第15話 ある少年の受難(二)
前話:魔族が住む世界と繋がってしまった地球世界。一人の少年が世界の壁を越え異世界へ。
夜の公園で一人たそがれていたところ、角が生えた大男に襟首をつかまれ、子猫のようにぶら下げられてしまった少年。思いがけない出来事に、彼は手足をばたつかせると、言葉にならない声をあげた。
「あわあわあわー!」
太い腕で少年をぶら下げたオーガの将軍は、目の光る大きな魔獣――ただの乗用車――から彼を守ろうと、宙にあいた穴の中へ大股で戻っていく。
『ベルガよ、急げ!』
魔族の姫が声をかけた時には、オーガの巨体はすでに黒い穴を潜っていた。
「だ、だれなんですか、あなたたちは!?」
『ふむ、どうやら言葉は通じぬようじゃな。
だが、魔獣がうろつくあんな場所に放置しておくわけにもいくまい。
仕方がない、とりあえず城へ連れかえるか……』
『エルザ、「しろ」ってどういうこと?
もしかして、お城のこと?』
エリザベートの素性を知らないゴブリンの少女カロルが、彼女につめ寄る。
『な、なんのことかな。
とにかく、こやつは私が家まで連れてかえろう。
カロル、お前が言うように、この穴の向こうには危険な魔獣がたくさんいるようだ。
絶対、中へは入らぬようにな』
『なんか口調が変だよ、エルザ』
『ま、そこは気にするな』
『そんなこと言っても、どうしても気になるー!』
まだまだ何かいいたそうなゴブリン少女の手をひき、魔族の少女は集落のほうへ戻っていった。
オーガの将軍ベルガがその後に続く。
「こ、ここどこ?
なんかアフリカっぽいんだけど――」
オーガの手で吊りさげられた少年が、なにか話しているがのだが、言葉が通じないから、周囲は誰一人それを聞こうともしない。
やがて集落の中に戻ると、少年の見慣れぬ服装が珍しかったのか、話好きのゴブリンたちがわいわいと騒ぎはじめる。
『魔族の子ども?』
『それにしてもヘンテコな服をきてるねえ。
肌の色もやけに白っぽいよ?』
『なんか四角い板切れのようなものを手にしてるね。
ありゃなんだい?』
ゴブリンに囲まれ動けなくなったオーガにエリザベートが助け舟を出す。
『はーい、みなさん、ちょっとどいてねー。
この子、大きな魔獣に襲われてたの。
かなり怯えてるから優しくしてあげてね』
気のいいゴブリンたちは、それを聞いて申し訳なさそうに道を譲っている。
エリザベートから魔獣に襲われていたと勘違いされた少年は、魔王城に連れていかれ、そこで保護されることになった。
◇
巨大な岩の城、魔王城。最上階にある魔王の執務室では、元魔王である父親がどっしりした机の手前に立ち、その向こうに座る現魔王である娘を珍しく厳しい顔で見つめていた。
「調べさせてみたけど、やはりあの少年は魔族ではなかったよ。
今まで見たこともない種族のようだ。
今頃は、いなくなったあの子を親族が探してるかもしれないよ。
困ったことになったね、エリザベートちゃん」
「大きな魔獣がうろつくあんな場所に子どもを放っておくなんてできないわ。
彼を保護したのは仕方がないことよ。
それより、気になるのはあの黒い穴の先にある場所のことだわ」
「魔獣のことからして、もしや魔窟ではないのかね?」
「そうれがどうも違うようなの。
空気と言うか、気配と言うか、それがダンジョンのものではないの」
「エリザベートちゃんが言うならそうだろう。
君の空間把握能力は大したものだからね」
「ふん。
そんなことで褒めてくれるのは父様だけですわ。
お世辞は結構です」
「お世辞なんかじゃないよ!
エリザベートちゃんは世界一かわいくて――」
「かわいい?」
「せ、世界一美しいお姫様――」
「お姫様?」
「せ、世界一美しい魔王様だよ」
「父上、とにかくこの件は魔王として私が処理しますから、くれぐれも口出し無用ですわ」
「も、もちろんだとも。
今の魔王様は君なんだから。
民のために、黒い穴の問題を解決してくれると信じてるよ」
「よろしい。
では、爺やを呼んでくださるかしら?
頼みたいことがありますの」
「もちろんだとも、すぐ来させるよ、魔王様」
◇
少年は、ゆっくりと目を覚ました。
岩がむき出しの天井に驚くと、ぱっと上半身を起こし、周囲を見まわした。
広い部屋。磨かれた岩の壁はもちろん棚やサイドテーブルまで落ちついた茶色で統一されていた。
「ど、どこ?」
声に出したところで、さっきまで自分が公園にいたことを思いだした。
(そうだ。夜の公園で独り座っていたら、すごく大きな男の人に捕まったんだ)
柔らかいベッドから降りようとして、床まで意外なほど高さがあることに気づき、降りるのにためらっていると背後で声がした。
「ちょうど目が覚めたようだな」
「そのようですな」
降りむくと分厚い扉が開きかけていて、そこから二人の人物が入ってくるところだった。
一人は、中学生か高校生くらいの女の人。ふわりとした赤いドレスが鮮やかな真紅の髪にとても似合っている。髪の間から二本の角がのぞいていた。
もう一人は、骸骨の仮面を着けた背の高い人。背丈ほどもある黒い杖を右手に持ち、黒いローブを羽織っている。さきほどの声からして男の人だろうか。
「あのう、ここはどこですか?」
少年は目の前の二人が誰かより、まず自分がどこにいるかたずねた。
得体の知れない人の素性をきくのが怖かったのだ。
「わらわはエリザベート、この国の魔王じゃ」
「え? 魔王?」
世の中にコスプレなどという趣味があるのは知っていたが、間近で見るとすごい迫力だ。
「お姉さん、魔王のコスプレよく似合ってますね。
骸骨の人もなんかすごいね」
少年の言葉に応えたのは、骸骨の大男であるエルダーリッチだった。
「ふむ、こやつ寝起きで少し混乱しておるようですな。
しかし、『言合わせ』の魔術はうまくいったようです」
骸骨男ネルフィムが部屋の隅にあった椅子をベッドサイドに置くと、そこにエリザベートが座った。
ネルフィムはエリザベートの後ろに立ったままだ。
「少年、お主、名はなんという?」
「博隆です。園田博隆」
「ヒロタカか。二つ名ということは貴族じゃな」
「え?
ボク、貴族じゃないよ」
「貴族でもないのに二つ名を持つという事は――」
「姫様、いえ、魔王様。
やはり、例の穴は別世界に通じているということでしょうな」
「ふむ、やはりあれはダンジョンではなかったということか。
これは厄介なことになったな」
なにやら深刻な会話を始めた二人に、ヒロタカ少年が話しかけた。
「あの、ボクのスマホ、どこでしょうか?
「ん?
スマホとはなんじゃ?」
「ええと、このくらいの――」
「おお、お主が持っておった板切れか。
安心せい、ここに置いてあるぞ」
エリザベートは立ちあがると、壁際にある棚の上からスマホを取ってきて少年に手わたした。
「え!
もうこんな時間?
すぐ学校に行かなくちゃ!」
ベッドから跳びおりようとする少年を、ネルフィムの大きな骨の手が止める。
「少年、落ちつけ。
お前が今いるのは魔王城、このお方は魔王様だ」
「おじさんたちのコスプレにつき合ってる時間はないの!
もう遅刻しちゃってるんだから」
ネルフィムは大きな骸骨を左右に振ると、骨の片手で軽々と少年を抱えあげ、窓際まで連れていく。
「放してよ、学校に――えっ!?」
少年は窓の外にひろがる景色を目にすると声を失った。
巨大な岩の城、魔王城の上層にあるその部屋からは、赤い空の下、草原や森がはるか遠くまで見わたせた。
それはどう考えても、地球の景色ではなかった。
「なあんだ、ただの夢だったのか。
……痛っ!」
信じられない現実を夢で片づけようとした少年の試みは、しかしうまくいかなかった。
自分で思いきりつねった頬が痛かったのだ。
「え!?
どういうこと……夢じゃない!?」
「ヒロタカよ、先ほどから何をやっておる?
それより、お主の世界のことなど、わらわに詳しく聞かせてたもれ」
「ええと、ということは、コスプレなんかじゃなくてあなたは本物の魔王様?」
「それはそうじゃが、なぜそのようなことを重ねて説明せねばならんのじゃ。
そんなことより、今はお主の世界の話を頼むぞ」
「……」
黙りこんだ少年にエルダーリッチのネルフィムが声を掛ける。
「少年、なにを黙っておる。
陛下の質問にとく答えぬか」
「が、が、が……」
「ががが、とはなんだ?
どうしたのだ、少年?」
「ガイコツがしゃべったー!」
ヒロタカ少年は、目を白くすると、口から泡を吹いて倒れてしまった。
幸い、倒れたのがベッドの上だったため、なにも問題はなかったのだが。
「うむ、こやつかなり変わったやつじゃな。
ネルフィム、お主を見て驚いてしまったぞ」
「はあ、私だけのせいでは……」
「爺、なにか申したか?」
「いえ、なんでもございません。
この者には、少し落ちついてから再び話をさせましょう」
「うむ、この有様ではその方がよかろう。
では、こやつの事は爺に任せた」
「はっ、承りましてございます」
魔王エリザベートはベッドに横たわる少年へ呆れ混じりの視線を投げかけると、賓客用の寝室を後にするのだった。
読んでくださってありがとう。
日本から一人の少年が異世界へ。
魔族の世界で彼を待っているものは?
次話へつづく。




