現したものではなく、いかにも日本人がイメージで作ったんだろうなって感じのするシンプルな洋風のマンションであった。部屋は洋室の1Kで七畳ほどであり俺の部屋とは一畳ほどしか変わらないはずなのに、片付いてスッキリしているからか全然広く感じた。
壁もカーテンも白くシンプルで綺麗であった。ベッドに敷かれた布団には綺麗な花が大きく描かれている。部屋の真ん中、カーペットの上に置かれた落ち着いた色の木製の楕円形のテーブルの上にはノートパソコンとテレビやエアコンのリモコンと美顔器などがきっちりと並べられており、真面目な魅冬の内面が現れているように思えた。テレビの横にある棚には本やCDが入っており、その棚の上には見覚えのあるよくわからない犬のぬいぐるみが置かれていた。俺があのテーマパークのお土産屋で買って魅冬にプレゼントしたものだ。その犬のぬいぐるみは相変わらずぐったりとしていた。可愛い。しかし俺は猫派だ。
キッチンには少し装飾がされておりオシャレで綺麗であったが、そこからたまに垣間見える生活感がまた良かった。
昼、魅冬が料理を作ってくれてそれを一緒に食べた。魅冬は「簡単なものだけど」と言って俺の好きなタコライスを作って出してきた。はたしてタコライスが簡単な料理なのかはしらないが。
手を合わせ二人で一緒に「いただきます」と言って俺は早速スプーンで掬って口に入れる。
冗談じゃない、今まで食べたタコライスで一番美味い。そうしてその思いをそのまま魅冬に伝えると魅冬は笑いながら「一番って、タコライスにそんないっぱい種類ないでしょ」とツッコんだ。しかし本当に美味かった。やっぱり魅冬の料理は絶品である。
それからは魅冬といっぱい話したり、ただただ寝転んでボーっとしたり、少しイチャついたりと、まあとりあえず暇をしていた。でもそれがすごく楽しかった。何もしていなくても魅冬と一緒にいる時間は素晴らしく楽しかった。
ふと魅冬は「一緒にCD聴かない?」と言うので俺は頷いた。
「何聴く?」と訊いてきたので「魅冬の好きなのがいい」と言うと魅冬は「うーん、どれにしよっかな」と悩むのだった。
そしてじきに「これにしよ」よ言って一枚のCDを手に取りCDプレーヤーにそれを入れた。俺にイヤホンの片方を手渡し、二人で一つのイヤホンを使い一緒に聴く。曲が流れてくる。
その音楽には聴き覚えがあった。
あの子が好きだった曲だった。アジカンの「Re:Re:」だ。その再レコーディングされたシングルのバージョンだった。そしてまたある過去の少女を思い出しそうになったがそれはすぐに消えた。その時よりもずっと綺麗に聴こえたから。
魅冬の顔を見ると魅冬は目をつむり少し口角を上げたまま少しだけ左右に揺れていた。その姿がとても優しく美しく見えた。
「これ俺も好きな曲だよ」と正直に言うと魅冬は喜んで笑顔で「良いよね」と可愛らしく言うのだった。それから他の曲も聴いてまた一緒に横に体を揺らした。音楽を聴く魅冬の姿もまた美しい。
夕方、二人で買い物へ行った。
夜も近づき、空は夕焼けの名残を残す少しの黄色と夜の訪れを知らせる紫色に染まっていた。俺が片手に買い物袋を持ってもう片方の手は魅冬と繋いでいた。まるで夫婦のようにも思えて、また幸せな未来への妄想が膨らんだ。
家に着き、魅冬は夕食を作る。キッチンに立つ魅冬の姿を見るのはこれで何度目か。何度見ても良いものだ。
夜、夕飯は和食だった。綺麗な輝く白米に良い香りのする味噌汁。一度でいいから女の人に作ってほしいなあなんて思っていた肉じゃがに何の魚かは忘れたが魚の塩焼き。きのことほうれん草の和え物にたくあん。どれも素晴らしく美味しそうで、実際素晴らしく美味しかった。肉じゃがはこれまた今まで食べた肉じゃがで一番美味しかったし、何と表現したらいいのか、魅冬の優しさが染み込んだようで、でもしっかりとした味でこれがまた絶品であった。とても暖かかった。
その日はそれからバラエティ番組を観て笑ったり、部屋の明かりを消して映画を観たり、また少しイチャついたり、そしてその日はそのまま魅冬の家に泊まり眠った。普通の日だった。魅冬の家からは少ししか出ずに、ただ二人で部屋の中でボーっとしたりテレビを観たりという普通の日だった。でもその普通が素晴らしく楽しかった。
朝、起きると魅冬はまだ横で眠ったままだった。可愛らしいパジャマ姿で眠る魅冬の寝顔がまた美しく、でもそれ以上に愛らしさがあった。
カーテンを開けると大きな窓からは眩しい陽が差し込んできた。そのままガラス戸を開けベランダに出る。まだ暖かいその時期の陽が俺の体を包む。そうしてその時、その陽だまりのベランダで俺は秋の訪れを感じた。
ふと下に目をやると何か可愛らしい植木鉢に入った植物がある。魅冬が育てているのだろうと思うとそれまでもが愛おしく感じるものだった。
一度伸びをして部屋に戻ると、窓から差し込む陽の光が眩しくて起きてしまったのか、魅冬が体を起こし目をこすっていた。そして俺を見て笑顔になって魅冬は言った。
「おはよ」
また、幸せな朝だった。
二十三歳、秋。
十月、魅冬と二度目の喧嘩。
夕方、またきっかけはしょうもないことで、また悪いのは完全に子供っぽい俺の方だった。しかも前回以上に俺の子供っぽさが全開してしまった。結構な言い合いになり、そうしてまた魅冬を困らせ怒らせてしまった。そしてまた魅冬は俺の部屋から出て行った。
またすぐに頭を抱えた。でもまたすぐに謝る勇気がなかった。これもまた俺の子供っぽい部分であろう。
全然成長も何もしていない。なんで同じ過ちを繰り返すんだ。早く謝れ、早く謝るんだ。と自分に言い聞かせるも携帯を持つ手は震えて、なんて謝るべきかを考えているうちに夜になって携帯を握ったまま俺は寝てしまった。
深夜、寝てしまっていたことにまた頭を抱えた。もうさすがに謝らないと、悪いのは完全に俺なんだから。よし、と携帯に番号を打つがまた手が震える。なんて謝ろう、なんてことをまた思い、手が止まりそうになったがそんなことは考えるなと番号を打つ手を進め、魅冬に電話をかけた。
「もしもし、遅くにごめん。」
するといつもよりトーンの低い魅冬の声が電話越しに聞こえる。
「大丈夫だよ」
「本当にごめん。完全に俺が子供っぽすぎた。本当にごめん、なさい。」
少しの間があって、
「うん、私もごめん。」
だから魅冬は悪くないのに。
「いや悪いのは俺だから、本当にこれから気をつける。ごめんなさい」
「うん」
「今度また...どっかさ、行ったりさ...」
「うん、そうだね、またどこかね」
「うん」
「じゃあ、また」
「うん、ごめん」
そして電話が切れた。結局優しい魅冬はそれだけで許してくれたようだった。しかし前回とは違い、俺たちがしっかりと再び繋ぎ止められることはなかった。少し離れたまま、なんとかギリギリで繋ぎ止めたのはもうすぐちぎれそうな綱であった。そして実際その綱はじきにちぎれてしまう。
十一月、また電話をした。
あれから魅冬と会う回数は減った。そして魅冬が俺にしか見せないような笑顔も減った。もう二週間は会っていない。電話をするのもあの時以来だった。
「もしもし、」
「もしもし」
「電話するの久々、だね」
「だね、」
「最近会えてないしね」
「うん、私も最近忙しくなっちゃったから」
「うん...」
数秒間の沈黙、そしてそれをなんとか破るように俺が話す。
「今日さ、三回も足の小指ぶつけちゃったわ」
魅冬は少し優しく笑って「大丈夫?」と言った。
俺も「うん」と言って少し下手に笑った。
「優純くん、どんくさかったりするもんね」と言ってまた魅冬は少し笑った。それに俺が少し笑いながら下手にツッコんでまた沈黙が訪れた。
そしてまた沈黙を恐れて何かを言わなきゃと思って、勇気をだして言ってみる。
「こ、今度さ、またデート行かない?」
「うん、いいよ、どこ行く?」
よかった、断れる可能性もあったから、安心した。
「どこにしよっかな」と言ってはみるが思いつかない。そしてまた沈黙。
前までは少しの沈黙にこんなにも恐れたりはしなかった。それよりもその沈黙すらもが心地良かった。魅冬の息に耳を澄ましているだけでよかった。なのに、今は沈黙が怖くて仕方がない。うまく、いかない。
結局場所は今度決めようということになり話は終わる。そしてまた話すことがない。何も言えずにいると魅冬から話してくれた。
「バイト頑張ってる?」
「うん、この前ミスって怒られたけど、まあ大丈夫そう」
「なら良かった」
そう言って魅冬はまた電話の向こうで息を吐くように少し微笑んだ。その優しさでやっぱりこの人は良い人だななんて思った。でもそれと同時に少しだけ泣きそうになった。それからまた少しだけ話して電話を切って俺は寝た。
そのまま、秋が去って行った。
二十三歳、冬。
十二月、魅冬との最後の日。魅冬の二十二歳の誕生日。付き合って丁度一周年の日。魅力的な冬の日だった。
その日は一年前のあの日と同じように雪が降っていた。俺たちは久々にデートをしていた。少し嫌な予感はしていた。でもそうであればだからこそ楽しもうと思った。楽しめたと思う。だから魅冬に言われた時も驚きはしなかった。
昼から色々な場所へ行った。主に思い出の場所などに行った。魅冬がそうしたいと言ったんだ。
夜、俺たちはファーストキスをしたあの公園に来ていた。そこで魅冬は少し俺より前を歩きふと振り向く。公園のど真ん中。雪が冷たい。そして魅冬が言った。
「別れよう」
さっきも言ったように驚きはしなかった。でも寂しくて何も言えなかった。魅冬は話を続ける。
「私は今でも優純くんのことが好き。優純くんの優しいところが好き。純粋なところが好き。」
泣きそうになった。魅冬は更に続ける。
「付き合う前の話だけど、バイトの店長が花粉症でずっと鼻すすったりしてたときがあって、その時に優純くんがさりげなく机にティッシュを置いてるところとか、お店の品物倒しちゃった小さな男の子に『大丈夫だよ』って言ってぎこちなく微笑んでたところとか、バイトの休憩室にあった花瓶の水を替えてるところとか、みんなの見てないところで実は優しいそういうところが好きでその時から気になってた。そして楽しいとすぐにはしゃいだり、意外と好奇心があったり、ずっと私を好きだったり。そういう純粋なところが好き。これは今も変わらない。今もそういうところが好き。本当に好き。」
そこで少し間を空けて続ける。
「でもこのまま今私たちが一緒にいても成長できないと思うんだ。私は優純くんが好き。優純くんは私が好き。でもだからこそお互い甘えちゃう。だからこのままじゃ成長できない。お互い少し強くならないと駄目だと思うんだ。私はもうすぐ大学も卒業するし、色々と環境も大きく変わる。今のままじゃずっと甘えたままで少し失敗しても優純くんがいるからなんて思っちゃう。そして時にはお互いに当たっちゃう。私はこれじゃ駄目だと思う。これじゃ責任も何もない。優純くんもきっとそうだと思う。だから」
雪が魅冬と俺の肩に少しだけ積もった。そして落ちた。
「だから、別れよう」
声を出したら小さい男の子みたいに大きな声を出して泣いてしまいそうで、だから声は出せずに、俺は少し俯きながら、なんとか、頷いた。
魅冬の顔を見る。目が合うと魅冬は雪が降る中、眉を少し困らせながら優しく可愛らしく微笑んだのだった。
雪の中にある笑顔が素晴らしく綺麗だった。そしてまたある過去の少女を思い出しそうになったがそれはすぐに消えた。その時よりもずっと切なかったから。
そして魅冬は言った。
「バイバイ」
何も言えない俺を置いて、魅冬は雪の中へと歩き消えていった。
雪の中に膝をついて俺は、泣いた。
情けなくて、情けなくて、泣いた。
その日は魅力的な冬の日だった。魅冬は美しい。だから美しいに冬と書いて「美冬」の方が合ってるんじゃなんて思っていたが、その日、ようやく気づいた。魅冬はこんな魅力的な冬の日に生まれたんだろう。だから「魅冬」なんだろう、と。
魅冬との思い出に浸っているうちに何時間も経っていた。畳に座り俺はネックレスを握っていた。このネックレスはあの日、魅冬と別れた日、渡しそびれた誕生日プレゼントだ。虚しくそれを握っている。
結局あの日以来、魅冬とは連絡も取っていない。
そういえば、冬にはまた温泉旅行に行こうなんて言っていたが結局行けなかったな。
片付けを続ける気にもなれず、俺はひたすらに畳の上に寝転んでいた。テレビをつけたりゲームをしたりして気を紛らわせようとしたが結局何も手につかなかった。ずっと魅冬の姿が目の前にある。
そのまま夜になった。とりあえず部屋から出てみようと外に出て行くことにした。春の割に冷たい風が顔に当たった。あの桜が綺麗な近くの公園に行きベンチに座る。上を向くと相変わらず桜が綺麗に咲いている。しばらくそのままボーっとしていた。なんだかとても、虚しかった。
それは本当に衝動的な行動だった。
俺が座るベンチの近くに古く細長いロープのようなものが落ちていた。何かをつなげてあったのか捨てられたのか。そして俺はそれを拾い少し見つめる。そして上に目をやり桜の木の太い幹が目に入った。そして俺はベンチの上に立ちロープをその幹に巻いていく。そして下に輪っかを作る。
虚しくて虚しくて仕方がなかった。衝動的にこのまま死んでしまおうと思った。だからその輪っかを両手で掴む。そして首をそこに入れた。そしていよいよベンチから降りてロープだけに体重を預けて死のうとした時だった。
携帯が鳴った。
そしてそれの少しあとに「ニャー」という声が聞こえた。声の正体はこの前の猫であった。
そして我に返る。
ハッとして携帯をポケットから取り出す。そしてため息をついてロープをほどきちぎってそこら辺に放った。そしてベンチに座りなおし猫を撫でた後、携帯を見る。メールが来ていた。
そのあまりにも急なメールを見て俺は一瞬何故か何もかもが止まったように感じた。猫がまた「ニャー」と鳴いた。
メールの内容は、簡単に言うとこうだった。
旧友、村上が死んだ。