始まり
「小野聡さん、本日は時間を割いて来ていただき、ありがとうございます」
「いえいえ。で、どういう話なんですか?」
「あなたは小学生の時、高橋公生と同じクラスだったのですよね?」
「タカハシコウセイ? ああ、いましたよ。あいつ、悪い奴ではなかったんですが……なんか近寄り難くてね。クラスでも、友だちいなかったと思います」
「では、目立つ生徒ではなかったのですね?」
「はい」
「他に、彼について覚えていることはありますか?」
「ひとつだけ、強烈なのがあるんですが……実は、あいつ轢き逃げに遭ったんです」
「轢き逃げですか?」
「はい。あいつと俺は、途中まで家に帰るコースが同じだったんですよ。で、あいつが百メートルくらい先にいて、俺も普通に歩いていたんですよ。そしたら、後ろから車が走ってきたんです。結構なスピード出してましてね……俺は白線の中を歩いてたんですが、高橋は急に車道に飛び出したんですよ。何か見つけたみたいで……」
「そして、車に跳ねられたんですね?」
「そうなんですよ。車は急ブレーキかけたけど、間に合わなかったです。あいつ、車に跳ねられて転がっていって、道路の端っこに倒れてたんですよ」
「車の運転手は、どうしたんですか?」
「車は、一度は止まったんですよ。でも、すぐに走り去っていきました」
「なるほど。で、高橋公生さんはどうなったのですか?」
「俺、あいつ死んじゃったんじゃないか……って思って、ビビって動けなくなってたんですよ。そしたら、一分もしないうちに起き上がったんです」
「すぐに起き上がったのですね。怪我はしていましたか?」
「擦り傷みたいなのはありましたが、体は何ともないみたいでした。立ち上がると、周りをキョロキョロ見た後で首を傾げたんです。俺、ここで何してたっけ? みたいな感じでした」
「病院には行ったのですか?」
「たぶん、行ってないんじゃないですかね。翌日も、何事もなかったかのように学校に来てました」
「そのこと、他の誰かに言いましたか?」
「いや、言わなかったです。というより、言えなかったんですよ。高橋がキョロキョロ周りを見ていた時、俺と目が合ったんだけど……そん時、なんか背筋がゾクッとしました。言ったらヤバいような気がしたんです。まあ、気のせいだと思いますけど」
◆◆◆
本日、実験開始。被験体五名到着。観測員の上陸も確認。
ひとつ不可解な点あり。予定になかった者が来ている。
被験体と観測員の六人で実験を開始する予定。しかし、高橋公生なる少年が新たに追加。初めは向こうの手違いを疑ったが、そうではないとのこと。
もうひとつ不可解な点あり。この少年の詳しい情報が皆無。
ここに送られてきた理由、不明。ただし、問題を起こす気配なし。したがって、彼もまた被験体と判断し、このまま実験を続行。もし、実験に不都合な事態を生じさせるなら、速やかに処理。
高橋公生は目を開けた。
目の前には、空が広がっている。雲ひとつない青空だ。こんな綺麗な空を見たのは久しぶりだ。
いい天気だなあ……。
そんなことを思ったが、すぐに異変に気づく。
「ここ、どこだ?」
言いながら、上体を起こし周りを見回す。途端に愕然となった。
下は砂浜で、すぐそばには海がある。小さな波が、押し寄せては引いているのだ。さらに、二十メートルほど先には森林が広がっている。
なぜ、こんなところにいるのか。公生は、混乱しながらも立ち上がった。
昨日は、ごく平凡な一日であった。朝、施設から高校に行き、三時頃に帰った。夕飯を食べ、風呂に入り、十時には寝たはずだ。こんな場所に来た覚えはない。
公生は震えながら、もう一度周りを見渡した。その時、自分が緑色の作業服を着ていることに気づいた。サイズはピッタリだが、見覚えはない。
さらに、公生が履いているのは緑色の作業ズボン、足には緑色のスニーカーだ。すぐそばにはリュックサックが置かれており、これまた緑色のものである。開けてみると、中にはチョコレートバーが五本に水筒が入っていた。
ややあって、公生はリュックを背負い歩き出した。
頭がクラクラし、視界がまだ少しぼやけている。
ふと、幼い頃のことを思い出した。両親が亡くなった日、気がつくと病室にいた。今のように、頭が痛くて視界がぼやけていた。
そんな公生に、医者が「信じられない! 君が助かったのは奇跡だ! 車は二十メートルの崖から落ちたんだぞ!」と叫んでいたが、それどころではなかった。だいたい、両親が死んだことの何が奇跡なのか。
思わず顔をしかめるが、すぐに気を取り直した。今はそれどころではない。
まずは、目の前にある森の中に入っていく。異様に静かだ。鳥の羽ばたく音も、虫の鳴く声も聞こえない。ただ、彼が土を踏む音だけが響き渡る。
ここに、動物はいないのだろうか?
ふと、そんなことを思った。立ち止まり、周りを見てみる。
動物の姿はない。鳥の姿もない。その時、後ろから声が聞こえてきた。
「不思議だ。なぜ、君はここにいるのだろうね」
公生は、慌てて振り返った。
公生の背後にいた者は、黒いTシャツを着てデニムパンツを穿いている。背中には黒いリュックだ。
肌の色は浅黒く彫りの深い顔立ちで、髪は黒く長めだ。明らかに日本人ではないだろう。
見た目から年齢を察するに、おそらくは三十代から四十代であろう。体つきは、がっちりした筋肉質だ。
さらに男の瞳は、得体の知れない光を放っている。公生はその瞳に囚われたかのように、指先すら動かせなくなっていた。
「わからないな。なぜ、君はここにいるのだろう。君は、過去に罪を犯したことがあるのかい?」
外国人は、落ち着いた口調で聞いてきた。だが、公生は何も言い返せなかった。この状況に呑まれ、言葉が出てこない。
すると、外国人の表情が僅かに変化した。
「君は、俺の言っていることが聞こえなかったのかい。それとも、俺とは話したくないのかな」
冷静な口調で言うと、外国人はこちらに近づいてきた。近くで見ると、身長は意外と低い。百六十五センチの公生と、ほぼ同じくらいだろう。
そこで、公生はようやく動けるようになった。慌てて首を横に振る。
「い、いえ! あの、違います! その、あの……」
そこで、公生は言葉に詰まった。言いたいことや聞きたいことは山ほどあるはずだった。しかし、何も出てこない。公生は必死で言葉を絞り出そうとするが、なぜか胸がドキドキし舌がもつれ頭が混乱してきた。
その時、外国人の手が伸びる。公生の肩に触れた。
「まずは深呼吸したまえ。ゆっくりだ。人間はね、極度に緊張すると呼吸すらままならなくなる。ゆっくりと、意識的に呼吸してみるんだ。さあ、ゆっくりと吸って、吐いて……」
不思議なことに、外国人に触れられ声を聞いているうちに、公生の頭の混乱が収まってきた。言われた通り、ゆっくりと呼吸してみる。
徐々に落ち着きを取り戻してきた時、外国人が再び口を開く。
「俺の名はペドロだ。君の名前は?」
「た、高橋公生です!」
なぜか、上官に返事をする新兵のごとき勢いで答えていた。
ペドロと名乗った外国人は、クスリと笑う。
「そうか。どうやら、君は何も知らずここに連れて来られたらしいね。哀れな話だ」
「えっ……」
公生は、それきり固まってしまった。何を言っているのか、全くわからない。そもそも、ここは何なのだ?
すると、ペドロは溜息を吐いた。
「ここは、日本の領海にある島だ」
「あっ、そうなんですか?」
思わず聞き返した公生に、ペドロは頷いた。
「そうだよ」
謎は、何ひとつ解決していない。公生は恐る恐る聞いてみた。
「あの、僕はなぜここに?」
「実験さ。他にも様々な人間が、被験体として選ばれている。俺は、君らの様子を観測するためにここにいる」
返ってきた答えに、公生は愕然となった。
「実験って何なんですか?」
聞いてみたが、ペドロの口から出たのは非情な言葉だった。
「それは言えないな」
途端に、公生の感情が爆発した。
この意味不明な状況に対する不安と恐怖。理不尽な扱いに対する怒り。それらが一度に押し寄せてきたのだ──
「そ、そんなあ! なんで僕が!? 意味わかんないですよ!」
我を忘れ怒鳴りつける。だが、すぐに己の言動を後悔した。
ペドロの顔つきが変わっている。表情が消え失せ、瞳には冷酷な光が宿っているのだ。ひょっとして、怒らせてしまったのか。
恐怖に震える公生に向かい、ペドロはおもむろに手を伸ばした──




