4話
ペンギンさんが彼女の背に両手をあてると、薄っすらと衣服の虚像が正成さんを覆い始める。
彼の物質創造能力により、正成さんがイメージした男物の紺色の着流しに、黒い羽織を纏った姿が現実化する。
「見苦しい姿を晒してしまいました。申し訳ありません。」
やっと落ち着いてくれたみたいで、必死に謝罪する正成さん。
彼女自身、自分の感情をコントロールできていないみたいだ。
以前は裸でも遠慮なかったのに、女性化することは心理的にも影響を及ぼすらしい。
それにしても、目のやり場に困る状況だ。
裾から覗く太ももは、陶器のように滑らかで、それでいて生々しい色香を振りまいている。
男物の着流しの襟では、その大きな双丘を覆い隠すことができず、チラリズムの極意を発現していた。
そもそもが武将なので、女性としては動作が無防備すぎるのだ。
淑女のような顔をして、痴女のようにフェロモンをばら撒いている。
これは危険すぎる。
「主様、そのように物欲しそうな顔をされてしまいますと、困ってしまいます。けど、その、夜伽を仰せつかってくださるなら、う、うまく出来るかわかりませぬが、ど、努力いたします」
今度は僕の脳髄がショートする番だ。
目の前で火花が飛び跳ねる。
夜伽ってあれだよね。
いや、見た目は美女でも、実際はおじさんだよ。
僕のスキルで外見に影響を与えただけだから。
理性ではわかっているはずなのに、その美しい細面が本能を暴走させようとする。
思考を蕩けさせるような、ねっとりとした感情に必死に気付かないふりをして、僕は気恥ずかしそうに座り込んでいる彼女に手を差し伸べる。
彼女は、僕を主君として選んでくれた。
その厚い忠義に応える誠実な行動が、僕には課せられるべきなのだ。
「ごめんね。そんなに変な目をしていたかな。僕も混乱しているみたいで」
ゆっくりと、大事な気持ちを形として彼女に送れるように、言葉を紡ぐ。
「正成さん、あらためて、お願いします。貴方にパートナーとして傍で力を貸してもらいたい。もし、こんな僕でもよければ」
正成さんは僕の手を握り、ゆっくりと立ち上がる。
やばい。
いい匂いがする。
手を繋いだだけで、心臓が飛び跳ねている。
彼女は、その細い指で力強く、僕の手を握り返してくれた。
「この血肉、全ては御身のために。正成は空十様に生涯の忠誠をお誓いします」
僕は最強の相棒を獲得した。
ペンギンさんは、僕たちが手を握り合っていると、「そろそろ、いいかな」と苛立たし気に僕の頬をつねった。
僕は正成さんにぞっこんだったし、彼女の瞳にも、だらしない顔をした僕しか映っていなかった。
そりゃ、ペンギンさんは面白くないだろう。
気が付くと、日は暮れようとしている。
魔法でも掛けられたかの如くお互いを見つめ合っているうちに、時間だけは泡のように消えていったらしい。
そして、長時間無視され続けるペンギンさん。
我慢の限界に達した御使い様が、僕たちを引き剥がす。
「ほら、さっさと出発して、ちゃちゃっと世界を救ってきなよ」
大きなリュックサックを僕に投げてよこすと、彼は神社の本殿へと消えていった。
ちょっと可哀そうなことをしてしまったかな。
リュックの中には、当面の食糧や野宿のための装備、衣服が入っていた。
今更ながら気づいたが、僕は通学時の服装のままだった。
これでは、野外での風雨に耐えられないだろう。
このリュックの中の服は、RPGゲームの旅立ちの装備みたいなものだと思う。
まあ、ここは形から入ろう。
白いシャツの上に、厚手のアンティークみたいな濃紺のジャケット。
赤ワインで染色したようなズボンをはいて、最後に真っ白いローブを羽織る。
どう見ても、垢抜けない貴族のお坊ちゃまみたいな装いだった。
お転婆なご令嬢に見えないことを祈ろう。
「とてもお似合いです、空十様」
「ありがとう」
彼女に誉められれば、素直にうれしい。
今は周りにどう見られようと、正成さんが受け入れてくれるのが一番だった。
「さて、ペンギンさんにも急かされたし。そろそろ旅を始めようか」
「はい」
御使い様が消えた本殿とは反対側の、神社の出口を目指して、僕たちは第一歩を踏み出した。
一筋の石畳で舗装された道は、鳥居へと曲がりくねりながら続く。
その朱色の鳥居は巨大で、ここからでも目視することができた。
2,30メートルはあるのではないだろうか。
道幅は広くて、通路の外側は白石の砂利で覆われている。
僕の日本と比べても、かなり大きな規模の庭園だろう。
ただ、周りを囲む巨木たちは深い森を形成しており、神社の外側の世界を伺い知ることはできなかった。
スケールの感覚が狂わされそうな大鳥居にたどり着くと、その先には海が広がっていた。
いや、波らしきものが見当たらないし、独特の潮の香りもしない。
試しに手で水をすくって舐めてみる。
しょっぱくない。
これは湖だ。
しかも、海面と見間違うほどの広さがある。
かつて旅行で訪れたことのある琵琶湖ほどの面積はありそうだ。
神社の入り口からは、対岸が視認できないほど先まで伸びている橋が架かっていた。
どうやら、巨大な湖の真ん中にある島の上に、神社はあったようだ。
幅が広く、立派な彫刻をなされた橋を、僕たちは渡っていく。
欄干の所々に、日本の神話に出てきそうな幻獣たちが彫られている。
先が見えない道程というのは、なかなか精神的に疲れると僕は初めて知った。
最初に僕がリュックを持つと提案したのだが、正成さんは頑なに役割を譲ろうとはしなかった。
けっこうな重量のはずだが、彼女の細い体躯は恐るべきパワーを秘めているようだ。
途中で僕がへばると、お姫様抱っこをされる始末だし。
さすがに男としてのプライドが断固拒否を訴えたが、正成さんに力づくで抱え上げられてしまった。
そして、深く傷つきストライキを起こすかと思われた僕のつまらない自尊心は、抱かれたことで肩に当たる、彼女の柔らかい胸の感触を前に、簡単に玉砕するのだった。
あれは、世界でもっとも柔らかくて、優しく人を傀儡にする、恐ろしいものだ。
この短い時間で分かったことが、もう一つある。
彼女の忠義は、あまり融通が利かないみたいだ。
彼女自身が主のためになると判断すれば、僕の意思はあまり尊重されないみたい。
そんな不器用なところも可愛いと思ってしまう僕も、どうかしているが。
ガチャガチャから出現した時は実直な雰囲気だったが、このちょっと乱暴な思いやりは、僕のスキルによる改変の影響かもしれない。
心のどこかで、そんなキャラクターを望んだのだろうか。
「某は、厚かましいですよね」
「え?」
心の声が出ちゃったかな。
「自分でもわかるのです。お仕えする方のことを考えると、周りが見えなくなってしまうことが多々ありましたので。煙たがれることはわかっているくせに、主に見放されるのが怖くて、ついつい差し出がましい行為に及んでしまう」
正成さんは、ぼそぼそと、消え入るような声で吐露する。
彼女は強いんだな。
僕は、そこまで自分のコンプレックスを人には話せない。
「そんなことはないよ。見栄を張って自分で歩いていたら、もう僕はダウンしていただろうし。余計に迷惑をかけることになったと思う」
「某は、空十様の、そういう優しさも計算してしまうのです。御使い様の中から見ていた空十様なら、某の狼藉も笑って許してくれるだろうと」
あぁ、面倒だなぁ。
「あぁ、面倒だなぁ」
「そ、空十様?」
今度こそ、心の声がダイレクトに出ちゃったな。
もちろん、故意に。
見上げると、彼女の顔面は音を立てるようにわかりやすく、蒼白に染まっていく。
僕は、そんなに優しくないよ。
ただ、臆病なだけだよ。
そうやって生きて、前世を台無しにしたのだから。
だから、僕は、もう無条件に他人の目を恐れない・
初めて芽生えた、嗜虐心というか、悪戯心にも従ってしまう。
「お姫様抱っこをされる羞恥プレイの御返しだよ」
僕は、正成さんの頭を両手でこねくり回して、きれいな髪の毛をクシャクシャにして、続くであろう彼女の自責の言葉を封じる。
正成さんは何が起こったか分からず呆けてしまった。
日が落ち始めて、濃くなった陽光を照り返して朱色に染まる彼女の髪の毛を、今度ははゆっくり、頭を撫でるように手櫛を入れてあげる。
「ふ・・・・ん・・・」
なんだか猫みたいに気持ちよさそうにする彼女。
でも、急に色っぽい表情をするものだから、僕の心臓は飛び跳ねるように胸の中で暴れている。
「正成さんは、僕のことを大分美化しているみたいだけど、この通り、怒ったり、イラついたりする普通の人間だよ。二人で旅をするのだもの。嫌なところを見せあってしまうのはお互い様だよ」
「空十様・・・・」
まだ気持ちよさそうに、とろけるような瞳を向ける正成さん。
「でもね、僕のために命を賭してくれるような人を、他人のために頑張れる人を、僕は絶対嫌いになんかならないよ。それだけは、あなたに誓います」
瞬間、万力のような馬鹿力で抱きしめられる。
お、おう。
腰骨から変な音がするよ?
彼女は、僕の胸元に顔を埋め、くぐもった声で「ありがとう」と言ってくれた。
ちょっとは、お互いのことを分かり合えたかな。
そんな、じゃれ合いを続けていると(彼女とのスキンシップには命を懸ける覚悟が必要だと知った)ついに橋の終端にたどり着いた。
そこには、舗装はされてはいないが、車が二台は通れるほどの道が湖に沿って走っている。
湖の周りも濃い森に覆われているようだった。
やっと正成さんに降ろしてもらって周りを見渡せば、日は沈み、辺りは暗くなってきている。
この世界でも太陽が西に沈むのなら、北側には旅行雑誌でみるようなアルプス山脈を思わせる雄大な山々がそびえていた。
さて、今日の宿を探さなくては。
初日から野宿では体が持たない。
山小屋でもあれば幸運なのだけど。
「空十様。あちらに何か見えます」
彼女の指の先に視線を向けると、間違いなく人工のものであろう明かりが灯っていた。




