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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第13章:洗脳の正体と「死者との対話」

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第59話:香水とフェロモンの化学式

 地下三階、第零班ラボ。

 分厚い鉄扉は閉ざされ、換気システムは「内部循環モード」に切り替えられている。ここは、狂気に染まった王宮の中で唯一残された、理性の聖域サンクチュアリのはずだった。


 だが、見えない脅威は、わずかな隙間からも忍び寄る。


「……う、ぐ……」


 入り口付近で剣を構え、見張りをしていたレオンハルトが、ふらりと膝をついた。

 脂汗を流し、虚ろな目で扉の方を見つめている。


「殿下?」

「……ミエル。会いたい。……彼女に謝らなければ」


 うわ言のように呟くその言葉に、スカーレットは戦慄した。

 彼の鼻に塗ったワセリンはまだ残っている。だが、長時間にわたる高濃度のフェロモン曝露が、物理防御の限界を超えようとしているのだ。


「ダメだ……俺は、王位を返上して……彼女に跪くべきだ……」

「しっかりしてください!」


 スカーレットは駆け寄り、あらかじめ用意していた濡れタオル(アルカリ水溶液を含ませたもの)を、レオンハルトの口と鼻に押し当てた。


「深呼吸を! ……やはり、この『匂い』はフィルターさえも貫通する浸透圧を持っていますね」


 完全密閉したはずのラボ内にも、甘ったるい花の香りが微かに漂い始めていた。

 換気ダクトのフィルターの目よりも細かい粒子。あるいは、建物の隙間から滲み出てくるガス。

 このままでは、時間と共に全員が汚染され、ここも陥落する。


「……くっ。すまない、頭が割れそうだ」

「喋らないで。脳への酸素供給を優先してください」


 スカーレットはレオンハルトをソファに座らせると、白衣を翻して分析機器の前へと走った。


「敵を知らなければ、防御もできません。……丸裸にしてやりましょう」


          ◇


 スカーレットは、吸気口付近で採取した空気と、以前レオンハルトの服から採取していたピンク色の微粒子を、質量分析器マギ・スペクトロメーターにかけた。

 魔導光がサンプルを透過し、壁に巨大な影――分子の構造式を投影する。


 複雑に組み合わさった亀の甲(ベンゼン環)と、長く伸びる鎖。

 スカーレットはチョークを走らせ、黒板にその化学式を書き写していく。


「……正体が分かりました」


 数分後。彼女はチョークを置き、忌々しげにその図を睨みつけた。


「ベースとなっている骨格は『フェネチルアミン(PEA)』。人間が恋に落ちた時、脳内で爆発的に分泌される神経伝達物質です」

「恋の……成分ですか?」


 テオが不思議そうに尋ねる。


「ええ。これ自体は自然なものですが、問題はその修飾基です」


 スカーレットは、分子の端に結合している異常な構造を指し示した。


「ここに、『オキシトシン(信頼)』と『β-エンドルフィン(快楽・鎮痛)』によく似た合成アルカロイドが、魔法的に結合されています」

「つまり、どういうことだ?」


 タオル越しに呼吸を整えたレオンハルトが問う。


「これは聖女の奇跡などではありません。『脳内麻薬の強制カクテル』です」


 スカーレットは断言した。


「吸い込めば、脳の報酬系がハッキングされます。目の前の対象を無条件に『愛しい』『守りたい』と誤認し、同時に強烈な幸福感ハイを与える。……理性や論理を司る前頭葉を麻痺させ、本能だけで従う奴隷を作り出す薬です」


 魔法防御レジストが効かない理由も明白だ。

 これは魔力による精神操作ではない。物質が受容体レセプターに結合することで起きる、純粋な「化学反応」だからだ。


「なんて悪趣味な……」

「ええ。ですが、構造が分かれば対処法はあります」


 スカーレットは黒板の図を消し、新たな設計図を描き始めた。


「この分子はサイズが大きく、粘着性が高い。そして炭素骨格を持つため、『活性炭』に吸着されやすい性質があります」


 彼女はテオに向き直る。


「テオ。備蓄庫にある木炭を蒸し焼きにして、微細な穴を無数に持つ『活性炭』を作って」

「はい!」

「そして、それを詰めた『吸着缶キャニスター』付きのマスクを作るのよ。……デザインは機能性重視で」


 数時間後。

 ラボには、異様な集団が誕生していた。


 顔の半分を覆う、革と金属とガラスで作られたマスク。

 口元には、活性炭がぎっしりと詰まった円筒形の缶が突き出ている。

 まるで、中世のペスト医師のような、あるいは近未来の兵士のような、不気味なシルエット。


 特製ガスマスクである。


「……すー、はー」


 マスクを装着したレオンハルトが、深呼吸をした。


「……凄いな。頭痛が消えた。空気の味がクリアだ」

「活性炭が毒素を物理的に吸着しています。これで、どんなに高濃度のフェロモンの中に飛び込んでも、私たちは正気を保てます」


 スカーレットも自分用のマスクを調整しながら頷く。

 防御は固まった。

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