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婚約破棄の現場から失礼します。その「冤罪」、科学捜査(フォレンジック)で論破させていただきます 〜前世科捜研の私が、魔法世界の完全犯罪をDNA鑑定で暴くまで〜  作者: ヲワ・おわり
第11章:透明な切り裂き魔と『螺旋の遺伝子』

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第52話:科学捜査の夜明け

 王都の下層区「シャドウ・ロウ」。

 法の光が届きにくいこの薄暗い吹き溜まりにある酒場は、今夜も荒くれ者たちで賑わっていた。

 だが、その話題はいつもの金儲けや女の話ではない。皆、声を潜めて「ある噂」を囁き合っていた。


「おい、聞いたか? 『透明な切り裂き魔』の末路を」

「ああ……。広場で晒し者にされたってな」


 泥棒稼業の男が、ジョッキを震える手で握りしめる。


「騎士団長の息子だったらしいが、見るも無残な姿だったそうだ。全身がドス黒い紫色に染まって、顔は腫れ上がり……まるで『紫の怪物』だったとよ」

「ひぃっ、祟りか?」

「いや、違う。『地下の魔女』の呪いだ」


 男は周囲を警戒しながら、さらに声を低くした。


「王宮の地下に、魔法の通じないヤベェ女がいるらしい。見えない相手だろうが、魔力を消そうが、関係ねえ。現場に髪の毛一本、汗一滴でも落としたら最後……その『カケラ』から呪いをかけて、居場所を特定するんだと」

「マジかよ。それじゃあ、逃げ場がねえじゃねえか」


 酒場の空気が凍りつく。

 これまで、犯罪者たちにとって「魔法」は便利な道具だった。姿を消し、鍵を開け、証拠を燃やせば、完全犯罪は容易だった。

 だが、その常識が覆されたのだ。


「……しばらく、デカいヤマは控えた方がいいな」

「ああ。指の跡一つ残せねえなんて、割に合わなすぎる」


 この日を境に、王都の犯罪発生率は劇的に低下することとなる。

 正義のヒーローが現れたからではない。「捕まるのが怖い」という原初的な恐怖が、犯罪者たちを萎縮させたのだ。

 後に『スカーレット効果』と呼ばれる、科学捜査による抑止力の誕生である。


          ◇


 一方、噂の震源地である王宮地下三階。

 特別捜査局「第零班」のラボは、劇的な変貌を遂げていた。


 かつて「ゴミ捨て場」と蔑まれていた陰気な石造りの部屋は、今は見る影もない。

 今回の事件解決の功績により、国王から莫大な特別予算が下りたのだ。


「……素晴らしい」


 スカーレットは、真新しい白衣の袖を通しながら、満足げにラボを見渡した。

 壁は防塵加工が施され、天井には最新鋭の「魔導換気システム」が設置されている。高性能な風魔法のフィルターを通した空気は、地上の王宮よりも清浄で、無菌室クリーンルームに近いレベルを維持していた。


 さらに、部屋の奥にはガラス張りの区画が増設されている。

 『王宮筆頭硝子技師 テオ・アームストロング工房』。

 金色のプレートが輝くその部屋で、テオが真新しいバーナーを調整していた。


「どうだ、テオ。使い心地は」

「最高です殿下! 火力が安定していて、これならどんな歪なフラスコでも作れます!」


 スラム出身の少年の顔には、かつての卑屈さはない。自分の技術が国を救ったという自信が、彼を一人前の職人マイスターへと成長させていた。


「警備体制も強化しました」


 報告するのは、警備主任の肩書きを得たレイブンだ。

 彼女の装備も一新されている。ミスリル製のワイヤーを仕込んだ手袋に、衝撃吸収の魔導ベスト。科学捜査官を守るための、プロフェッショナルな装備だ。


「これなら、次は透明人間が来ても返り討ちにできます」

「頼もしいわね。……さて」


 スカーレットは、執務エリアの壁に飾られた「額縁」を見上げた。

 そこには、感謝状や勲章ではなく――「アラン・ド・ノワールのDNA鑑定書のコピー」が飾られていた。

 二列の縞模様が並ぶ、あの羊皮紙だ。


「何度見ても美しい幾何学模様です。勝利のトロフィーに相応しい」

「……悪趣味なインテリアだ」


 執務机でコーヒーを飲んでいたレオンハルトが、呆れたように苦笑する。

 だが、その表情は穏やかだった。

 騎士団長ガレスの失脚により、彼を敵視していた勢力は一掃された。第零班はもはや「窓際」ではなく、王宮内で一目置かれる重要機関へと昇格しつつある。


「環境は整いました。これで、より高度な実験が可能になります」


 スカーレットは、分厚い企画書をレオンハルトの机に置いた。

 ドンッ、と重い音がする。


「なんだ、これは」

「次なる計画書です」


 表紙には『王国民DNAデータベース化計画』と記されていた。


「事件が起きてから証拠を集めるのでは非効率です。出生時、あるいは成人時に、全国民からDNAサンプルを採取し、王宮で一括管理します」

「……は?」

「そうすれば、現場に髪の毛が一本落ちていれば、データベースと照合して数秒で犯人が特定できます。迷宮入り事件はゼロになり、冤罪も消滅する。完璧な治安維持システムです」


 スカーレットは目を輝かせて力説する。

 だが、レオンハルトの顔色は青ざめていく。


「……却下だ」

「なぜです? 予算なら……」

「金の問題じゃない! そんなことをすれば、貴族たちから暴動が起きるぞ!」


 レオンハルトは頭を抱えた。


「いいかスカーレット。この国は……いや、貴族社会というのは、清廉潔白な人間ばかりじゃない。表沙汰にできない『隠し子』や、『血統の秘密』を抱えている家が山ほどあるんだ」

「……ああ。不倫や托卵ですか」

「言葉を選べ。……とにかく、全員のDNAを丸裸にするなんて、パンドラの箱を開けるようなものだ。国が崩壊しかねん」


 絶対的な正義と効率を求める科学者と、社会的な混沌を避ける為政者。

 二人の視点は異なるが、だからこそブレーキ役として機能していた。


「非効率ですね。真実こそが最大の利益なのに」

「人間には、知らない方が幸せな真実もあるんだよ」


 レオンハルトはコーヒーを啜り、ふと遠い目をした。


「だが……お前の技術は、確かに諸刃の剣だ」

「剣?」

「ああ。犯罪捜査だけじゃない。その気になれば、『王位継承権』という、この国の根幹さえも揺るがすことができる」


 血統。

 魔法王国において、魔力と並んで重視される「血の繋がり」。

 それが、科学によって「ただの塩基配列のデータ」として白日の下に晒された時、何が起こるか。


「血統とは、所詮はタンパク質の設計図に過ぎません。王も平民も、生物学的には九九・九パーセント同じです」

「……その言葉、父上(国王)の前では絶対に言うなよ」


 スカーレットは肩をすくめる。

 二人はまだ知らない。

 その「血統の嘘」を巡る、国を二分する最大の事件が、すぐそこまで迫っていることを。


          ◇


 夕刻。

 ラボの採光窓から、オレンジ色の夕日が差し込んでいる。

 スカーレットは、新調された魔導顕微鏡を覗きながら、幸せそうに高級チョコレートを齧っていた。

 レオンハルトは、そんな彼女を横目に見ながら書類を片付ける。


「……まあ、悪くない日々だ」


 地下室の空気は、以前よりもずっと軽く、そして甘い香りがした。

 科学という「新しい光」が、魔法王国の闇を少しずつ照らし始めている。


 だが、光が強くなれば、落ちる影もまた濃くなる。

 王都の東――隣国ドラコニアの方角から、不穏な黒い雲が湧き上がっていた。


 束の間の平和は、終わりを告げようとしている。

 最強の「嘘」を纏った聖女が、国境を越えようとしていた。

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