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月影の下に魔は出ずる  作者: 朝里 樹
第三章 死女の恋
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第二節:骸骨伯爵

 闇の王子を相手に神をも恐れぬ契約を取り交わしてしまうと、ロドルフ伯は錬金術の研究や不老不死の霊薬の探究から足を洗った。ひとつは悪魔によって長寿を保障されたため、もうひとつには悪魔というその道の権威がそんな研究など無駄であてにならないと断じたためである。しかし、魔術や占星術といった神秘学への未練は断ち切れず、しばしば彼は物質の起源やら魂の性質やらについて無益な思索にふけって幾日も過ごした。


 エリザベス・グレイ『骸骨伯爵―あるいは女吸血鬼―』より



第二節 骸骨伯爵


 朝日が昇り、その男はもう幾度目かも分からない死からの蘇りの感覚を感じていた。

 萎び、力を失った骸骨の姿は太陽の力によって新たに肉体を取り戻し、鼓動と呼吸がその体に宿る。やがて若い人間の男の姿となったロドルフ伯は、ベッドから緩慢な動作で立ち上がった。

「エルヴァはどうした」

 ロドルフはベッドの近くに立っていた青白い肌の女に向かってそう問いかけた。女は表情を変えぬまま、自身の主に向かって淡々と答える。

「昨夜、またあの女吸血鬼の手によって殺害されました。その死体もまた教会のものたちによって運び去られたようです」

「また、あの魔物か……」

 ロドルフは立ち上がり、ベッドの側の机に置いた眼鏡を掛けた。その薄い青色の目がそっと伏せられる。

「これであのクラリモンドに殺された私の子供たちは四人目だ。流石に見過ごすことはできないな」

 ロドルフの声に微かに怒気が混ざる。ロドルフは黒のマントを羽織ると、寝室を出て地下室へと向かった。

 冷たい夜の空気がまだ土の下には残っている。ロドルフはその冷気を切り裂くように階段を降り、そして思い鉄のドアを開いた。向こう側から、薬品の匂いと腐った肉の匂いが漂って来る。

 それはロドルフにとっては死の匂いであり、また生の匂いでもあった。

 彼は部屋の奥の手術台まで歩み寄り、そこに寝かされている大柄の男の体を眺めた。彫刻のように均整の取れたその顔や肉体はぴくりとも動かずに横たわっている。その体の所々にはコードが取り付けられ、そして横に設置された機械に繋がっていた。

 この男は生きてはいない。ガブリエルという名前は付けられているが、この男は一部を除いて人間ではないのだ。この皮膚の下にはどこぞの時計屋が作った歯車だらけの機械がびっしりと詰まっており、そして頭の内部にだけは人の脳が設置されている。かつてパリで暴走し、殺人機と呼ばれた人形の成れの果てがこれだ。何人もの人間を殺めた文字通り鋼の肉体を持つ怪物。それがこのガブリエル。

 この人形に埋め込まれた脳の持ち主はどうも軟弱な人間だったようで、最後には崖から飛び降りるという原始的な方法で命を絶とうとしたようだ。だがガブリエルが持っているのは機械の体。部品さえ変えればまた再び機能する。

 そもそもロドルフは機械を好いてはいなかった。彼の理想とするは死者の肉体をそのまま使って蘇らせる術。肉体を入れ替えることは邪道だ。彼はそう考える。

 かつて、あるドイツの科学者が死体を継ぎ合せてそれに新たな命を宿らせ、不死身の怪物を造り上げたと聞いている。それが自分にできぬ筈がない。完璧な生命を作り出すこと、それが彼にとっての理想であり、夢だった。そのために彼は悪魔に夜の命を売った。

 夜、陽が沈み、月が昇ると彼の体は機能しなくなる。肉体を失い、動くこともできぬ白骨死体と化す。それは自分の研究を完成させるため、半永久的な命の保障が必要だったからだ。だから彼はその魂の半分を悪魔に受け渡した。今の彼は昼の間は生きているが、夜の間は死んでいる。そうまでして手に入れようとしているものを、邪魔するものたちがいる。

 生命は全て神によって与えられるものでなければならないと考える宗教者たちと、そしてあの忌々しき吸血鬼クラリモンド。このガブリエルは、あやつらを殺すための武器となる。人の体を失ったこの男はもはや生命とは言えないが、しかしそれ故にその鉄の塊と化した肉体は奴らには殺せない。

 ロドルフはガブリエルに繋がった機械のスイッチを入れた。直後、ガブリエルの両の瞼が開いた。




「ああ、あの人の言葉は正しかった。本当に私は幾度あの人を呼び求めたことだろう。今でも恋しくてならない。霊の平和を購うために、私はあまりに高い代価を払った訳だった。神の愛とて、あの人の愛に代わるほどのものではなかったのだ。同門の若い衆よ、これが私の若いころの恋物語だ。忘れても女の顔は見なさるなよ。そして、いつも地面を見ながら歩くが良い。悟りすました人でも、一瞬の誤りで永遠を失うことはままあるのだから」

 そう老いた司教は語り終えた。その司教の歴史の物語に耳を傾けていた祭服の若い男は、慇懃に礼をした。

「とても興味深いお話でした。ありがとうロミュオー様」

「ああ、年寄りの昔語りが役に立ってくれるのなら私も嬉しいよ、グレイ君」

 縮れた金髪を肩の上まで伸ばした青い目の青年は、恬淡さに溢れる雰囲気で無邪気な笑みを見せた。

「ええ、必ずあなたの教えを役立てて見せましょう」

 それから二言三言話して、グレイと呼ばれた若者はロミュオーに別れの挨拶を告げた。彼は教会を出て、機嫌よく鼻歌を歌いながら夜のヴェネツィアの町を闊歩する。




 しかし何度目かに通りの角を曲がった時、彼の頭に冷たい銃身が突き付けられた。青年はゆっくりと両手を頭の横に上げる。その彼に氷のような声が浴びせられる。

「なぜロミュオーに近付いたの? ドリアン。そんな似合わない格好までして」

 深い青緑に怒りの色を湛え、クラリモンドはドリアン・グレイにそう問いかけた。その細く整った人差し指は、拳銃の引き金の上に載せられている。

「なぜか? それは君に興味があるからというこの真摯な思いだけでは足りないとでも言うのかい? ねえ、クラリモン……」

 吸血鬼はドリアンが言葉を言い切らぬうちに、その爽やかな笑みを形作る顔の上半分を銃弾で吹き飛ばした。飛び散った肉片と骨の欠片が不幸にも彼の後ろにあった石壁にこびり付く。

 クラリモンドは尚も倒れないドリアンに対し、吐き捨てるように言う。

「心のない言葉は、あたしをとっても不快にさせるの」

「だからと言ってそうも簡単に人の頭を撃ち抜く必要はないだろう。死なないからと言って、痛みを感じない訳ではないのだから」

 クラリモンドは不愉快そうに半分の頭でしゃべり続けるドリアンの顔を見つめた。吹き飛ばすなら顎だったか。クラリモンドは今更ながらそう後悔する。

 その間にも、ドリアン・グレイの破壊された頭部は時間を巻き戻すようにして再生を続けている。頭蓋骨が形を取り戻し、そこに肉が張り付いて最後に皮と頭部の各器官が生成される。

「その痛みだって、どうせすぐにあなたの分身が請け負ってくれるのではなくて? あの肖像画、今どれほど醜悪なものになっているのかしらね」

 クラリモンドは銃をホルスターに仕舞った。ドリアンは肩を竦め、彼女を見る。

「いくら君であっても、僕のあの絵については何も言われたくはないな。君に僕の全ては分からない。とても不愉快だよ」

「人の過去をあんな風に探っておいてどの口が仰るのかしら。さて、殺し合いなら相手をしますわよ?」

「僕は美には槍を振るわない主義でね」

 ドリアンは一瞬怒りに眉根を寄せた表情を、またいつもの罪を知らないで育った好青年のものに戻した。クラリモンドは流し目で彼を見る。

 この男の犯した罪はこの男の表面には現れない。どういう訳か、罪悪も、加齢も、苦痛も、ドリアン・グレイという男にとって負の影響を与えるものは彼に直接働きかけず、どこかの画家が彼を描いたという肖像画に降りかかるのだ。彼が一年を過ごせば歳を取るのは絵画の中の彼で、目の前にいるこの男はいつまでも若々しさを保ち続ける。罪の意識は肖像画の中のドリアンの表情に現れ、痛みもまた描かれた彼が引き受ける。

 だからこの男はいつまでも罪を知らない純粋な青年に見えるのだ。その中身がどんなにどろどろと渦巻いているかは、彼の正体を知る者しか分かる筈はない。

「それで、あなたがロミュオーに近づいた目的は何?」

「目的は君と同じさ。このヴェネツィアにあの醜いものらを蔓延らせている相手を突き止めたくってね。それで、狙われている彼に近付き、彼が初めて関わった魔物であろう君のことを聞いたまでさ」

 ドリアンは悪びれることもなくそう言った。クラリモンドは彼を忌々し気にドリアンを見返すが、口は開かない。

「どうも、彼は君を裏切ったようだね。君のような美にあの男たちは忌まわしき聖水を振りかけた。神の加護の名の下に。それは人であれば硫酸を直接その身に振りかけるようなものだ。ぞっとするほど残酷だよ。それなのに君は彼を未だ助けようとしている。彼の命を救おうとしている。それが僕にはどうも解せない」

 月光がドリアンの端正な顔を照らした。吸血鬼とは違う、血色の良い唇が再び開く。

「クラリモンド、君は人間であった頃からどんな男だって手玉に取るような女性だった。決して一人の男のものなどにならず、むしろ大勢の男を一人で操ってしまうような、そんな女性だったと聞いている」

「だから? 何だと言いますの?」

 クラリモンドは面倒くさそうにそう問い返した。ドリアンは小さく息を吐いて笑い、そして言葉を続ける。

「あのロミュオーという男がそうだったように、君もまたあの男の恋をしていたのかと思ってね。君のような女性が、誰かに恋をするなんて信じがたいからね」



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