ペドロの真意
室内の異様な光景に、公生はただただ唖然となっていた。
そんな中、ペドロは何事もなかったかのようにテーブルに触れる。慣れた様子で、何やら操作していった。すると、まず警報音が止まる。次いで、テーブルの文字が全て消えた。
そこで、ペドロはこちらを向く。
「これで終わったはずだ。では、外に出て確かめてみようか」
「は、はい!」
公生はすぐさま返事をした。実のところ、この不気味な部屋には長居したくなかったのだ。
外の様子は、先ほどと変わらないように見えた。本当に大丈夫なのだろうか……などと公生が思っていた時、ペドロが口を開く。
「風が吹いている。これは、自然の風だ。どうやら、この島にも自然が戻ってきたらしい」
自然の風などと言われても、公生には違いなどわからない。
首を傾げつつ、それでも手をかざしたりして風の違いを感じとろうとする公生。その様を見て、ペドロは苦笑しつつ話を続ける。
「さて、あとやることはひとつだけだ」
「えっ? まだ何かあるんですか?」
「ああ、あるよ。俺にとって、もっとも重要なことがね」
言った直後、ペドロの態度が一変した。空を見上げたかと思うと、次に周囲を見回した。
次の瞬間、その口から衝撃的な一言が放たれる──
「公生くん、俺は君を殺してみたくなった」
その時、公生は嘘だろうと思った。ペドロという男も、こんなつまらない冗談を言うこともあるのか……と思い、彼の顔をまじまじと見つめた。
ペドロの顔には、何の感情も浮かんでいない。何を考えているのかはわからないが、冗談ではなさそうな気がしてきた。
「えっと、じょ、冗談ですよね?」
公生の口から出たのは、そんな言葉であった。はっきり言うなら、つまらない冗談であって欲しかった。
しかし、ペドロの口から出た言葉は、公生の希望を無惨に打ち砕いてくれた。
「冗談ではないよ。俺はね、こう見えてクソ真面目な人間なんだ。ましてや、こんな時に冗談など言わない。俺は、君を殺したい」
途端に、公生の目から涙が溢れる。恐怖よりも、納得できない気分ゆえの涙であった。
「な、なぜですか!? 今まで、ずっと助けてくれて……それが、今になって殺すんですか!? じゃあ、何のために今まで助けてくれたんですか!?」
我を忘れ、公生は叫んでいた。しかし、ペドロは冷静に返していく。
「俺が君を助けた? バカなことを言わないでくれ。君が、俺を助けていたのだよ」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか──」
その言葉を言い終えることはできなかった。
ペドロが音もなく動き、一気に間合いを詰める。その手が伸び、公生の服をつかむ……はずだった。
しかし、ペドロの目論見は外れた。全く同じタイミングで、公生の右足首に激痛が走ったのだ。かつて、トラックに跳ねられた時に負った古傷である。
公生は立っていられず、その場でよろける。だが、その僅かな動きのブレがペドロの技を狂わせた。つかむ位置が、ほんの少しズレたのだ。
「何!?」
ペドロの口から、驚きの声が漏れる。だが、それでもつかんでしまえば問題ない。あとは、公生の体を瞬時に持ち上げ、地面に叩きつける。それで終わっていたはずだった。
しかし、その瞬間にまたしても邪魔が入る。公生がよろけた瞬間、僅かな砂粒が彼の体に付着していた。その砂粒が、今まさに技をかけんとしたペドロの眼球に飛んでいく。
ペドロは、飛んできた砂粒を払いのけた。ペドロでなければ、見えなかったもの。しかし、彼の卓越した能力が、ここでは仇となった。
その瞬間、公生をつかんでいた手が離れる。同時に、公生の立っていた土がへこんだ。続いて、土が次々と動いていき斜面を作っていく。
「こんなことが!?」
さすがの怪物ペドロも、この現象は想像していなかったらしい。一方、公生は斜面を転がっていった。足首の激痛に気を取られ、何が起きたか全くわかっていないのだ。
しかし、ペドロはこの程度で諦めはしなかった。次の瞬間、恐ろしい速度で追いかけていく。そのスピードは、もはや獣並みであった。
転がっていく公生を追うペドロの顔には、笑みが浮かんでいる──
「君は、本当に最高だよ。こんな戦いは初めてだ」
ボソリと呟くと、ペドロは高く跳躍した。転がる公生めがけ、飛び蹴りを放つ。公生の、転がる速度とタイミングをきっちり計算した上での行動であった。これなら、確実にヒットするはずだった。
ところが、またしても計算外の出来事がペドロを襲う。跳躍した瞬間、どこからともなく鳥が飛んできたのだ。この島に、鳥は住んでいなかったはずだった。
にもかかわらず、今は鳥がいる。凄まじい速さでペドロめがけ飛んでくるのだ。
ペドロは、空中で咄嗟に払いのけた。その僅かな動きが、飛び蹴りのヒットポイントをずらす結果となる。ペドロは、公生のすぐ横に着地した。同時に、公生の動きも止まる。
ならば、ここで仕留めるだけ……ペドロは足を振り上げ、一気に踏みつけようとした。
公生の顔は恐怖に歪む。そのままならば、公生の顔は踏みつけられ、頭蓋骨は陥没し即死していただろう。
だが、またしても不測の事態が襲う。今度は、ペドロの足元の土が揺れたのだ。さらに、ひょっこり顔を出したものがいた。モグラだ。
「何だと!?」
ペドロは思わず叫んでいた。もし、これがペドロでなかったら、モグラに気づかず、そのまま公生の顔面に踏みつけを食らわしていただろう。しかし、ペドロは多くが「見えて」しまう人間だった。その見えてしまう体質が、この異常事態に反応してしまった。
結果、足を振り下ろすタイミングが遅れた。
公生はというと、慌てて立ち上がった。彼は、モグラなど見えていない。このままだと殺される、その恐怖のみが彼を突き動かしていた。
次の瞬間、公生は走る。先ほど右足首を襲った激痛は、なぜか綺麗さっぱり消えていた。とはいえ、彼は走るのは遅い。ペドロには、あっという間に追いつかれてしまう……はずだった。
だが、ペドロの周囲にも異変が起きていた。走りだそうとした時、地中から出てきたものがある。
それは人の手であった。AIにより、地中に埋められていた死体……それが、島を襲う数々の異変により地上に出てきたらしい。
「君はもう死んだんだ。おとなしく眠っていたまえ」
呟くと同時に、ペドロは死体の手を踏みつけた。直後、公生を追う。だが、足場は異常に悪い。草、土、さらには死体までもが、ペドロの行く手を阻んでいた。
公生は立ち止まった。
無我夢中で走り続けているうち、いつの間にか海岸に来ていたのだ。砂浜に、波が押し寄せては帰っていく。
だが、今の公生にはそんなものを見ている余裕などなかった。もはや、体力は底をついた。一歩も動くことができない。
にもかかわらず、ペドロはすぐそばに迫っている。あれだけ動いているのに、未だ息を切らせていない。それどころか、顔には楽しそうな表情すら浮かんでいるのだ。
「僕を殺すのが、そんなに楽しいのか。じゃあ、何のために今まで……」
ボソッと呟く。その時、信じられないことが起きた。
突然、恐ろしい勢いで波が襲ってきたのだ。波は、たちまち公生を呑み込み海へと運んでいく。抵抗など、できるはずもない。公生は、あっという間に波に呑まれ海に消えて行った。
ペドロは、凄まじい勢いで走った。波打ち際で、海原を睨みつける。だが、公生の姿は影も形も見えない。
不意に、ペドロは笑い出した。
「俺はこれまで、悪魔だの怪物だのと言われてきた。だが、今はっきりとわかったよ。俺は、しょせんは人間でしかない。公生くん、君こそが本物だよ」




