第2話
フィリアさんが帰ってきてから、たぶん三十分くらい経った。
ぎゅうぎゅうに密着されたまま部屋中をうろつかれたり、唐突にペンダントの話題を出して号泣されたりと、俺の心はすでに数回限界を迎えている。
「どうして私のペンダント、してないのぉ!? ぐすっ、あんなに大事にって言ったのにぃ……」
「いやいやいや、フィリアさん、あのとき“失くしても構わぬから”って笑ってたでしょ!? 『今生の別れの記念に』とか言ってたし!」
「それはっ、強がりに決まってるでしょぉ!? ほんとは……すっごくすっごく寂しかったのに……!」
「えぇぇ……」
「重かったの!? ねぇ、そういう重い女、嫌いなの!? もうダメ……うわああああん!!」
しゃくり上げながら俺に抱きついてくるフィリアさんを、俺はただのしかかる勢いで受け止めるしかなかった。
いやほんと無理、物理的にも精神的にも限界きてる。
俺の記憶の中にあった“誇り高き威厳の魔女”の面影は、もう1ミリも残ってない。
そんな中で、俺はようやく思考を立て直し、なんとか話を切り出すことにした。
「あの、フィリアさん。そろそろ、帰ったほうがいいんじゃ……?」
ふと、十年前の彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
──「門限は守れ。夕方には帰れ」
俺が子どもだった頃、何度もそう言われて帰された。
ちょっとでも粘ると、「甘えるな。帰れ」とスパッと斬り捨ててきたあの冷たい声。
だから今回も、その流れで「それではまた」って感じで立ち去ると思っていた。
だが――
「やだっ!」
ぷくっと頬を膨らませたフィリアさんが、俺の腕にぎゅっと抱きついてくる。
「今日は泊まるもん! ね、いいでしょ? お願い♡」
上目遣いと甘え声のコンボに、俺の理性はクリティカルダメージを受けた。
「そもそも修行に出るときに家は手放したし?」
「……え?」
「だからずーっと一緒だよ?」
まるで『今日の天気は晴れです』くらいの軽さで、さらっと重大発言をしてのける彼女。
(マジでどうしちゃったんだこの人……)
思わず頭を抱えた、まさにそのタイミングで、玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー……あら?」
顔を覗かせたのは、俺の母さんだった。
「フィリアちゃんじゃない。久しぶりねえ! 大きく……はなってないわね? 相変わらずお人形さんみたい」
「あら、お母さま。百年ぶりにお会いできて光栄です〜!」
「百……え?」
一瞬時が止まるも、母さんはすぐにふっと微笑んで、「ま、いいわ。今日は泊まっていきなさいな。なんなら、いくらでもウチにいてちょうだい」と軽やかに受け流した。
(マジかよ……泊まり、確定コース!?)
俺は思わず心の中で悲鳴を上げた。状況が状況すぎて、拒否の選択肢が完全に消滅している。
「えへへ、一緒に居れるねハル♡」
◆
夕食後、俺は風呂へと逃げ込んだ。
母さんとフィリアさんは、食卓で懐かしい思い出話に花を咲かせていた。俺もそこにいたはずなのに、何を食べたのかひとつも記憶にない。あまりの情報量と精神的ダメージに、脳が強制シャットダウンしていた。
湯船に肩まで浸かりながら、俺は改めて今日の出来事を振り返る。
(……何があったんだ、あの人……昔はもっとクールで、距離感バグってなかったはず……)
“誇り高き魔女”のようだった記憶の中のフィリアさんが、今や誘惑するサキュバスと化している。
そんな思考も、次の瞬間には吹き飛んだ。
ガラッと扉が開く。
「……っ!?」
目に飛び込んできたのは、タオルすら巻かずに堂々と全裸で立つフィリアさんだった。
「フィリアさん!? ちょ、なに裸で入ってきてんの!? 服! というかせめてタオルぅうう!」
「なに照れてるの、ハル?」
平然とした顔で湯気の中にすたすた入ってくる。
十年前のフィリアさんは、「誇り高きエルフは肌を晒さぬ。幼きお主とて例外ではない」と言い、絶対にローブを脱がなかった。
そんな彼女が、今は俺の正面にノーガードで立っている。
「ハルも大人になったんだね……」
しみじみとした口調で、じっと見つめてくるその視線。
――完全に下半身に向かってる。
「立派だぁ……♡」
いや、やめて!? ヨダレ垂らしそうになりながら言うセリフじゃないでしょそれ!?
さらに耳がピクピク震え、頬もほんのり紅潮。
(これ……あかんやつだ!)
「うおおおおおお!!」
俺は何もかもを放り出して、全力で風呂から脱走した。
タオルも巻かず、心の余裕も置き去りにして、風のように自室へと戻る。
そしてその数分後――
「ねぇハルも一緒にこっちで寝ようよぉ♡」
当然のような顔でフィリアさんが俺のベッドに滑り込んできた。




