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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第2章:科学による反証とざまぁ

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第7話:論理的帰結としての婚約破棄

 巨大な幻灯機プロジェクターの光が消えた。

 壁に映し出されていた「汚れた爪と繊維」の映像が消失し、大講堂に再び重苦しい現実が戻ってくる。


 その中心で、ミエルは床にへたり込んでいた。

 ガタガタと震え、焦点の合わない目で虚空を見つめている。


「ち、違うの……。私はただ……愛されたくて……」


 整った顔立ちも、今は崩れた化粧と脂汗で見る影もない。そこには「可憐な悲劇のヒロイン」の面影はなく、嘘が露見して追い詰められた、ただの哀れな詐欺師の姿があった。


 会場の空気が、急速に冷却されていく。

 スカーレットは周囲の貴族たちの顔を見渡し、冷静に分析した。


(ミエルの精神干渉フェロモンが途切れたわね。客観的事実というショック療法が、脳内物質のバランスを正常値に戻したようだわ)


 魔法による熱狂から覚めた貴族たちは、掌を返したようにミエルを糾弾し始めた。


「なんてことだ……我々は騙されていたのか」

「自作自演で公爵令嬢を陥れようとするなんて、恥を知りなさい!」

「王家を欺いた罪は重いぞ!」


 罵声の嵐。さっきまでミエルを擁護し、スカーレットを悪女と罵っていた口が、今は正反対の言葉を吐き出している。

 集団心理の浅ましさに呆れつつ、スカーレットはその光景さえも実験データの一部として冷ややかに記録していた。


 だが、まだ一人だけ、現実を受け入れられない男がいた。


「だ、だからどうした!」


 孤立無援となったブラッドリー王子が、血走った目で吠えた。

 彼はミエルを庇うように立ち塞がり、スカーレットを睨みつける。


「ミエルが嘘をついたとしても、それは彼女が私を愛するあまりの暴走だ! 愛ゆえの過ちを、誰が責められると言うんだ!」

「……はあ」


 スカーレットは、心底うんざりしたように溜息をついた。

 論理の階段を登れない相手との会話は、彼女にとって苦痛でしかない。


「それに比べて貴様はどうだ、スカーレット! 先ほどから淡々と実験だの検証だのと……。婚約者が浮気をしたかもしれないというのに、涙ひとつ流さんのか!」

「泣いて事態が好転するなら泣きますが、水分と塩分の無駄遣いですので」

「それだ! その冷酷さこそが、私が貴様を嫌う理由だ!」


 ブラッドリーは唾を飛ばして叫ぶ。


「魔力も低い! 愛嬌もない! 可愛げのかけらもない鉄仮面! そんな女は王太子妃にふさわしくない! 私はミエルのような、温かい心を持った女性と添い遂げたいのだ!」


 事実(冤罪)での勝負を捨て、人格攻撃アド・ホミネムに切り替えた王子。

 それは敗北者の遠吠えに過ぎないが、感情論を好む一部の観衆には響くかもしれない。

 しかし、スカーレットは眼鏡の位置を中指で直し、まるで駄々っ子を諭す教師のような口調で言った。


「……議論のすり替えですね。冤罪の証明が終わった途端、好みの女性のタイプのお話ですか? 随分と議題が飛びますこと」

「なっ、何だと!?」

「ですが、同意します」


 スカーレットは頷いた。


「私も、貴方との婚約継続は『リスクがリターンを上回る』と判断しました」


 彼女は懐から、分厚い羊皮紙の束を取り出した。

 事前に作成し、推敲を重ね、弁護士の確認まで済ませておいた書類だ。


「な、なんだそれは。……詫び状か?」

「いいえ。『請求書』です」


 スカーレットは一番上の紙をめくり、早口で読み上げ始めた。


「一、名誉毀損によるヴァレンタイン公爵家のブランド毀損、および私個人の精神的苦痛への慰謝料」

「一、正当な理由なき婚約破棄に伴う違約金。これは王家との契約条項第5条に基づき、結納金の三倍を請求します」

「一、本日の会場使用料の延長分、給仕たちの超過勤務手当、および私が使用した試薬(ルミノール等)の実費」


 淡々と並べられる数字の羅列に、ブラッドリーが目を白黒させる。

 ロマンチックな愛の逃避行を演じていた場に、あまりに現実的な「金」の話が持ち込まれたからだ。


「そして最後に、私の貴重な研究時間を奪ったことに対する『コンサルティング料(時給)』です。私の時間は高額ですよ?」

「き、貴様……この期に及んで金の話か!? 守銭奴め!」

「金の話ではありません。『信用』の話です、殿下」


 スカーレットは書類を束ね、バサリと音を立てて王子の胸に押し付けた。

 そして、会場全体に聞こえる凛とした声で断罪する。


「愛だの恋だので国は動きません。貴方は、確たる証拠もないまま一人の令嬢の嘘を信じ込み、公の場で筆頭公爵家を敵に回しました」

「う……」

「それは為政者として致命的な『情報リテラシーの欠如』であり、国家運営における『危機管理能力の欠落』です」


 ぐうの音も出ない正論。

 周囲の貴族たちも、青ざめた顔で頷いている。

 もしブラッドリーが王になれば、彼はまた同じようにハニートラップに引っかかり、国を傾けるだろう。その未来を、スカーレットは「証明」してしまったのだ。


「無能な上司ほど、現場にとって迷惑なものはありません。貴方は私の人生における最大のリスク要因バグです」


 スカーレットは冷徹に告げた。


「よって、こちらの婚約破棄、喜んで受理アクセプトいたします」


 ブラッドリーは膝から崩れ落ちた。

 愛も、名誉も、そして王としての資質さえも否定され、彼に残ったのは莫大な請求書と、嘘つきな恋人だけだった。


「以後は我が家の顧問弁護士を通してご連絡を。……ああ、王位継承権の維持についても、優秀な弁護士が必要になるでしょうね。ご健闘をお祈りします」


 スカーレットはスカートの裾を摘み、完璧なカーテシー(最敬礼)を行った。

 その所作は洗練されており、一分の隙もない。

 顔を上げた彼女の唇には、憑き物が落ちたような清々しい笑顔――ではなく、難解なパズルを解き終えた時の、不敵な笑みが浮かんでいた。


「ごきげんよう、元・婚約者様。その『嘘つきな運命の相手』と、実験データの取れない愛でも育んでください」


 スカーレットは踵を返し、颯爽と出口へ向かって歩き出した。

 モーゼの十戒のように、貴族たちが左右に道を開ける。

 誰も彼女に声をかけられない。

 魔法を使わず、言葉と論理だけで王太子の権威を粉砕した「悪役令嬢」に対して、畏怖と、ある種の尊敬を抱かずにはいられなかったからだ。


「ま、待て! スカーレット!」


 背後でブラッドリーが何かを叫んでいる。

 さらに遠くからは、騒ぎを聞きつけた国王陛下が近衛兵を率いて乱入してくる怒号が聞こえた。

 「馬鹿者が! 何をしたか分かっているのか!」という王の怒鳴り声と共に、ブラッドリーとミエルが拘束される気配がする。


 だが、スカーレットにはもう関係のないことだ。

 彼女は重厚な大扉を開け、夜風を吸い込んだ。


「……あー、せいせいした」


 彼女はゴム手袋を外し、夜空に向かって伸びをした。


「これで心置きなく、カビの観察と解剖ができるわ」


 月明かりの下、稀代の法科学者スカーレット・ヴァレンタインは、自由への第一歩を踏み出した。

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