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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第11章:透明な切り裂き魔と『螺旋の遺伝子』

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第53話:新たな火種、隣国の影

 ルミナス王国の東端、隣国ドラコニアとの国境に位置する検問所。

 季節外れの激しい雷雨が、石造りの詰め所を叩きつけていた。


「まったく、こんな嵐の夜に誰が来るってんだ」


 警備隊長は、湿気った薪が爆ぜる暖炉の前で、退屈そうにあくびを噛み殺した。

 平和な田舎の検問所だ。普段なら行商人の馬車が数台通る程度。こんな豪雨の深夜に、国境を越えようとする物好きなどいるはずがない。


 ――そう思っていた。

 闇の向こうから、重々しい車輪の音が響いてくるまでは。


「……おい、何か来るぞ」


 部下の報告に、隊長は慌てて窓から外を覗いた。

 稲光が走る一瞬、その光景が浮かび上がる。

 泥濘んだ街道を、六頭立ての黒馬が引く巨大な馬車が、水飛沫を上げて疾走してくる。その装甲は黒檀のように黒く、扉には金色の紋章が刻まれていた。


 双頭の竜。

 大陸随一の軍事大国、ドラコニア王家の紋章だ。


「な、なんだ!? 外交使節団か? 事前の通達はなかったぞ!」


 隊長は兜を被り直し、雨の中へと飛び出した。

 馬車が検問所の前で停車する。その威圧感に、警備兵たちは思わず息を呑んだ。


「止まれ! 入国審査を行う! 身分証を……」


 隊長が声を張り上げた、その時だった。

 馬車の扉が、音もなく開かれた。


          ◇


 ふわり、と。

 豪雨の湿気と土の臭いを塗り潰すように、「甘い花の香り」が漂った。

 それは強烈な芳香だった。嗅いだ瞬間に脳が痺れ、心臓が高鳴るような、抗いがたい魅力を秘めた香り。


 そして、闇の中から一人の女性が姿を現した。


「……夜分に失礼いたします」


 鈴を転がすような声。

 ランタンの明かりに照らされたその姿を前に、隊長は言葉を失った。


 純白の修道服(聖衣)を纏った、蜂蜜色の髪の美女。

 かつてこの国を追放された男爵令嬢、ミエル・キャンディの面影がある。だが、彼女はもはや、以前のような「愛らしいだけの少女」ではなかった。

 背中には、最新鋭の魔道具による光輪ハイローが浮遊し、神々しい光を放っている。その立ち居振る舞いは、慈愛に満ちた女神そのもの。


 聖女。

 誰もがそう呼ばずにはいられない圧倒的なカリスマ性が、彼女にはあった。


「あ……」


 隊長の思考が停止する。

 不審な入国者への警戒心など、一瞬で霧散した。

 代わりに胸の奥から湧き上がってきたのは、熱病のような恋情と、ひれ伏したいという衝動。


(ああ……なんて美しい方だ。この方のためなら、死んでもいい)


 瞳孔が開き、理性が麻痺していく。

 これが、国を揺るがすことになる「嗅覚による洗脳」――高濃度フェロモンの最初の犠牲者だった。


「お役目、ご苦労様です」


 ミエルは微笑み、馬車の中に手招きをした。


「カイ様。いらっしゃい」


 彼女の傍らに、小さな影が寄り添う。

 十歳くらいの少年だ。

 絹のような金髪に、透き通るような碧眼。豪奢な服に身を包んでいるが、その表情はどこか虚ろで、人形のように生気がない。

 だが、その顔立ちは――隊長も見覚えのある「ある人物」に瓜二つだった。


「こ、このお子様は……?」

「ご紹介します。カイ・フォン・アークライト様」


 ミエルは恭しく告げた。


「現国王陛下が、身分違いの女性との間に遺されたご落胤……。このルミナス王国の、『正当なる王位継承者』です」


          ◇


 王の隠し子。

 それは、第一王子の王位継承が怪しくなっているこの国にとって、国体を揺るがす爆弾発言だった。

 本来なら「不敬罪だ」「証拠を出せ」と拘束される場面だ。


 だが、ミエルは流れるような動作で、一枚の羊皮紙を差し出した。

 古びた紙片。その末尾には、茶色く酸化した「血判(血の拇印)」が押されている。


「これは、陛下が母君に託された認知書です」

「しょ、証拠の確認を……」


 隊長は震える手で、検問用の「鑑定魔道具」を血判にかざした。

 この世界において、血統は魔力で証明される。王家の血であれば、特定の波長に反応するはずだ。


 ――カッ!


 血判が、眩い黄金色の光を放った。

 虚空に浮かび上がるのは、天秤と剣を模したルミナス王家の紋章。


「なっ……!?」


 隊長が膝をつく。周囲の兵士たちも一斉にひれ伏した。

 間違いようがない。

 魔法が、世界が、この血判を「本物」だと認めているのだ。


「ほ、本物だ……! 前国王陛下の血だ!」

「分かっていただけましたか?」


 ミエルは聖母のような慈愛に満ちた声で言った。


「私たちは、正当な権利を求めて帰還しました。……通していただけますね?」

「は、はいッ! 直ちに開門を! 真の王子のお帰りだ!」


 洗脳された隊長は、涙を流しながらゲートを開けた。

 疑うことなどできない。魔法的な証拠と、脳を焼くようなフェロモンが、彼らの忠誠心を書き換えてしまったのだから。


 馬車が再び動き出す。

 国境を越え、王都へと続く道を、黒い馬車が疾走していく。


          ◇


 馬車の中。

 窓を閉め、外界と遮断された空間で、ミエルの表情が一変した。

 聖女の仮面が剥がれ落ち、そこには妖艶で、昏い欲望に満ちた「悪女」の素顔があった。


「ふふっ。……ちょろいものね」


 彼女は足を組み、虚ろな目の少年カイの髪を乱暴に撫でた。


「見たでしょう、カイ? あいつらの間抜けな顔。貴方はもう、どこの誰とも知らない貧民街の孤児じゃないの。今日から『王子様』よ」

「……はい、ミエル様」


 少年は怯えたように頷く。

 ミエルは窓の外、王都の方角を睨みつけた。その瞳には、かつて自分を断罪し、国外追放へと追いやった者たちへの、煮えたぎるような復讐心が渦巻いている。


「待っていなさい、スカーレット・ヴァレンタイン」


 彼女は赤い唇を歪めた。


「前は『小手先の嘘』だと笑ったわね。証拠がないと馬鹿にしたわね。……なら今度は、『国ごとの真実(魔法)』で貴女を押し潰してあげる」


 血判は本物だ。鑑定魔法もパスした。

 そして何より、国民全員がミエルを愛し、カイを王だと信じ込んだ時――「科学的な偽造の証拠」などに何の意味があるだろうか?


「科学? ふふっ。……フェロモンの前では、理屈なんて無力なのよ」


 最強の「嘘」を纏った怪物が、牙を剥いて帰還する。


          ◇


 翌朝。王宮地下、第零班ラボ。

 昨夜の嵐が嘘のような、穏やかな朝だった。

 スカーレットは、いつものように白衣を羽織り、壁際の水槽を点検していた。


「……?」


 彼女の眉が寄る。

 水槽の中で飼育している「沼ウシガエル」たちが、異常な行動をとっていた。

 普段はのんびりしている彼らが、水槽の壁に何度も頭を打ち付け、暴れているのだ。あるいは、水底の泥の中に潜り込み、必死に鼻を隠そうとしている。


「環境測定用のカエルがパニック状態……。水質は正常、魔素濃度も異常なし」


 スカーレットは試験紙を空中にひらつかせた。

 紙の色が、わずかにピンク色に変色する。


「……気圧の変化? いいえ。空気に『何か』が混じり始めましたね」


 彼女は鼻をひくつかせた。

 換気システムのフィルター越しでも感じる、微かな、しかし不快な甘い香り。

 生物の本能に直接作用するような、危険な粒子の気配。


「嫌な予感がします。……私の『鼻』が、腐った事件の臭いを嗅ぎ取っています」


 その時。

 王宮の上層から、来賓の到着を告げる鐘が高らかに鳴り響いた。

 ゴーン、ゴーン。

 それは、国を二分する最後の戦いの始まりを告げる、弔鐘のようだった。


「行きましょう、レイブン、テオ。……新しい検体が到着したようです」


 スカーレットは眼鏡の位置を直し、振り返った。

 その背後で、黒板に貼られた王都の地図が、朝日を受けて赤く染まっていた。

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