公生の記憶
「なるほど。それは悲惨だね」
公生の話を聞き終えたペドロは、短い感想を述べた。とはいえ、彼の表情には何の変化もない。言葉にも、何の感想も込められていなかった。
もっとも、公生としてもその方がありがたかった。下手に気を遣われるよりは、さっと流してもらった方がいい。
少しの間を置き、ペドロは再び尋ねる。
「ひとつ聞きたい。両親は交通事故で亡くなった、これは確かな情報なんだね?」
「は、はい」
「そうか」
そう言うと、ペドロは口を閉じた。無言で、じっと公生を見つめる。
公生はたじたじとなり、思わず目を逸らした。この怪人は、いったい何を考えているのだろうか。
沈黙の時間が過ぎていく。そのプレッシャーに、公生は耐えきれなくなった。
「あ、あの……」
「なんだい?」
「僕の両親の事故は、ネット記事にもなりました。検索してみれば、今も見られるはずです」
「ほう。教えてくれてありがとう……と言いたいところだが、今はネットを見る手段がない」
確かにそうだった。公生は苦笑し頷く。
「そ、そうですね」
「ところで、君はなぜ自殺しようとしたのだい? 詳しく教えてくれないかな?」
「それは……」
それきり、言葉につまる公生。すると、ペドロはそっと声をかける。
「言いたくないのか。では、仕方ない。言わなくてもいいよ」
「いや、上手く言えないんです。何で、自分が死のうとしたのか……それが、自分でもよくわからないんです」
そう、あの時の心境は未だにわからないものだった。なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。
そんな公生に、ペドロは意外な言葉を投げかける。
「ほう、自分でもわからないのかい。だがね、それは不思議なことではないよ」
「そうなんですか?」
「ああ。俺が見るに、君は当時こう感じたのではないかな。死にたくないけど、生きる理由がない。生きる理由もないのに、良いこともなさそうな人生を生き続けなくてはならない……それが苦痛に感じ、自殺したいという衝動に駆られた。違うかな?」
公生は驚いていた。
言われてみれば、そうだった。当時の自分の心境を、完璧に近い形で言い表している。ここまで正確に言語化されるとは思わなかった。
「えっと、合ってる気がします」
「俺が子供の頃、世界は狭かった。自分の身の回りだけを見ていれば良かった。ところが、今の時代は否応なしに情報が入ってくる。ネットやテレビは、様々な情報を我々に送り込んでくるわけだ。結果、華やかな世界が理想であるかのごとき幻想を植え付けてくるわけだ」
そう言うと、ペドロはクスリと笑った。
一方、公生は無言で聞き入っていた。自分の自殺願望と、ネットの情報にどのような関係があるのかはわからない。だが、おぼろげながらも見えてくるものがあった。
「ネットやテレビなどで見る華やかな世界と、そうではない自分の世界……比べてみると、なんとつまらないのだろうと感じる。まあ、それだけなら問題はない。思春期の少年は時として、そのつまらない世界が永遠に続くのではないだろうかという不安に襲われてしまう。その不安から、自殺という手段を選ぶ者もいる。これは、何ら珍しいことではない」
言われてみれば、その通りだ。
当時の公生は、周りに人はいるのに、誰とも同じ場所に立っていない気がした。
その気持ちを誰かに話しても、軽く流されるか、わかったふりをされるだけだと思っていた。未来に良いことが起こると言われても、それが自分にだけは当てはまらない気がしていた。
そして何より、その不安を「大したことじゃない」と思われるのが耐えられなかった。
思わず考え込んでしまう公生に向かい、ペドロはさらに話を進めていく。
「まあ、君の動機についてはひとまず置こう。俺が知りたいのは、君がなぜ自殺に失敗したかだ。差し支えなかったら、教えてくれないかな?」
もし、同じセリフをペドロ以外の誰かに言われたのだとしたら、公生は拒絶していたはずだった。
しかし、今の公生にペドロからの申し出を拒絶することなどできなかった。
「あの……施設の近くに、森がありました」
「ちょっといいかい。話の腰を折ってすまないが、施設とは君が寝泊まりしている児童養護施設のことで間違いないね?」
「そうです」
「なるほど。では、話を続けたまえ」
「まず、森の中にハシゴとロープを持って行きました。で、次に──」
「待ってくれ。ハシゴとロープということは、首吊りを試みたわけだね」
奇妙な話であった。
見ただけで、全てを見通すがごとき眼力を持つペドロだが、この話題に関しては細かいところをしつこく聞いてくる。僅かな綻びも逃すまいとしているかのような態度だ。
公生は、面食らいつつも頷いた。
「はい」
「君は、首吊り自殺を試みた。ところが、何らかの事情により失敗した。差し支えなかったら、それがどのような事情であったのか説明してくれるかな?」
「まず、ハシゴを登りました。太い枝にロープをかけ、きっちりと結びました……」
途端に、公生の心臓が跳ね上がった。鼓動が異様に早くなり、呼吸も荒くなる。
当時の記憶が、まざまざと蘇った。
◆◆◆
公生は、土壇場で怖くなったのだ。目の前には、ロープで作られた輪がある。これに首をかけ、ハシゴを蹴れば死ねる。
公生は、そっと輪の中に頭を入れた。だが、その時になって恐怖が湧き上がる。
死にたくはない。やっぱり、死ぬのは怖い。かといって、このまま生き続けるのも嫌だ。
では、どうすればいいのだろうか?
その時、公生はバランスを崩した。同時にハシゴが倒れ、彼は宙吊りになってしまう。
公生は、無我夢中で足をばたつかせた。だが、足のつく場所などない。さらに、彼の体重によりロープが首に食い込んでいく。動脈と気道が締まり、意識も遠のいていった。本来なら、公生の人生はここで終わっていたはずだった。
ところが、そこでロープを結んでいた枝が折れたのだ。ロープは枝ごと下に落ち、公生もまた落下していく。
下まで、三メートルほどはあっただろうか。公生は、したたかに腰を打った。痛かったが、それよりも何が起きたのか咄嗟に把握できなかった。尻もちをついた状態で、呆然としたまま固まっていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。公生は、どうにか立ち上がった。腰をさすりながらも、施設に帰るため歩いていく……だが、途中で自分の首にロープが巻き付いたままになっていることに気づいた。
次の瞬間、恐ろしい勢いでロープを外した。森の中に放り投げ、早足で歩いていく。
もう、ここには来たくなかった。死にたいという気持ちもまた、完全に消え失せていた。
◆◆◆
「なるほど。枝が折れたのかい」
呟くように言ったペドロに、公生は頷いた。
そう、あの時に枝が折れていなければ、公生は生きていなかっただろう。首にロープが食い込み意識が遠のいていった時、公生は死を間近に感じた。そして、ひとつの思いが浮かんだことも覚えている。
生きたい──
あの時ほど、強烈に生きたいと思ったことはなかった。
今の自分に、生きる目的などない。ただ、死にたくないから生きている。強いて言うなら、死ぬのが怖い……それこそが、生きる目的なのだろう。
そんなことを思った時だった。不意に、ペドロが視線を移す。
「誰かが、こっちに向かって来る。ただならぬ勢いだ。何かあったようだね」
その言葉に、公生は慌ててそちらを向いた。
今や、公生の耳にもはっきり聞こえていた。荒々しく草を踏みしめる音だ。
足音と共に姿を現したのは百目鬼だった。さらに、その後ろから永井、井川、柳沢の三人が続く。いずれも、険しい表情を浮かべている。
「すまないが、おふたりに聞きたいことがあります」
聞いてきたのは百目鬼だ。鋭い目で、ペドロを睨んでいる。
「何かな?」
にこやかな態度で聞き返したペドロ。公生は何事かと困惑していたが、次の瞬間に表情が変わった。
「ついさっき、そこで小林くんの死体を発見しました。これは、どういうことでしょうかね?」




