10話
城壁の屋上にゆっくりと出現した機械は全身を流線形の外装で覆い、正面はコミカルなカエルの顔のようにも見える。
六つの車輪で前進する姿は、間違いなく自動車だった。
ノスタルジックなデザインをしており、かつて前の世界の自動車博物館で見たことのあるクラシックカーに似ている。
背後には大きなコンテナをけん引しているのが確認できた。
僕たちは、この砦まで馬車に揺られてきたし、そのほかの物資の移動も同様だった。
だから自動車の出現には、完全に虚を突かれてしまった。
城壁の背後にはスロープが砦まで直通しているから、たぶん下から登ってきたのだろう。
「自動車が切り札なのですか?」
僕は若干の落胆を禁じえなかった。
技術面でいえば、この軍隊にとってオーバーテクノロジーなのかもしれない。
でも、この局面を打破できる代物ではない。
「否、あれが運ぶ貨物こそが最終兵器でございます。馬では、あの重量を移動できないのです」
計画の立案に携わっていた正成さんは、この兵器の存在を知っていたのだ。
コンテナが屋根から左右に割れていき、中身の姿が日の光を浴びて輝く。
直径5メートルの円形の鏡があり、その前方に1メートルの幅をもって、鏡より一回り小さいレンズが固定されている。
鏡とレンズは砲塔のような構造物に設置されていて、そこから細いアームがレンズの前まで伸びている。
アームの先端にも手のひらほどのレンズが装備されていた。
「空十様、あれこそが我々の奥の手、太陽光線収束砲でございます。100年前の橋の森の王は、この城壁を建設するのと同時に、南に接する工業国の機甲スキルホルダーを招致して機械兵器も製造させたのです。そして当時も太陽砲が戦を決したと記録に残っているそうです」
兵隊さんたちが砲塔に乗り込み、整備員が太いコードをつなげたり制御ボックスらしきものを操作し始めている。
砲身がレンズになっただけで、これは大型トラックにけん引された自走砲なのではないだろうか。
「話だけで機甲スキルは聞いたことがあるけど、100年も昔にあんな兵器をつくれるのですか。とんでもないね」
「機械兵器を創造したり操作する種類のスキルですが、高ランクスキルホルダーであれば文明レベルを無視した超兵器も創造できるらしいのです。あの車両もしかり。しかし現行の技術を超える機械は生産できませんし、スキルホルダーが長い時間をかけて製作するので、ワンオフの兵器となってしまいますが」
準備が終了し、重い駆動音が唸りをあげて砲塔が魔物へ向く。
周辺の部隊員が遮光ゴーグルを被ると、鏡部分が強烈に発光し、その光を受けて前方のレンズが赤く変色していった。
「正成さんは太陽光線砲と呼んだけど、あの鏡が放出しているのは日光なの?」
「某も細かいからくりは理解が及びませんでしたが、あの鏡は日光を無限に蓄積できるそうです。そして一気に解放された高エネルギーをレンズでさらに高倍率化、収束します。最後にアームの小さなレンズがエネルギーの進行方向をコントロールして発射されるのだそうです」
屋上の兵隊さんが、三脚に固定された横に長い巻物のような観測機器で対象との正確な距離を算出して、コンテナの仲間に結果を伝えている。
それを受けて砲塔の外側のコントロールボックスに諸元を入力すると、細いアームがゆっくり動いて照準を定めた。
無線から、抑えきれない興奮を冷静さの縄で無理に縛り上げたような岡村さんの声が届く。
「これより太陽光線収束砲を使用する。全部隊員はその場で伏せて、衝撃と発光に備えよ。繰り返す。太陽砲を使用する。勝利は目前だ、何としてでも生き残れ」
岡村さんの号令に従い、太陽砲に蓄積されたエネルギーが解放される。
機械の大きさからは想像できないほどの細い光線が、砲塔から照射された。
血よりも濃く夕焼けよりも幻想的な赤色の光が化け物の群れに差した瞬間、柵の前の魔物ごと大地は爆発して広く抉れていった。
レーザーの照射は続き、地を割るように河原の最奥の群れまで薙ぎ払っていく。
かつて魔物であった有機物が四散して空に舞う。
そう見えたのは周囲で衝撃波を受けたものだけで、直撃した地点の怪物は蒸発して痕跡ごと消し去られていた。
一時的に川が熱で干上がって霧が発生し、ドロドロに溶けた溶岩のようなオレンジ色の道が地平まで続いている。
湿度と気温が急激に上昇して、吸い込む空気が重くて熱い。
僕は目を凝らすが、もうそこに動く物体はなかった。
「全作戦、終了。みな、よく耐えた」
岡村さんの無線を合図に、城壁から大歓声があがる。
笑い声と感極まった泣き声が交錯し、互いを讃え合う通信が無線を行き交う。
けど、なんだ、この嫌な予感は。
汗が首筋を伝って、背中に流れるのが不愉快なほど敏感に感じ取れる。
違う、これは僕の予感ではない。
目の前の正成さんの殺気がさらに強くなった事実が、僕の生存本能に教えているのだ。
本当の脅威はこれからだと。
すると、霧の中にひとつの薄いシルエットが浮かびだした。
それはとても奇異な影で、逆立ちをした人間が歩いているような動きをしていた。
動きもおかしければ、その大きさも、笑ってしまうほど馬鹿らしく巨大。
逆立ちした巨人の影が濃くなってくると、鈍い鐘の音がそこから発せられた。
奈落の底から響いてくるような鐘の音は、城壁の兵隊たちに戦闘が終わっていない事実を宣言するものか。
兵士たちの現実味のない視線を否応なく集めた怪物が、霧を突き破って出現した。
体表はフジツボで覆われ、そのため表情はおろか目も鼻も判別できない。
上に突き上げていた両足が八本に割れて、威嚇するように蠢き始める。
足だと誤認していたのは、太く強靭なタコの足の集合体だったのだ。
全長20メートルの逆立ちしたタコ足の巨人の両脇には、いままで狂ったように暴れていた魔物たちが主を讃える様に控えている。
この巨人こそが、魔物たちの扇動者なのだろうか。
その顔が大きく上下に引き裂かれて穴が開くと、壊れた鐘の音が発せられて、僕の顔を叩いた。
同時に城壁から兵たちのヒステリックな悲鳴があがる。
狂ったように撃ち出される火線が巨人に浴びせられるも、その進行はいささかも揺らがない。
太陽砲のレーザーが照射されるが、巨人に届く寸前で歪曲して上空へ飛んでいく。
目に見えない防壁が攻撃を無力化しているのだ。
無線を支配するのは怒号とパニック。
僕はというと、あまりに怖すぎて、うまく思考できないみたいだ。
恐怖が許容量を超えてしまって、混乱する余力すらない始末なのだ。
巨人は太いタコ足を奔流のようにくねらせて柵を破壊すると、そこで足を止めて体を丸めた。
全身を小刻みに震わせると、つぼみが開花していくように体表のフジツボが開いていく。
花の中心からゆっくりと体液を滴らせながら生えてくるのは、金色をした人の腕の骨だった。
巨人の振動が強くなると、だらりとしていた数百の腕の骨は先端の指まで真っ直ぐに伸びて、槍のように鋭角的な態勢で回転し始める。
その時点になって、初めて正成さんは馬上用の長い日本刀を抜いて正眼に構えた。
「岡村殿、早急に城壁の部下を退避させよ。太陽砲が反射されたことから類推するに、恐らくこの化け物は防御系の魔導スキル持ちだ。魔導と機甲では相性が悪すぎて、もはやそなた達に抗う手段はない」
無線機がひび割れた岡村さんの声を発する。
「悔しいですが、了解しました。しかし、あなた方が避難してからです」
「すまないが、はっきり言おう。現段階でそなた達は足手まといなのだ。某の持つ武人スキルは魔導スキルに対して優位ではある。しかし某と化け物が戦えば、そなた達を巻き込んでしまうのだ。空十様は、それを決して許さない」
「・・・・わかりました。退避命令を出して、後方の砦で最終防衛ラインを敷きます。あの夜のように、あなた達にすがるしかないのが情けない限りです。恥を忍んでお願いいたします、どうかこの国をお救いください」
正成さんが視線をこちらに向けてきたので、僕は無言で頷く。
「承知した」
ラッパの音が鳴って兵隊さん達が城壁から離れていく頃、僕も自分のスキルを起動する。
目前で全身から金色の骨を生やして回転させている魔物は、攻撃のためのエネルギーを充填しているのだろう。
僕は、金縛りにあった思考をほぐす様に首を回す。
スキル戦では、柔軟で冷静な思考力がなければ瞬殺もありうるから。
文書で確認できる範囲でも、多くの種類のスキルが存在するが、戦闘スキルは大きく三種類に分類できることを僕は学んでいた。
武人の技を奇跡の域まで昇華した武人スキル、魔力などにより超常現象を起こす魔導スキル、機械兵器の作成と操作をする機甲スキルの三つだ。
さらに、武人スキルは魔導スキルに強く、魔導スキルは機甲スキルに優勢で、機甲スキルは武人スキルに有効であるという、じゃんけんのような関係性を持っている。
これは御使い様が新しい世界に設定したルールなのだろう。
あの魔物からは肌を焦がすような威圧感を感じるけど、これはスキルホルダー同士の感応現象だと思う。
たぶん、この感覚はC級ぐらいの強さだと想定できる。
問題は、基本的にスキルホルダーはスキルでしか倒せず、攻撃能力を持っているのは正成さんだけなのだ。
でも、彼女のA級の力は強大すぎるから、可能な限り行使は控えたいという事情もある。
その力の存在が明るみにでれば、近隣国家間のパワーバランスを崩壊させるし、この川を地図から消し去るかもしれない。
農業国である橋ノ森が水源を失えば、魔物を防いでも国力の大きな衰退を招く可能性もある。
であれば、他にスキルホルダーは僕しかいない。
巨人の能力が、周りを取り巻く透明の膜であるのは実証された。
防御力が高く、現在は膜の表面上に無数の渦巻きを発生させて、突出した骨に回転のエネルギーを送り込んでいる。
「正成さん、やっぱりあなたの力は、まだ解放しないでください。僕が巨人を止めます」
僕がスキルの具現化に集中すると、金属の小片が両腕を覆っていき、限りなく白に近い金色をした、肩までのうろこ状の防具が形成される。
最後に目の前が淡く光って、顔を隠す白金のマスクが出現する。
正成さんが言うには、微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも見える不思議な表情を模した仮面らしい。
「ひと月の修行の成果ですね、空十様。基礎体力を磨いて生命力を高めた結果、能力の可能性が拡張したのでしょう」
「ドヤ顔しないでください。あなたの無茶な特訓の後に命が残ったのは、幸運だっただけだからね。でも、もともと自分の能力のマニュアルは頭に入っていたけど、手札が増えれば応用もできる。マニュアルに載っていない裏技なんてものも思いつくのです」
地面に手をかざすと、そこから二本の燭台が伸びてくる。
燭台が3メートルの高さになると、表面を白いレンガが囲いはじめて、一対の白亜の塔が完成した。
塔の天辺には、僕の生命力を切り取って作り出した緑色の炎が煌煌と灯っている。
「これは、空十様の切り札のはず。しかも撃てるのは一日二回だけなのに、使ってしまってよろしいので?」
「正成さんなら簡単にこの戦いに幕を下ろせるだろうね。でも、その後にもっと凄惨な戦争を呼び起こす予感がするんだ。あなたのような規格外な存在は、より強い存在を呼び込んでしまう気がするのさ。時代の技術水準を突破した新兵器が戦場を支配しても、対抗策としてより進化した兵器が開発されるように。物語ってそういうものでしょ。それに認識者である僕が見聞を広めるほどに世界は強固に大きくなるなら、あのペンギンさんが創造した世界なら、そんな展開をオートマチックに構成しそうで恐ろしいよ」
「御使い殿なら、やるでしょうな。そういった仕掛けがあっても不思議ではないでしょう。承知しました。ここは空十様にお任せ致します」
僕はさらに集中する。
塔で燃え盛る、命の欠片の炎に空気中の魔力を送り込んで、火勢を強める。
魔力と混合させることにより、それを回復魔法に変換させるのだ。
だが、あえて魔力の混合配分を狂わせて、歪な回復魔法を発生させる。
魔法自体には、あらかじめ動作や進行方向をプログラムすることができる。
例えば、大気中の魔力を吸い込んで吐き出す行動を魔法に設定すれば、魔力を推進剤として空中を飛翔する攻撃魔法となる。
さらにターゲットを指定して自動追尾能力を持たせるのが、オーソドックスな攻撃魔法の手順だろう。
だが、回復魔法に遠距離を飛行する能力はない。
核である命の欠片が、空気中では存在を維持できないからだ。
僕のスキルが具現化した塔や腕の鎧は、命の欠片を長時間固定するためのものだ。
そういった理由で、これまで回復魔法は対象に隣接しなければ行使ができなかった。
だが、この裏技を完成させるには、どうしても遠距離飛行能力を付与しなければならなかった。
僕は旅立ちの日から愛用している白のローブの内側に括りつけてあった、二枚の布を取り出す。
広げればマフラーのように細長い緑色の布は、薬草の繊維で編み込んだ代物だ。
事前の命令通りに、塔の炎は移動して、布を燃やし始める。
一部の効能の高い薬草は、体内に微量の疑似回復魔法を蓄積する性質を持つことを、僕は突き止めていた。
ならば、術者の魔法も薬草の組織内に一時的に保管できる可能性があるはずだ。
試行錯誤の結果、この緑のマフラーが完成した。
マフラーが燃え尽きるまでは、回復魔法でも空中に形を保てるのだ。
布の尾を引く二つの大きな炎が、ねずみ花火のように回転をはじめ、僕の頭上で安定して滞空する。
あとはインプットしてある攻撃開始の許可サインを送るだけだ。
だが僕の術式が完成すると同時に、巨人の攻撃準備も整ってしまったようだ。
透明な膜の渦が消え、巨人が前傾姿勢をとる。
でも、僕に焦りはない。
「正成さん、スキルを使わずにあれの攻撃を防いでください」
「承知」
彼女を知らない人間には、あまりに無茶な命令に聞こえるかもしれない。
でも、僕は正成さんの劇画的ともいえる荒唐無稽な強さを、特訓時に悪夢に近い形で体験している。
刀を振るって森を消滅させながら僕を襲う彼女の笑顔はトラウマです。
僕が、苦い思い出というかPTSDに苛まれていると、巨人は一際大きい壊れた鐘の叫び声をあげて体を瞬間的に膨張させ、回転を続ける黄金の骨を射出した。
錐揉みする数百の骨が、ミサイルのように白煙を吐きながら僕の視界を覆いつくして来襲する。
二回の重い爆発音が轟いたのは、骨の群れが音速の壁を越えた証左だ。
正成さんの上段に構えた長刀が宙を縦一文字に切り裂くと、空間同士が激突して摩擦し、焦げ臭い突風が吹き荒れる。
河原の大小の岩が砕けて飛び散って、地面はめくれた。
一瞬あたりが真空状態になり無音に包まれた後、その真空を埋める様に、周囲に飛び散った岩の破片や砂利が力の激突地点へ引きずり戻される。
正成さんは再び刀を上段に構えなおし、怪物は表情の伺えない顔を彼女の方向にのみ完全に固定した。
肌を刺すくらい殺気で膨れ上がった、冷たく静かな両者の間合いに、山から吹き降ろす風音だけが息をしていた。
周囲を見れば、僕と正成さんだけを逸れて、金色の骨が稲穂のように地面を埋め尽くしている。
背後の城壁の左右には数えきれない穴が開き、そこを起点として亀裂が走り、崩壊を始めていた。
僕達の真後ろの壁だけが、かつての姿を不自然に維持している。
正成さんは、一刀の圧力で骨の瀑布を切り伏せたのだ。
もちろん、スキルの発動はなかった。
彼女のナチュラルな暴力だ。
武人スキルには、所有者の身体能力を常時上昇させる特色があるらしい。
美しい顔に笑顔を浮かべて頻繁に暴走する彼女が、破滅的な行動で僕に迫る彼女が、この力を常に内包している事実は心強い以上に危険で心臓に激烈に悪い。
例えるなら、美女の形をした核ミサイル。
しかも、よくスイッチが壊れたりする。
怖いでしょ?
でも、僕にはわかる。
怪物に相対している彼女の背中が「某、頑張りました!だから後でたくさん誉めてくださいね。たくさん甘えさせてくださいね」という、ドヤ顔をしながら、ちょっと上目遣いでねだるように複雑な主張をしているのが。
そういう些細な心の揺れに敏感にならないと、危険な数種の薬品を混ぜて、容易く事故現場を作り出す彼女のパートナーは務まらないのだ。
まあ、いきなり最前線に放り出されるようなクレイジーな事故は防ぎようがなかったけどね。
そう考えると、目の前の巨人より正成さんの方が僕を死に至らしめる可能性が高いような恐るべき事実が頭をよぎったけど、これは深く考えてはいけない禁断の領域だと思うので、止めておこう。
目前の怪物も再び前進し始めたし。
巨人は今も透明な膜を展開している。
彼女の斬撃がいかに強大でも、通常攻撃でスキル能力を突破することはできない。
それは、この世界のルールだ。
スキルにはスキルを。
しかし防御スキルであるならば、同列のC級攻撃魔法でも貫通は困難だと思われる。
そこで、僕の裏技の出番だ。
この世界の過去の戦史を紐解けば、スキル攻撃の出現と、それを防ぐためのスキル防御の開発が延々と繰り返されていた。
攻撃魔法を無効化する武人の技、武人の圧倒的物理攻撃を防ぐための機甲スキルによる科学の盾。
そんな攻防の歴史の中、一点の特殊な例外が存在した。
回復魔法だ。
回復魔法だけは、それを阻害する存在が出現しなかった。
戦場でも野戦病院を狙わないという認識は、様々な世界の集合体であるこの世界でも共通のルールであり、そういった人間の根底にある最低限の良識が、回復魔法の妨害という発想を許さなかったのかもしれない。
思い返してみれば、僕がプレイしたことのあるゲームでも、そういった技はなかった。
回復魔法は無敵なのだ。
つまり、あの巨人の防護膜は、僕にとって意味をなさない。
頭上に浮かぶ円盤状の回復魔法は二発分。
この魔法は一つに大きな生命力を注ぐため、今の僕ではこれが限界だ。
たぶん、あいつは僕を脅威とみなしていないし、無視している素振りすらある。
正成さんに注意を向けている今がチャンスだ。
白金の鱗鎧をまとった右腕に意識を集めて前方へ伸ばし、怪物を握りつぶす様に手のひらを締める。
これが攻撃開始のサイン。
魔法の片割れが、鎖を解かれた猛獣のような瞬発力に彗星のような綺麗なスピードの長い尾を引きながら飛んでいく。
巨人の左腕に接触した瞬間に、緑色に燃える細長い布が絡み付く。
腕を拘束した炎は、すぐに極小の翡翠色をした文字の塊へと姿を変えていった。
光る影の中で、数万の文字が流動して、水族館で局所的な竜巻のように群れて泳ぐイワシの群れみたいだ。
流れはどんどん加速していき、それが文字であることを判別できなくなったとき、影は爆発した。
飛び散る文字の飛沫。
しかし、衝撃も破壊音も伴わない。
静かに周囲が暖かくなっただけだ。
巨人は訝しげに左腕を確かめただけで、再び前進を始めようとした。
それは無駄だ。
その腕は、もう君のものではない。
君の左腕は、僕の「許すモノ」に請わなくてはならないのだ。
この世界における、自身の在り方を。
巨人の能面に、初めて感情と呼べるものが浮かんだ。
惑い、焦り、不安。
自分の一部が自分でなくなる感覚。
僕の能力は、認識者の名のもとに、ただ許すだけ。
負傷者がいれば、理を逸脱して、そのケガをなかったことにすることを許そう。
病人がいれば、世界のルールを超えて、奇跡的に回復することを許そう。
僕がそう強く認識するかぎり、この世界はそれに応えてくれるだろう。
それが認識者の力。
不安定な世界と、それを修復する僕の、深く繋がった関係
他人の目ばかりを気にして、雁字搦めになって、勝手に自分に失望して前世を終わらせた僕が目覚めた、最高に傲慢な能力。
巨人の左腕は、地面に縫い付けられたように微動だにしない。
木の幹の折れる乾いた音が連続して、腕の表皮が不気味にうねった後、肘を突き破って前腕の異様に太い骨が飛び出した。
指からも枝分かれした根のような骨が突出して、地面に突き刺さっている。
骨格の異常成長。
僕が編み出した裏技の正体がこれだ。
本来は骨折などの負傷を治癒するための魔法だが、意図的に歪められた回復魔法は自然治癒力を暴走さて、骨を規格外に太く長く発達させてしまう。
故意に失敗するようにプログラムされても、世界のルール上は純粋な回復魔法にカテゴライズされるから、防御手段は存在しない。
この技をイースターエッグと名付けた。
本来はソウフトウェアに隠された悪戯の意味だが、僕のイースターエッグはえげつない。
巨人は、縫い付けられた大地ごと片腕を無理やり引き剥がすことに成功するが、肉は裂けて骨がひび割れる重症を負った。
それでも、かろうじて繋がっている左腕を引きずりながら、残った片腕で這いずり前進しようとする。
タコ足の無数の吸盤からは硬く鋭いくちばしが生えて、敵を食い千切ろうと開閉を繰り返している。
怪物には知性があった。
全身に薄く纏っていた膜を前方に集中させて、厚い壁を作り出していた。
学習し、対応しているのだ。
でも、回復魔法にとって、膜であれ壁であれ無意味なのだ。
僕は頭上に滞空する最後の炎を、その右腕に撃ちこむ。
イースターエッグには、数種類のバリエーションがある。
いま放ったのは、筋肉の異常成長を促すものだ。
分量を間違えば、薬は簡単に毒薬になる。
翡翠色に輝く影と文字に包まれた右腕は、痙攣しながら風船のように膨張していき、内側から破裂した。
筋肉の繊維がおどろおどろしい打ち上げ花火のように弾け飛び、しゃぶりつくした手羽先みたいな骨だけが右腕の名残を残している。
命を奪う必要はないし、そんな力もない。
でも、二足歩行だろうが四足歩行だろうが、二つの可動部を破壊された生物は移動能力を喪失する。
僕は正成さんや兵隊さん達のように数多くの魔物を防ぐことはできないけれど、一体だけならば、いかに強大な敵でも行動不能にできる。
それが、僕が見つけた強さだった。
怪物は完全に移動能力を喪失して、重すぎる巨体を狂ったように揺らしている。
だけど必死にもがくほど傷口から大量の血液が流れて、死に近づいていくのだ。
巨人に付き従っていた魔物たちも、呪いが解けたみたいに静かになり、正成さんが殺気を飛ばすと蜘蛛の子を散らすように山へ消えていった。
防ぎ切ったのだろうか。
まだ実感がないし、足の裏の気持ち悪い浮遊感は途絶えない。
正成さんは一つ小さな息を吐くと、子気味良い音を鳴らして刀を鞘に収めた。
「お見事でした、空十様」
「怖かった。本当に怖かったよ」
戦闘が終了すると同時に気が遠くなってきて、指の先がひどく冷たく感じる。
ぐるんと脳みそが回転するような感覚がしたかと思うと、僕は尻餅をついていた。
体を起こそうとするも、力がうまく伝わらず、動作をコントロールできない。
「は、はは」
本当は泣き出したくてたまらない。
叫び散らしたくてしょうがない。
でも、口から洩れたのは、からからを通り越して干からびて粉末に砕けた笑いだった。
「大丈夫です。もう怖いものは終わったのです。安心していいのです」
そう言いながら、正成さんは僕の硬直した顔面を正面から柔らかく抱きしめてくれた。
彼女の少し汗で湿った肌の質感と熱が、不思議と混乱を溶かしてくれている。
恥ずかしさも忘れて、僕は赤子のようにさらに強く彼女の胸に顔を押し付けた。
そうでもしないと不安に溺れてしまうことがわかっていたから。
彼女が頭を撫でてくれると、荒くて安定しない呼吸が緩やかになって、やがて疲労感を知覚できるようになり、疲れは達成感へと変換されていく。
「やはり、あなたは最高の主君です。こんなにも心を磨り潰してまで、他人のために尽くせるのですから。正成は果報者です」
見上げると、彼女の慈愛に溢れた瞳が見つめ返してくる。
彼女の顔も砂まみれだったけど、胸がどうにかしそうなくらい、僕にはそれが美しく感じられた。
それに、どうしたことか自分でもわからないけど、彼女のたわやかで光沢のある唇に吸い込まれそうな感覚に僕は陥ってしまう。
自分の行動が何か別の熱源に突き動かされるようで、その柔らかいものを撫でて、信じられないことに自分の口を重ねようとしているのだ。
正成さんも顔を真っ赤にして、目を閉じる。
そこで初めて、僕は変な違和感を覚えた。
戦場のど真ん中で、ロマンチックに気分が高まる展開は、お約束だ。
でも、どうして回復職の僕がここにいるのだろう。
血気盛んな前衛職みたいに、最前線でもがき苦しんだのだろう。
大事なことを見落としている気がする。
たしか城壁から正成さんに抱え上げられて・・・。
「空十様、あまり焦らさないで。わたしも初めてで、うまく出来るかわからないし、恥ずかしいのです。でも、もっと、貴方の正成になりたいのです。」
僕は彼女を抱きしめていた両手をそっと解放し、それを静かに彼女の臀部に移動した。
「ひゃ!お、おしりですか。そ、空十様、物事には順序が。でも、この正成、そんな変態主君も嫌いじゃ・・・・」
そして僕は、球体のモッツァレラチーズみたいに白くてしっとりとした張りがある柔肌を、渾身の力を込めてつねった。
「ひゃあ!痛いっ痛ぁぁい!空十様のエッチ!すけべ!」
離れようとする彼女を、僕はしっかりと締め上げる。
「あなたは、本質的にはおじさんでしょう。おじさんのおしりをどうしようが、僕は引け目を感じません。被害者として正当な報復を実行しているだけです」
「そんな・・・・。あ、でも、こんなサディスティックな愛され方も嫌いじゃ・・・って痛ぁぁぁぁい!嘘です!やっぱり無理でぇす!」
彼女の嬌声に気づいた岡村さんたちが、城壁の瓦礫を飛び越えて歓声をあげながら走ってくるが、いま僕は大変忙しいのだ、専念させてほしく思う。
後の戦闘後の処理で多数の負傷者が計上されたが、驚くべきことに戦死者は皆無だった。
未来において編纂される湖鳴物語という本がある。
この戦闘は「始まりの奇跡」というエピソードとして本に記載され、市井の人々の間で永く読まれ、語り継がれることになる。
激しい戦闘の傷跡が残る大地に横たわって苦悶する巨大な怪物。
その傍らで、少女のような青年が悲鳴をあげる美女に抱き着き卑猥な行為を繰り返していたという摩訶不思議な伝説が、第二版から抹消されたことはあまり知られていない。




