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Mutual  作者: シャット
1/2

Proud/サクラ・アシベール



 ──アリカ・ディアランドはわたしの自慢の友人だ。


 大陸の各所から有能な学生たちが集まってくる魔法学園、その最高峰に位置するほどの実力をもつという事実からその優秀さが伺えるだろうか。少なくとも、学年内における実技成績ではずば抜けて頂点を走っている。上級生と比較しても引けを取らないだろう、という風聞も根強く、戦闘能力への信頼は非常に厚い。

 かといって他分野での技能が劣るわけでもなく、筆記試験の結果でも上位に君臨している。それほどの能力を誇りながら驕る様子はまるでなく、穏やかで優しいふるまいを見せる。礼儀を欠くことも皆無で、そして極めつけはその美貌である。

 天が二物を与えないどころか幾重にも才を重ね掛けしたかのように完璧な少女。


 その彼女と何の因果か友人になってしまったのが、このわたし──サクラ・アシベールというわけだ。


 今となっても理由はわからない。無欠の少女と欠落ばかりのわたしには、あまりにも差異が多すぎた。陽光を受けてきらめく金色の髪を腰まで伸ばすアリカと、あらゆる光を吸収して黒々とする髪を肩ほどで切り揃えるわたし。貴族の子女として不自由なく育ったアリカと、平民として暮らしてきたわたし。非凡を象徴しているアリカと、平凡としかいえないわたし。そんな二人が友達になるなんてことを、いったい誰が想像しただろう。


 そうして幕を開けた新たな日常は、想像どおりに想像を超えた毎日だった。どういうわけか成立してしまったわたしたちの友情は、予想以上にその繋がりを強くしていく。わたしとアリカという組合せは、信じられないほどに波長が合っていた。あるいはそれは、互いに大きく異なるが故の親和性だったのかもしれない。前例のない決定的な異物は、だからこそ絶大な影響を及ぼすのだ。

 ──なんて、堅苦しい表現をするほどのことではなかった。実情は単純で、自然に導かれる結末に過ぎない。


 わたしは、アリカに、憧れた。

 ただ、それだけ。

 あまりにも美しいありようをしたその少女に、友人として身近に触れて、憧れを抱いただけ。


 ただそれだけのことが、驚くほどの変化をわたしにもたらした。といっても、変えられないものは変わらない。生まれも見た目も変えられなくて、けれど彼女の友人であるという現在も変えたくなくて、これ以上置いていかれたくなくて、だからできる限りのことをした。


 そして気がつくと、わたしは学年でアリカに次ぐほどの実力を身につけていた。


 わたしだけの力ではなかった。憧れとかそういうのとは別論に、彼女と馬が合ったのもまた確かで、そうして友人の助けを得られたことも一因ではある。それでもわたしは、少しでも彼女に近づけたことが嬉しかった。


 もちろん、アリカだって立ち止まっていたわけではない。彼女に比べて劣るばかりのわたしが何かをしたとは思えないけれど、事実として彼女は入学時以上にその実力を伸ばしていた。

 だから周囲の注目は彼女に集中する。飛び抜けて群を抜いた彼女のことを、誰もが噂する。そして常にアリカに劣る二番手のわたしは、彼女の引き立て役となることしかできない。

 その立場に甘んじていた、と言うつもりはない。むしろ誇らしかったとさえ思う。アリカの引き立て役という立場に、わたしは矜持を抱いていた。


 アリカという高嶺の花を輝かせる、地味なサクラ。

 それがわたしだ。それこそがわたしだ。


 少し風変わりではあるけれど、二人の友情は盤石なものだ、と。

 そう思う気持ちに、嘘はなかった。



   1



 授業の終わりが告げられると同時に、飢えた学生たちが食堂へと走っていく。その流れに逆らう理由がないわたしも、席を立って教室を出ることにした。

 受けたばかりの授業内容についてアリカと話をしながら食堂へと向かい、配給を受け取ると席に向かう。


 昼食は『班』の人員と一緒に食べなくてはならない、というのが学園の決まりだ。


 この班というのが困りもので、普段の生活においてはほとんど関係しないけれど、定期的に行われる特別授業には班での参加が義務づけられている。普段は関わりが薄いからこそ昼食の場で親睦を深めるように、ということなのだろう。

 しかしその選考基準は不明で、少なくとも集団としての能力が偏らないよう考慮されているとは思うけれど、わたしとアリカが同じ班にいるように、そこまで徹底しているわけではない。


 総じてどことなく曖昧な、この学園らしくない取り決めなのだ。


 次に行われる予定の特別授業が食卓の話題に上がるのは自然な流れだった。次回の授業では初めて日を跨ぐことになる、との予告が出ている。指示されているのは泊まりこみの準備、それも野営の用意である。しかして授業内容は秘されているのだから、関心が湧かないはずもなかった。


 そんな他の班員たちの会話を聞きながら、わたしは上の空だった。向かいに座り黙々と昼食を進めているアリカも同様のように思える。もともとわたしは人づきあいが苦手なほうだし、アリカは人柄が良いとはいえ実力の懸隔があまりにも大きい。わたしたち二人だけなら問題はないけれど、班としての関係性がうまくいっているとはとてもいえなかった。

 これまでの特別授業はすべて一日と掛からないものであったし、授業内容の特別性は班としての連帯よりも通常授業で得た知識の実践を志向していた。それが今回は一泊以上を必要とする、今までにない状況になる。

 これまで均衡を保っていた何かが崩れてしまうかもしれない、というかすかな不安を拭い去ることが、どうしてもできなかった。


 そして、次回の特別授業の内容が正式に告知されたのは、その数日後だった。

 その内容は──『迷宮探索』。



   2



 特別授業『迷宮探索』、当日。


 集合場所はいつもどおりの学園で、今のところは特別感がない。学園内に修練用の人造迷宮が存在することは入学説明の時点で知らされていたから、そこにとうとう足を踏み入れるのだろうとは見当がついた。

 服装も普段の制服だけれど、学園から支給されているこれは魔術的な刺繍により外見以上の防護力を備えるため、戦闘訓練には欠かせない。生徒の志望に応じて剣やら杖やら盾やらが付属しているのも今までどおりで、唯一異なるのは野営のために荷物が多くなっていること程度か。


 状況が通常とあまり違わないのは緊張を緩和するためだろうか、などと勘繰っているうちに教員が登場した。簡潔な説明を聞いて、班ごとに移動を開始する。

 少しずつ時間間隔を開けて迷宮に入ることで各班が別の場所に転送され、探索がなんらかのかたちで終了するまでは他の班と遭遇することがない、という仕組みになっているらしい。その点については授業と無関係なのでさほど気に留めなくてもいいだろう。


 授業内容は単純だ。

 学園が保有する人造迷宮に突入し、探索し、内部で一泊の野営を挟みつつ探索して、二日以内に可能な限り深くまで探索する。探索の進度、途上で討伐した敵性生物の個体数、被害の少なさなどの観点から評価がなされる。

 緊急時に備えた脱出用と外部連絡用の魔道具は各班に提供されるため心配は不要で、探索に専念することができる。今回の探索が終了してから七回陽が沈んだ翌日、反省を活かして二度目の探索を行う。


 要は授業で学んだことを活かして迷宮を探索すればいい。

 実に明快な課題である。


 そうして授業が始まった。


 ──迷宮では決して油断してはならない、という教員の言葉を覚えている。ありふれているようでいて、深い含蓄と偏執を感じる言葉だった。曰く、優れた創造主による迷宮とは、寸分の無駄さえ存在しないものである。探索者のありとあらゆる行動を計算し、迷宮内のあらゆる要素を考慮し、罠を張り布石を置くことで、容赦なく侵入者を追い詰める。故に油断してはならない、というのが彼の弁だった。

 その言にあった『優れた創造主による迷宮』と比すれば、学園の迷宮は遊戯のように優しいものだった。初心者である学生たちを導く目的からすれば当然のことなのだろうけれども、そこにはまったくの悪意がなく、殺意がない。出現する敵の多様性には経験としての意図があり、悪戯程度の威力しか生じない罠からは注意を促す気配りが感じられる。


 学園側のそうした配慮を丸ごと叩き潰すような勢いでわたしたちは、というよりアリカは迷宮を進んでいた。

 後衛である彼女が班を先導しているように思われるほどにその存在感は圧倒的だった。

 前衛を務める男子が魔物の動きを止めた瞬間に放たれる魔術が敵を一掃する、その繰り返し。魔物と一言でいってもその種類は幅広く、小鬼や粘液生物といった典型例から人型の魔人に機械生命体まで多岐にわたるが、アリカの魔術はそのすべてを等しく灰燼に帰していた。深潜するにつれて魔物の攻撃は苛烈になっていき、迷宮の構造からも遠慮が失われてくるが、彼女の歩みを止められるほどではない。昼食のための休憩以外ではではほとんど足を止めることなく、着実な探索を続けることができた。


 迷宮の外では陽が沈んでいると思しき時間になって、ようやく一日目の探索を終えた。通路の端に陣取って結界魔術を張り、夕飯と就寝の準備をする。普段の授業どおりかそれ以上の活躍をしたアリカについての話が弾み、自然と笑顔が生まれていた。

 ここまでに誰ひとりとして犠牲はなく、順調そのものだといっていい状況だ。二日目の探索は今日以上に過酷なものになると考えられるけれど、アリカへの支援を怠らなければ問題はないはずで、ひょっとすると班別の順位で頂点に立つこともできるかもしれない。

 班の誰もが──わたしも、アリカさえもそう思っていた。


 それはまさしく、絵に描いたような油断だった。


 翌朝。外部からの緊急連絡の魔道具が作動していると言って一足先に寝床を出ていったアリカは、蒼白を越えて真っ白に染まった表情をして戻ってきた。

 彼女の祖母が亡くなったという報せだった。



   3



 二日目のアリカの様子は、精彩を欠くという表現がそのまま当てはまるようなありさまだった。初日の圧倒性は見る影もない。数々の難敵を一撃で打ち破ってきた昨日には程遠く、時折魔術の展開に失敗することまである。対して出現する魔物は強さを増していく一方だ。調子が悪いアリカに代わってわたしが尽力しようと意気込むけれど、それでも苦戦が続いていく。敵を倒すのに時間が掛かることで、前衛陣の被害もどんどん大きくなる。

 そして、ついに決定的な瞬間が訪れてしまう。


 前衛が突破されて、あとは一瞬だった。後衛のほうへと切り込んできた魔物の爪を咄嗟に張った障壁で受け止める。しかしすぐさま放たれたもう一方の爪が直撃する。かろうじて掲げた腕に当たったことで急所は避けるものの、吹き飛ばされる。瞬時に起き上がることができず呻くわたしに魔物が迫る。振りかざされる爪を前にして、思わず目を閉じる。予想された衝撃と苦痛は、想定に反していつまでも訪れない。それを訝しんで目を開く。


 そこに赤色があった。


 思考が止まる。へたりこんでいるわたし、腕を伸ばす魔物、その中間にあるなにか。認識が追いつかない追いつかせたくない理解したくない。爪先を滴る赤色。引き抜かれようとする爪を抑止する両手。ぐらりと揺れて、こちらを見る。視線を移し、わたしの軽傷を確認して笑う金色の髪。その胸が貫かれている。


 アリカ。


 あたまがまっしろになって、むいしきのうちにくみあげたまじゅつがそいつをはいにした。


 崩れ落ちた肢体を抱き留める。倒された魔物が魔力に還ることで血が噴出する傷痕に、自信のない治療魔術を全霊で行使する。紙一重で致命傷ではなかったが、危険域にあることに変わりはない。安心したように微笑んだままアリカが目を閉じる。

 わたしは祈りを籠めて魔術を行使し続けるしかない。



   4



 幸いにも命は助かったらしい。応急処置が功を奏したのか、学園の術師が治療することで無事に完治した、という話が耳に届いた。

 しかし、問題は今やそこにはない。


 どこで歯車が狂ったのだろうか。掌を返したように、という形容そのもののような対応の変化。アリカ失墜の噂はみるみるうちに生徒間へと広まっていった。以前の成績は欺瞞だったのか、権力による脅迫か教員との秘密の関係かと、聞くに堪えない噂が絶えない。当人が療養中で学園に出てこられない現状、その風説を払拭するのにわたしではあまりにも無力だった。


 実技の授業などで実力の信憑性を知っているはずの連中まで噂に加担しているのは不可解だけれど、それ以上に不可解で不快なのは、アリカの成績の優秀さはわたしの実力を利用していたからだ、という噂が流れていたことだ。

 彼女がいない今学年で最上位に立っているサクラ・アシベールは、最初からその位置に相応しい人間だったのだ、と彼らは言う。

 目障りだった彼女が消え、ようやく自分が脚光を浴びられるようになってせいせいしているのだ、という根も葉もない妄言。入学当時のわたしが木っ端のごとき実力しかない凡庸な人間だったことは、きっと誰の記憶にもないのだろう。


 事情を知る人間なら噂の不確かさをすぐに悟ることができることができるとしても、わたしの友人はアリカしかいない。その彼女が休んでいる現在、わたしが誰かと会話を交わすことはほとんどなく、噂は広がっていく一方だ。いっそ何者かの関与すら疑われるほどの速さに歯止めがきかない。

 あんな風評を信じているような輩が多いのか、教室を移動する際に同級生からのぶしつけな視線を受けることも増えた。その瞳に宿るのは才人への尊敬と、友人に利用されていた一生徒を憐れむ感情。そのどちらもが筋違いで、わたしは目を逸らして歩いていくだけ。


 早くアリカに戻ってきてほしいとは思うけれど、彼女がわたしを庇って負傷したことも、その傷の深さも知っているわたしには、急かすこともできない。

 せめて一目会いたいと思って見舞いに行くことに決めたのは、前回の迷宮探索が終わってから陽が五回沈んだ翌日だった。そうと決まれば話は早く、休日であることを幸いに学生寮を出る。貴族であるアリカは寮を利用しておらず、学園の敷地付近に屋敷を構えていると聞いたことがあった。豪勢な話だとは思ったけれど、実際に訪れるのはこれが初めてだ。


 休みでも関係なく制服を着ていたことが幸いしてか、特に誰何されることもなく屋敷内に通される。豪奢な造り自体には学園で慣れているけれど、それと似た建物が彼女一人のために用意されている、と考えると驚きがある。

 長々と廊下を歩き階段を上がった末に彼女の部屋へと辿り着いた。少しだけ深呼吸して心を落ち着かせると、戸を叩いた。返事はなかったけれど、気配から室内にいることは察せられたので気にせず話すことにする。


 アリカのことを心配していること。

 庇ってくれたことへのお礼と、もう危険な目には合わせないようにしたいという誓い。

 できたら早めに学校へと戻ってきてほしい、そしてまた一緒に授業を受けたいということ。


 わたしだけが一方的にまくし立てるような調子になっていたところで、部屋の中から聞こえた声に話を遮られた。その内容が信じられなくて、聞き間違いだと思いたくて黙っていると、アリカは言葉を続ける。


 それは、勘違いのしようもなく。

 紛れもなく、わたしを()()する言葉だった。



   5



 アリカを裏切ったつもりはない。これは断言できる。未来永劫わたしが彼女を裏切るようなことは絶対にない。

 けれど、彼女がわたしに裏切られたと感じたのだとすれば、それを否定することもまたできない。自分の無力さは自分が一番強く感じている。アリカに関する噂を何ひとつとして覆せずに蔓延させた一因はわたしにある。

 噂のもう一方についても、わたしからは何も言うことができない。わたしがアリカのことを妬んでいた、周囲からの尊敬を奪われたことで恨んでいたと、そうアリカ本人に思わせてしまった時点で、それはわたしの罪だ。たとえ事実に反していても、甘んじて受け入れるしかない。


 ──それでも、心が痛む。

 わたしの思いとは異なっていても、こう何度も言われ、告げられ、弾劾されていると、そうだった、かもしれない、と思ってしまう。わたしはアリカを妬んでいない。彼女の引き立て役であることに不満はない。そのはず、なのに。


 アリカがいなくなったことで尊敬の目を向けられるようになったのを嬉しく感じていたように思えてくる。


 否定してもまた新たな疑惑が生まれてくる。思考が堂々巡りを続ける。悪循環が止まることがない。


 なんともいえない気分のまま、寮の自室で仰向けに寝転がっていた。天井の染みを数えるのにも飽きてうつ伏せになり、息苦しくてすぐに横を向き、落ち着かなくて天井を見上げる。考えも行動も繰り返すばかりで一向に好転しない。終わりない循環に耐えきれなくなって寝台から起きあがった。

 机に近づきはするけれど勉強できるはずもなく、ぼんやりと机上の書物を視線が上滑りする。ふと見覚えのない手帳があったので手に取ってみると、どうやら入学に際して書き始めた日記らしかった。少なくともここ半年は書き足そうとした記憶がなく、苦笑する。どちらにしてもすることがないので、暇潰しがてらに読んでみることにして寝台に戻る。


 今ではもう、遥か昔に思える頃のこと。

 学園に入学した当時のサクラ・アシベールの感情を、追体験してみよう。



   6



 ある言説に曰く、日記とは自己の保存装置のひとつであり、自己にまつわる記憶を保存する容器である。そして瓶に密封された飲食物がいずれは食事のため消費されるように、保存という行為は将来その保存物が利用されることを前提としている。日記という保存装置に対する利用とは、過去の記憶を喚起することで自己の存在を確認することに相当する。


 つまり今、わたしはわたしという存在を確認し、その実像を強固なものにしていた。自分でも忘れかけていた、昔のこと。自分でも覚えていなかった、過去の感情。それらがわたしの中に流れこんできて、わたしという存在はより確かなものになる。自分の感情が確固たるものになる。そうしてわたしは、確信を抱くことができた。


 ()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()


 それだけではなく、それ以上に──アリカに伝えたいことがたくさんあって、いてもたってもいられずにわたしは自室を出た。昨日訪れたばかりの彼女の家へともう一度足を運びながら、先ほど日記を読んで思い出した過去を回想する。


 学園への入学に際してわたしが最も強く感じていたのは不安だった。


 不安といっても、それは他の新入生が抱くそれとはまったく異なるものだったと思う。なにせ、学園に入学する生徒のほとんどは貴族だといわれている。入学試験を突破できるだけの能力を備える、あるいは備えられるような教育を受けている子ども、というのは大半が貴族の子息だったのだ。


 対するわたしはといえば少数派の平民で、しかも生まれてすぐに親から棄てられた孤児とくる。わたしを育ててくれた孤児院の大人たちに恩を返すため、あるいは奨学金を受給できるこの学園を選ぶことで経済的負担を避けるため、という理由で学園への入学を決意し、無事に試験を突破したとはいえ、貴族からは程遠い立場の人間だ。


 入学試験や説明会のために学園を訪れたときにも、周囲の雰囲気に圧倒されてばかりいた。服装の相対的な安っぽさも理由のひとつだし、他の学生たちの髪色が華々しく輝く中で唯一の黒髪が拍車を掛けた。珍しい髪色、という点では他にも同様の新入生がいたのだろうけれど、それでも黒髪が一番目立ったのではないか、と思えて仕方がなかった。

 忘れようと努めれば努めるほど懸念が強くなる。被害妄想の自覚があって、それでも思考がやめられない。自意識過剰とわかっていても、不安なことに変わりはない。


 平民でしかないわたしは貴族たちに排斥されるのではないか。

 黒髪が不吉の象徴であるかのように差別されるのではないか。

 親のない子どもであることが露呈して笑われるのではないか。


 不安が不安を呼ぶ負の連鎖から逃れることができず、吐き気すらも伴うほどで。

 そんな最悪の精神状態で望んだ入学式を終えて──

 わたしは、アリカに出逢ったのだ。


 そして、運命の歯車が回る。


 学園での生活に対してわたしが抱いていた不安のすべてが、彼女によって拭い去られ、覆された。反転した、といってもいい。不安が期待になり、希望となり、願いへ変わり、そして誇りになったのだ。

 彼女という友人との関係をどう思うかは覚えていたけれど、その根源に何があったのかを忘れていた。


 アリカと友達になったことがわたしを救ってくれた。

 わたしを救ってくれたアリカのことを、誇りに思っていた。

 そして──

 わたしのことを救ってくれた()()()()()()()()()()()()()()()()()を、誇りに思っていた。


 そのことを伝えたくて、彼女の部屋の扉を叩く。

 返事は待たない。これはわたしの一方的な片想いであって、彼女との対話ではないから。彼女に誤解させてしまったわたしに、その資格はないから。


 だから、ただ語る。

 学園で流れる噂についての謝罪を皮切りにして、思いの丈をそのまま語る。

 室内の気配がわたしの話に反応している様子が、少しだけおかしくて。

 ……気配が泣いているように感じられたのを、気にしないことにして。

 語り終えたあとの静寂を縫うように、アリカの声が漏れ聞こえた。


 ()()()()、と。


 彼女には見えない笑顔を満面に浮かべて、わたしは応える。



   7



「だってアリカは、わたしの()()()()だから」



   8



 アリカがいなければ、わたしの学園生活は始まりもしなかった。

 アリカがいなければ、わたしの不安が除かれることはなかった。

 アリカがいなければ、わたしの努力が実を結ぶことはなかった。


 アリカがいなければ、今のわたしがここにいることはなかった。


 そんな言葉を続けたけれど、届いていたかどうかは怪しい。

 彼女が泣いているかもしれないという疑惑を否定することは、もはやできそうもなかった。


 号泣という言葉を形にしたかのような号泣。悲痛を超えて清々しくすら感じられるほどの慟哭。封じられていた感情が堰を切って溢れ出てくるかのような泣き声。


 傍に寄り添いたくて動きだしそうになる身体を懸命に抑えて、扉の向こうから響く悲哀を受け止め続けた。彼女の邪魔をしたくない、と思った。聞いているだけでこちらまで泣いてしまいそうになるような絶叫が、けれど少しだけ嬉しかった。アリカが負の感情をわたしにさらけ出してくれたのは、これが初めてだったから。


 彼女の様子が落ち着くのを待ったのは、最後に言い残しておきたいことがあったからだ。


 明日にはとうとう二度目の『迷宮探索』がやってくる。

 聞いた話ではわたしたち以外の班も、誰かひとりが重めの傷を負った時点で一度目の探索を中断したところが多かったらしい。死者はいなかったが、重傷で戦線を離脱したのはアリカだけではなかった。そのことは学園側も織りこみ済みで、だからこそ二回目の予定が知らされていたのだろう。

 最初では失敗したとしても、その反省を活かして次は成功できるように。


 けれどわたしたちの班は、アリカが離脱して──そして悪評を背負った時点で、一回目と比べて戦力の弱体化は必至。多少の戦略を練れば若干はうまくいくかもしれないものの、前回の二の舞になる可能性は高い。


 だから、とわたしは言った。

 それが無理難題だとわかっていて、あまりにも難しいことだと知っていて、自分では策なんて思いつかなくて、それでも彼女ならなんとかしてくれるかもしれないと期待して、わたしは言った。


 ()()()、アリカ。


 ──()()()()


()()()()



   9



 そうして、二回目の『迷宮探索』が幕を開けた。

 説明もそこそこに迷宮内部へと突入した時点で外界との繋がりは絶たれ、援軍が来る可能性も潰える。アリカにあんなことを言いはしたものの、あれは必勝祈願のような意味合いが強い。本心でなかったわけではないけれど、彼女に頼りきりになるわけにもいかない。いざというときの拠りどころということにして、覚悟を決める。


 アリカの力を借りることなく、この迷宮を踏破しなくてはならない。


 ……この授業の目的は探索であって踏破ではないのだけれど、そこはそれだ。


 人員は当然前回と同じ班員で、そこからアリカが抜けた五人。わたし以外の四人はアリカがいなくなったことで逆に協調がとれてきたように見えるのは、皮肉なことだろうか。前衛二人に後衛二人の鮮やかな連携に遊撃手としてわたしが加わるような体裁で、探索は進んでいく。


 前回の反省を踏まえたことで協力の精度が高まったのではないか、ということに思い至ったのは初日の探索が終わってからだった。そういえばアリカのことにかまけていて他の班員との会話は怠っていたな、と今更気づきを得る。ここまできてしまっては手遅れだろうから、そのことは忘れることにした。


 実際、他の四人の連携はうまくとれていた。純粋な集団戦の技量としては学年でも上位に位置するのではないか、と思う。多少気を抜く場面があれば輪の外側からわたしが補えるよう心掛けてもいるし、意外と良い組合せだといえるかもしれない。

 一方で、迷宮側の実力、というのも変だけれど、こちらも上がっている。少なくとも前回のように探索者への気遣いを見せる様子はなく、序盤から魔物と罠の配置に遠慮がない。今日はなんとかうまく切り抜けられたけれど、明日になってこれ以上難易度が上がってくると厳しいのではないか、という予感があった。


 その予感が現実になった。


 まるで前回の焼き直しのような光景。

 前衛の消耗が少しずつ嵩んでいき、戦闘ごとに少しずつ無理が重なっていって、やがて破綻する。他の四人が比較的密集した隊形を組んでいたからか、前衛を突破した魔物の矛先は少し離れたわたしに向かった。その魔物があのときと同種であったことも含め、運命の悪戯としか言いようがなかった。


 とはいえ、同じ展開を繰り返すわけにはいかない。前回以上に数も密度も増した多重障壁を広げ、敵の動きを先読みして攻撃を防ぐ。こうして凌いでいればいずれは仲間の援護がくるだろうと期待しつつ、少しだけ他の四人へ目を向ける。


 そこで一瞬の油断が生じたことが仇になった。


 咄嗟に片腕を犠牲にして吹き飛ばされるところまで前回と同じ流れで、苦笑を隠せない。背中を強打して息が詰まり、術式を練る余裕が消える。すかさず迫りくる魔物を前にしてわたしに為す術はなかった。

 観念して、それでも諦めたくないと思う微かな意地が目を開かせる。そんなわたしに魔物の爪が襲い掛かり、


 その瞬間に爆発した。


 爆散した直後、飛沫すら残さず魔力に還っていく魔物の姿を呆然と見つめる。少し間を置いて他の四人が相手していた魔物が倒され、彼らの視線がわたしの後方へ向いた。それに流されるようにして顔を翻す。


 ぼろぼろな様子のアリカがそこに立っていた。

 全身が細かい傷だらけで、かなりの血を流していると思しい傷痕もいくつかある。魔術的に守られているはずの制服も数カ所が切り裂かれていて、わりと際どいところまでいっている。全力疾走したばかりのように肩で息をしていて、視る限りでは魔力もほとんど使い果たしているらしい。

 それでも。


「──()()()()()()、サクラ」


 そう言って微笑するアリカは、誰よりも美しかった。



   10



 終わってしまえば呆気ないもので、あれだけのできごとがあったはずなのにたいして変わりのない毎日が戻ってきていた。


 二回目の『迷宮探索』については、結局のところあの直後に継続を断念していた。命を拾いはしたもののわたしは片腕が潰れていて、他の四人も連戦での疲労が溜まっていたし、アリカも限界が近く、安全策を選ぶことになったのだ。

 他の班も大概は似たような結果で、一部の優秀なところは時間ぎりぎりまで探索を続けたという話も聞くけれど、結果発表のようなものはなかったので、真偽は不明だ。


 ただ、あの授業自体の目的は習熟の程度を測ることだったとのことで、終了後にいくつかの班で構成が変更されたらしい。らしいというか、わたしはアリカとふたりきりになった。それで特に何か困ることがあるわけでもないけれど。


 そのアリカはといえば、二回目の探索が終わって以降すっかり以前の評判を取り戻していた。それが正しい立場なのだから、当然のことではある。意見をあっさりと翻すような同級生への不信が募りはするけれど、だからといってどうということもない。


 あの日に彼女が何をしていたのかについては、追求することはやめている。興味がないわけではないけれど、知らないままでも構わない。それを知っているかどうかで、わたしと彼女の関係が変わるわけでもない。材料は揃っているから少し考えればわかるはずだ、とアリカは言うけれど、それもやめている。


 誰にも入ることができない(みっ)(しつ)へと助けにやってきたヒーローの謎は、わたしにとって永遠に謎のままでいい。

 それでも、わたしが彼女を誇りに思うことに変わりはないから。


 ──アリカ・ディアランドは、わたしの自慢の(ヒー)(ロー)だ。


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