第6話:顕微鏡(スキル)は全てを見ていた
スカーレットはドレスの裾を翻し、ミエルへと歩み寄った。
逃げようとするミエルの手首を、控えていた侍女レイブンがガシッと掴んで固定する。
「嫌っ、何を!?」
「暴れないでください。サンプルがブレます」
スカーレットは給仕長に視線を送った。
「あの『魔導幻灯機』をお借りします」
それは本来、舞踏会の余興で壁に美しい風景を映し出すための娯楽用魔道具だ。
給仕たちが慌てて巨大なレンズのついた箱を運んでくる。スカーレットはその魔力供給口に自らの額を当て、ユニークスキルを発動させた。
「殿下、『すべての接触は痕跡を残す(Locard's exchange principle)』という言葉をご存知ですか?」
「な、何だそれは。呪文か?」
「いいえ、法則です。加害者と被害者が接触したならば、必ず互いの物質が交換されます。私の手袋の繊維が彼女に、彼女のドレスの繊維が私に移るはずです」
スカーレットの瞳孔が収縮し、スキル【微細構造解析】が最大出力で起動する。
彼女の視界情報が魔力を介して幻灯機にリンクし、レンズから強烈な光が放たれた。
「ご覧ください。これが、ミエル様の人差し指の『真実』です」
講堂の真っ白な壁に、直径数メートルもの巨大な映像が投影された。
映し出されたのは、ミエルの指先の超拡大映像だ。
美しくネイルアートが施された爪。だが、その「裏側」が露わになった瞬間、会場から悲鳴に近い声が上がった。
「うわっ……なんだあれ」
「汚い……」
高倍率で映し出された爪の裏側には、黒ずんだ垢、剥がれ落ちた皮膚の角質、そして微細なゴミがびっしりと詰まっていた。
可憐なヒロインの、生理的な不潔さが暴かれる。精神的なダメージとしては、平手打ちよりも強烈だ。ミエルは顔を真っ赤にして身をよじった。
「いやぁぁ! 見ないで! 恥ずかしい!」
「お見苦しいものを失礼。……ですが、注目すべきはこの『糸くず』です」
スカーレットは映像の一点を指し示した。
爪と皮膚の間に、無理やり引きちぎられたような「ピンク色の繊維」と、微小な「白い塗料片」が挟まっているのが、鮮明に映し出されている。
「このピンク色の繊維の『撚り』と『太さ』を見てください」
スカーレットは比較対象として、ミエルのドレスの袖口を拡大表示させる。
会場の誰もが息を呑んだ。
爪に挟まった繊維と、ドレスの繊維。その形状と色は、完全に一致していたのだ。
「そして白い塗料片は、先ほど彼女が殴った壁の漆喰です」
スカーレットの声が、法廷の判決のように響き渡る。
「もし突き飛ばされてパニックになったなら、貴女は私の服か、近くの手すりを掴もうとするはず。……なぜ、貴女は『自分自身のドレス』を、繊維が爪に食い込むほど強く握りしめたのですか?」
ミエルの唇が震える。反論できない。
「答えは一つ。貴女は壁を殴って怪我を作った後、『被害を大きく見せるために、自分でドレスを引き裂いた』からです」
「ち、ちが……!」
「爪に残った繊維の断面を見てください。鋭利な刃物ではなく、強い力で引きちぎられた形状をしています。……貴女が自分でやったという証拠です」
さらに、スカーレットは自らの両手を掲げた。
白く清潔な、ニトリル手袋。
その表面もまた、巨大なスクリーンに投影される。
「そして最後に。……私の手袋には、ミエル様のドレスの繊維は一本も付着していません」
そこにあるのは、無機質なゴムの表面だけ。
ピンク色の繊維も、彼女の皮膚片も、何一つない。
「風魔法を使っていない以上、突き飛ばすには手で触れる必要があります。しかし、『接触の痕跡』はゼロです」
スカーレットは冷徹な瞳でミエルとブラッドリーを見据えた。
「物理学はこう告げています。――私は貴女に、指一本触れていないと」
完全論破。
反論できる余地は、もう一ミリも残されていなかった。
巨大スクリーンに映し出された「動かぬ証拠」の前で、ミエルの膝から力が抜けた。
「あ……うぅ……」
彼女はその場に崩れ落ちる。
嘘がバレたことへの恐怖と、恥辱。そして何より、自らの演技が「科学」という理解不能な力によって粉々にされた絶望が、彼女の心をへし折ったのだ。
シン、と静まり返っていた会場が、爆発した。
「騙された! 全部あの女の自演だったのか!」
「なんて浅ましい……!」
「王子をたぶらかし、公爵令嬢を陥れるなんて……万死に値するぞ!」
掌返し。
さっきまでミエルを擁護していた貴族たちが、一斉に軽蔑と怒りの眼差しを向ける。
ミエルの涙を利用した【精神干渉】が、「明確な事実」という衝撃によって強制解除された瞬間だった。魔法による洗脳は、冷徹な現実の前では脆い。
ミエルが泣き崩れる中、ブラッドリー王子だけが呆然と立ち尽くしていた。
彼はまだ、現実を受け入れられていない。
「そ、そんな……。ミエルが嘘を……? 愛ゆえの行動ではなかったのか……? ならば、それを信じた私は……?」
スカーレットは幻灯機のスイッチを切り、ゆっくりと王子に向き直った。
その顔には、勝利の笑顔はない。あるのは、出来の悪い実験動物を見るような、冷ややかな視線だけだ。
「さて、殿下。ミエル様の有罪は確定しました」
スカーレットは懐から、分厚い書類の束を取り出した。
それは、この事態を予測して事前に作成しておいた「請求書」だ。
「次は、『共犯者』である貴方の処遇についてお話ししましょうか。……慰謝料の計算は、今の実験よりも複雑になりますよ?」




