第4話
(た、たのむ……早く授業終わってくれ……!!)
心の中でひたすらお経を唱え、ようやく鳴り響くチャイムの音。
俺は脱力した身体を机に預け、膝の上からそっとフィリアさんをどかそうとした。
「ふにゃ〜……もぉ、チャイムなんて無視していいのにぃ……」
「授業は終わったんだから下りてくれ!!」
なんとか抵抗して、膝の上から“透明な存在”を追い払う。やっと解放された――と思った矢先だった。
「ハルくん、どうしたの? 顔色悪いよ。調子悪いなら、私が保健室連れていこうか?」
声をかけてきたのは、最近よく話すようになったクラスメイトの女子――ユナだった。
優しくて気配りができて、男子からも女子からも好かれてるタイプ。
「いや、大丈夫だから! ほんとに大丈夫!」
慌てて手を振ったその瞬間。
窓から突風が吹き込み、ユナのスカートがふわりと舞い上がった。
「きゃあっ! み、見ないでハルくんっ!」
顔を真っ赤にして、ユナは教室を飛び出していった。
(え、いまの風……偶然? いや、まさか……)
視線を感じて振り返ると。
そこには、透明化を解除したフィリアさんがにっこりと立っていた。
だが、その笑顔は明らかにひび割れていた。
「ねぇハル……あの子、誰? ずいぶんと仲良さそうだったよね? ハルは優しいから誰にでも笑いかけちゃうのは分かるけど……」
「ちょ、フィリアさん落ち着いて!」
「ハルが見つめていいのは……私だけ、だよね?」
その瞬間、黒板に“ドシュッ”という鋭い音が響いた。
見ると、チョークが一本――黒板の中央に深々と突き刺さっていた。
「フィリアさん!? 学校で魔法使わないで!!」
「だって……私、ちょっとだけヤキモチ焼いちゃったんだもん……♥」
(さっきのが"ちょっとだけ"……!?)
心の中でツッコミが追いつかない。
が、それ以上に驚愕すべき事態が、静かに幕を開けていた。
(あれ……そういえば、フィリアさんの透明魔法、解けてる……?)
戸惑いを抱えたまま、隣の席の男子――田中が俺に話しかけてきた。
「ハルって、最近フィリアちゃんと仲いいよな〜。いつも一緒で、ちょっと羨ましいぜ」
「……え、フィリア“ちゃん”?」
思わず聞き返す。
昨日までこの教室に存在していなかったはずの名前。それなのに、周囲の反応はまるで自然だった。
「そうそう、フィリアちゃんって可愛いしね」
「放課後もハルの近くにいること多くない?」
「二人って付き合ってるの?」
クラス中から飛び交う言葉に、俺は固まった。
(いやいやいや!? フィリアさんは“昨日”帰ってきたばっかりだぞ!? この学校の誰も知らない存在のはずだろ!?)
頭が混乱するなか、俺の肩にふわっと手が触れた。
振り返ると――なぜか“制服姿のフィリアさん”が、耳元で甘く囁いてくる。
「ふふっ、みんなにはね、私が“クラスのアイドル・フィリアちゃん”に見えるように、催眠魔法をかけておいたの。これで、堂々とハルと一緒にいられるね♥」
にこっ。
まるで小動物のような無垢な笑顔。
……だが、その裏に潜むのは。
倫理も常識も超えてくる“愛の暴走”だった。
(いやいやいやいやいや!? 催眠って、それもう完全に犯罪だろ!!)
俺の日常は、音もなく“非日常”へと書き換えられていく。
――家だけじゃなく、学校まで外堀を埋められちまった。
◆
夕暮れの教室には、もう誰の姿もなかった。
西日が差し込む窓際で、俺は机に手をつき、俯いていた。
フィリアさんは、俺のすぐそばに立っている。
制服姿のまま、無邪気な笑みを浮かべて――だがその笑顔すら、今の俺には恐ろしかった。
魔法で周囲を洗脳し、日常を作り替え、俺の世界を勝手に塗り替えていく。
まるで、この教室も、この空間ごと彼女に飲み込まれていくような錯覚に陥っていた。
そしてついに――
「ねぇ、フィリアさん」
俺にも我慢の限界が来た。




