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第70話:王宮科学捜査局の設立

 国家転覆の危機から一ヶ月。

 ルミナス王国の王宮大広間は、かつてないほどの緊張感と、厳粛な空気に包まれていた。


 玉座には、病床から完全に復帰した国王アルフレッド。

 その前には、数百人の高位貴族たちが整列している。

 かつては「魔力こそが絶対」と驕り高ぶっていた彼らだが、今は違う。洗脳騒動での失態と、科学という未知の力に救われた事実を噛み締め、皆一様に神妙な面持ちをしていた。


「――者共、おもてを上げよ」


 国王の厳かな声が響く。

 レッドカーペットの上、玉座の最前列に進み出たのは四人の英雄たちだ。

 第二王子レオンハルト。

 ヴァレンタイン公爵令嬢スカーレット。

 そして、平民出身のガラス職人テオと、元暗殺者の侍女レイブン。


 身分も立場もバラバラなこの四人が、国を救ったのだ。


「そなたらの働きにより、王家の血統は守られ、私の名誉は傷つけられずに済んだ。……そして何より、この国を覆っていた『見えざる毒』が祓われた」


 国王は玉座から立ち上がり、深く頭を下げた。


「礼を言う。ルミナスの王として、そして一人の人間として」


 どよめきが走る。王が臣下に頭を下げるなど前代未聞だ。だが、誰もそれを咎める者はいなかった。それほどの偉業だったのだ。


「さて。救国の英雄たちよ、褒美を取らす」


 王は鷹揚に腕を広げた。


「望むものを申せ。爵位か? 領地か? それとも一生遊んで暮らせるほどの報奨金か? 余にできることなら何でも叶えよう」


 貴族たちが固唾を飲んで見守る。

 王族であるレオンハルトはともかく、スカーレットたちが何を望むのか。莫大な富か、さらなる権力か。


 だが、スカーレットは優雅に一歩前に出ると、ドレスの裾を摘んでカーテシーを行った。

 その腰には、煌びやかな宝石ではなく、使い込まれた革製の「鑑識ポーチ」が揺れている。


「過分なお言葉、感謝いたします陛下。……では、お言葉に甘えまして」


 彼女は懐から、辞書のように分厚い書類の束を取り出した。

 ドサッ、と重い音が絨毯の上でも響く。


「個人的な名誉や金銭は不要です。代わりに、こちらの『組織改革案』をご裁可願います」

「……ほう?」


 侍従がよろめきながら書類を受け取り、王へと渡す。

 スカーレットは眼鏡の位置を直し、淀みなく告げた。


「第一に。王宮警察特別捜査局第零班を、独立採算の省庁――『王立科学捜査局(CSI)』へ昇格させていただきたい」

「CSI……?」

「第二に。同局に対し、既存の魔法警察および近衛騎士団と同等以上の『捜査権』および『逮捕権』を付与すること。魔力反応の有無に関わらず、独自の判断で捜査を行う権限を保証していただきます」


 会場がざわめく。

 それは、これまで「ゴミ捨て場」と蔑まれていた窓際部署を、国の司法の中枢に据えるという大胆な提案だった。魔法省の権益を真っ向から削ぎ落とす行為だ。


 だが、スカーレットは止まらない。


「そして第三。これが最も重要です」


 彼女は会場全体を見回し、凛とした声で宣言した。


「今後発生する全ての変死体に対し、『司法解剖』を義務化していただきたい」


 その瞬間、貴族たちから悲鳴に近い反対の声が上がった。


「なっ……解剖だと!?」

「死者を切り刻むなど、女神への冒涜だ!」

「野蛮極まりない! そのような行為を法制化するなど、倫理に反する!」


 この世界において、遺体は神聖なものだ。魂の抜け殻とはいえ、刃物を入れることは忌避される。それが常識であり、宗教観だった。

 保守派の老貴族が顔を真っ赤にして叫ぶ。


「英雄気取りもそこまでになされよ! 死者の安寧を乱す権利など、誰にもないのだ!」


 罵声の嵐。

 だが、スカーレットは眉一つ動かさなかった。

 彼女はゆっくりと振り返り、老貴族を射抜くように見つめた。その瞳にあるのは、絶対的な信念だ。


「野蛮? ……そうでしょうか」


 静かな、しかしよく通る声。


「死因も分からずに埋葬し、毒殺や病死の区別もつけず、殺人犯を野放しにすることこそ……死者への最大の冒涜ではありませんか?」

「ぐっ……」

「死者はもう喋りません。痛いとも、悔しいとも言えない。私のメスは、彼らが最後に遺した『無念』という言葉を聞くための耳です。それを否定するなら……」


 スカーレットは冷徹に言い放った。


「貴方ご自身が殺された時も、犯人不明のまま闇に葬られることを覚悟なさい」


 老貴族は口をパクパクさせ、黙り込んだ。

 誰も反論できなかった。

 今回の事件で、魔導卿が「病死」として処理されかけた恐怖を、彼らは身を持って知っているからだ。


 沈黙を破ったのは、王の笑い声だった。


「……くくっ、はははは!」


 アルフレッド国王は、愉快そうに膝を叩いた。


「見事だ。……古い因習に囚われていたのは、我々の方だったな」


 王は立ち上がり、高らかに宣言する。


「良かろう! これからは『証拠』こそが正義である。魔法も権力も、真実の前には平伏すべきだ」

「陛下……!」

「王立科学捜査局の設立を認める。初代局長は、スカーレット・ヴァレンタイン公爵令嬢に任ずる! ……存分に暴れよ、真実の探求者たち!」


 万雷の拍手が巻き起こる。

 それは、魔法王国ルミナスが、科学という新しい光を受け入れた歴史的な瞬間だった。


          ◇


 数日後。

 王宮の北棟地下、かつての「第零班」の拠点。

 場所こそ同じ薄暗い地下だが、その内装は劇的な変貌ビフォーアフターを遂げていた。


「……これが、俺たちのラボか?」


 視察に訪れたレオンハルトが、目を丸くして立ち尽くす。

 陰気な石壁は真っ白な防塵素材で覆われ、天井には最新鋭の「魔導換気システム」が設置されている。空気は地上の庭園よりも清浄で、薬品の刺激臭も適切に排気されていた。


「ようこそ、新・科学捜査局へ」


 真新しい白衣――局長を示す金色の刺繍が入った特注品――を羽織ったスカーレットが、誇らしげに腕を広げた。


設備投資ごほうびのおかげで、理想的な環境が整いました」


 彼女が案内する先には、夢のような機材が並んでいる。

 最高級の風魔法フィルターを完備した「無菌室クリーンルーム」。

 スカーレットの理論を元に、宮廷魔導師たちが総出で開発した「DNA解析機(魔導シーケンサー)」。

 そして、部屋の奥にはガラス張りの広い区画が増設されていた。


『王宮筆頭硝子技師 テオ・アームストロング工房』。


 立派な真鍮のプレートが掲げられたその場所で、テオが真剣な表情でバーナーを操っている。


「すごいですよ局長! 火力が安定していて、これならどんな複雑な冷却管でも作れます!」

「ええ、頼りにしていますよ、技師長」


 さらに、警備主任となったレイブンが、新入りの警備兵たちに指導を行っている。彼女の腰には、最新の捕縛用魔道具が装備されていた。


 フロアには、数十人の若者たちが行き交っていた。

 魔法学園の優秀な卒業生、現場からの叩き上げの騎士、あるいはスカーレットの噂を聞きつけて集まった変わり者の研究者たち。

 かつて「ゴミ拾い」と蔑まれた場所は、今や「真実を暴く最先端の聖地」として、若き才能たちの熱気に満ちていた。


「皆、注目!」


 スカーレットが手を叩くと、職員たちが一斉に作業を止め、整列した。

 彼女は全員を見渡し、訓示を垂れる。


「ようこそ、科学捜査局へ。……ここでは家柄も、魔力量も関係ありません」


 彼女は一本のピンセットを掲げた。


「必要なのは、これ一本と、常識を疑う『曇りなき眼』だけです」

「魔法は便利ですが、万能ではありません。我々の仕事は、魔法という霧を晴らし、事実という地面を固めること。……被害者の無念を、科学で翻訳することです」


 職員たちが、力強く頷く。その目には、新しい時代を切り拓く者特有の輝きがあった。


「さあ、仕事にかかりましょう。今日も王都には、解剖されるのを待っている謎が溢れていますから」

「「「はい、局長!!」」」


 一斉に敬礼し、散らばっていく部下たち。

 その様子を、執務エリアのソファに深々と座ったレオンハルトが、紅茶を飲みながら眺めていた。


「……立派になったな、俺たちの城も」

「ええ。ですが、これはまだ第一歩です。ゆくゆくは全国に支部を作り、DNAデータベースを……」

「それはまだ早いと言っただろう」


 レオンハルトは苦笑し、カップを置いた。

 彼は立ち上がり、スカーレットの隣に並ぶ。

 副局長――いや、この局の最大の後ろ盾であり、最強の執行官。


「だが、悪くない景色だ。……退屈しなさそうだな」

「退屈? あり得ませんよ」


 スカーレットは、意味深な視線をレオンハルトに向けた。


「それに殿下。……まだ一つだけ、重要な『未解決案件』が残っていますしね」

「……ん?」

「お忘れですか? 私と貴方の間の、契約更新の話です」


 レオンハルトは一瞬きょとんとして――すぐに、耳まで赤くした。

 そうだった。

 国の問題は片付いたが、二人の関係にはまだ、明確な「名前」がついていない。


「……ああ。そうだったな」


 彼は咳払いをして、真剣な顔でスカーレットに向き直った。


「その件についてだ。……今夜、星見のテラスに来てくれ。二人だけで、今後の『運営方針』について話し合いたい」

「了解しました」


 スカーレットは、小さく微笑んだ。

 その笑顔は、どんな難事件を解いた時よりも、柔らかく、人間味に溢れていた。


 科学捜査局の設立。

 それはゴールではない。

 二人の、そしてこの国の新しい物語の、始まりの日に過ぎなかった。

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