第62話:深夜の墓所侵入ミッション
午前二時。
王宮の地下四階と五階の狭間には、迷路のように張り巡らされた排気ダクトが存在する。
普段はネズミしか通らないその狭い空間を、二つの黒い影が這い進んでいた。
全身を黒ずくめの服で覆い、顔にはガスマスク。
どう見ても不審者かテロリストだが、中身はこの国の第二王子と、筆頭公爵令嬢である。
「……狭い。肩が引っかかる」
先行するレオンハルトが、マスク越しにくぐもった声で文句を言う。
彼の恵まれた体格にとって、この狭さは拷問に近い。
「我慢してください、殿下。正面から突入すれば、数百人の騎士団を相手にすることになります。ここなら警備結界の裏をかけますから」
後ろを這うスカーレットは、冷静に指示を出す。
彼女の手足には、分厚いゴム製のパッドが巻き付けられていた。
「音を立てないでくださいね。音波は空気や固体を伝わる振動エネルギーです。そのゴムが振動を吸収し、足音を消してくれます」
「……お前の装備は、いつも実用的すぎて色気がないな」
「隠密行動に色気を求めるのは、三流のスパイ映画だけですよ」
二人は匍匐前進で進み、やがて目的の場所――地下五階の空調吹き出し口へと到達した。
格子の隙間から、下を覗き込む。
そこは、石造りの冷たい回廊だった。
壁には松明が燃え、揺らめく炎が、入り口を守る衛兵たちの影を長く伸ばしている。
「……いたぞ」
レオンハルトの目が鋭くなる。
重厚な扉の前には、六名の近衛騎士が抜身の剣を持って立っていた。
彼らの鎧には、レオンハルトがよく知る紋章が刻まれている。
「近衛騎士団・第三部隊。……俺が直接剣を教え、最も信頼していた連中だ」
だが、今の彼らにかつての面影はない。
瞳はガラス玉のように虚ろで、口元には気味の悪い薄ら笑いが張り付いている。ミエルのフェロモンによって思考を塗り潰された、幸福な操り人形たち。
「彼らは今、正義感と愛国心でここに立っています。……俺たちを、国を害する『逆賊』だと信じてな」
「殺せませんね」
「ああ。だが、眠らせることはできる」
レオンハルトは腰のベルトから、スカーレットに渡された茶色の小瓶を抜き取った。
そして、自分の剣の鞘を確認する。
「行くぞ。……手荒くいく」
◇
レオンハルトが格子の留め具を外し、音もなく床へと降り立った。
スカーレットもそれに続く。
着地と同時、騎士の一人が気配に気づいて振り返った。
「――ッ!? 貴様は、レオンハルト!」
叫び声と共に、殺気が爆発する。
「逆賊だ! 出会え! カイ様のために、この裏切り者を殺せ!」
「……うるさい」
レオンハルトは低く呟き、床を蹴った。
速い。
騎士が剣を振り上げるよりも早く、懐に潜り込む。
ドォン!
鈍い音が響いた。
レオンハルトは剣を抜いていない。鞘に収めたままの剣柄を、騎士の鳩尾に深々と叩き込んだのだ。
「が、はっ……」
空気を吐き出し、前のめりに倒れる騎士。
レオンハルトはその体を支え、布に染み込ませた薬品――高濃度クロロホルムを口元に押し当てた。
「すまない。……いい夢を見ろ」
騎士が白目を剥いて崩れ落ちる。
だが、残りの五人が一斉に襲いかかってくる。
「殿下ぁぁ! なぜ分からないのですかぁ!」
「ミエル様の愛を拒絶するなら、死んでください!」
彼らは泣いていた。
感動と悲しみの涙を流しながら、本気の殺意で剣を振るってくる。その姿は、狂気そのものだった。
「チッ……!」
レオンハルトは舌打ちし、襲い来る刃を最小限の動きで捌く。
殺すなら簡単だ。一閃で終わる。
だが、彼は「不殺」の制約を自らに課している。刃を使わず、骨を折らず、脳震盪と薬物だけで制圧する。
それは、ただ斬り捨てるよりも数倍の技量と精神力を要する作業だった。
「邪魔だ、どけッ!」
足払いで転ばせ、剣の腹で手首を打ち、意識を刈り取る。
舞うような体術。
スカーレットは、その背中を信じて走った。
彼女の戦場は、その奥にある。
◇
最奥の扉。
王家の宝物が眠る聖域を閉ざす、高さ三メートルの巨大な扉。
その表面には、複雑怪奇な魔法陣が刻まれ、鍵穴自体も物理的にピッキング不可能な構造になっている。
【王家封印錠】。
正規の手順と魔力がなければ、触れた瞬間に警報が鳴り、侵入者を黒焦げにするトラップ付きだ。
「……厄介ですね。魔法解除を解析していたら、夜が明けます」
スカーレットは鞄を開き、即座にプランBを選択した。
彼女は粘土のようなパテを取り出し、鍵穴と、扉を支える巨大な蝶番の周りに土手を作る。
「開きませんね。……なら、『物理的に溶かせば』いい」
取り出したのは、厳重に封印されたガラス瓶。
中では、黄色味を帯びた赤褐色の液体が揺れている。
「魔法使いは、扉に強力な魔法防御をかけました。ですが、彼らは『金属の性質』までは変えていません」
スカーレットは保護メガネをかけ、液体を粘土の土手の中に流し込んだ。
ジュワアアアアア……!!
激しい発泡音と共に、猛烈な白煙が立ち上る。
鼻を突く刺激臭。金属が悲鳴を上げている音だ。
「な、なんだその液体は!?」
最後の騎士を絞め落としたレオンハルトが、驚愕の声を上げる。
頑強なミスリル合金の蝶番が、見る見るうちに泥のように溶け崩れていくのだ。
「『王水』です」
スカーレットは涼しい顔で解説する。
「濃塩酸と濃硝酸を、体積比3対1で混合した溶液。金や白金さえも溶解させる、酸の王様です」
「……王の墓を開けるのに『王水』とは、皮肉が効いているな」
「どんなに強力な魔法で扉をロックしても、扉を支えている蝶番が分子レベルで崩壊してしまえば、ただの板切れです」
数分後。
支えを失った巨大な扉が、グラリと傾いた。
ズゥゥン……!
重い音を立てて、扉が内側へと倒れ込む。
魔法の警報が鳴る暇もなかった。回路ごと溶かされたからだ。
「開きました。……お邪魔します」
◇
墓所の中は、凍えるように寒かった。
外の喧騒が嘘のような静寂。
壁に埋め込まれた棚には、歴代国王の骨壷や、副葬品が整然と並べられている。
レオンハルトは帽子を取り、深く一礼した。
「……父上、ご先祖様。不肖の息子をお許しください」
そして、棚の一角にある、豪奢な装飾が施されたエリアへ向かう。
『現国王アルフレッド』の名札。
そこには、未来の崩御に備えて場所が空けられているが、小さな桐の箱だけが安置されていた。
「これだ」
レオンハルトが、震える手で箱を手に取る。
蓋を開ける。
中には、干からびて茶色くなった、紐のような物体が鎮座していた。
へその緒。
何十年も前、国王が母の胎内から生まれた瞬間の、命の絆。
「……状態は良好です」
スカーレットがルーペで確認する。
「桐箱の調湿効果のおかげで、カビも生えていません。乾燥保存された組織なら、DNAは半永久的に残ります」
彼女はピンセットで組織のほんの一部を採取し、試験管に入れた。
これで十分だ。
この小さな欠片が、国を揺るがす「血の証明」となる。
「確保しました。……撤退します」
「ああ」
レオンハルトは箱を元の位置に戻し、もう一度深く頭を下げた。
「必ず、真実を明らかにします。……もう少しだけ、お待ちください」
二人は足早に墓所を後にする。
入り口には、六人の騎士たちが折り重なるように眠っていた。
レオンハルトは彼らを跨ぎながら、痛ましげに呟く。
「……目が覚めたら、俺を恨むだろうな」
「いいえ。洗脳が解ければ、彼らは貴方に感謝するはずです。……貴方が、彼らの『騎士としての誇り』を守ったのですから」
誰も殺さなかった。
その事実は、レオンハルトが王の器であることを何より証明していた。
「急ぎましょう、殿下。……夜明けの戴冠式まで、あと数時間です」
「ああ。……ここからが本番だ」
二人は闇の中へと消えていく。
ポケットの中には、国の運命を決める「真実」を携えて。




