第1話
5話で完結の予定です。
軽い気持ちで楽しんでいただけると嬉しいです!
幼いころ、俺の家族だけが知る秘密があった。
お隣の家に、美人な“エルフ”が住んでいた。
「――異空間魔法が完成した。そこで百年、修行してくる」
庭の真ん中に立つ銀髪のエルフが、きっぱりとそう言い放った。
長い耳。透き通るような肌。深い碧の瞳に、冷たい湖のような静けさが宿っていた。
それが、俺――結城ハルが六歳のときに見た、フィリアさんの最後の姿だった。
「寂しいか? だが安心せい。異空間での百年は、こちらでいう十年。あっという間じゃ」
キリッとした口調で言い切るフィリアさんに、俺はブンブン首を振って、わんわん泣いた。
あの頃はまだ、彼女の言ってることの意味なんて、ほとんど理解してなかった。ただ、近所のお姉ちゃん――ちょっと怖くて、でもいつも助けてくれる存在がいなくなるのが、どうしようもなく寂しかった。
「十年でも長い? ふふ、短命な人間の価値観じゃな。千年を生きる長命種である妾には、わからぬ感覚じゃ」
フィリアさんは小さく笑って、ひざまずくと俺の首に細い銀のチェーンをかけてくれた。
青い宝石が埋め込まれたペンダントだ。
「エルフ一族に伝わるには伝わるが、まあ妾にはあまり似合わんしの。今生の別れになるかもしれぬ友に渡すくらいは許されよう。……失くしても構わぬから、気楽に受け取るがよい」
最後に頭をポン、と撫でられた瞬間、俺の中の堤防が決壊して、もう涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
「ではそろそろ行くぞ。十年後、立派な男になっておれ」
そう言って、フィリアさんは異空間へのゲートへと消えていった。
あれから十年。
俺は今、十六歳の高校生になった。
……で。
俺は、学校帰りに最近仲良くなった女友達と、コンビニでアイスを買って笑いながら帰ってきた。完全に、あの約束のことなんて忘れてた。十年も経てば、記憶なんて都合よく薄れていくもんだ。
「また明日ねー」
そう手を振って別れ、玄関のドアを開け、靴を脱いで、何気なく部屋のドアを開けた――その瞬間だった。
……ゴォオ……という、耳をくすぐるような低音の風。
部屋の空気が、明らかに違う。
目の前。俺の机の上に――いや、正確にはその上空に、ぐるぐると魔法陣が展開していた。
「……え?」
間抜けな声が口から漏れた。
天井まで伸びる、楕円形の歪んだゲート。青白い光が編まれるように絡み合い、小さな雷光がその輪郭を撫でている。
まるで異世界に繋がる出入り口そのもの。
そして、俺はようやく思い出したわけだ。
「あっ……フィリアさん……?」
十年前。異空間で百年修行してくる、と言って消えたエルフの幼馴染。
当時は近所のお姉ちゃんって感覚だったけど、今思い返すと、あの人、めちゃくちゃ怖かった。
俺が木に登って怒られたときなんて、リアルに雷魔法落としてきたし。
これは……ヤバい。
十年ぶりの帰還。迎える準備もせず、ペンダントも机の引き出しの中。
立派な男になってろ、とか言われてたけど……俺、いまだに童貞だし。
ごくり、と喉が鳴る。
思わず部屋の床で正座モードに突入し、すぐさま背筋を伸ばした。
反省の構え万全。あとは躾けられた犬のように罰を受けるだけ――だった。
そして。
ゲートから姿を現したフィリアさんは。
「ハルぅ〜〜っ! 会いたかったぁ! やっとやっと会えたぁ〜〜!!」
即・抱きついてきた。
(え? だ、誰だこの人……????)
柔らかい体が勢いよく飛び込んできて、俺の腕の中にすっぽり収まる。
細いのに、体温が高くて、妙に心臓に悪い。
目の前が、白銀の髪とふわふわのローブでいっぱいになる。
「あ、あの、もしかしてフィリアさん……? ちょ、距離、近……ていうか、重っ……ていうか!?」
「もぉ〜〜〜! 百年ぶりのハルの匂い、最高ぉ〜〜〜〜!!」
そう叫ぶやいなや、フィリアさんは俺の頭をぐいっと抱え込み、髪の根元に顔をうずめて思いっきり吸い込んだ。
「すぅぅぅぅぅ〜〜〜〜っ、はぁっ、はぁっ……ふひっ……これこれ、これなのぉ……この匂い……ああ……たまんないっ……♡」
鼻息が熱い。ていうか荒い。
俺の頭に顔を埋めて悦に浸るその姿、完全に通報される系のやつじゃん……!」
声も、口調も、仕草も、全部が別人。
あの老成した魔女然とした威厳は、まるでなかった。
猫みたいに俺の胸元にすりすりしてきて、耳元で「にゃ〜ん♡」とか甘え声で囁いてくる始末。
「……だ、誰だお前……!?」
俺の口から出た言葉は、それしかなかった。




