第一節:クリスチーナ
そしていまわたしは悟った。あの白いもやのような腕が、そのときわたしにも巻きついていたのを。それをわたしは一瞬のうちに悟り、そのときもやはりふくろうの啼くのが聞こえたのを思いだして、われ知らず戦慄した。思えばそれは、夜啼きふくろうではなかったのだ。あの《もの》の泣く声だったのだ。
F・マリン・クロフォード『血は命の水だから』より
第二章 血は命の水だから
第一節:クリスチーナ
ここはなぜこんなにも暗いのだろう。寒いのだろう。
瞼を上げた筈のわたしの瞳は、ただ黒い闇を映すばかりだった。腕を動かしてみると、冷たく細かなものに体が包まれていることが分かる。やがてそれが、湿った土なのだと気が付いた。
わたしは土の中に埋められている。四方を土に囲まれている。そう理解するのに時間は掛からなかった。息が苦しく、頭が痛む。だけどどうして、わたしはこんなところにいるのだろう。
混濁した意識を掻きわけて、わたしは記憶を辿る。
記憶が残る最後の時、私が見たのは二人の男だった。村の人たちに依頼され、スカレアまで医者を呼びに行って、運悪く他の村に呼ばれていた彼を結局見つけられずに急いで村に帰る途中、わたしは村の近くの岬で怪しげな二人の男を見つけ、そっと近付いたのだ。
薄暗い夕闇の下であったが、近くで見ると彼らに見覚えがあった。あの二人はアラリオ爺さんの家に雇われていた煉瓦職人だ。
そしてそのアラリオ爺さんが病に倒れたことが、わたしが医者を呼びに行くように言付けられた理由だった。だから彼らならアラリオ爺さんが今どうなっているのか分かるかもしれない。私がそれを問おうと声を掛けようとすると、二人が私に気付いて振り向いた。
彼らの目は驚愕に見開かれ、そしてその横には銀色の箱と二人が掘ったのであろう大きな穴があった。何をしようとしているのだろう、そう訝しんだ瞬間、わたしの後頭部を鋭い痛みと大きな衝撃が襲った。そこで、私の記憶は途切れている。
そうか、彼らがわたしをあの穴に埋めたのか。わたしは生き埋めにされたのだ。やっとそう理解した。ならばもうすぐこの命も尽きるのだろうか。
それは、嫌だ。わたしは歯を食いしばる。死んだ両親の教えを守り、ただひたすらに人のために尽くすようにして生きてきた。
だけどその生き方は、今までわたしに幸福を与えてなんてくれただろうか。わたしの最後はあんな奴らに殺されて土に返るのが相応しいだなんて認めたくない。
厚く圧し掛かる土の向こうから梟の鳴き声が微かに聞こえる。彼らはきっとこの夜の下を自由に飛んでいるのだろう。それを想像し、わたしも梟になりたいと願う。月の下を自由に翔ける梟に。それはどんなに素敵だろう。わたしは子供の頃から梟が好きだったから。
遠い昔、父さんと母さんに梟は悪魔の遣いだなんて教えられた。それを聞いた時、わたしは梟のことをとても可哀想だと思った。ただ生きているだけで人に憎まれるなんてそんなに悲しいことはないではないかと。
そしてその話は、かつて村では余所者の子供として疎まれていたわたし自身と重なった。それが梟に親しみを覚えた理由だったのだろう。
梟は人に嫌われるが故、人が眠る夜に飛ぶのかもしれない。人の目を避け、自由に空を飛ぶ為に。
梟の声が近付いた。わたしは無意識の内に上に向かって手を伸ばす。傷付いている筈のわたしの体は、もう痛みを感じていなかった。わたしの腕は固く重く圧し掛かる土を掻き分け、そして地面を破って指が外気に触れた。
わたしはまだ生きている。体の奥底から不可思議な力が満ちて行くのを感じていた。それと同時に血への渇望が私の心を支配する。
渾身の力を振り絞り、土を持ち上げるようにして、わたしの体が月夜の下に這い出ずる。地上に出て最初に見えたのは月光に照らされる白い塔だった。その向こうの空には上弦の月が昇り、その光がわたしを暖かに包んでいるような心地がした。
その光に力を与えられ、わたしは歩き始めた。殴られた後頭部の傷はいつの間にか癒えているようだ。苦痛も疲労もなく、ただ心には血が飲みたいという今までにない強い衝動が生じ、それがわたしを突き動かしていた。
潮風がわたしの髪を揺らし、海の匂いが鼻腔をくすぐった。この先にアラリオ爺さんの、そしてその息子のアンジェロの家がある。わたしが愛した男、アンジェロがそこにいる。
わたしは己が欲望に導かれるように、裸足のまま村への道を進み始めた。