処刑
公生は、唖然となっていた。生き延びられたら、とはどういうことだろう?
「あのう……僕も、処刑人に殺される可能性があるということですか?」
「もちろんだ。君だけが、処刑人から逃れられるわけではない。ひょっとしたら、君を殺すために動き出したのかもしれないよ」
「じゃあ、ペドロさんも殺されるかもしれないんですか?」
「ああ。俺も、殺される可能性はある。俺を殺すために動き出したのかもしれないね」
答えた時、ペドロの表情が変わる。真剣な顔つきで、匂いを嗅ぐように鼻を動かし、手のひらをかざす。
やがて、フゥと溜息を吐いた。
「空気が変わった。どうやら、始まったらしい。やはり、標的は柳沢さんだったか」
つまり、柳沢の処刑が始まったということだ。公生は、反射的に動こうとしていた。
だが、ペドロがさっと片手をあげる。やめろ、というジェスチャーだろうか。
「君が、何をしたいのかはわかっている。しかし、それをさせるわけにはいかない」
「だって、柳沢さんは死ぬんでしょ!?」
「ああ、死ぬよ。まあ、当然の報いだね。先ほど聞いた通り、彼は五人の人間を殺して死刑判決を受けている。しかも、当人もまたそれを覚悟していた。来るべきものが来た、それだけのことさ」
ペドロは、こともなげに答えた。その顔には、表情らしきものは浮かんでいない。彼にとっては、柳沢の死など、感情を動かすほどのものではないらしい。
だが、公生は違っていた。そっと振り返ったが、既に柳沢の姿は見えなくなっている。公生には見えない場所で、柳沢は死ぬのだ。
これでいいのか?
そんな疑問が頭に浮かんだ。同時に、こんな思いも湧いて出る。
お前には、何もできない。
その通りだ。
自分はちっぽけな人間である。腕力もないし、頭も悪い。しかも、柳沢を殺そうとしている処刑人は、超人的な力を持つペドロよりも強い者だというのだ。
自分が行ったところで助けられない、それはわかっている。
「でも……」
公生の口から、声が漏れた。それを聞いたペドロの顔に、奇妙な表情が浮かぶ。
「ん? 何だい? どうかしたのかい?」
人間離れした洞察力で、全てを見透かすことが可能であるはずの天才ペドロ。しかし今、彼は不思議そうな顔で公生を見つめていた。
その公生の口から、異様な声が出る──
「僕は……嫌だ!」
叫ぶと同時に、しゃにむに走り出していた。行き先は、柳沢のいるはずの場所である。
無論、行った後で何をするのかなど考えてもいない。ただ、柳沢という男がこのまま死んでいくという事実を知りながら、むざむざ何もせずにいたくはなかった。
たとえ神に逆らったとしても、自分にできることをしたかったのだ──
しかし、公生の思いは叶わなかった。突然、彼の体は宙に浮いた。次いで、地面に叩きつけられる。
「ごふぅ!」
公生の口から、異様な声が吐き出された。地面にうつ伏せの状態で押し付けられ、顔を歪める。どうにか立ち上がろうとしたが、彼を押さえている手はビクともしない。
「君は何を考えているのかな。まさかと思うが、処刑人に立ち向かおうとでもいうのかい?」
ペドロの声が聞こえてきた。公生は、くぐもった声で答える。
「そ、そんなんじゃありません……でも、せめて死ぬ時くらい一緒に……」
「バカなことを言うな。そんなことをしたら、君まで処刑されるかもしれないのだよ。彼のために、命を捧げる気かい?」
「それでも、できることがあるなら……」
「君には、何もできない。そのことは、君自身もよくわかっているはずだがね。俺の見立て違いだったかな」
その時、公生の中で何かが弾けた。
「そんなこと、わかってますよ! あんたに言われなくても、僕が無能で何もできないクズだなんてこと、自分自身が一番よくわかってるんですよ!」
喚いた公生だったが、そこでペドロの手が離れた。同時に、スッと立ち上がらせられたのだ。
直後、ペドロが尋ねる。
「では、なぜ行くのかな? 俺にも理解できるよう教えて欲しい」
「僕は……僕は、あの人のことを知ってしまったんだ! 知ってしまった以上、無視はしたくない! それじゃ駄目ですか!?」
いつの間にか、公生の目から涙が流れていた。
対するペドロは、先ほどとは表情が変わっている。奇妙な動物を観察するかのような表情で、公生をじっと見つめていた。
ややあって、ペドロは口を開く。
「全く理解不能だ。しかし、君は面白い。いいだろう。やりたいようにやりたまえ。俺も一緒に行こう」
途端に、公生の表情が明るくなった。
「ほ、本当ですか!? 一緒に来てくれるんですか!?」
「ああ、いいよ」
「わ、わかりました! じゃあ、行ってみます!」
そう言うと、公生は歩き出した。
前を進んでいく公生の背中を見ながら、ペドロはそっと下を向いた。彼の口から、声が漏れる。
「高橋公生くん……彼は、一見するとどこにでもいる十六歳の高校生だ。いや、能力だけをみれば平均以下だろう。知能面は並程度だが、身体能力はお粗末なものだ。精神的にも、同年代と比べ未熟である。しかし、ひとつだけ特筆すべき点を見つけた」
語るペドロの視線は、公生の背中へと移る。彼の魂の在り処を透かし見ているようだった。
「彼は、表面的な服従はする。だが、決して屈しない。心の奥底では、誰のことも、何の価値観も信じていない……あの年齢で、一切の寄る辺を持たずに生きていける。この絶対的な虚無こそが、公生くんの選ばれた理由かもしれない」
まるで誰かに聞かせるように、ペドロはそっと呟いた。
途端に、彼の頭上の枝が揺れる。ペドロの言葉に反応しているかのようだ。しかし、それは一瞬の出来事であった。島の自然は、再び静寂を取り戻す。
その時、公生も立ち止まった。ペドロが付いて来ていないことに気づいたらしい。さっと振り返った。
「ペ、ペドロさん? 何をやってるんですか?」
彼の顔には、不安そうな表情が浮かんでいた。ペドロは苦笑した。
「すまない。ちょっと考え事をしていてね。さあ、行こうか」
◆◆◆
ふたりが去っていった直後──
話の最中、ペドロと公生はいきなり姿を消してしまった。柳沢は戸惑いながらも、ペドロの言葉について考えてみた。
(本気で、あなたが鬼と成り果てたと信じているのなら、人間の定めた倫理や法律や善悪などという観念に従う必要があるのかな。俺は、ないと思う)
ペドロの言う通りだ。こうなった以上、もはや開き直るしかないのかもしれない……そう思い、立ち上がった時だった。
突然、足元の土が動いたのだ。まるで、地下にいた何者かが、柳沢の足裏を押したような感触だった。
さらに、彼の足元の草も動いた。ひとりでに動き、柳沢の足首に絡みつく。
柳沢は、たまらず転倒した。仰向けに倒れ、何が起きたのか周囲を見ようとした。
その瞬間、さらに信じられないことが起こる。突然、上方で枝の折れる音がした。次いで、枝が落下してきたのだ。太く重量のある枝が、ひとりでに折れ落ちてきたのである。
枝の先は、鋭く尖っていた。その尖った部分は、柳沢の喉を貫いたのだ。
柳沢は、あまりのことに叫ぼうとした。だが、声は出せない。激痛に耐えかね、両手で枝を引き抜いた。
途端に、大量の血が吹き出る。直後、柳沢の体はガタガタ震え出した。大量の出血によるショック症状だ。
柳沢は、もうどうすることもできなかった。視界がぼやけ、意識が遠のいていく。
何が起きているのか、なぜ死ぬのか、柳沢には全くわからなかった。ただ、薄れゆく意識の中、死にたくないと思った。もし生きられるなら、どんなことでもしようと思った。
だが、それらはほんの一瞬であった。それから数秒も経たぬうちに、柳沢は息絶えていた。その表情は、苦痛に歪んでいた。本人が生前に言っていた、鬼の顔そのものであった。
柳沢が死んだ直後、周辺に異変が起こる。
遺体の下にある土や草が、ひとりでに動き出したのだ。それに伴い、柳沢の体も移動していく。痩せているとはいえ、六十キロ以上はあるであろう肉体が、滑るように地面を移動していったのだ。
やがて、柳沢の体は茂みの中に消えていった。




