夢の終わり
朝の八時、公生は電車に乗り高校へと向かっていた。
周りを見回すと、皆一様にスマホに視線を奪われていた。あの四角い画面には、何があるのだろうか……そんなことを思いつつ、外の風景に視線を移す。
ふと、あの言葉が頭をよぎる──
「公生くん、俺は君を殺してみたくなった」
その瞬間、公生は慌てて周囲を見回す。だが、奴らしき人物はいない。
あれは夢だったのだ、と医者が言っていたことを思い出した。
◆◆◆
目が覚めた時、公生は病院のベッドにいた。医者が、ホッとした表情でこちらを見ている。
「いやあ、君は本当に幸運だよ。これは奇跡といっていい」
わけがわからなかった。覚えていることといえば、あの島の記憶……最後に、ペドロに殺されかけたところを、津波にさらわれ海に放り出されたのだ。そこから先は、意識などなかった。
医者の話では、公生は海に浮かんでいたところを、たまたま通りかかった海上保安庁の船に発見され救助されたのだという。この二日間、昏睡状態であったらしい。
公生は、島での出来事を医者に包み隠さず報告した。目が覚めたら島にいたこと。死刑囚らと一緒に生活していたこと。島のAIが暴走したこと。そして、最後にペドロに殺されかけたこと。
それら全てを、医者は一笑に付した。
「おいおい、何をバカなことを言っているんだ。そんなこと、あるわけないじゃないか。死刑囚を島に集めて共同生活? 誰が、何の目的でそんなことをするというんだ?」
しかし、公生は納得いかなかった。出会った死刑囚の名前も顔も覚えている。そいつらをネットで調べてもらうよう、医者に頼んでみた。
「仕方ないなぁ。まあ、それで君の気が済むならいいよ」
そう言うと、医者はスマホで死刑囚の名前を調べてくれた。
結果、驚くべきことが判明する。まず、沖田和也という死刑囚は実在していた。島で言っていた通り、更生者保護施設に侵入し五人を殺害した罪で死刑を言い渡されていたのだ。
だが、十日ほど前に刑は執行されていたのだ。つまり、島で会った時には、既に死んでいたことになる。
「で、でも、僕は今までこんな人のことなんか知らなかったんですよ。島で会って話したから、この沖田さんのことを知ったんです」
公生は、なおも食い下がった。あの島での出来事が、夢であるはずがない。あれは、全て現実に起きたことだ……そう信じたかった。
「それについての説明は簡単だよ。要するに、君は沖田のニュースをどこかで見ていて、心に強烈な衝撃を受けてしまった。結果、君は忘れたつもりになっていたが、心の片隅に記憶として残っていた。それが、生死の境をさまよっている間に幻覚として……いや、夢として現れたのさ」
そんなことはない。
この人に関するニュースなど、見たこともなかった……そんなことを思う公生に、医者はにこやかな表情で語り続ける。
「いいかい、生死の境をさまよった経験のある者は、かなりの確率で三途の川の夢を見る。これは、なぜだと思う?」
「その人たちが、実際に三途の川に行ったからですか?」
真顔で答えた公生に、医者は笑いながら首を横に振った。
「申し訳ないが、その意見は却下だな。海外の人たちは、違う夢を見ている。明るい光や、花畑の夢だ。これらは、キリスト教的な死後の世界のイメージなんだよ」
「どういうことですか?」
「つまり、人は生死の境という状況に立った時、文化的に刷り込まれた死後のイメージが脳内体験として再生される可能性が高いのさ。日本人の三途の川、あるいは西洋人たちのお花畑……これらは、文学的イメージにより作られたものだ」
「でも、僕は違いますよ?」
「そう、そこが面白いところだ。君の場合は、テレビや新聞やネットなどで見た死刑囚たちの幻覚が登場した。そして、君の目の前で次々と死んでいった」
すました表情で語っていく医者に、公生は何も言えないまま聞き入っていた。
「そして最後、君はペドロという男に追われて、海に落ちた。そこで、君はこの世に戻ってくることができたわけだ。ひょっとして、以前にそんな強烈な印象の外国人を見たことがあるのかもしれないね」
「ないですよ。あるわけないじゃないですか」
「そうか。ならば、アニメや映画で見たのかもしれない。強靭な肉体と天才的な頭脳を持つキャラが、主人公の導き手となる……ありがちな展開だよ」
そんなことを言われても、公生はまだ納得できなかった。あの島での体験が、全て夢だったというのか。
有り得ない。公生は確かに見たのだ。
小林は、ヘリコプターの男たちに襲いかかり、銃で撃たれていた。
沖田はペドロに殴りかかり、ミリ単位の見切りで躱されていた。
柳沢は、公生の前で涙ながらに独白した。
井川は、公生の目の前で倒れて死んだ。
百目鬼もまた、公生の前でもがき苦しみ倒れていた。その後、死んだらしい。
永井は……よく覚えていないが、あの男も確かに島にいた。
あれら全てが、公生の見た幻覚だというのか。
すると、医者は真面目な表情になる。
「君は、私の説明に納得いっていないようだね。では、ひとつ尋ねよう。そのペドロは、恐ろしく強い人なんだよね。そんな人が、君を殺そうと襲いかかってきた……なぜ、君は助かったのかな?」
それは、公生の方が聞きたかった。
あのペドロが、殺すと宣言し襲ってきた。あれは、間違いなく本気であった気がする。
ペドロは、公生が見てきた中で最強の男だった。小林を一瞬で倒し、沖田を完全に子供扱いしていた。さらには、島の攻撃を全て躱してのけたのだ。あれは、もはや超人と言っていいレベルであろう。
そんなペドロが、なぜか公生を殺せなかった。単に運が良かったのか、それとも他の理由があったのか、公生にはわからない。
ただ、今はこう答えるしかなかった。
「言われてみれば、確かに変ですね。そんな人が、僕を殺し損ねるはずがない」
「そうだろう。そこが、君の夢だということを表している。君の夢だからこそ、いわば主人公補正が働き君は助かったわけだ。はっきり言うが、君は同年代の少年と比べ、体力的に優れているわけではない。格闘技をやっているわけでもない。そんな君が、ペドロなる男の攻撃を受けて無事で済むとは思えないな」
医者の得意気な解説を聞き、公生は微笑みながら頷いた。
「そうでした。僕が、そんな男に襲われ助かるわけないですよね」
「その通りだ。全ては夢だった、それに間違いない。気持ちを切り替え、現実の世界に向かうとしよう」
そう言うと、医者は公生の肩をポンポンと叩いた。何やら機嫌の良さそうな態度で、病室を出ていった。
しかし、医者がいなくなった後、公生はそっと呟く。
「いや、あれは間違いなく現実だった。僕は、確かにあの島にいた」
◆◆◆
そして今、公生は普段通りの生活を送っている。
朝になれば、電車に乗り学校に行く。教室では、誰とも話さないし、誰からも話しかけられなくなっていた。もっとも、公生は以前から地味で目立たない生徒だったため、何の問題もない。むしろ、その方が心地良かった。
もっとも、公生は気づいていなかったが……彼は、それまでと違う異様な雰囲気を同級生たちに感じさせていたのだ。得体のしれない迫力を感じさせ、話しかけることに二の足を踏ませていたのである。
夕方になれば、施設へとまっすぐ帰る。
一度、拘置所に手紙を出してみた。死刑囚として、まだ刑が執行されていない(ということになっている)柳沢に宛てて書いたものである。しかし、封も切らずに返された。どうやら受け取りを拒否されたらしい。
それとも、既にこの世にいないのか──
いずれにせよ、その手紙のせいで、公生は施設の職員らにやんわりと叱られた。仕方なく、今はおとなしく生活している。
そんな公生だが、寝る前に時おり思い出すものがある。ペドロのセリフだ。
「俺が君を守っていたのではない。君が、俺を守っていたのだよ」
あれは、どういう意味だったのだろう……。




