衝突
公生は、どうすればいいのかわからなかった。
見れば、永井と井川と小林は完全に敵意剥き出しの目でこちらを見ている。特に小林は、今にも殴りかかってきそうな雰囲気だ。
百目鬼はというと、止めるような気配はない。先ほどは喧嘩の仲裁に入っていた柳沢も、今回ばかりは傍観する気らしく、離れた場所から成り行きを見ているだけだ。
どうなってしまうのか……公生は、そっと後ずさる。
だが、突然ペドロの手が伸びてきた。公生の腕をガシッとつかむ。その力は異常に強く、公生は思わず声をあけそうになった。
さらに、ペドロが口を開く。
「その前に、自己紹介が終わっていない者がいる。さあ公生くん、君も名前くらい名乗っておきたまえ」
言った直後、公生を強引に前へと押し出した。
途端に、男たちの目が公生へと集中する。何だこいつは? とでも言わんばかりの表情だ。
恐ろしい男たちの視線を浴び、公生は何も言えずに顔を歪める。あまりの心細さに、その場で泣き出したい衝動を覚えた。
これまで、ヤクザだの人殺しだのといった単語は、ネットやテレビの中でしか見ないものだった。しかし、現実にそういった者たちを目の当たりにしているのだ。
その時、井川が怒鳴る。
「おい、てめえは何なんだよ! 自分の名前も言えねえのか!」
途端に、公生はビクンと反応した。足がすくみ、鼓動が早くなる。
何か言わなくてはならない。だが、何も言えなかった。口から言葉が出てこない。
「このガキ! てめえは自分の名前も言えねえのか! 殺すぞ!」
吠えながら、前に出てきたのは井川だ。しかし、公生は完全に萎縮していた。喉から声が出ない。
井川は、公生の襟首をつかんだ。さらに、顔を近づけていく。ヤクザがよくやる脅しの手口だ。
そのまま、低い声で凄む。
「おい、今から三つ数える。三秒以内に名前を言わなかったら──」
「言わなかった場合、果たして何が待っているのかな。是非とも聞かせてくれ」
井川の脅し文句を遮り、落ち着いた声で答えたのはペドロだった。いつの間にか、彼のすぐ後ろに立っていたのだ。
すると、井川は公生から手を離した。今度は、ペドロを睨みつける。
「おいガイジンさんよう、てめえは何なんだ? さっきからチョロチョロ出てきやがって……」
井川の威勢はそこまでだった。すぐに目があちこち動き、助けを求めるような視線を送る。だが、誰も動こうとはしない。間近で見て、ようやくペドロの恐ろしさを理解したらしい。
一方、ペドロは井川のことなど何とも思っていないらしい。その視線は井川ではなく、公生に向けられている。
「恐れることは何もない。ただ、自分の名前を名乗るだけだ。実に簡単なことだろう。さあ、言うんだ」
そこで、公生はようやく動けるようになった。口を開け、名を名乗ろうとする。だが、声が出ない。
その時、ペドロがスッと近づいてきた。公生の肩に、軽く触れる。
「難しいことではない。さあ、彼らに自分が何者であるのか言いたまえ。それすらできないようでは、ここで生き延びることなどできないよ」
言われた途端、口から自然と声が出ていく──
「な、名前は高橋公生です! どこにでも、い、いる普通の高校生です!」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。だが、言っている内容は赤面してしまうくらい間抜けなものだった。
しかし、ペドロはそれで良しとしてくれたらしい。微笑みながら、また公生の肩を叩いた。
「よくできた。それでは行くとしようかね」
そう言うと、次の瞬間にくるりと向きを変えた。皆に背を向け、森の方に歩いて行く。
その背中に、声をかけたのは百目鬼だ。
「待ってください。ペドロさん、私の質問に答えてくださいよ」
さらに、永井も叫ぶ。
「そ、そうだよ! 百目鬼さんの言う通りだ! 我々には知る権利がある!」
すると、ペドロはピタリと足を止めた。振り向くと、永井に冷ややかな視線を向ける。
「その前に、ひとつ聞きたい。永井豊次さん、あなたは人の罪名について詳しいようだね。柳沢さんや、百目鬼さんの罪名について聞かれてもいないのにベラベラ語っていた。これは、随分と失礼な話だと思うがね」
言われた永井は、途端に表情を歪める。
「いや、それは、その……」
しどろもどろになるが、ペドロは容赦しない。
「他人のプライバシーについて、聞かれてもいないのに公衆の面前で得々と語る……これは、まともな常識を持った人のやることとは思えないな。そんな人間に、知る権利などないよ」
辛辣な言葉を並べていくペドロだったが、公生は不思議な気持ちで聞いていた。
ペドロは恐ろしい男だ。先ほどから、暴力を用いることなく男たちを圧倒している。実際、この並みいる犯罪者たちの中でも、ペドロが一番恐ろしく思えた。
そんなペドロだが、言っていることは間違っていない。事実、公生は永井に対し嫌悪感を抱いていた。なぜなのか、上手く言語にすることはできなかった。ただ、なんとなく嫌なものを感じていた。
その、公生が言語にできなかった部分を、ペドロは躊躇なくスラスラと言葉にしている。しかも、永井本人に遠慮なくぶつけている。
公生には、絶対にできないことだ。
ペドロ……やっぱり、凄い男なんだ。
公生は、今やペドロを羨望の眼差しで見ていた。だが、他の者はそうではないらしい。
「なるほど。だがね、我々はこの島に来てしまったのですよ。いわば、運命共同体です。運命共同体である以上、多少の不快な点には目をつぶる……これも、常識を持った大人なら当然ではないのですか」
落ち着いた口調で割って入ったのは百目鬼だ。その表情は優しい。この部分だけを見れば、公生は百目鬼に対し警戒心など抱かなかったであろう。
しかし、公生は見てしまった。
(あっ、佐藤智也です。いやぁ、参っちゃいましたよ。家で寝てて、目覚めたらこんな場所にいましたからね)
初めて会った時、百目鬼はぬけぬけとこんなセリフを吐いたのだ。
百目鬼は嘘を吐いた。これは、どう言い訳しても曲げることのできない事実である。公生は、基本的に嘘を吐くことのできない不器用な性格だ。だからこそ、嘘を吐く人間が信用できない。
百目鬼とペドロは、真逆の位置にいる。ペドロは、今のところ嘘は言っていない。
そんなことを思う公生の前で、ペドロは言葉を返していく。
「申し訳ないが、俺はあなたと運命共同体になるつもりはない。君には、既に取り巻きがいる。俺などいなくても問題ないだろう」
そう言うと、ペドロは公生の方を向いた。
「さて、君はどうするのかな?」
「えっ?」
いきなり話を振られ、公生はまごついた。すると、ペドロはクスリと笑う。
「迷っているようだね。君のような少年には、ありがちなことだ。しかしね、ひとつアドバイスしておこう。もし選択を迫られた時、できるだけ早く決めた方がいい」
「なぜですか?」
思わず聞き返した公生に、ペドロはクスリと笑う。
「例えば、野性の獣に襲われたと仮定しよう。逃げるか、あるいは闘うか、このふたつしかない。さて、ここで迷っていたらどうなるかな? 獣の前で立ち止まり、戦うか逃げるか、それが問題だ……などと迷っていたらどうなるか、考えなくともわかるだろう」
なるほど、と思った。
考えてみれば、迷っている間に選択肢の数がどんどん減っていき、気がつくと残った方を選ばざるを得ない……公生のこれまで生きてきた中で、そうしたことを何度も体験している。
ペドロの言っていることに、間違いはないのだ。
その時、ペドロは歩き出した。ひとりで、森の中へと入っていく。
公生は、迷うことなく後を追っていった。
◆◆◆
「やれやれ、あのペドロさんは何を考えているのでしょうね」
百目鬼は、苦笑しつつ皆の顔を見回す。
永井は、媚を売るかのような顔つきでウンウンと頷く。井川は、不快そうな表情でフンと鼻を鳴らした。小林もまた、不快そうな様子で土を蹴飛ばす。
「何なんだ! あのガイジンはよぉ!」
喚きながら、もう一度土を蹴飛ばした。土くれが、宙に舞い上がる。
その時、不思議なことが起きた。なぜか、木々がザワザワ揺れ始めたのだ。
「お、おい、何だ今の?」
井川が言った瞬間、木の揺れはピタリと収まる。
「ひとり消えていった、沖田とかいう青年の仕業かもしれませんね」
百目鬼が言うと、井川はチッと舌打ちした。
「あの野郎、今度会ったらぶっ殺してやる」




