第41話 神薬、その後
前回:虎人ドラバンは、シローの配下になろうと苦心する。
パンゲア世界、大陸中央に広がるサザール湖の北西に位置するのが、歴史ある大国ヴァラサーナ王国である。
この国は、最も早い時期に『神樹同盟』へ参加しており、南東で国境を接するマスケドニア王国はもちろん、アリスト王国とも良好な外交関係がある。
かつて栄えたこの国も、最近になるまで衰退する一方だったが、急成長する二国と親密な外交を結ぶことで、それにひっぱられる形で着々と国力をつけてきた。
当然、二国に敵対すると思われるような動きは、慎重に避けてきた。
しかし、事が『神薬』ともなると話は違ってくる。
密談用の狭い部屋に置かれたテーブルの周りには、わずか三人だけが座っていた。
国王ナイージャ、宰相スタル、魔道省長官メアリスだ。
初老の国王ナイージャは、そのいかつい顔が緊張に強ばっていた。
「メアリス長官、本当にこの薬を調べても大丈夫なのだろうな?
もし、英雄殿に知られたなら、我が国が『神樹同盟』から追いだされることもありえるのだぞ。
そんなことになれば、二度とこれを手に入れることなどできぬかもしれぬ」
ナイージャは、かつてマスケドニア王宮で見た、英雄シローのどこか茫洋とした顔を思いだしていた。
テーブルの上には、三本の『神薬』が置かれている。これはシローから『神樹同盟』の参加国へ贈られたものだ。
本来は一本ずつなのだが、同盟へ最初期から参加した国には、特別に三本が贈られている。
「陛下、恐れながら、そのご心配は不要かと。
この薬ビンについては、すでに魔術的な調査を終えています。
外部への魔術的な紐づけ、呪術的な効果はわずかも見つかっておりません。
ぜひ中身を調査すべきかと」
少女時代から天才の名をほしいままにしてきた魔術の名手、メアリスは、自信たっぷりにそう言いはなった。
「だが、注意書きには、『国が乱れる緊急時のみ使うこと。薬の調査を禁ず』と書かれていたのだろう?」
意気ごむメアリスをなだめるように、老宰相スタルが彼女の方を見た。
知的なその瞳に興奮の色はない。名君として名高いナイージャの功績は、その多くがこの宰相の進言によるものだ。『神樹同盟』への早期参入にしてもそうだった。
「しかし、スタル殿、この薬の効能を考えると、やはり調査すべきかと。
あらゆる病気からの完全治癒、欠損部位の完全回復、呪いの除去など、すさまじいばかりの薬効なのですよ!」
熱を上げるメアリスとは対照的に、宰相スタルは冷静だった。
「だからこそ約定を守り、この三本を効果的に利用すべきではないですかな?」
興奮しているメアリスには、そんなスタルの言葉など耳に入らなかったようだ。
「陛下、ぜひ調査のご決断を!
我が国でも『神薬』が作れるかもしれないのですよ!」
もはや最高権力者への礼など忘れたメアリスが、国王に詰めよる。
「病気の完全治癒、欠損部位の回復、呪いの除去か……」
(そして、もしかすると老化を遅らせる、いや若返ることすらできるかもしれぬ……)
初老を迎えた国王ナイージャにとって、それは抗いがたい誘惑だった。
彼が決断を下すのに、それほど時間はかからなかった。
「メアリスよ、『神薬』の調査を許可する。
成分、薬効を詳細に調べるのじゃ。
報告は、どんなささいなことも洩らすでないぞ」
「陛下、しかし、それは――」
宰相スタルが思わず立ちあがり、異議を唱えようとする。
「スタルよ、もう決めたことじゃ。
メアリス、早急に『神薬』の成分を調べ――」
国王ナイージャが、そこまで話したとき、唐突に白いものがテーブルの上に現れた。
「リルたん!?」
そう叫んだ国王へ、スタルとメアリスがぎょっとした顔を向けた。
二人は、いい年をした国王が白猫のぬいぐるみに『リル』という名前をつけ、毎夜そのぬいぐるみを抱いて寝ているなど夢にも思わなかった。
ところが、三人の驚きは、それにとどまらなかった。
白猫のぬいぐるみは招き猫よろしく、右前足を挙げ、ピンクの肉球を見せているのだが、なんとその前足を左右に振ったのだ。まるで「さよなら」をするように……
次の瞬間、「にゃん」という鳴き声を残し、白猫のぬいぐるみが忽然と消えた。
しかも、三本の『神薬』まで塵一つ残さずなくなっていた。
「「「ああーっ!?」」」
国王、宰相、魔道省長官が異口同音に悲鳴を上げる。
そして、呆然とした三人は、椅子から立ちあがったまま言葉がない。
しばらくしてから、やっと国王ナイージャがぽつんと言った。
「なぜじゃ?」
それに答えたのは、若い頃から彼を支えてきた宰相スタルだった。
「約定を違えたからでしょうな」
それを耳にして血相を変えたのは、メアリスだった。
「そんな馬鹿な!
あの薬ビンは、端から端まで魔術と魔道具で調べたのですよ!
どうしてそんなことが――」
「メアリス殿、我々が知ることが、この世の全てではないということでしょうな。
それより、アリスト、マスケドニア両国に謝罪の使者を立てましょう。
いえ、この場合、使者では不足ですな。
陛下ご自身に行っていただくか、あるいは、私が足を運びましょう」
「そ、そんな……」
メアリスは力を失い、ふらふらと椅子に座りこんでしまった。
「『竜の卵に手を出して命を失う』とは、まさにこのことじゃな。
欲を出して全てを失うてしもうたか……」
国王ナイージャは諦めの表情を浮かべ、静かに腰を下ろした。
「謝罪には、余が直接おもむこう。
愚かな決断をしたのは、余自身じゃからな」
「ご英断、見事でございます」
宰相の褒め言葉にも、国王の心が軽くなることはなかった。
「リルたん……余のもふもふが……」
薄暗い部屋には、そんな国王の声がやけに大きく響いた。
◇
ケーナイの街、聖女屋敷に滞在しているシローは、各世界からの報告を点パレットで確認していた。点パレットは、電子パッドに似た魔道具だ。
かつては同世界内の通信しかできなかったこの魔道具だが、今では異世界とも通信できるようになっている。
これはシローが、額に埋めた宝玉によって異世界間の転移が可能となってから手に入れた力だ。
「へえ、ヴァラサーナ王国もやっちゃったか。
ちょっと意外だな。
あそこは王も宰相もしっかりした人だったはずだけど」
「(*'▽') どうせ、若返りの薬なんて考えて欲をかいたんでしょうね」
「うわ、点ちゃん、そりゃまた穿った見方だなあ」
「(*'▽') う~ん、人間なんてそんなものじゃありませんか?」
「なんか、点ちゃんが哲学者っぽくなってる」
「(〃'▽'〃) え~、照れるなあ~」
「点ちゃんの中では哲学者って偉いんだね」
「(*'▽') そうですよ、プラトン、カント、ハイデッガー、それから――」
「ちょ、ちょっと待って、俺、誰も知らないんだけど」
「(;^ω^) ご主人様、少しくらい本を読みましょうよ」
「それはおいといて。
点ちゃんのアイデアは成功だったね。
全ての『神薬』に『・』をつけるだなんて」
「(*'▽')b そうしておけば、それぞれの点が判断してくれますからね」
「育毛薬の『のびのびくん』と美肌薬の『すべすべちゃん』にもつけたしね。
さすが点ちゃん、超便利だね」
「(^▽^)/ 超便利な点ちゃんですよー!」
「はいはい、また活躍の場をもうけるからね」
「(^▽^)/ わーい、ご主人様、またいっぱい遊ぼ!」
「うん、そうだね」
一度手に入れた『神薬』が消えてしまった王たちが、どれほどの絶望にくれているか、能天気なシローと点ちゃんは理解していなかった。
ちなみに、ヴァラサーナ王国の国王が愛したぬいぐるみの白猫「リル」ちゃんは、彼がアリスト王国を訪れた時、無事に彼の元に戻ってきた。
読んでくださってありがとう。
欲をかくと、ロクなことがないというお話でした。
次話へつづく。




