ペドロの力
ペドロは、森の中へと入っていく。公生は、その後を追いかけていった。
歩きながら、そっと声をかける。
「ペドロさん、あの……」
「なんだい?」
「さっきの技、どうやったんですか?」
恐る恐る聞いてみた。
公生は、これまで殴り合いの喧嘩をしたことがなかった。腕力は弱いし、運動も苦手だ。それ以前に、暴力的なものは苦手である。
子供の頃から今に至るまで、腕力を用いて自分の言い分を通そうとする相手に対しては、愛想笑いを浮かべて身を引く……それが公生の処世術であった。暴力を振るわれるのも、振るうのも嫌いである。
そんな彼ですら、先ほどペドロが用いた技には……驚嘆と同時に、羨望らしきものすら感じていた。
あんな技は、どうやったら使えるのだろうか。公生は、好奇心を押さえることができなかった。
すると、ペドロは立ち止まり振り返った。
「これは確認だが……さっきの、とは小林くんを倒した技のことで間違いないかな?」
「はい、そうです」
「武術の技に、少しばかり物理学の理論を加えアレンジしたものさ。ただ、それだけだよ」
だから、それが何なのか聞きたいのですよ……と思ったが、ペドロは自分のペースで話を進めていく。
「小林くんは、実に愚かな青年だ。彼は襟首をつかんだ時、俺に勝てないことを理解したはずだ。にもかかわらず、ちっぽけなプライドを守るため俺に殴りかかってきた」
そこで、ペドロは笑みを浮かべた。もっとも、おかしくて笑ったのではなさそうだ。
「小林くんは、外の世界でも似たようなことを繰り返していたのだろう。挙げ句、人を殺して逮捕された」
公生は、驚きのあまり口を挟む。
「あ、あの人も人殺しなんですか?」
「そうさ。前にも言ったが、この島にいる人間は全員が人殺しだよ。ただし、君は除くがね」
じゃあ、あの永井や井川も人殺しなのか。いや、そうなるとペドロも人殺しだということになる……などと思いつつも、口からは別の疑問が飛び出していた。
「な、なんでわかるんですか?」
「そんなこと、見ればわかるよ」
こともなげに答えたペドロだったが、そんな言葉で納得できるはずもない。
だが、そこでひとつの考えが浮かんだ。バカバカしい話ではあるが、これしか考えられない。
「それって……超能力ですか?」
「いや、超能力ではないよ」
そう言われ、公生はますますわからなくなってきた。
「じゃあ、なんなんですか?」
「君にもわかるような言葉で言うと、推理だね」
「す、推理?」
「そう。俺は他人の顔や仕草を見ただけで、だいたいのことはわかるよ」
世間では、それを超能力というのではないか……などと思う公生であった。正直、ペドロという男が何を言わんとしているのか、全く見えてこない。
その時、ペドロの表情が僅かに変化した。
「信じていないようだね。では、俺の推理によって得られた君の情報を、いくつか披露しよう。もしひとつでも間違いがあったなら、その時は君のいうことを何でも聞くよ。いいかい?」
「わ、わかりました」
「では……君は、高橋公生十六歳。身長は百六十センチ強、体重は五十キロ前後。学校の成績は、中の下もしくは下の上といったあたりかな。両親は、君が幼い頃に亡くなっている。これまでの人生で、骨折した回数は十回近い。友だちと呼べる存在はなく、ずっと孤独に生きてきた。あと……かつて、自殺を試みたことがある」
公生は驚きのあまり、しばらくは何も言えなかった。
ペドロの言ったことは、全て当たっている。まあ、身長や体重や骨折の話などは、あらかじめ調べることも可能だろう。
しかも、自殺未遂の話は誰にもしていない。また、誰にも見られていない。
自分だけしか知らないはずなのに、なぜわかる?
「な、なんでわかるんですか!?」
思わず大声を出した公生だったが、ペドロはにこやかな表情で答えていく。
「たとえばの話だが、君は他人を一目見て、男性か女性かを当てることはできるよね」
「ええ、まあ」
何を言っているのかわからないが、とりあえず頷いておいた。
「では、犬はどうかな? 犬の顔を一目見て、雄か雌かの区別がつくかい?」
「いや、それは無理です」
これには即答できた。そんなもの、わかるはずもない。
対するペドロは、クスリと笑った。
「そうだろうね。しかし、獣医や犬の訓練師の中には、顔を見ただけで犬の雄雌を見分けられる者がいるよ。彼らの脳内には、長年の経験により蓄えられた様々な犬のデータが入っている。そのデータと照らし合わせ、雄か雌かを一瞬で判断しているのさ」
「は、はあ……」
それとこれと、何の関係があるのだ……と思った瞬間、ひとつの仮説が浮かぶ。
続けて放たれたペドロの言葉は、その仮説が正しかったことを教えてくれた。
「さっき公生くんと会った瞬間から、俺は君をずっと観察していた。目から得られた情報と俺の脳内にある様々なデータとを照らし合わせ、公生くんがどんな人間であるかを大まかにプロファイリングした。それだけさ」
「えっ……」
そう言ったきり、公生は硬直してしまった。
ペドロの言っていることは、頭では何となく理解できる。間違いなく推理によるものだし、理論的には可能なのだろう。
だが、現実にそんなことの出来る人間がいるのだろうか。昔、紙を四十二回折れば月に届く高さになるという話を聞いたことがあった。これも理論的には可能なのだろうが、現実には不可能だ。
そんなことを思う公生に、ペドロは優しい口調で語っていく。
「人間は、それまで生きてきた時間の中で、様々な体験をする。その体験から得た膨大なデータを、脳内に蓄えているはずだ。ところが、ほとんどの人間はそれらを上手く活用できていない。嘆かわしい話だよ」
言った直後、ペドロの顔つきが変わる。にこやかな表情が消え失せていた。
「さて、俺の質問する番だ。まず、君の両親の死因を教えてくれ」
「し、死因?」
いきなりの問いに、公生はまごついた。しかし、ペドロは容赦しない。
「両親は、なぜ死んだのかな。さあ、言うんだ」
その得体の知れない迫力に押され、公生は答える。
「車の事故です」
「なるほど。それで、事故はどんな状況だったんだい?」
「わかりません。僕は後ろで寝ていて……気がついたら、病院のベッドで寝ていました」
その時、公生の目から涙が溢れる。当時の記憶が蘇ったのだ。
しかし、ペドロは涙ごときで動揺するような甘い男ではない。
「では、君も事故に遭ったのだね。両親と共に車に乗り、事故に遭った。両親は死んだが、君は生き延びた」
「は、はい……そうです」
どうにか答えた公生の目からは、とめどなく涙が流れていく。
「そうか。それで、何があったのか教えてくれないかな? 覚えている限りで構わないよ」
促された公生は、少しずつ語っていった。
◆◆◆
始まりは、両親と共に田舎の祖母の家に行ったことだった。その帰り、折悪しく雨が降ってきたのだ。だが、それだけならまだ良かった。
視界の悪い崖道を走らせていた時、震度五の地震が付近を襲ったのだ。雨により路面が濡れていた上、ガードレールは古いものであった。車はスピンしガードレールを突き破り、真っ逆さまに崖下へと落ちていったのだ──
車は全損、両親は即死であった。幸いなことに、公生は数カ所の骨折、さらに脳震盪と打撲傷により一ヶ月ほどの入院で済んだ。
もっとも、本人としては少しもありがたくなかった。両親と共に死んでいた方がマジだったのではないだろうか……しばらくは、そんな気持ちで生きていた。




