48.飴
訓練場を後にしたルシアンは王宮の門へと一人向かう。住み込みで勤務するものもいるが、ルシアンは家から通っている。
門への道は僅かなランプと月明かりしかなく薄暗い。そんな中彼は不思議な光を視界に捉えた。
「マーシャ様……」
まじか。美しい人は光るのか。
「あらルシアン様今お帰り?」
す……とルシアンの前を横切ろうとしたマーシャは彼の声に足を止める。阿呆なことを一瞬考えたルシアンは慌てて顔を引き締める。
「はい。マーシャ様はまだお帰りになられないのですか?」
「ええ。この後少し大臣たちと話があってね」
「その本は……」
彼女の細腕には本が十数冊抱えられている。
「少し調べ物もしたくてね」
ふふと笑う彼女はまだまだ帰る気はなさそうだ。
「忙しそうですね」
「?いつもと同じくらいよ」
「いつも遅くまで働いておられるのですか?」
「3時間の睡眠は確保しているわ」
「………………」
当然のように言うマーシャになんと声をかけてよいかわからない。
先程同僚が言っていた楽という言葉が蘇る。
仕事終わりに飲み歩く自分たちが何をふざけたことを言っていたのだろうか。実際国を動かす者たちが楽なわけない。並外れた努力があるに決まっている。
「……すみませんでした」
「うん?」
「今日味方になれなくて……」
「別に気にしなくて良いわよ。近衛兵たちの兵長と副長への並々ならぬ尊敬の念と愛は有名だもの。むしろあれで良いのよ。あなたも副長の指示に従ってね」
「はあ」
本当に良いのだろうか。だが彼女の言葉は軽い調子なのに言葉通りにするべきだと自分の勘が告げている。
「それよりも今度のお休みの日は愛しの婚約者さんとデートなさるのかしら?」
「は?」
いきなりなんだ?
「で・え・と」
戸惑うルシアンに構わずキラキラと期待したような眼差しを向けるマーシャ。
「いえ、約束していません。その日はどうしても外せない用事があったので」
そう言いながら嫌なことを思い出す。珍しくユリアが自宅まで来たかと思ったら次の休みにデートに連れて行けと騒ぎ立てたのだ。先約のことを話すと自分を優先しろ、先約はキャンセルしろと泣き叫び暴れまくったのだ。
おかげで壺やらカップやら割れまくってしまった。
ただでさえお金がないというのに、なんということをしてくれるのか。
「その日は何かあるのですか?」
「さあ。特別なことは何もないと思うわよ」
「そうですか……」
ではなぜ聞いたのだろうか。ユリアもこの日に拘っていたようだし。だが……ちらりとマーシャの顔を見るが答える気は無さそうだ。
「気をつけて帰るのよ?なんて……近衛兵のあなたに言う言葉ではないかしらね」
ふふと愉しそうに笑う彼女。だがルシアンの目には一瞬疲労が見えた気がして。
ズボンのポケットに入れていたものを取り出し彼女の目の前に差し出していた。
固まる彼女を見てはっと我に返る。
「す、すみません。こんな安物食べないですよね」
彼の手の平の上にあったのはカラフルな包み紙に包まれたキャンディ。その辺の市場で買ったありふれたもの。
いつも良いものを食べている彼女がこんなものを口にするはずがないだろうが。それに毒とかの心配だってするはずで……。逆に迷惑だったかもしれない。慌てて手を引っ込めようとしたがその動きがピタリと止まる。
「小腹が空いていたの。全部もらっていい?」
薄暗い中でも見惚れるような白く美しい長い指が一つのキャンディをつまみ上げる。
固まるルシアンの瞳を覗き込むように見上げてくるエメラルドグリーンの瞳は吸い込まれそうなほど透き通り――美しい。
「あら、欲張りだったかしら?やっぱり一つしか駄目?」
話しかけられはっと意識を取り戻す。
「い、いや全部どうぞ」
その言葉にニコリと笑いありがとうと言いながらキャンディに視線を移し一つずつつまみ上げていくマーシャ。その隙にバクバクと高鳴る心臓をなんとか落ち着かせる。
じゃあねと去って行くマーシャ。
彼女の姿が見えなくなるとやっと彼の心は落ち着きを取り戻した。
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えーーーーーー……なんなのだろうか目の前のこの光景は。
出勤してきたルシアンの目の前には
いつもより一つ多く首元のボタンを外す者
いつものボサボサ無造作ヘアをビシリと整えている者
ブンッブンッと普段の倍以上の力で素振りをする者
などなどいつもとは違う様子の衛兵たちがいた。
「なんなんだ……」
「皆なんやかんや言ったって男なんだよ。美人の前ではカッコよくいたいんだよ」
ルシアンのぽつりと零した言葉に近くにいた衛兵が説明をしてくれる。そういう彼の眉はゲジゲジ眉からすっと形の整った眉になっている。今朝慌ててお手入れしたのだろうか。
「まあ一応兵長代理だからここに来るだろ?部下の様子はちゃんと見ないとな」
「………………」
なんだそりゃ。
誰も手を挙げなかったというのに彼女の来訪を待ちわびているとはなんともチグハグな行動だ。とはいうもののどこかそわそわと落ち着かない彼らのことを理解できなくもない。つくづく男という生き物は単純なものだと呆れるばかりだ。
そして日は暮れ……
彼らの浮足立った気持ちも同時に沈んでいた。
「「「なんで来ないんだよぉ!」」」
残念ながらマーシャは本日一度も衛兵の訓練場に足を踏み入れることはなかった。彼らの虚しい叫び声だけが訓練場に響き渡った。




