44.他の女を追いかける婚約者
ふわふわな一人掛け用のソファ、木製のテーブルから微かに香る自然を感じさせる香り。優雅で落ち着いたピアノの旋律。趣のある落ち着いた大人向けのカフェにマーシャはいた。
「マーシャ!」
「ご機嫌ようルイス」
紅茶を飲んでいたマーシャに駆け寄ってくるのは婚約者のルイス・ゴイル伯爵令息だ。強いて言うならふわふわの柔らかそうな茶色の髪の毛が特徴のフツメンである。
「今日も美しいねマーシャ。君の婚約者になれた僕はなんて幸せ者なんだろう」
「ふふっ」
言葉だけでは何とも言える。
ルイスが来たのでケーキを頼む。その後彼からは何気ない世間話、そしてマーシャを褒め称える言葉が溢れてくる。彼はいつもこうだ。
今この瞬間さえ見れば悪くない婚約者のように思われるだろう。
だが……
あ、ケーキが運ばれてきた。イケメンの兄ちゃんがケーキを乗せた皿を両手に乗せてこちらに向かってくる。
はてさて……
「ちょっと~なんでですか~!ひど~い!」
店内に女性のブリブリとした声が響き渡る。皆視線は向けないが耳はちゃっかり向いている。
「私は~ルシアン様の為を思っているんですよ~!それなのに~ひど~い~~~~!」
なんとも間延びした声を発する女性はピンク頭にピンクの瞳を持ち、これまたリボンがたくさんついたピンク色のフリルまみれのドレスを着ている。
目の前には栗色の髪の毛と瞳を持つ少々強面の男性が座っている。彼女の言葉に困ったようなどこか諦めたような表情をしている。
「もう!帰っちゃうんだから~」
そう言ってガッガッガッと品のない足音を立てながら店を去って行った。一瞬店の中は沈黙に支配されたがすぐにクスクスと笑い声が満ちる。
マーシャもその笑いに乗りたい気分ではあるのだがそうはいかないというもので。
「あ、あー……マーシャ。きゅ、急用ができたから失礼するよ」
「あら、ケーキもちょうど来たところですのに。召し上がっていかれては?」
「申し訳ないが急いでいてね!ケーキは君が食べておいてくれて構わないよ。女性は甘いものが好きだろう?じゃ、じゃあ急ぐから!」
足早に去っていくルイスをマーシャはため息と共に見送る。
「……あ、あの……………こちらのケーキいかがなさいますか?」
テーブルのすぐ近くまで来ていた店員が2人のやりとりを聞いて狼狽えながらも声をかけてくる。
「ああいつまでもお皿を持たせてごめんなさいね。2つともテーブルにお願い。こちらのケーキは美味しくて2つくらいぺろりと食べられちゃうもの」
「フライア公爵家のご令嬢様にお褒めいただき光栄にございます」
失礼いたしますとケーキを置いて去っていく店員を見送り、マーシャは冷めてしまった紅茶に口づける。冷めても美味しい。流石貴族御用達の人気店。
「マーシャ様」
「ご機嫌ようルシアン様」
声をかけてきたのは先程のブリブリ女性の前に座っていた男性――ルシアン・スラーク侯爵令息。スラーク侯爵家の次男坊だ。彼は先程までルイスが座っていた席をちらりと見た後頭を下げる。
「私の婚約者がまたご迷惑をおかけし申し訳ございません」
「気にしていなくてよ。宜しかったらご一緒にいかが?」
ではと腰掛けるルシアン。
こうやって彼と向かい合うのは何度目だろうか。2人が一緒に消えるたびこうして彼と向き合っている。婚約者と過ごす時間より彼と過ごす時間の方が何倍も長い。
注文を聞きに来た店員にコーヒーを頼む彼をぼんやりと眺めながらそんなことを考える。
「マーシャ様?」
「なんでもなくってよ。そういえば最近王宮で見かけないわね」
彼は皇太子直属の近衛兵。
「最近少し忙しいものでして、お休みをいただいております」
「お家も婚約者も?」
マーシャの耳にコーヒーをゴクリと飲み込む音が聞こえる。カップから口を離したルシアンは困ったような笑みを浮かべるが肯定も否定もしない。大人な対応だ。
「害しか得られないものは切り捨ててしまえば宜しいのでは?」
「亡き祖父の想いを切り捨てることはできません」
「そう」
彼の祖父であり婚約を決めたスラーク侯爵が先日亡くなった。跡を継ぐのは父親だが代替わりということでドタバタと忙しい時期だろう。にも関わらず婚約者のピンク頭――ユリア・ガーマ男爵令嬢は頻繁に彼を呼び出す。
そのくせ先程のようにすぐに機嫌を損ねたフリしてすぐに帰る。
そして彼女の退席後いつも席を立つのがマーシャの婚約者のルイスだ。
ルイスはなぜ立つのか?
ユリアを追いかけ慰め彼女との仲を深めるため。
ユリアはなぜそんなフリを?
マーシャより自分の方が優先されるのが嬉しいから。
2人は幼なじみという間柄にして、ユリアはルイスの初恋の女性。今なお思い続ける人。
ルイスはユリアに婚約の申し入れをしたものの親の反対で2人の縁は途切れた。しかしマーシャと婚約後どこぞのパーティーで再会したのをきっかけに再び繋がった。
なぜわかるか?
ユリアが態度であからさまに喧嘩を売ってくるからだ。
ルイスが追いかけてくるのをわかっているユリアは先程もあえてマーシャの側をゆっくりと通り、口角を上げながら見下ろしてきた。
その様の醜いこと醜いこと。鏡を持って見せてやりたいほどだ。調子づく彼女だが沈黙がいつまでも続くと思っているのだろうか。目の前のルシアンもそう思っているのなら舐められたものだ。
「ねえルシアン様、あなたの婚約者が誰に喧嘩を売っているのかご存知?」
その言葉にルシアンの動きが止まる。
「私器が小さいの。このまま何もなかったことにはできなくってよ?」
「それは……」
テーブルの上に置いてある手がじんわりと湿ってくるのを感じるルシアン。
「一時的なものであれば多少は目を瞑ろうかと思ったけれど、今後も続いていきそうだし……私もそろそろ動こうと思っておりますの」
「……彼女に身を引くように説得しますのでお待ちいただけませんか?」
「身を引けば済む話だと?私に対する無礼がなかったことになると?」
その言葉に目を彷徨わせるルシアン。必死に言葉を探しているのだろう。
「……もちろんなかったことにはなりません。しかしマーシャ様とてルイス殿を諌めなかった為このような事態になっているのではないでしょうか?」
フライア公爵家が動けば2人を切り離すことなど容易いはず。今も2人がこのような愚行を犯せるのはマーシャが放置しているからに他ならない。
緊張した面持ちのルシアンから視線を逸らしケーキを一口頬張る。あらおいしい。リリベルとキャシーに買っていってあげようかしら。店員を呼び、持ち帰り用のケーキを頼む。
その間もルシアンは顔を強張らせたまま一心にマーシャを見つめている。その視線にゆるりと口元に笑みを浮かべたマーシャは口を開く。
「確かに一理あるけれど……でも婚約維持するべく努力を私がしなくてはならないの?大切に扱わない相手に私が配慮しなくてはならないの?利を得るものが努力する。貴族の婚約とはそのようなものでしょう?」
「私はそうは思いません。せっかくの御縁です。損得など関係なしに良好な関係を保つ努力を相互がするべきだと思います」
「相手が同じ考えであれば成り立つ理想論ね。少なくともあなたとユリアさんとの間では成り立たなそうだけど」
ぐっと言葉に詰まってしまったルシアンから視線を外し席を立つ。そのまま店の外に足を向けるマーシャは彼に気づかれぬようそっと俯きがちとなった顔を盗み見る。
マーシャをこっそり見ていた人々は固まった。
その美しい顔に浮かぶは
――うっとりとした恍惚の表情だった。




