窓の外の桜
体調が悪くバイトを早退した。
夜、部屋の真ん中に布団を敷き眠ろうとするがしんどくて寝ることもできない。孤独が増す。風邪をひいた時やしんどい時ほど人恋しくなるものだ。誰かがそばに居てくれればどれほど楽になるだろうか。
唯一の旧友にでも電話か何かをしてみようかと思ったが奴とももう二年程連絡を取っていない。こんなことで急に連絡を取ってもな、と思い携帯を置く。
飲み物がきれた。買ってきてくれる人など言うまでもなく居ないわけで仕方なく自分で自動販売機に買いに行った。帰り、近くの公園のベンチに腰掛け、外の風に当たって行くことにした。
うなだれる。嗚呼、しんどい。辛い。誰か。
そんな弱音ばかりが心を埋め尽くして俯いているばかりだ。すると俯く俺の視界の端の何かが現れた。そちらへ目をやるとその何かは「ニャー」と鳴いた。可愛らしい猫がそこには居た。自然と少し微笑み猫の頭を撫でる。少しの間そうした後、ふと顔を上げ前を見ると俺の視界を今度は白い花びらが舞い降りて行く。気怠げに上を見上げる。
そこには綺麗な満開の桜が広がっていた。視界の多くを桜が占める。桜は吊り下げられたライトか何かでライトアップされていた。その美しさについ「おおっ」という声が漏れる。しばらく眺める。
そして俺はある過去の少女を思い出す。小柄で優しく青春映画のヒロインのような女の子のことを。
高校三年生、春、新学期が始まってすぐの頃。
結局あれから俺は学校にあまり友達もできずに、違う高校の旧友くらいしか遊ぶような友人は相手はいないままだった。
ある日の朝、学校、俺は少し早くきてしまい、時間を持て余し暇で、なんとなく廊下に出て窓の外に目をやった。
その正方形程ではなく少しだけ縦に長い小さめの窓の外には綺麗な桜が広がっていた。
窓の外は殆どが桜で埋め尽くされており、他には殆ど何も見えなかった。四角い窓の中に桜柄をままに貼ったようなそれほどまでに桜だけが広がっていた。綺麗だ。ひたすらに綺麗だ。見惚れて眺め続ける。
突然、横から声がした。
「わあ〜綺麗!」
声の方に目をやるとそこには小柄で細く、か弱そうで第一印象が「可愛い」になるほどに可愛らしい女の子がいた。
確か同学年の人だったと思う。見たことだけはある。
するとその子も今度は俺の方に目をやる。そして少し小首を傾げるようにして少し微笑んだ。
やはり俺は笑顔に弱い。危うく恋に落ちるところだった。そして俺もその子のその笑顔に返すようにぎこちなく少し微笑んだ。そしてお互いにまた窓の外の桜に目をやり見惚れ眺めた。それから少し経ってその子は友達と何処かへ行ってしまってその日はそれだけであった。
翌日も俺は朝早くから廊下の窓の外の桜を壁にもたれながら眺めていた。するとまた横から昨日と同じ声が聞こえた。
その女の子のその発言自体は殆ど昨日と変わらない内容だったが、二度言っても足りないくらいにその桜は綺麗だった。また女の子は言った。
「綺麗だね」
昨日と違い今度は俺に話しかける形の発言だったので、素直に返答する。
「ですね」
すると俺の顔を見上げその子はまた微笑む。
やめろ、これ以上その可愛い顔で微笑むな。惚れるぞ。
女の子が言う。
「名前、なんていうの?」
「あ、永久です...あの...」
「あ、私は寺坂です、よろしくね」
俺もよろしくと返すと顔を見合わせ、お互い、また少し笑った。
寺坂さんは、寺坂さんの友達が呼んでいるのを聞くと下の名前は「ゆい」というらしい。寺坂ゆいさんは前述の通り小柄で細く、か弱そうで第一印象が「可愛い」になるほどに可愛らしい女の子だ。
可愛らしい一番の原因はくりくりとした大きな目だと思われる。髪は長く、背中の真ん中くらいまで伸びていた。
数日が経った。
寺坂さんは何処からか持ってきた椅子に座っていた。隣にはもう一つ椅子が用意してあった。向かって来る俺を見つけた寺坂さんは微笑みながら、ここに座ってとするように隣の椅子を優しくトントンと叩いた。
俺が礼を言うとまた微笑む。おい、だから惚れるぞ。
そして椅子に座りまた窓の外を眺める。
桜はだんだん散りゆき、桜の木には緑色の部分も多くなってきた。
そして寺坂さんは少し切なげに言う。
「ちょっとずつ散ってきちゃったね。」
「ですね」と短く返す。
あれから毎日寺坂さんとは朝こうして廊下の窓の外を眺めて、少しだけ話している。
「髪切ったんだ」と寺坂さんが言う。
その通り昨日髪を切ったのだ。
「似合ってますか?」
「うん」と言いまた微笑んだ。
寺坂さんの長い髪を見て俺は「寺坂さんの髪綺麗ですよね」とつい素直に言うと、嬉しそうに寺坂さんは微笑んだ。そして言う。
「ありがとう、伸ばしてるんだ」そう言った。
正直な話、寺坂さんに会いたいがために毎日朝早く学校に来ているというのは事実であろう。実際否定は一切できまい。
寺坂さんとはクラスも違うため、会って話すのは毎日この朝一番だけだった。最近の俺はこれだけを楽しみに、この時間のためだけに、学校に来ているようなものだった。だからかその朝一番の会話以降の一日の学生生活のほぼ全時間の退屈さは増したようにも思えてしまった。
また数日、
先に来て椅子に座っていた寺坂さんに「おはようございます」と挨拶すると、「昨日休んでたの?」と言って上目遣いで訊いてきた。
しかし俺は昨日学校を休んだりはしていない。ただ寝坊をして遅刻をしてしまった。俺が昨日いつものように朝一番この場所に来なかったから休んだと勘違いしたのだろう。事情を説明すると寺坂さんは声を上げて可愛く笑った。
窓の外を眺める。桜の木は半分以上が緑色に染め上げられていた。
翌日、寺坂さんは来なかった。
そしてまた翌日、俺がいつもの場所へと向かうと、椅子に座る寺坂さんがいた。少しホッとした。
寺坂さんの横まで行きおちょけて少しニヤつきながら言ってみせる。
「もしかして昨日寝坊したんですか?」
想像と違う反応に少し戸惑う。
寺坂さんは微笑む。でもその笑顔はいつもとは違った。俺の冗談に少しの間を開けてから少し眉を困らせながら微笑んだのだ。
そしてその表情のままその冗談に答える「休んだだけだよ」その少し無理のある作り笑顔に大きな違和感を感じ、何かあったのだろうとすぐに気づいた。それほどに大きな違和感だった。
でも俺は何も聞けなかった。何も言えなかった。
窓の外を眺める寺坂さんがまた切なそうに言う。
「もうすぐ全部散っちゃうね。」
窓の外に目をやると桜の木にはピンク色や白色はもう少なく、多くが緑色になっていた。
また数日後。
寺坂さんはあの日以降来ていない。しかし俺はあれからも毎日ここに来ている。
いつもの場所に着く。椅子を二つ用意し、片方に座る。
いつの間にか寝ていた。携帯で時間を確認するが、五分ほどしか経っておらずホッとした。伸びをしてからなんとなしに横を見た。用意してあるもう一つの椅子には少女が座っていた。
寺坂さんだ。
でも寺坂さんの姿はこれまでとはガラリと違った姿だった。可愛らしい顔、か弱い印象を与える細く小柄な体型。第一印象が「可愛い」というところも変わっていなかった。でもその変化はパッと見て一瞬で分かる変化だった。
寺坂さんは髪をバッサリと切っていた。
背中の真ん中ほどまでに伸びていた髪は綺麗に切られショートカットになっていた。
俺が驚いて寺坂さんを見つめていると寺坂さんは俺の視線に気づきこちらを向いて言った。
「久しぶりだね。」
そう言ってまた切なそうに微笑んだ。
俺は「ですね。」と言って微笑み返してみたが多分その微笑みはあまりにもぎこちなく、笑顔と言っていいのか疑うほどのものだったと思う。
少し無言の時間が続いた後に俺は言う。
「髪切ったんですね」
「うん。」
寺坂さんはまた微笑みながら言った。
「似合ってる...かな?」
正直に答える。「はい、すごい似合ってますよ」
「なら良かった。」と言ってまた綺麗な顔で微笑んだ。
似合っていた。確かに似合っていた。でも何かが違った。可愛くないとかそういうことを言ってるんじゃないし正直可愛い。でも寺坂さんなんだけど、寺坂さんじゃないみたいな。それは俺が寺坂さんのことをあまり知らなかったからというだけのことなのかどうなのか。確かに俺と寺坂さんの関係はここ数日、数週間程度のことだ。でもそれでも分かるくらいに違っていたんだ。彼女は変わっていたんだ。
俺が前に寺坂さんの髪を褒めた事があった。その時、寺坂さんは嬉しそうに微笑みながら、
「伸ばしてるんだ」と言っていた。
女の子は心境の変化だとか失恋だとかその他色々と何かあると髪をバッサリ切ったりすると聞くことがあるが、あれは多分本当にあることなのだろうとなんとなく分かった。
寺坂さんは突然に言った。
「明日からこの時間、ここで会えなくなるから。今日で最後。」
「えっ」と思わず声を漏らした。
「転校するとかじゃないよ、ちょっと明日から朝に用事とかあって、こんなに朝早くに来れなくなっちゃうから、だから今日で最後だよ。」
なんだか何も言えないでいた。ただ多分今寺坂さんが言ったことは嘘なのだろうと感じた。
ただその時見た寺坂さんの顔は切なくもまっすぐと何処かを見つめていた。寺坂さんは変わろうとしているのかもしれない。なんとなしにそう思った。だからこそ俺は何も声をかけることが出来なかった。
窓の外をまっすぐに見つめていた寺坂さんはまた少し切なそうに言った。
「散っちゃったね、桜。」
俺も窓の外に目をやった。
桜は散って、桜の木は綺麗な緑一色になっていた。
あれからもたまに寺坂さんを学校内で見かける事があった。でも声をかける事もかけられる事もなかった。そしてそのまま卒業が近づいていった。
あとで知ったことだ。というより、卒業式の日に知ったことだった。卒業証書授与で寺坂さんの番になった時、俺はパイプ椅子に座りその姿を眺めていた。
でもその時呼ばれた名前は、「西林」という名前だった。
確かに彼女の名前は「寺坂」という名前だった。実際「寺坂」と呼ばれているのを聞いたこともあった。
だから確かに彼女の名前は「寺坂」であり、彼女は寺坂さんだった。その時思った。
あの日、寺坂さんと散った桜を眺めたあの日、寺坂さんと最後に話したあの日、寺坂さんが変わったように感じたあの日。多分あの時にはもう彼女の名字は変わっていたのだろう。そう思った。
あの日、彼女は変わったように見えた。変わろうとしているように見えた。でもあの日、彼女は既に変わり始めていたのだろう。
卒業式が終わって、俺はあの場所にいた。もしかしたら彼女が来てくれるんじゃないかなんて思い、二脚の椅子を並べ片方に座って、あの廊下の窓からまだ咲いていない桜の木を眺めていた。
隣の空席が埋まった。
鼓動が早くなる。
そこには小柄で細く、か弱そうで第一印象が「可愛い」になるほどに可愛らしい女の子がいた。
「これはこれで結構綺麗だね」
彼女はそう言って俺の顔を見て綺麗な顔で微笑んだ。
その笑顔はどこか切なく、でもやはり可愛らしかった。
短く「ですね」と言い、俺はまたぎこちなく微笑んだ。
そして互いにまた窓の外を眺める。そこにはまだ咲いていない、でももうすぐ綺麗な花を咲かせるであろう、綺麗な桜の木があった。
少し経って彼女は席から立った。少し間があった。何かを堪えるような。そうしてから彼女は言った。
「バイバイ」
そう言ってまた彼女は、寺坂さんは、また可愛らしく綺麗に微笑んだ。
「バイバイ」
そう言って俺はまたぎこちなく微笑んだ。
頭がクラクラする。
桜の木か何かに吊り下げられたライトが眩しい、でも桜はなおも素晴らしく美しいので、眩しさに耐えながら眺める。
それからもしばらく眺めてから頭を下げる。重力が重い。「はあぁ」と声を漏らす。先程の猫はもう何処かへ行ってしまっていた。また、寂しい。自販機で買った冷えた飲み物をぐびっと飲んだ後、重い腰を上げ、多少ふらつきながら家に向け歩を進める。
重い足を上げてアパートの階段を上がり、家のドアを開く。そのまま玄関に倒れ込み、そのまま眠ってしまった。
嗚呼、しんどい。ひたすらに孤独が増すばかりだ。




