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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第12章:帰ってきた悪役令嬢と「完璧な証拠」

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第57話:感染する「好感度」

 謁見の間から場所を移し、王宮の大広間で行われた歓迎立食パーティ。

 そこは、この世の楽園のようであり――そして、吐き気を催すほどの地獄でもあった。


「ああ、カイ様……なんと愛らしい」

「ミエル様、我が領地の別荘をぜひお使いください」

「貴女の微笑みのためなら、この命など惜しくはない!」


 会場の中心には、ミエルと少年カイがいる。

 彼らを取り囲むのは、国の重鎮である大臣や、歴戦の騎士たちだ。

 普段ならば派閥争いやメンツに拘る彼らが、今は一様に頬を紅潮させ、とろんとした瞳でミエルを見つめている。その様は、まるで恋に狂った若者のようであり、あるいは――強烈なドラッグにキメられた中毒者のようだった。


(……異常だわ)


 会場の隅、壁際で息を潜めるスカーレットは、扇子の陰で顔をしかめた。


(接触感染ではない。飛沫、あるいはエアロゾル感染。有効射程は半径五メートル……いいえ、空調に乗って会場全体に広がっている)


 彼女はドレスの裏地に仕込んだ活性炭シート越しに、浅く呼吸をする。

 それでもなお、フィルターをすり抜けてくる甘ったるい香り。それは嗅覚を刺激するだけでなく、脳の奥を直接撫で回されるような不快感を伴っていた。


 恐るべきは、その感染力と即効性だ。

 ミエルが微笑むたびに、彼女のドレスや装飾花から「ピンク色の微粒子」が散布され、それを吸い込んだ者が次々と「信者」へと堕ちていく。

 パンデミック(感染爆発)。

 この国の中枢が、たった一人の女の「匂い」によって乗っ取られようとしていた。


          ◇


「……スカーレット」


 不意に、隣から弱々しい声が聞こえた。

 見れば、レオンハルトがふらりとよろめき、壁に手をついている。

 その瞳は焦点が定まらず、どこか夢見心地な色を帯び始めていた。


「殿下?」

「俺は……間違っていたのかもしれない」


 レオンハルトが、うわごとのように呟く。


「ミエルは、あんなに清らかだ。カイも、父上に似ている……。俺が意地を張らずに王位を譲れば、すべて丸く収まるんじゃないか?」

「ッ!?」


 スカーレットは彼の手を掴んだ。熱い。

 そして、彼の顔を見て舌打ちした。


(ワセリンが……溶けている!)


 鼻の粘膜を保護するために塗らせたワセリンが、会場の熱気と彼自身の体温で溶解し、流れ落ちてしまっていたのだ。

 防御壁が失われ、そこから猛毒のフェロモンが侵入している。


「あの方に跪きたい……」


 レオンハルトが、ミエルの方へふらふらと歩き出そうとする。

 まずい。

 前頭葉の判断能力が低下している。このままでは、最強の騎士が敵に回る。そうなれば、スカーレット一人では脱出することすら不可能になる。


(議論している時間はない。……荒療治でいきます!)


 スカーレットは躊躇しなかった。

 懐から小さな茶色の小瓶を取り出すと、親指で蓋を弾き飛ばす。

 そして、レオンハルトの首根っこを掴んで引き寄せ、その鼻先に瓶を突きつけた。


「殿下、深呼吸してください!!」

「え……?」


 レオンハルトが息を吸い込んだ、その瞬間。


 ズドンッ!!


 脳髄を直接ハンマーで殴られたような衝撃が、彼の神経を貫いた。


「ごふッ!? げほっ、ごほっ、おえぇっ……!!」


 レオンハルトはその場に崩れ落ち、激しくむせ返った。

 目から涙が、鼻からは鼻水が止まらない。喉が焼けるように熱い。

 甘い恋の陶酔など、一瞬で吹き飛ぶほどの激痛と刺激臭。


「な、なんだこれは……!?」

「『濃縮アンモニア水』です。気付け薬ですよ」


 スカーレットは素早く瓶の蓋を閉めた。


「脳の受容体がリセットされましたね。……どうやら『愛の魔法』も、アンモニアの悪臭には勝てないようです」

「は、鼻が……もげるかと……」


 レオンハルトは涙目で顔を上げた。

 だが、その瞳からは濁りが消え、いつもの鋭い理性の光が戻っていた。


「……助かった。危うく、あの女の靴を舐めるところだった」

「それは見たくありませんね。吐き気がします」

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