5話
橋から少し離れて、湖に面して建てられた古い洋館。
門には「御宿泊 湖鳴館」を意味する文字が、縦書きで鉄製のプレートに刻印されている。
少し変わった漢字に近い不思議な書体だが、自然とニュアンスは理解できている。
どうやら幸運にも、今日の宿を見つけることができたようだ。
門を潜れば、高所得者が好みそうな品格のある日本庭園と、鯉でもいそうな池に出迎えられる。
暗くて見えにくいが、綺麗に手入れさた清潔感が感じられた。
だが、庭について直ぐに正成さんの顔に緊張が走る。
彼女は何処からともなく、150センチはある大太刀を取り出し、腰に差した。
右手は柄にかけたままだ。
本当に、どこから出したの?
その長い刀って、本来は馬上から振るための武器だよね。
テレビで見たことがある。
けれど彼女の怪力なら、地上でも恐ろしいリーチを持って、瞬時に敵の首を刎ねることだろう。
「空十様、私の後ろから離れないでください。この世界の状況について、全く予備知識が無いことを懸念はしていましたが、これは想像以上に悪いかもしれません」
僕は無言で頷く。
濃い鉄の錆びた味がするかのような錯覚を起こすほどの異臭。
前回、死ぬ前に嫌というほど嗅がされた終焉の臭気。
暗闇に紛れていたが、庭から館へと続く飛び石には、大量の血がばら撒かれていた。
「危うきに近づかず、というのが賢明な判断かと思われます。即時撤退を具申いたします」
彼女は周囲に鋭い視線を飛ばしながら、機械のように抑揚のない言葉を紡ぐ。
僕だって、恐怖で足がすくんでますよ。
でも、僕はヒーラーなのです。
血があれば、負傷者がいるのが道理。
御使い様との契約は、積極的にこの世界と交わること。
それが僕の存在意義。
僕は『許すモノ』を起動し、魔法の燭台を手にする。
「正成さん、あなたの強さに甘えてもいいですか。僕は、あなたが完璧に僕を守り切ることに一切の疑いがない。ならば、救える人がいるなら、我儘を通したいです」
正成さんは、背中を僕の肩に押し付けて、うっとりするような笑顔を一瞬こちらに向ける。
「御意」
ゆっくりと血の道を辿るように、黒いレンガで建築された、二階建ての洋館に近づく。
一階の窓では、カーテンの隙間から灯りが漏れていた。
彼女は、そのカーテンの隙間から中を覗き込んだ。
「軍人らしき者たちが、宿の人間に介抱されているようです。これは酷いな。しかし今後彼らは空十様の敵になるか味方になるかもわからない状況です。官憲ですから、最悪は不審人物として連行されるかもしれません」
「それでも、かまわないよ。でも、その時は峰打ちにしてあげてね。」
両扉の入り口から、慎重に屋内に入る。
あったのは、高級そうなホテルのロビーに受付机。
無造作に転がる、ちぎれた腕に足。
磨き上げられた木製の床にこびりつく、まだ暖かく湯気を発しそうな臓物たち。
ロビーの奥にある食堂らしき広間では、多くの食事テーブルが端に撤去されて、空いたスペースに赤黒く染まった軍人たちが床の上で治療を受けている。
軍人といっても、自衛隊のような近代の部隊ではないみたいだ。
歴史の教科書で見たことがあるような黒のクラシカルな軍服を着ている。
一番印象に近いのは、日露戦争の記録写真に出てくる日本の陸軍だろう。
メイド服をきた女性たちが、軍医らしき男の指示を受けて、止血作業にいそしんでいる。
現段階で、僕たちの脅威になるような存在は確認できなかった。
軍医以外、まともに動ける隊員が見当たらないのだ。
僕は正成さんに目配せをすると、柱の陰から、彼らの視線の前に姿を晒した。
執事らしき男性が僕に気づき、困惑しながら近づいてくる。
「ようこそいらっしゃいました、お客様。湖鳴館の支配人をしております所守と申します」
所守さんは、髪をオールバックに撫でつけた、普段なら気品と知性を兼ね備えた紳士と言えただろう。
しかし、今では息が上がり、脂汗を滲ませている。
「大変申し訳ございません。御覧の通りの惨状でございまして。ご宿泊は困難かと・・・」
相手の発する言語が理解できる。
明らかに未知の言葉を聞いているはずなのに、変哲のない日本語に変換されて脳に伝達されている。
であれば、コミュニケーションに関しては問題ないだろう。
まあ、御使い様が創造した世界だから、その辺は抜かりないだろうと予想はしていたけど。
僕は、前々から考えていた設定を確認しながら、相手に警戒感を抱かせないように話しかける
「僕たちは、国々を回って旅をしているものです。夜分に突然の来訪をお詫びします。この地方に着いたばかりで不案内なのですが、これは一体、どうされたのですか」
所守さんは、無理難題を吹っ掛けられないことに安堵したのだろう、幾分か表情を和らげてくれた。
「この方たちは、魔物討伐のために橋ノ森のご領主様が遣わしてくださりました部隊員様です。魔物の撃退には成功したのですが、手酷い反撃を受けてしまいまして」
なるほど。
ここら辺は橋ノ森という国が治めているようだ。
そして、彼らのような屈強な軍人を、ぼろ雑巾のようにしてしまうモンスターの存在。
まだまだ情報を引き出したいけど、残念ながら時間の猶予がなさすぎる。
刻一刻と軍人たちの回復の可能性は、砂時計の中の粒の流れのごとく零れていく一方なのだから。
「もし良ければ、医療の心得がありますので、お力になれるかもしれません。見ず知らずの旅人では不安かもしれませんが、このままでは彼らのほとんどが命を落とすことになります」
僕の言葉に頷くと、所守さんは伺うように軍医へ視線を向ける。
「旅のお方、わし一人ではどうにもならん。それでも、一人でも多くの奴らを故郷に返したい。こいつらは住民を守るため、命を削りつくしたんじゃ。どうか、力を貸してくれ」
裂傷の縫合を続けながら、軍医は涙声で叫んだ。
宿の女中さんたちも汗と涙にまみれた顔で、慣れない軍医のアシストに必死になっている。
軍人だからって、命を投げ出すことは普通できない。
だって、彼らも僕と同じ人間だ。
怖いものは怖い。
僕だったら、絶対に逃げる。
通常、これだけの被害が部隊に発生すれば撤退するし、誰も非難はしない。
でも、彼らはたぶん思ったのだ。
こんな恐怖を、ほかの人間に味合わせたくないと。
使命感や信念とか、そんな高尚なものじゃなくて、愚直で純粋な思いやりで、彼らは恐怖の根源を討ち果たしたのだと思う。
そして腕を失ったものには手を貸し、足を失ったものには肩を貸して、瀕死になりながらも宿に辿り着いたのだろう。
背筋が熱くなって震えた。
「所守さん、重症の度合いで彼らを選別して、最も危険な人から僕の元へ運んでください」
支配人は力強く目礼で返事をすると、女中さんたちと僕の指示に従ってくれた。
僕は、テーブルのシーツを床に広げて、リュックの中からナイフを取り出す。
シーツの上に運ばれた負傷者の患部を露出させるために、ナイフで服を切り裂こうとするも、軍服が想像以上に頑丈で、うまく刃が通らない。
すると、正成さんが短刀で、いとも簡単に軍服を切り取ってくれた。
「刃物の扱いならば、某の最も得意とするところ。ご指示を、わが主」
この人が、僕を信じてくれていることが本当に心強い。
実際、自分でもどこまでやれるか不安でしょうがないのに、僕への信頼で揺らぐことのない彼女の瞳が、根拠のない自信をくれる。
あらためて負傷者の状態を確認する。
腹部が切り裂かれて、中に詰まっているはずの内臓がごっそり無くなって空洞となっている。
生きているのが不思議だが、薬で無理やり延命している状態なのだろう。
僕は自分のスキルを確認する。
人が生まれた瞬間に呼吸ができるように、このスキルで何ができるのかが鮮明にイメージできる。
ヒーラーにできること。
初歩的なことは、スキル能力によって薬材の組織を改変して、効果を爆発的に促した回復薬の作成だ。
でも悠長に回復薬を作る時間もないし、人体の欠損までは補えない。
つぎに、いわゆる通常の回復魔法。
Cランクヒーラーが行使するオーソドックスな手段だが、この事態を救うことはできない。
自分の生命力を小さく切り取って、種火に息吹を送り炎を起こすイメージで空気中の魔力を注ぎ、その生命の欠片を大きく練り上げてから対象に譲渡する方法。
練り上げられた生命によって対象の生命を刺激し、何百倍にも自然治癒力を高める。
ほとんどの負傷に効果的であり、短時間で効果が発生するのため、戦闘では重宝される。
高ランクヒーラーほど、自己の生命の欠片を効果的に練り上げて、高い回復効果をもたらす。
僕のようなBプラスの上位ヒーラーなら自然治癒力を何千倍にも高められるから、魂の消失がない限り、腹部の欠損でも治癒できるだろう。
欠点は、自分の生命力を切り取ることだ。
数日すれば生命力は回復するけれど、これだけの人数では、僕の命が先に終わってしまう。
脳内にいくつもの手段が浮かぶが、この事態に一番有効なのは、時間操作外科手術だと確信する。
うまくいけば、全員を救える。
ペンで腹部の損傷箇所をわかりやすいようにマーキングする。
同時に、軍医さんが所持していた魔法薬の点滴によって患者の消耗した生命力
を活性化させる。
軍医さんはスキルを持たない純粋な医者のようだ。
後から彼に聞いた話だが、流通する魔法薬は強力だが高額なため、日常的には使用する機会がないとのことだった。
緊急時に限って、医者は通常医療と魔法薬を併用するらしい。
だが僕にしてみれば、この魔法薬では効力が低すぎて、延命しかできない。
スキルの体現である手燭で、負傷部を照らす。
そして、ゆっくりと患部に流れる時間を巻き戻す。
記憶というのは、脳だけに蓄積されるものではない。
顔に皺ができたり、体が老いていくのは、細胞レベルで記憶が刻まれた結果なのだ。
その記憶を僕の精神内で解析して、負傷する前の時点にチェックポイントをうつ。
そして、そのポイントまで患部全体の記録データを巻き戻して、現実的な物質データ、つまり正常な腹部を現出させる。
欠損部分は、ぜい肉や毛髪などの体の余剰部分から少しずつ拝借して、記録データからの再現を試みる。
運良く彼の内臓はロビーにへばり付いていたので、時間短縮に成功。
最悪、豚肉からでも人体の修復を僕はできるだろう。
豚は生理学的にも人間に近いし、DNAのシンクロ率は80パーセントもある。
何よりも豚肉なら、普通の家庭にあるはずだ。
それらを本人の組織と混ぜ込むイメージで、体に適合する新たなパーツを創造する。
ただ、人道的にもアレだし、本人が絶対に嫌がるだろうし。
まあ、最後の手段だね。
細かい修復を重ねて、15時間前の胴体の再現が終了した。
しかし、この時点で腹部と他の肉体の時の流れが相違するため、スキルを解いた途端にバラバラになってしまう。
まずい。
軍人さんの命の灯が消えそうだ。
やはり、この点滴では限界があるか。
時間操作外科手術と同時に、点滴の薬液の成分を読み取り、改変を試みる。
調合前の薬剤の組織改変なら簡単だか、薬液となってしまったものを改良するのは複雑極まる。
でも、やらなければ、彼の魂が消失してしまう。
頭の半分で薬の改良を行いながら、もう半分で患部の時間を早送りして、他の部分との時差をなくす。
よし、顔色が戻ってきた。
薬で魂の活性化には成功した。
最後に、一番神経を使う行程が残った。
この胴体部分は、傷を受けなかった別の可能性の時間軸に存在する。
無事だった肉体部分とは、まだ形が合わないパズルのピースの状態だ。
そこで、回復魔法を使うときのように、本人の生命から少し欠片を切り取って、肉体同士をつなぐ新たなピースを創造する。
これで、肉体同士の時間軸の相違を誤魔化すのだ。
時間が経過すれば相違は縮小して、腹部は体に馴染む。
一人目の治療がやっと完了した。
時間操作外科手術の利点は、他の回復魔法と違って術者の損耗が少ないこと。
自分の命を切ることもないし、全ての過程は患者の肉体を資本として完結する。
だって後8人もいるのだもの。
欠点は、極度に精密で複雑な作業が必要なため、普通のヒーラーでは発狂してしまう恐れがあることだろう。
あと8回もしなくちゃいけないけどね。
正成さんが、すごい尊敬の眼差しを向けてくれているのだけど。
そうだよね。
理論はわかっているのだけど、実際にやってみたら思いのほかしんどいので、止めていいですかとか、言えないよね。
もう一発目からの神経疲労で、指の震えが凄いことになっているのだけど。
ギブアップボタンとか、どこにも無いですし。
それに、もう次の負傷者が目の前に運ばれているし。
「空十様、次の準備ができました。よろしくお願いいたします。」
正成さんは、そして所守さんや女中さん達までも、暗闇の中で希望の光を見上げるように僕に顔を向けている。
そんな表情をされたら、実力以上のことをせざるを得ないよ。
両手で自分の顔を強く叩き、気合を入れる。
そうだ。
前の世界でも、これほど人に期待されたことなかったもの。
こんなに必要とされたことも、初めてかもしれない。
だから僕は、目が回って吐きそうでも、この人たちを裏切りたくないと思ったんだ。




