第33話 落日と帰還(中)
前話 シローとその家族は、虎人の子どもたちを保護した。
ナルとメルに連れられ、ポポたちの散歩に参加した翌朝、虎人族の子供たちは、昨日みんなで遊んだ、シロー邸の広い中庭に集まっていた。
それほど待たされることなく、シローとその家族が母屋から庭へ出てくる。
彼らを見送るため、ハウスキーパーのチョイスと料理人のデロリンも顔を出した。
「じゃあ、みんな手を繋いで輪になって」
シローの呼びかけに戸惑いながら、虎人の子供たちが手を取りあう。
不安そうな子供の後ろにはシローの家族が立ち、安心させるよう彼らの肩に手を添えた。
「パーパ、早く早く!」
「早くー!」
これから向かう世界で、獣人の長老たちに遊んでもらう心づもりだからだろう。ナルとメルは、出発が待ちきれないようだ。
「それじゃあ行くよ。
辺りが暗くなるけど手を離さないように。
怖いなら目を閉じているといいよ」
シローが注意を促す。
やがて彼の額中央にある金色の宝玉が虹色に光った。
みんなの足元から黒い靄が湧きあがる。
「お気をつけて」
「よい風を」
デロリンとチョイスの声とともに、彼らの視界は暗転した。
◇
「あら、海の香りがするわ」
虎人の子供たちを連れたシローが転移したのは、細い樹木が疎らに生える木立の中だった。
ここは海から近い。
広い海を持つ世界から来たエルフ、コリーダはさっそく潮風を感じとったようだ。
「ここってケーナイじゃないよね。お兄ちゃん、どこに転移したの?」
狐人のコルナは、相も変らぬシローの適当さに不満があるようだ。
「グレイル世界で、この気温なら獣人大陸北部ではないですか?」
冒険者でもあるルルは、さすがに落ちついていた。
「その通りだよ、ルル。ここは虎人族の街『タイゴン』の近くだよ」
シローは肩の白猫を撫でながら場所の説明をする。
さっそく木々の間を走りまわっているナル、メル、そして虎人の子どもたちを集めると、木立がまばらな方へ向かう。
それほど歩かないうちに、幅の広い葉っぱで屋根をふいた集落が見えてきた。
木の板を並べた形だけの壁が集落を囲んでいる。その切れ目から大柄な虎人の青年が二人、姿を現した。革の胸当ては着けているが武器らしきものは持っていない。
自分たちの戦闘力に自信があるのだろう。
近づいてくる集団が、頼りなさそうな青年一人と若い女性や子供たち、それと小型の動物が何匹かというので、あまり警戒していないのかもしれない。
「そこで止まれ!
タイゴンでは見ない顔だな。
お前ら、どこから来た?」
シローたちの集団から前へ出たのは、狐人コルナだった。
大柄な虎人の男性と並ぶと、その小さな体はいかにも頼りなげに見えた。
不安気に見守る虎人の子供たちに緊張が走った。
「タイゴンの守り人よ、わらわはコルナじゃ。
長のところまで案内せい」
普段とまるで違う、威厳に満ちた声が凛と響いた。
「なんだ、お前は!
いきなり長に会わせろだと?
ふざけるなよ!」
虎人が、怒りで吊りあがった目でコルナを見下ろした。
「コルナといえば、もしかして獣人会議の議長殿では?」
もう一人の虎人青年は、いくらか冷静のようだ。
「わらわは、もう議長などでない。
今は我が妹コルネに任せておるでな」
「えっ、あ、あのコルナ、いや、コルナ殿?」
コルナを睨みつけていた虎人が、急に怯えた表情を見せる。
「早う長に伝えぬか。
英雄シローが来たとな」
「「英雄シロー……」」
虎人衛士の顔には、恐れと警戒のいり混じった表情が浮かんだ。
「なにをぐずぐずしておる。
動かぬなら、おし通るぞ」
黙りこんだ衛士に、コルナの口調がさらに強くなる。
「わ、わかりました。
しばしお待ちを。
すぐ長に伝えます」
片方の虎人が、慌てて街の中へ走った。
「お主ら虎人は、客をこのようなところで立たせておくのか?」
一人残された虎人が、コルナから叱責され青くなる。
「そ、そのようなことは!
ど、どうぞこちらへ」
シローたち一行は、恐縮しきりの虎人青年に案内され、タイゴンの街へと入った。
◇
来客用の家屋は円筒状の建物で、内側には黄色を主に明るい色で染められた文様のある布が壁をなしていた。
木の床には草を編んだ丸い敷物が並べられ、シローたちはそこへ腰を下ろした。
「コー姉、カッコよかったー!」
「すごかったー!」
威厳あるコルナの姿が珍しかったのだろう。ナルとメルは、コルナに左右から抱きつき甘えている。
「そうか、コルナさんは獣人世界では、とっても偉い人なんですもんね」
「ちょっと、ルル。
そんな言い方はやめて!
いつも通りにしてよ。
コリーダ、あなたエルフの姫様でしょ。
なんとか言ってやって」
「いや、私はすでにシローのものだし。
王族としての身分は捨てたから」
コルナ、ルル、コリーダがそんなやりとりをしてるのを虎人の子どもたちが興味深げに眺めている。
「コリーダさんってお姫様だったの?」
「コルナさんって凄く偉い人だったんだね」
「ルルさんもお姫様?」
子どもたちのおしゃべりは、三人の虎人が入ってくるまで続いた。
小柄だが貫禄のある老虎人が一人、その左右に槍を手にした壮年が一人ずつ。
老虎人だけがコルナから少し距離を置いて座り、残りの二人はその背後に立った。
「コルナ殿、お待たせしましたな。
今はワシが虎人族の長をあずかっておりますじゃ」
「久しぶりじゃな、コウバン殿」
頭を下げた老人の挨拶に、コルナは少し背を伸ばしただけで答えた。
二人は面識があるらしい。
「ところで英雄殿が来られたと聞いたのじゃが、どこにおられる」
頭を上げたコウバンが、部屋を見まわす。
そこにいるのは、人族の若い女性、褐色の肌を持つエルフらしき女性、そして虎人の子どもたち。何匹かの小さな獣をのぞけば、ぼうっとした顔をした頼りなさそうな青年だけだ。
「おや、この子らはどこの子かの?
みんなワシが知らぬ顔なのじゃが……」
コウバン老人の興味は、英雄から見知らぬ虎人の子どもたちへと移った。
獣人大陸を南北に二分した騒乱で猿人族に加担した虎人族は、そのほとんどがタイゴンの街に集まっている。これは、他種族からの迫害を恐れてのことだ。
これほどの数の子どもたちが、いったいどこに隠れていたのだろうか?
老人の疑問には、ぼうっとした顔の青年が答えた。
「この子らは、二百年前に神獣を守りパンゲア世界へ渡った虎人族の末裔です。ある国で虐げられていたので、そこから救いだしました」
「な、なんと!
では、彼らは伝説の虎人王の子孫ですな!?
それが本当なら、これは一大事じゃ!
すぐにでも集会を開かねばならん」
興奮した様子のコウバンに、のんびり顔の青年が水をさす。
「落ちついてください。
この子たちがこれからどうするかは、彼ら自身に決めさせるつもりです。
ここタイゴンに連れてきたのは、この子らに選択肢の一つを知ってもらうためです。
虎人族としては、彼らをどう扱うおつもりですか?」
「そなたは、なんじゃ!?
これは我らが一族の問題じゃ!
どこの誰かも知れぬ人族に口出しなどさせぬと知れ!」
老人の言葉を聞いたコルナが身をのり出し、なにか言おうとしたが、のんびり顔の青年が手を挙げ、それを制した。
「俺の名前はシロー。
この子らの将来は、彼ら自身に決めてもらうよ」
「シローじゃと、そんな者は……えっ?
シロー……も、もしや、英雄シローというのは――」
「この方のことじゃ!」
目を合わせたコルナにとどめを刺された形になったコウバンは、ガックリとうなだれた。
「な、なんとあなたが英雄シロー殿じゃったのか!」
あまりにも頼りない風貌に、ただの荷物持ちか、せいぜいコルナの従者だとみなしていた青年が、まさか英雄だとは。
コウバンは、しげしげと青年の顔を見た。
ぼうっとした緊張感のない表情は、とうてい英雄などには見えない。
「コウバンさん、あなたがたがこの子らをどうするか、聞かせてもらえますか」
のんびりした声にも、英雄を思わせる覇気など欠片も感じられなかった。
(この若造が、本当にたった一人で猿人族の軍勢を壊滅させたのじゃろうか?)
齢を重ね、人を見る目には自信があったコウバンだが、目の前の青年が数々の伝説をなした英雄だとは、とうてい信じられるものではなかった。
「返事は、集会が終ってからでよろしいかな?」
なんとかこの場をしのごうとしたのだろう。老人は無難な言葉を返した。
「いいですよ。
俺たちは、三日後にはこの街をたちます。
それまでに返事をください」
こうしてシローたち一行は、虎人族の街タイゴンに滞在することになった。
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次話へつづく。




