柳沢の告白(1)
「復讐……」
公生は、それきり何も言えなかった。五人の人間を殺害した動機、それが復讐だというのか。
では、なぜ警察に言わなかったのだ? そもそも、娘はどんな目に遭ったというのだ? それを聞こうとした瞬間、ペドロの手が公生の肩に触れた。
「君の知りたいことは、柳沢さんが全て語ってくれるよ」
言った直後、ペドロは柳沢に視線を移した。
「そうだね、柳沢さん」
言われた柳沢は、静かな口調で語り出す。
「私はね……そう、十五年前までは普通のサラリーマンだった。そこそこにいい大学を出て、そこそこの企業に就職し、やがて妻と結婚し、娘ができた。そこそこの幸せを手にしていたんだよね」
そこで、柳沢はクスリと笑った。
「そうか。あれから、もう十五年になるのか。私も、年を取ったものだ。あの頃は、まだ幸せだった。私も、人間の善意を信じていられた」
そんなことを言ったかと思うと、公生をまじまじと見つめた。
「高橋公生くん、だったね。君は何歳だい?」
いきなり話を振られ、公生は戸惑いつつも答える。
「えっと、十六歳です」
「十六歳、か。雅美も、君くらいの歳の頃は本当に可愛かった。あの時、私は自分の人生にあんなことが起きようなどと、予想もしていなかったよ」
雅美とは、その娘の名前であろう。
公生は心の中で、僕だってこんな場所にいることになるなんて思ってなかったよ……などと呟きつつも、黙って話を聞いていた。ひょっとしたら、しばらくこの調子で半生記を聞かされるのではないか、とも考えていた。
しかし、公生の予想は外れる。
「あれは、雅美が大学生の時だった。その日、娘は家に帰ってこなかった。私は不安になったが、妻は平気な顔をしていた。あの子だって子供じゃない、朝帰りくらいするわよ……と、落ち着いたものだった。私も、妻の言うことが正しいと思っていた。だが、それは間違いだった」
直後、柳沢の体がガタガタ震え出した。目からは涙が溢れ、拳を握りしめる。
公生は、何か声をかけようとした。だが、何も声が出なかった。おそらく、柳沢は人生の中でもっとも衝撃的だった事実を語ろうとしている。
それを、自分は聞いてしまっていいのだろうか?
その時、ペドロの手が公生の肩に触れる。
「柳沢さんは今、未来ある少年に己の辛く苦しい体験を伝えようとしている。君には、聞かねばならない義務があるよ」
やがて、柳沢は再び語り出した。
「警察から、連絡が来たのは翌日だ。雅美は、草むらで倒れているところを近所の人が見つけ通報してくれたんだ。ひどい有り様だったらしいよ。ひどく辱められた痕があり、精神的なショックでまともに話すこともできなかったんだよ」
何かに憑かれたような顔つきであった。柳沢は心の奥底に押し込めていたものを引きずり出し、ふたりに語っているのだ。
公生は、自分がここにいていいのか未だに迷っていた。無論、死刑囚の告白を聞きたい……という気持ちはある。それが復讐だと言うなら、なおさらだ。
しかし、それは柳沢の内面に土足で上がり込み、踏みにじる行為なのではないだろうか。
自分に、そんなことをする権利があるのか?
「私はね、事件よりも娘の治療を優先することにした。仕事が終われば、できるだけ娘に寄り添い治療に協力するようにした。その甲斐あって、娘は少しずつ回復していったんだよ。私の前で、笑顔も見せてくれるようになった。このまま、普通の生活が送れるようになるのだと期待したよ」
公生の迷いをよそに、柳沢はどんどん語っていく。娘の笑顔の話をした時、彼の顔にも笑顔が浮かんだ。
だが、それは一瞬で消える。
「私は甘かったよ。心の病はね、元気になった時が一番危険だったんだ。ある日、娘は病院から姿を消した。それから一時間もしない間に、遺体となって発見されたよ。歩道橋から、車道に飛び降りたそうだ。遺体は、本当にひどいものだった……」
そこで、柳沢の顔が歪む。
次の瞬間、獣のような咆哮と共に拳を振り上げた。直後、目の前の土を殴りつける。憎き仇がそこにいるかのように、喚きながら何度も殴っていた。
公生は、見るのが辛くなり目を逸らした。止めることなど、できはしなかった。
十五年前、と柳沢は言っていた。だが、それだけの年月が経っているのに、彼の中で事件は終わっていないのだ。
心の傷は、時の経過と共に癒えることもある。たとえ完治はしなくとも、ある程度はコントロールできるようになる……何かの本で、そんな文言を見た記憶があった。
しかし、目の前にいる柳沢には、全く当てはまっていなかった。彼にとって、事件は自分の体の一部をもぎ取られたようなものなのかもしれない。
柳沢にとって、「体の一部をもぎ取られた状態」は死ぬまで続くのだ──
ややあって、柳沢は再び語り出す。話は、公生の想像もしていなかった方向へと進んでいった。
「それからしばらくして、妻が死んだ。帰ってきたら、首を吊っていたよ。誰も気づいてくれなかった……いや、本来なら私が気づくべきだった。それが、できなかったんだ。私は、どうしようもないクズだよ。せめて、妻のことだけは救えたかも知れないのにな」
「それは、あなたのせいじゃないですよ……」
公生の口から、そんな言葉が出ていた。心の声が、本物の声として出てしまったのだ。
途端に、柳沢の表情が歪む。その口から、震える声が出た。
「君に、いったい何がわかるというんだ? 子供のくせに……」
その問いは、公生の心に深く突き刺さった。思わず頭を下げる。
「す、すみません! 生意気言ってごめんなさい!」
「いや、謝るのはこっちだ。君に当たって、どうするんだろうね。本当に申し訳ない」
柳沢が、そう言った時だった。不意に、ペドロの手が伸びる。柳沢の襟首をつかんだかと思うと、片手で持ち上げたのだ。
次の瞬間、柳沢は頭から落とされた……かに見えたが、直前でピタッと止まる。
「柳沢さん、今の態度は良くないな。客観的に見て、公生くんには何の落ち度もない。失礼なことを言ったわけでもない。そもそも、子供のくせに……とは、大人の側が一番言ってはいけないセリフだよ。仮に怒りを感じたとしても、大人であるあなたが堪えるべきではないのかな。それが、少年に対する大人の態度だ」
「その通りだ。すまなかった」
とんでもない体勢にさせられ、さすがの柳沢も顔から血の気が引いていた。
だが、見ている公生も血の気が引いていた。ペドロの行動原理は、相変わらず訳がわからない。さっきは柳沢を助けたと思ったら、今度は殺しかねない勢いだ。
そのペドロは、ぬいぐるみでも扱うかのように軽々と柳沢の体を扱った。逆さの状態から、スッと立たせる。
「さて、話の続きを頼む」
言った後、今度は公生の方を向いた。
「公生くん、よく聞いておくんだ。万一、君が生きて島を出られたら……柳沢さんから聞いた話は、確実に君の心に大きな爪痕を残してくれる。やがて、それは君の人格を大きく成長させてくれるはずだよ」
いや、成長って言われてもなぁ。それ以前に、僕が島を出られるのは万に一つという可能性なのかよ……などと公生が心で呟く間にも、柳沢は話を再開した。
「私には、もう何も残されていなかった。後に残されたものは、復讐の意思だけだった。そこで、私は決意したんだ。娘に手を出した犯人に、必ず地獄を見せてやる……とね。初めは、奴らを探し出して殺すつもりだった。でもね、途中で気が変わった。ただ殺すだけじゃ駄目だ、ってね」
そこで、柳沢は笑みを浮かべる。だが、それは嫌な笑顔だった。




