46.事件
大きく立派ではあるのだが古く少々汚れた印象を与える邸宅の前に馬車が止まる。
馬車から降り邸宅に入っていくのはルシアンである。
「お帰りなさいませ」
そう言って彼に声をかけてくるのは一人の老紳士だ。出迎えは彼以外には誰もいない。それもそのはずこのスラーク侯爵邸には彼含め3人の使用人しかいない。多忙な中迎えの為に仕事中の手を止めさせるなど無駄な時間にしかならない。
「ああ」
「……またユリア様は「じいや」……失礼いたしました」
どこか疲れた様子のルシアンにじいやは声をかけるが、遮られてしまう。
「少し疲れたから部屋で休む」
「承知致しました」
頭を下げるじいやをその場に残し自室に戻ったルシアンはベッドに仰向けに倒れ込む。
「疲れた…………」
身動きすればぎしぎしと鳴るベッド。顔を横に向ければ着古した服が目に入る。
かつては繁栄していたらしいスラーク侯爵家。祖父の代から落ちぶれ今では侯爵家など名ばかり。父親と協力してなんとか家と今いる使用人を手放さないでいられるのを幸運に思うくらいだ。
目を瞑ると先程の麗しい女性マーシャが目に浮かぶ。
彼女自身の美しさは言うまでもないが身に纏うドレスも身に着けているアクセサリーも普段遣いだというのに最高級のものだった。
自分には手が届かぬものばかり。
今の状況から抜け出すには婚姻が一番なのだが生憎婚約は先日亡くなった祖父が自分が幼少の頃に勝手に決めてしまった。しかもどちらかというと貧乏なガーマ男爵家の跡取り娘と。
落ちぶれた侯爵家と金のない男爵家との婚約。特に誰も得しない婚約が成されたのはユリアの祖母がルシアンの祖父の初恋の君だから。
2人は身分差もさることながら亡き祖父の母が自分の親友の娘と結婚させたいと邪魔したからだ。その無念さからか自分の息子を彼女の娘と結婚させたいと望んでいた祖父だったが男爵家に女の子が生まれなかったので叶うことはなかった。
ちなみにルシアンの父は学園で出会った貧乏伯爵家の母と結婚、経済状況は全く良くならなかった。
どいつもこいつも愛に目が眩み、現実をなぜ見ないのか。
はあと息を吐くルシアン。
そもそもこの家が落ちぶれたのには2つの原因がある。
1つ目は祖父の恋愛脳によるものだ。ユリアの祖母が良いと言ったもの、ラブラブな夫婦が営む事業などに次々に投資し全て外れた。
それでも尚愛は偉大、愛、愛、愛と言い続けた祖父は阿呆だったのか、一途というべきだったのか。
いや人々は祖父のことを頑固と言う。
そして父も…………自分もそう呼ばれている。
この頑固さがスラーク侯爵家が落ちぶれた2つ目の原因だ。
元々は代々皇帝の側近を勤めていたのだが口煩く頑固な性格ゆえ煙たがられるようになった。柔軟な考えができず、意見を譲ることができない側近などそりゃあ鬱陶しいだろう。
まして言っていることが綺麗事の理想論であれば。
皇帝は明るい道だけを歩めば良いというものではないのだから。
そして現在父は王宮で文官、自分は近衛兵として働いている。2人共ひらだ。侯爵家出身でひら。泣けてくる。
そして更に先程筆頭貴族であるフライア公爵家のご令嬢を敵に回したかもしれない。いや確実に回した。
だって絶対にユリアに何かする気満々だった。彼女と縁を切れば巻き込まれ事故には遭わないかもしれない。けれど自分の婚約者を見捨てることなどできない。
最低の女だろうと。
男として婚約者として見捨てられない。
「あーーーーーーー!」
むしゃくしゃする。
自分のこの融通の効かなさに。
なんで自分はこんなに頑固なのか。
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数日後久しぶりに王宮に出仕したルシアン。
彼の目にはまたマーシャが映っていた。
ただ先日とは違いその距離は遠い。
現在彼らは近衛兵の訓練場にいた。ズラリと整列した近衛兵たち。ルシアンはそこにちょこんと並んでいる。
そしてマーシャは彼らの前で一心に視線を受ける皇太子の隣に背筋をまっすぐ伸ばし立っていた。
この前は対等に話をしていたがこれが現実なのだ。自分たちの力関係を明確に示す立ち位置にため息が出そうになるのを堪える。
「先日私が襲撃された件だが、君たちにも捜査権及び犯人確保の権利を与える!憲兵と協力し私の前に引き摺り出し惜しくも散った我が忠臣の無念を晴らすのだ!」
皇太子のよく通る声が訓練場に響き渡った後その場はおーっ!という咆哮で満ちる。
私――すなわち皇太子襲撃事件。先日の深夜皇太子の寝室に暗殺者が侵入し彼を守ろうとした侍女や近衛兵が殺害される事件があった。
本来なら警察のような役割をする憲兵が捜査するべきなのだが、今回の事件では近衛兵が殺害されただけでなく皆が信頼する近衛兵長が重傷を負わされた。それに激怒した衛兵たちから犯人探しをしたいと申し出があったのでその許可を出しに皇太子自らお出ましになったというわけだ。
まだ落ち着かない彼らに手を挙げ収まるように指示した皇太子は言葉を続ける。
「近衛兵長が指揮を取れないので、こちらにいるフライア公爵家のマーシャ嬢に近衛兵長の代理を任せることにした!皆マーシャ嬢の指示に従うように!」
その言葉に冷水をかけられたかのように静まり返る場。彼らはマーシャと先頭に並ぶ一人の近衛兵の間で視線を彷徨わせる。
「納得できません!」
一人の近衛兵がビシッと手を上げながら叫んだ。




