ペドロの教え
「それ、どういうことですか!?」
慌てて尋ねた公生だったが、ペドロは平静な態度で答える。
「君は、俺の話を聞いていなかったのかい。仕方ないな。では、もう一度説明しよう。百目鬼さんには、君のような少年を殺害する性癖があった。その性癖を、先ほど解放させようとしていた。それだけのことさ」
「なぜですか? なぜ、僕を殺そうと……」
途端に、ペドロの目がスッと細くなった。
「君は、同じことを何度も説明されないと理解できないのかな。そこまで頭が悪いようには見えないのだがね」
「いや、違うんです!」
公生は、すぐさま否定した。自分の聞きたいことは、それではない。
「百目鬼さんは、なんで……その、僕みたいな少年を殺そうとするんですか?」
すると、ペドロは苦笑しつつ口を開く。
「その質問に対し、君に理解できる答えを出すのは少々難しいな。例えるなら、君はカレーライスは好きかい?」
何を言っているんだ、この怪人は? などと思いつつも、公生は素直に答える。
「は、はい、好きです」
「では、なぜカレーライスが好きなのかな? その理由を説明できるかい?」
その答えはひとつしかない。公生は、それを口にする。
「それは、その、美味しいからです」
「なるほど、美味しいからか。確かに、それはその通りだね。では、なぜ美味しいと感じるのか説明できるかい?」
「えっ?」
思ってもいなかったことを問われ、公生は口ごもった。だが、言われてみればその通りだ。自分は、なぜカレーライスを美味しいと感じるのだろう?
その時、ペドロはクスリと笑った。
「カレーライスの美味しさについて、いちいち説明する必要などないだろう。美味しいから美味しい、それで充分だ。百目鬼さんの性癖もまた、同じことだ。彼にとっては、殺したいから殺す。それで充分なのさ。おそらく、他人には説明できないと思うよ。心理学者や精神科医なら、もっともらしい言葉を並べ立てて説明するのだろう。しかし、百目鬼さんの本当の心は百目鬼さんにしかわからない。正直言うなら、俺にもわからないよ」
「あなたにも、わからないことがあるのですね……」
公生の口から、そんな言葉が出ていた。しかし、内心は真逆であった。
考えてみれば、公生は生まれつきリンゴが嫌いだった。小学生の頃、リンゴが嫌いなんて変な奴だな、と周りに言われたことを覚えている。体にいいんだから食べてみろ、と両親から言われたことも覚えていた。
しかし、嫌な物は嫌だった。体にいいと言われても、食べることはできない。リンゴを食べないから病気になるぞと言われたら、ならば病気になることを選ぶと答えただろう。
「僕、リンゴが嫌いなんですよ」
気がつくと、そんな言葉が出ていた。それに対し、ペドロは奇妙な表情を浮かべる。
「ほう、リンゴが嫌いなのかい」
「はい。リンゴが嫌いで、どうしても食べられなかったんです。百目鬼さんのことは理解できないし、したくもありません。でも、百目鬼さんにとって人殺しをやめるのは、僕がリンゴを好きになるのと同じくらい難しいことなんですか?」
「その解釈は、概ね正しいよ。君は、なかなか面白い見方をするね」
そこで、ペドロはクスリと笑った。
「知っているかい? 聖書に登場するアダムとエヴァは、知恵の実を食べたから楽園を追われたと言われている。その知恵の実は、リンゴだったという説もあるそうだ」
「そ、そうですか」
公生は、そうとしか言えなかった。アダムとエヴァ、何かの漫画かアニメで名前を見た記憶がある。しかし、詳しいことは知らない。そもそも、元ネタとなる聖書自体を読んだことがなかった。
「アダムとエヴァは、リンゴさえ食べなければ不死の肉体のまま楽園で暮らせていたのだがね……」
そこで、ペドロの表情がまたしても変わる。すぐに口を閉じた。さらに森の中を、睨みつけるような目で見つめている。
公生は何か言いかけたが、マズいと思い口を閉じた。どうやら、ペドロが何かを発見したらしい。
やがて、ペドロは歩き出した。森の中を、音も立てず進んでいく。公生は、何が起きたのかわからぬまま後をついて行った。
しかし、ペドロの行動の目的はすぐに判明する。誰かが、木によじ登っているのだ。しかも、枝に上着を引っかけ、輪のような形にしている。
公生の頭に、嫌な考えが浮かぶ。あれは、首を吊るためのものではないのか。
やがて、男は枝に巻きつけた上着をつかんだ。そのまま、輪の中に己の首を入れようとしている──
その時、公生の頭にかつての記憶が浮かんだ。自殺しようとしてロープの輪に首を入れたが、死にきれず枝が折れて助かったこと。
一瞬ではあるが、ロープに吊り下げられ体が宙に浮いていた時、死への恐怖で気が狂いそうになったこと。
助かった時、安堵のあまり涙を流したこと。
それらの思いが入り混じり、公生は叫び声をあげていた。だが、公生が叫ぶより早くペドロが動いていた。凄まじい速さで走り、瞬時に木を登る。
その時、既に男は上着で作った縄にぶら下がっていた。だが、ペドロは行動を止めない。木に登りつくと、上着が結ばれている太い枝めがけ、強烈な手刀を振り下ろす。
その一撃で、太い枝はへし折れた。同時に、男の体も地面へと落ちていく。
途端に、公生は駆け出した。倒れている男の体を揺する。
「大丈夫ですか!?」
叫び、間近で顔を見る。その時になって気づいたが、男は柳沢だった。百目鬼と行動を共にしていた者たちの中で、もっともおとなしく口数の少なかった男だ。
柳沢は、顔をあげ公生を見た。
「君は、確か公生くんと呼ばれていた子だね。となると、私は死に損なったのか」
「ああ、死に損なったよ」
言ったのはペドロだった。恐ろしい速さで木によじ登り、公生の足くらいの太さの枝を一撃でへし折ったのだ。にもかかわらず、その息は全く乱れていない。
何なんだ、この男は……と公生は唖然となっていたが、柳沢はそうは思わなかったらしい。
「なぜ、止めたのですか?」
柳沢は、冷めた目で尋ねた。その態度に、公生は不快なものを感じ、思わず怒鳴りつけそうになる。
だが、ペドロの方も冷ややかな態度であった。
「君に自殺されると、俺が困る。また、他にも困る人間がいる。だから止めた。今後も、君に自殺の兆候を発見したら止めに入るよ」
「そうですか。つまり、私には自殺の権利すらないのですね。困った話です」
そう言うと、柳沢は笑った。嫌な笑顔だった。楽しくて笑っているのではない。笑うしかないから笑っている、そんな雰囲気だった。
見ているうちに、公生は我慢できなくなっていた。相手が人殺しの死刑囚であることも、彼の頭から消えていた。
「何がおかしいんですか?」
「ん?」
不思議そうな表情の柳沢を、公生は睨みつける。
「僕は、あなたが死ぬんじゃないかと心配しました。でも、あなたはそんなことどうでもいいんですね」
「私のことなど、心配する必要はない。君は、何もしていないのに連れて来られたのだろう? 初めて見た時から、そうなんじゃないかと思っていたよ。君は、私たちとは違う人間だ」
そう言うと、柳沢は微笑んだ。先ほどの歪んだ笑みとは、全く違う種類の笑顔だった。
だが、続いて口から出た言葉に、公生の表情は凍りついた。
「私はね、女性と子供を殺したんだ。それも、五人」
「えっ……」
公生の心を支配していた怒りは、瞬時に消えていた。代わりに、恐怖が彼の胸に充満していく……。
その変化を感じ取ったのか、柳沢の顔を悲しみが覆っていく。
「そう、私は母親と子供、計五人を殺した。全ては、娘の復讐のためだった」




